episode.5 俺が死んだ日(1)

「じゃあ行ってくるね」

「うん。いってらっしゃい」

 妻の由希子さんと一人息子の祐希が手を振って俺を見送る。これが最期になるなんて知りもせず、俺は父と2人で車に乗り込んだ。

 「たまには2人で旅行にでも行ってきたら?」と持ちかけてきたのは母と由希子さんだった。もしかすると俺より由希子さんの方が母と仲が良いのではないかと思うくらい仲の良い2人だが、お互いに謙虚すぎる所が欠点で、何をさせても自分を後回しにするような存在だから今回の提案も本当に俺たちの事を想っての提案だったのだろう。

 もちろん、その提案を断る理由もなく俺は車で行ける範囲の1泊2日の小旅行を計画した。2人が好きそうなお土産が買える店を探したり、祐希が欲しいと言っていたご当地キャラのキーホルダーを買って帰ることを想像しながら父を助手席に乗せて車を走らせた。

 1日目は観光をしながら現地の名物料理を堪能し、随時写真を撮っては由希子さんに送った。すぐに返信が来て『綺麗だね』とか『私も食べたい!』と来る度に旅の満足度が上がっていくような感じがした。その返信と同時に送られてくる祐希の様子や2人で作ったお昼ご飯なんかを見てはホームシックになりそうになったが『お義母さんと祐希と、パパの帰り待ってるねー』と何度も送られてくるそのフレーズで、俺は今回の旅の目的を思い出すのだ。

 宿に着いて、先に父を風呂に入れて俺は一息ついた。毎日毎日公務員としての職務を果たし、辛くても尋ねてきた方に最善の対応をとる。変わらない日常の中で、こうして刺激を与えられるとまた月曜日からも頑張れるような気がする。また人として優しくなれそうな気もするのだ。

「もしもし?」

『宿着いた?』

「うん。今父さんが風呂に入ってる」

『そっか。丁度ねー、お義母さんも祐希とお風呂に入ってるの』

「じゃあ祐希の声、聞けないのかー」

『残念だったねー(笑) 旅行楽しそうだね』

「楽しいよ。ありがとう」

『なんで?』

「由希子さんと母さんのおかげだよ。俺はね、人に言われないと行動を起こすタイプじゃないから。行きたいと思ってもちょっと面倒くさいの」

『旅行なんかは特にそうだよね』

「うん。父さんそろそろ出て来るから一旦切るね」

『わかった。気をつけて帰ってきてね』

 その夜俺は夢を見た。父さんと母さんと由希子さんと祐希で旅行に行く夢を。「あのお店面白そうだね! 入ってみよ?」なんて言うはずのない由希子さんがはしゃいでそう言うのだ。幸せを具現化したような空間は、父の声で終わった。

「朝だぞ」

 目を覚ました俺は時計を見てハッとする。7時には起きるつもりだったのに8時まで寝てしまったからだ。父は既に身支度を済ませていた。

「なんで起こしてくれなかったのー」

「幸せそうに寝る仕事人は起こせん」

 明日からまた仕事だという事に気を使ったのだろう。寡黙な父だがその影には母と同じくらいの優しさがあった。

 急いで身支度を済ませ宿を出た。予定より1時間も遅い出発になってしまったので、予定をまきで済ませていく。事前に行く所を決めていたのは唯一の救いだと思う。

「これとこれ、祐希はどっちが好きだと思う」

 父が可愛らしいキーホルダーを俺の前で並べて見せた。

「強いて言えばこっちかな」

 旅行最大の醍醐味はお土産選びだと俺は思う。家に帰ってからお土産を見せた時の反応までが旅行。喜んでもらえる物を選んだ者が勝者なのだ。

 買ったお土産を後部座席に乗せて運転席に座った。

「明日も仕事だし、荷解きもしないといけないからそろそろ帰ろうか」

「そうだな」

 父との会話は楽しいわけではないが、居心地が悪いわけでもない。必要最低限の会話が俺としては楽でいい。

 車を走らせてから1時間くらい経った山道で、口を開いたのは父だった。

「今日はありがとう」

「どしたの急に」

「光希が家を出てから、母さんと遠出をする事もなくなって時々帰ってくる由希子さんや祐希を見てるだけで充分だと思っていた。だけど、こうして息子と2人旅も悪くないなと、改めて感じたんだ」

「・・・そっか」

 子供の頃から父はこんな人だった。余計な事は言わない。その分、感謝は口にする人。

「なんか照れるじゃん」

 一瞬横目で父を見た、瞬間だった。

 俺たちの目の前にトラックが現れたのだ。

「危ないっ」

 俺が最期に見たのは、俺に覆い被さるように腕を広げた父の姿だった。

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