第41話 二人のその後2


 気分を害したので仕切り直すために脇に立っていた配膳係からシャンパンをもらうと、ぐいっと一気に飲み干す。

 空になったグラスを返して一息吐くと、フェリクスと何故か目が合った。

(もしかして、全部見られていたの?)

 一連の騒動を見られたいたのが恥ずかしくなったエオノラは頬を掻くと小さく手を上げる。フェリクスは緑色の目を細めて微笑み返してくれた。

 それは隣にいられなくても、ずっと自分を見守ってくれているような暖かな眼差しで、たちまちエオノラの胸がとくとくと高鳴る。


「はあ。フェリクス様ったら、私を見て微笑んでくださっているわ!」

 その声を聞いてエオノラはぎょっとした。

「……っ! アリア」

 いつの間にか隣にはアリアが立っていた。

 今度はアリアがリックを助けるように説得しに来たのだろうか。


 自然と身構えるも、アリアはいつもの調子で無邪気な笑みを浮かべた。

「彼って物腰が柔らかくて笑った顔が素敵ねえ」

 他の令嬢同様、アリアは頬を赤く染めてフェリクスへ秋波を送っている。

 その様子にエオノラは再び違和感を抱いた。

 リックという婚約者がいるのにフェリクスへ熱い視線を送るのはあまりにも軽薄だ。

 エオノラは眉を顰めるのを我慢できなかった。



「……婚約式が保留になったって聞いたわ。それからリックが暫く田舎に飛ばされるということも……今回のことは残念ね」

 アリアはフェリクスから視線を外すと、くりくりとした目でこちらを見て首を傾げた。

「リックのことはもうどうでもいいから残念じゃないわよ。宴が終わった後でお別れを言うつもりなの。だから彼が田舎に行こうと隣国へ行こうと、私には関係ない」

「えっ、どうして?」

「だってリックには飽きちゃったから。婚約式をする前にこうなって良かったわ」

 エオノラは耳を疑った。


 つい先日まであんなに仲睦まじい様子だったのに。リックからはガラス細工のように大切に扱われてアリアはとても幸せそうにしていた。アリアだって、リックに心酔していたはずなのに。

 急にどうでもよくなっただなんて言われても到底信じられない。

(どうして急に態度が変わったの? 分からない……アリアは何を考えているの?)

 困惑しているとアリアがエオノラの耳元で囁いた。


「ねえ、エオノラ。エオノラはフェリクス様のことが好きなんでしょう?」

「へっ!?」

 尋ねられてエオノラの頬が赤く染まる。

「ふふ。私はエオノラと従姉妹なのよ? 見ていたら分かるわ。それにさっきからエオノラったらずーっと彼に視線を送っているんだもの。……ねえ、この間の舞踏会で踊ったのはフェリクス様でしょう? ここでは珍しい青みがかった美しい銀色の髪だもの。忘れるはずないわ」

 アリアは手を合わせてうふふっと笑った。


「それでね、本題に入らせてもらうけど、あなたはいつフェリクス様を私に紹介してくれるの? いいえ、もう少し分かりやすく言うわね。いつ、フェリクス様を私に譲ってくれるのかしら?」

 無邪気な様子で尋ねてくるアリアにエオノラは背筋が凍った。

「な、何を言っているの? 譲るてどういうこと? 彼はものじゃないわ」

「まあエオノラったら……今さら何を惚けるの? エオノラはいつだって私のためにを見つけたら譲ってくれたじゃない。リックだってそう。婚約していたけど私に譲ってくれた。今回だって私のためにフェリクス様を見つけてきてくれたんでしょう?」

「……は?」

 アリアの常軌を逸した発言にはついていけない。



 エオノラは小さい頃のアリアを振り返る。昔のアリアはエオノラのものを何でも欲しがる子供だった。いつも駄々をこねて、エオノラのお気に入りであるぬいぐるみや人形が欲しいと強請り、思い通りにならないと癇癪を起こしていた。

 エオノラはアリアが癇癪を起こすのは両親がいなくて寂しいからだと思っていた。だから気に入っているぬいぐるみや人形をアリアが寂しくなくなるようにと願って譲っていた。


 成長するに連れてアリアの癇癪はなくなった。とはいえ、アリアが自分の持ち物を物欲しそうに見ることがあるのを知っていたので、エオノラは彼女にレースのリボンをプレゼントしたり、可愛らしい髪留めをプレゼントしていたりしていた。

(……今までの好意が全部裏目に出てしまったの? 私が持っているものはなんでも良く見えるようになってしまったってこと?)


 年頃になってからのアリアはエオノラからのプレゼントだけでは満足しなくなった。次に欲しくなったのが当時エオノラが婚約していた相手、リックだ。

 呆然としていると痺れを切らしたアリアが声を上げた。


「さあエオノラ、もたもたしないで私をフェリクス様に紹介して! 大丈夫、リックの時みたいに上手く虜にしてみせるから」

 恐怖を覚えたエオノラはアリアから数歩離れると首を横に振った。

「……できないわ。だって、フェリクス様はものじゃない。それに彼の気持ちだってあるのよ……」

「気持ちなんて関係ない。リックだって最後は私に夢中になった。私を選んだ。だからあの方も私を選ぶ。んもう、エオノラが私に譲ってくれないなんて珍しいわね。こんなの初めてだから…………もーっと彼が欲しくなっちゃった」

 アリアは軽い足取りでフェリクスへと近づいていく。


 丁度、一通りの挨拶を済ませたフェリクスもこちらに向かって歩いてきていた。このままだとアリアがフェリクスに接触してしまう。

 エオノラはアリアを追いかけようとしたが、何故か足が地面に縫い止められたようにまったく動かなかった。足に力を入れているのに震えて動けない。

 フェリクスの気持ちが自分に向いていることは知っている。しかし、自分と違ってアリアは庇護欲をかき立てるような愛らしさがある。


 前回のことがエオノラの頭の中を過る。

 もしもフェリクスがリックのようにアリアを愛してしまったら……。

(いや……フェリクス様を取らないで……)

 俯いて祈るようにぎゅっと拳を握り締めていると、アリアの声が聞こえてくる。


「フェリクス殿下、お初にお目に掛かります。私はホルスト男爵家の娘、アリアと申します」

「初めましてアリア嬢。この度は私の宴に参加してくれたこと、感謝申し上げる」

「いいえ、殿下のお姿を見られて私はいたく感銘しておりますわ」

 二人はそれからも和やかに会話を重ねていく。アリアは気の利いた言葉を掛けてフェリクスを楽しませた。アリアの口からすらすらと出る巧みな言葉を聞いていると、リックが彼女に魅了されたのも頷けた。

「……それで、もし殿下が私と話していて少しでも楽しいと思って下さるなら、是非ダンスをご一緒したいですわ」

 その言葉を聞いてエオノラは顔を上げた。

 二人を見ると、アリアは蕩けるような瞳でフェリクスを見つめ、親しげに彼の腕に手を置いている。

「私が、あなたと……」


 周囲の目から見ても、フェリクスはその可憐な少女に魅せられているように見えた――が、次の瞬間にはフェリクスがアリアの手を払い除けた。

「先程からいろんな令嬢があなたのようにダンスを誘ってくださいます。お言葉は嬉しいですが、私にはもう心に決めた人がいます。それからそんな媚態を呈するような視線で見つめられても、私の心は動きません。……正直、うっとうしいだけです」

「なっ!」

「それから私が社交界に無知とお考えのようですが、ある程度は知っているつもりですよ。ホルスト男爵令嬢、婚約者がいるのに他の男に言い寄るなんてはしたないにも程がある。あなたのような女性のことを世間では尻軽と呼ぶのでしょうね。社交界を離れていたのでこのような女性に遭遇するのは初めてですが、あなたの醜悪さは目に余ります。……まあ、キッフェン伯爵令息と同レベルであることを考えれば随分とお似合いのようです。改めて婚約おめでとうございます」


 爽やかな笑みを浮かべるフェリクスに対して、アリアは顔を真っ赤させて身体を震わせている。フェリクスはアリアとの会話はもう済んだと言わんばかりに身を翻すとエオノラのもとへ真っ直ぐに向かってきた。

「エオノラ、一人にさせてすまない。先に言っておくけど、あなた以上に心惹かれる令嬢なんてここにはいないから安心して」

「フェリクス様……」


 たった一言、安心する言葉を掛けられただけなのに、ざわついていた心が静かになる。もちろん事情を知っていたからそういった言葉を掛けてくれたのだろうが、エオノラにとってそれは充分過ぎるほど安心材料となった。

 フェリクスは愛おしそうにエオノラの手を取ると周囲を見渡してから声を張り上げる。



「今宵は私の王族復帰を祝い集まってくれて心より感謝申し上げる。皆も知っての通り、私は長年の間呪いで苦しめられていた。そのせいで両親に会うこともできず、孤独な生活を強いられていた」

 これまでの生活がどれほど辛かったかフェリクスの悲痛な胸の内が聞こえてくる。

 エオノラが眉尻を下げて話を聞いていると、突然彼と視線がぶつかった。

「しかしそんな中、私に希望を与えてくれる人が現れた。呪われて醜い姿となった私に臆することなく真摯に向き合ってくれた人。その人は私の最愛の人であり、心の支えであり、そしてかけがえのない存在だ」

 フェリクスは言い終わると、エオノラの前で跪く。


「エオノラ、あなたには何度も心を救われた。だから、これを受け取って欲しい」

 フェリクスはエオノラの手を取ると甲に口づけを落とし、クリスの時からずっとはめていた琥珀の腕輪をエオノラの細い腕にはめる。

 エスラワンの王族が公の前で女性に跪き、装身具を贈ることは婚約の申し込みを表す。


 周りの貴族たちからは歓声の声が上がり、あまりにも熱烈でロマンチックな言葉にときめいた女性陣からは黄色い声が上がった。

 エオノラは顔を真っ赤にさせながら、フェリクスの緑の瞳を見つめていた。

「……私がフェリクス様の隣にいても良いんですか?」

「あなた以上に私を支えてくれる人は、世界中のどこを探しても見つからない。だからエオノラ、私を受け入れて」

 腕輪の琥珀からは彼が誠実であることを音として伝えてくる。


 その音に応えるように、フェリクスはどこまでも暖かい眼差しをエオノラに向けてくれる。エオノラは瞳を細めるとゆっくりと口を開いた。


「――もう、とっくに受け入れています」

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