episode.4 息子が死んだ

「お母さん、気分悪い」

 火曜日の朝もそんな一言から始まった。ここ最近ずっとそうだ。

「熱がありそうな感じ?」

 仮病だということはわかっている。だけどきっと、祐希にも祐希なりの理由があって休みたいのだろう。出来ることなら休ませてあげたい。だけどシングルマザーで、遠方に住む親にも頼れない今、この子を預けられる場所がない。

「熱はー、あるかも」

「体温計探して測ってみなー?」

 もちろん熱はない。そうなったら次は頭が痛いかもと言い出し、お腹が痛いかもと言う。パターンは決まっているのだ。

「36.9」

「大丈夫そうだね」

「頭痛いかも」

 ほら来た。

「学校行けないくらい痛い?」

「……うん」

 一週間ずっとこうだった。それでも頑張って行かせた。今日くらいは休ませてあげてもいいのかもしれない。それで気が済んだら明日からは行ってくれると信じよう。

「そっか。じゃあ今日は休もうね」

「……うん」

 嬉しそうじゃない。一瞬口角が上がったように見えたけど、すぐまた暗い表情に戻った。仮病じゃないのかもしれない。

「でも今日お母さん、仕事休めないから家で一人で大人しく入れる?」

「大丈夫」

「わかった。じゃあお昼ご飯は用意しておくからお腹空いたら食べるんだよ」

 コクっと頷いて部屋に戻っていく。

 パパッとお昼ご飯を用意して、仕事着に着替えた。祐希の部屋に方に「行ってくるねー!」とだけ声をかけて家の鍵を閉めた。


家に帰ると祐希がいなくなっていた。


 仕事が終わりマンションに向かう道中、救急車やら警察やらが騒がしく通り過ぎて行った。『火事かな?』なんて思いながら、今日の夕飯を考える。

 自宅マンションの入口で多くの人が集まっている。その中には警察なんかも混ざっていた。

「どうかしたんですか?」

「あ、山崎さん! あの子、山崎さんのところの子じゃないの?!」

 おばさんが指を指す方に目をやる。人混みで何も見えないけれど、その人たちをかき分けて最前列に出た瞬間、膝から崩れ落ちた。

「祐希……?」

 救急隊員に抱えられ担架に乗せられた子ども。警察官は私の方を見て近づいてきた。

「あの子のお母さんですか」

 パトカーのサイレン、救急車の赤いランプ。それらが頭をグルグルと回る。

 それからの記憶はない。

 気付けば私は家の玄関に立っていた。

「祐希ー?」

 とぼとぼと歩きながら、祐希の部屋を開けた。

 静けさだけが残った彼の部屋はいつも以上にきちんと片付けられていた。布団は折れもなく敷かれ椅子は机に納まっていた。漫画も綺麗に並べられている。鍵のかかった引き出しの鍵は、私と祐希だけが知っている。

「祐希、今日は帰ってくるの遅いねー」

 引き出しの鍵を開けて中身を取り出す。

遺書

 祐希の汚い字がそう書いていた。

「はは、こんなもん書いちゃって」

 白い封筒から紙を取り出した。

『お母さんへ

 ごめんなさい。僕は、お母さんみたいに強く生きれなかった。1人で悩むことしかできなかった。僕は学校でいじめられてました。でもお母さんが困ると思ったから言えなかった。言えないまま死ぬことを選びました。本当にごめんなさい。お母さんを1人にして、ごめんなさい。学校に行きたくないって言ったら「いいよ」って言ってもらえたの本当に嬉しかったよ。今までありがとう 祐希』

 紙に書かれた祐希の文字が滲んでいく。

「消えないで」

 必死に紙に落ちた涙をティッシュで吸わせながら何度も何度もその文字を読んだ。受け入れる為に。

「消えないで」

 月の光だけが部屋に差し込む空間で、私は祐希からの最初で最後の手紙を抱きしめながら号泣した。不甲斐ない。私しかいなかった祐希を助けてあげる事ができなかった。気づけることができなかった。そんな後悔だけが頭をいっぱいにした。

 月さえも眠る真夜中、ふと目が覚めて遺書と書かれた封筒に手を入れる。まだ何か入っているように気がしたのだ。

『お母さんへ

 お母さんが出かけてからすぐに誰か来ました。その人に「'これ'をお母さんに渡してほしい」とお願いされたから入れておくね』

そこには死神提供局番と書かれた名刺が入っていた。ポケットに入れたままのスマホにその番号を打ち込んでいく。

 トゥルルルルル。トゥルルルルル。

「はい。こちら死神提供局番です。最近亡くなった方に未練のある、そこの貴方に。伝えられなかった事を伝えるチャンスを。どんな話もお聞きします」

「あの……」

 自分の体が気持ち悪い。目が覚めてから勝手に動くのだ。今から自分が何を言おうとしているのかさえわからない。

「息子が今日、自殺したんです。仕事から帰ると家の前が騒がしくて、なんだろうと思って見たら息子が救急隊員に囲まれてて。飛び降りたとか言ってて」

「由希子さん」

「え」

「貴方は本当に愛情を込めて息子を育てていたようですね。今日、息子くんにあのカードを渡したの私です。とてもしっかりしている子だったので、つい余計なことを言ってしまったかもしれません。だからこそ貴方には息子くんをしっかり大人にしてあげてほしい。貴方に時間とアドバイスを差しあげましょう」

「大人に……?」

「時間を今日の朝に戻します。息子くんが亡くなる前です。特別にタイムリミットを過ぎたとしても時間はそのままで運命を変えます。仕事には行かないでください。必要なものだけを持って義母の所に行ってください」

「え、お母さんの所じゃなくて、ですか?」

「はい。義母の所です。それが貴方の運命をいい方へと変えてくれることでしょう。それでは」

 吸い込まれるように意識がなくなり、目をパチッと開けると私は祐希の部屋の前に立っていた。

 試しに扉をコンコンとノックする。

「何?」

 部屋から出てきたのは紛れもなく祐希だった。嬉しかった。もう聞けないと思っていた祐希の声をもう一度聞くことができたから。

「え、死神?!」

 祐希は大きな声を出し、その場に尻もちを着いた。

『あー私今死神なんだ』

「よく聞いて」

 祐希は大きく目を見開き私の方を見続ける。

「君のお母さんには、君しかいないの。君が大人になるまでにどれほどの決断をするかわからない。だけどね、その決断の前には必ず誰かに相談してほしい。お母さんじゃなくてもいい。誰だっていいの。祐希が正解だと思う人を選んで。1人で決めないで」

 祐希は涙を流しながら私を見ている。

 怖がっているのだろうか。

「僕だって、死にたくない。だけど、死ぬ以外の方法が分からないんだよ。教えてよ!」

 祐希の頬に手を添える。暖かくて柔らかかった。

「お母さんに頼っていいんだよ」

「お母さん……?」

 先程まで祐希を包んでいた恐ろしい死神の手が、私の手に戻っていた。

「祐希、お義母さんの所に行こっか」

 バスを何個か乗り継いで久しぶりにお義母さんの家へと着いた。連絡もなしに大丈夫だったのだろうか。

「由希子さん?!」

 後ろから名前を呼ばれ咄嗟に振り返る。

「どうしたの? こんな所まで」

 憔悴しきった2人の様子を見て、お義母さんはそれ以上何も聞かず家に入れてくれた。

「久しぶりねー。こうやって由希子さんが祐希くんを連れてここに来てくれるの」

「すみません……。突然こんな形で来ちゃって」

「全然いいの。あの子が亡くなって以来かしら? 1年くらい?」

「……はい」

「子供の成長は早いものねー。1年見ないだけでこんなに大きくなっちゃって」

「私、仕事辞めて実家に戻ろうと思ってるんです」

「ここにいてもいいのよ? 死別なんだから、私たちはずっと家族でしょ? 私も独りで寂しいのよ」

 1年前、夫とお義父さんは事故で亡くなった。2人旅での事だった。山道を走行中、中央線をはみ出してきたトラックを避けようとハンドルを切った事でガードレールに衝突。2人の訃報を私たちは同時に聞くことになったのだ。

「ここなら由希子さんも仕事を見つけられるはずよ」

「迷惑じゃないですか?」

「お母さん」

 ここに来るまでずっと黙っていた祐希がついに口を開いた。

「僕、ここにいたい」

 やっと、甘えてくれた。

「祐希くんだってそう言うんだもの。迷惑だなんて気にしなくていいのよ?」

「お言葉に甘えてもいいですか?」

「もちろん!」


 トゥルルルルル。トゥルルルルル。

「はい。こちら死神提供局番です」

「公私混同とはこの事でしょうか」

「仕方ないじゃないですか」

「1年前、貴方が突然現れ、死神提供局番ていうサービスをやらせてください。なんて言い出したあの時から、今日の事を計画してたんですか?」

「そういう訳じゃありませんよ」

「じゃあ何故」

「悔やみきれないでしょ。小さかった息子と不器用な妻を置いて死んでしまったこと。この1年、俺のせいで苦労したはずです。だけど懸命に頑張ってくれてた。名簿を見た時、自分の息子の名前を見つけて居ても立ってもいられなくなったんです。出張という名目で息子に会いに行ってしまったことは良くないかもしれない。だけど、父として由希子さんと祐希に出来ることはもうこれしかなかったんです」

「まぁ別に前回こちらも貴方に依頼しましたので、今回の事は黙認しますよ。濁りのない愛なのですから。しかし、貴方が仕事人ではなく父として生きる姿、とても素敵でしたよ」


episode.4 END

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