第42話 あなたの隣で


 季節は初夏へと移り、死神屋敷ことバラ屋敷の庭園では見頃を迎えたバラの花が赤色やピンク色、白色とそこここに咲いて新緑に彩りを添えている。

 お茶の準備を済ませたエオノラはティーセットを銀盆に載せてガーデンハウスから四阿へと歩いていた。


 祝いの宴以降、リックとアリアの関係はギクシャクしている。

 お互いが自分優先で動いていたので仕方がないが、アリアがフェリクスに言い寄ったことにリックは酷くショックを受けた。それに加えて、田舎領へ向かったはずなのに無断で王都に戻ってエオノラに詰め寄ったこと伯爵にバレてしまい、彼は当初予定していた田舎領よりもさらに王都から遠い田舎領へと飛ばされることになった。向こう一年は帰ってくるなと言われているらしい。


 一方のアリアはというと、生まれて初めてホルスト男爵から酷く叱られて驚いていた。しかし、自分の何が悪くて男爵に叱られたのかいまいち分かっていないらしい。本人曰く、自分はリックを捨ててフェリクスに乗り換えようとしただけだと言うのだ。

 それが問題だというのに彼女にはことの重大さが見えていない。

 お陰でアリアの社交界での評判はどん底までに下がっているが、本人はそれについてもあまり理解できていない。要するに、彼女は自由奔放すぎる性格だったのだ。

 とはいえ、自分の行動に責任を持たない振る舞いは今後も彼女自身の首を絞めることになるだろう。その証拠にリックとの婚約解消は時間の問題だと社交界では囁かれている。


 エオノラは今まで散々アリアの面倒を見てきたが、彼女の考え方が自分の常識の範疇を超えていると知ってしまったため、交流することを避けている。

(私が頑張ったところで、もう私の手には負えないもの……)



 エオノラがそこでふうっと一息吐いていると、突然手にしていた銀盆が軽くなった。

「お茶を淹れてくれてありがとう。後は私が四阿まで運ぼう」

 屈託のない笑みを浮かべたフェリクスが現れてティーセットを運んでくれる。

 四阿に到着した二人は早速これまでと同じようにお茶を飲み始めた。

「……今日はここに来てくれてありがとう」

「いいえ、公務でお忙しい中、お茶に誘ってくださってありがとうございます。手紙に書いてあった通り、どのバラも見頃を迎えていてとっても綺麗です」

 エオノラはお茶を啜りながら、フェリクスが作り上げた美しい庭園を眺めて幸せな一時に浸る。


「あなたはずっとこの庭園を気に入ってくれているな」

「はい。だってフェリクス様の愛情が一番詰まった場所ですから。見ているとなんだか幸せになれるんです」

 するとエオノラの返事に応えるようにルビーローズのリンリンという嬉しそうな音が風に乗って聞こえてくる。

 フェリクスはそうかと呟くと口元に手をやって考え込む素振りを見せる。


「それなら、結婚後はここに住もう。私も、このまま庭園を手放すのは惜しいと思っている」

「え!? でもそんなこと勝手に決めても大丈夫ですか?」

「ラヴァループス侯爵位を拝命した時からこの屋敷は私のもの。私に決める権限がある。……まあ、父上の許可は必要だが」

 フェリクスはそれからすぐに後ろで控えていた従者を呼ぶとあれこれと指示を出した。

「婚約式を行うまでには屋敷の改修に取り掛かりたい。死神屋敷と揶揄されていただけあって屋敷の中はまあまあ酷い有様だ」

「すぐに手配致します」

 従者は首肯してから下がると早速仕事に取りかかり始めた。



「あの、そんなに急な話を出しても良いんですか?」

「急な話じゃない。私たちの結婚はもう一年後だ。それまでにここを綺麗にしておかないと、王家に嫁いだというのに不憫な思いはさせたくない」

 二人の婚約式は半年後に予定されている。その一年後には結婚式もあり、あと少しすれば慌ただしい日常が待っている。

 今後の日々に想像を巡らせていると、急に視界が暗くなった。いつの間にかフェリクスが目の前に立っている。


「フェリクス様」

 頬に掛かっていた髪を耳に掛けられ、そのまま優しく撫でられる。フェリクスの細くて長い指はエオノラの頬をくすぐるように滑ると顎を持ち上げる。やがて、フェリクスが口づけを落とした。

 彼の熱を孕んだ唇が重なる度、その刺激的な甘さに頭がくらくらする。

 解放されたエオノラは肩で息をしながら真っ赤になった頬を両手で挟むと顔を逸らした。

 ちらりと目を向ければ、彼はペロリと唇を舐めている。その仕草があまりにも妖艶で、刺激の強い光景にエオノラは声にならない悲鳴を上げる羽目になってしまった。


 暫く経って顔の熱が収まると、フェリクスが庭園を眺めながら呟いた。

「今まで一度も庭園の中を二人で歩いたことがなかった。エオノラ、私と一緒に散歩して回らないか?」

 青みがかった銀色の髪を靡かせながらフェリクスが手を差し出してくれる。


「……フェリクス様と一緒ならどこへでだって行きますよ」

 エオノラは、彼の手の上に琥珀の腕輪をはめた方の手を重ねて椅子から立ち上がる。



 そして、陽だまりに包まれた美しいバラの庭園の中を二人並んで歩いて行った。


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呪われ侯爵の秘密の花~石守り姫は二度目の幸せを掴む~ 小蔦あおい @aoi_kzt

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