第28話 鳴神

鳴神なるかみ



 強烈な閃光はそれだけで脅威だ。辺りが闇深ければそれだけ目を潰す。たとえ、瞬き程の一瞬と言えど。





 かたわらに人無きがごとしに光、轟く。








「大丈夫かい?」


 眩んだ目に人の輪郭がぼんやりと浮かぶ。表情を伺えるほどは視力が回復していないが、鼓膜を激しく揺らした張本人のことだ、いつものように笑顔を張り付けているに違いない。


「…………なん、とか」


 普段、清爽せいそうな声は、辺りに舞い上がるすすや埃によっていささかガラついている。乾いた喉を潤そうと、唾を一飲み。しかし、それは悪手だったようで、ゴホゴホせき込んだ。小さな異物が喉に流れ込み咳を誘発ゆうはつしてしまったようだ。


「そうかい。それは良かった」


 本当にそう思っているのか。いまいち安堵を感じられない。中性的で柔らかな声が、そう言って花緑青はなろくしょうの頭を見下ろしている。

 見下ろされた青年は、片膝を軋む床板に着き、右手の甲で口を押えせる。苦しさのあまり、少し目が潤んでしまう。男はそれを見て取ると「本当に大丈夫かい? 背中でもさすってあげようか?」と揶揄からかいはじめた。


「結構です。落ち着きました」


 青年の言う通り、立ち込めていた黒い塵が忽然と消えている。室内の灯に照らされもわもわと舞っていた粉塵ふんじんは、天井下の空間からしとしと降り続ける雨粒に捕らえられ水たまりにふよふよと浮かんでいた。

 刺々しい返答を気にせず、男は「そうかい」と答え、ふふっと笑いを落とす。


「頼みましたよね」


 笑われたことが腹に据えかねるのか一層棘が鋭さを増す。

 何をとまで言わない。だが、十分に男に意図が伝わった。


「そうだねー。頼まれはしたかなぁ。うんとも、分かったとも僕は言わなかったけどねー」


 乙張めりはりに富んだ楽し気な調子で、なんとも意地悪いことをのたまう。

 日々、振り回されている青年の不平不満ふへいふまんが溜まるのもしようがないだろう。気の毒なことであるが、少なくともあと数日はたがが外れた自由人をどうにかぎょさねばならない。




 御す? 片腹痛いな。


 どうやって、この場を収めようか。思考する頭に自分の声が響く。最もな指摘だ。眩んだ目が徐々に戻る中、ようやっと腕を組み仁王立におうだちの男を視界にとらえる。思った通り、薄藤の唇は柔らかく弧を描き、縦長の瞳孔どうこうを中心とする目は全く細めない。

 外見だけに目を止めれば、整っていることは間違いない。少し言葉を交わせば、人当たり良く、羽衣はごろものような声色は心地よく感じるだろう。しかし、それはこの男のほんの一部分にすぎない。


 そうこう考えていた青年だったが、体の冷えに思考を打ち切られる。どうやら、せき込んだ際に操作を誤ってしまったようだ。しとしと降り続く雨によって、ぐっしょりと重たくなった衣服は、先ほどまで室内に充満していた煤までもを溶かし込み、衣服を黒く染めていた。うんざりした気持ちにさせられるが、自身の未熟故だと自戒じかいし、下がっていた顔を上げる。今一度、目の前の男を見据えた。

 

 どこか怪しげな雰囲気を纏い、人とは思えない血色の口元がことさらに面妖めんようさを醸し出している。指先は、まるで女のように細長く、爪はつやつやと婀娜あだやか。すらりとした体は、適度に筋肉がつき完成された石膏像の様。懇切丁寧こんせつていねいに職人が作り上げた壊れやすい芸術作品のようですらある見た目。だが、容姿と異なり腕も足も強靭きょうじんであると身を持って知っている青年にとって、その不合理ふごうりは一つの真理しんりとして理解している。


 風体ふうたい反する剛健ごうけんあらば、それすなわち理外りがいの者なり。


 瑠璃るりの目を細め男を静かに見定める。ただし、見ているのはその姿形ではなくその周辺。真上から男の頭や肩に落ちる雨粒だ。形成され続けている雨は、濡れた者の筋力を衰えさせる。青年の加護による能力の一つだ。屈強くっきょうな戦士を杖をつく老人にすら出来る。荒事あらごろを嫌う身には、似合いの能力だと思う。敵が雨に打たれ続けてくれるなら、闘争とうそうを避けられる。だが、世の中、そんな半端者はんぱものばかりではない。悲しいかな。目の前の男は、その際たる存在。

 しゅーしゅーと音を立て薄い煙が上がっている。一文字笠いちもんじがさが取り払われた頭や道中合羽どうちゅうがっぱ羽織はおる肩の少し上の空中。そこでは、絶えず降り注ぐ雨が細い煙を上げて水蒸気に変わっていく。一滴残らず、男に落ちる前にすべて。この現象も男が理の外とという証左しょうさである。

 本来、人体の内部。それも胸部の極小の生核せいかく内部に収まるはずのともしび。もっとも単純なエネルギー体であり、命そのものとも言われるそれが、平常時で肉の器からはみ出すほどに巨大であるこの男は、はっきり言って並みの神と名のつく奴らよりよっぽど人外じみている。


 ウーーー、ウゥヴッ!


「そんなむくれないでおくれよ」


 目線を青年から切り、男は足元に転がる女に目を向ける。

 低いうなり声は、もはや人間とは言い難い。まるで理性無き獣の様。般若面はんにゃづらで今にも噛みつかんばかりに歯をむき出している。


「おっかない顔だねー」


 男は、あろうことか、女の目の前にしゃがみ、呑気に覗き込む。

 鬼の形相相手に何をと思うだろう。噛みつかれるかもしれないのにと。


りん。結局、僕が君の頼みを聞かないのは、承服しょうふくしかねるから」


 両の膝小僧を揃え、踵を少し上げ、片肘を膝小僧に乗せ、自身の背中越しに霖と呼ばれた青年を仰向あおむく。


「荒立てたくない。穏便おんびんに済ませたい。結構なことさ。でもさ、を通すなら、それに見合う力量りきりょうが無いとね。もう、君の手には負えないでしょう?」


 それまでの笑みが嘘のよう。上っ面の穏やかさが鳴りを潜めた。

 知らず知らず霖は小さく喉を鳴らした。


「ねえ…………そうだよね?」


 冷めた声で、静かに諭す男の向こう側。玄関扉があった場所は、今では大きな穴が開いている。ダークブラウンの扉は、その長方形の枠ごと跡形も無く、歪に丸い穴が残るだけ。内と外の境界が感じられないほど開放的。時折、天井や壁の木材がガラガラ崩れ落ちるのは、施工せこうほやほやの証拠である。

 見通しのきく玄関の外。石畳の上には、この世の者とは思えぬほどに醜悪な存在魔生が女と同様、転げている。どうしたことか。一見、問題なさそうな四肢だが、石のように固まり動けずにいる。よく見れば小刻みに震えている。筋肉が痺れ、起き上がることすら出来ないのだ。衣服を纏わぬ地肌じはだには、木の根っこのように広がる蚯蚓みみずれ。落雷によって付けられる火傷痕。電紋でんもんだ。※電紋を検索すると、かなり気持ちの悪い画像が出てきますので、画像検索はおススメ致しません。


「さてと! 説教なんて柄じゃないから、もう終わりー! さっさとお暇しようね。早くしないと、が逃げちゃうかもしれない」


 すくっと立ち上がり瓦礫がれきを蹴飛ばし外に出た。

 化け物の目の前で、腕を伸ばし、足を延ばし。気ままな猫のように体を解す。


鳴夕なるせさん」


「んー? なんだい?」


「自分の未熟で貴方の手を煩わせること、申し訳なく思います」


「謝罪なんて要らないよ。僕はただ―「強くなります」」


 キシリと床を鳴らせ霖と呼ばれた青年が立ち上がった。自身が鳴夕と呼んだ男を挑戦的に睨みつける。

 どうやってこの場を荒立てずに治めるかなんて、もう考える気はさらさらない。このまま、黙っているのは自分の矜持きょうじが曲がる。

 深く息を吐きだし、吸い込む。決意を新たに言い放つ。


「貴方が手を出す口実を与えないくらい。敵を圧倒出来るくらい。貴方を御せるくらいに」


 なおも柔軟を続けていた男は、上半身のみ後ろに捻り、霖を振り向く。


「そうかい。それは、楽しみだね」


 そのおもてには、初めて細く弧を描く眼があった。


「あと、反論するようで恐縮ですが、俺の手に負えないは言い過ぎです。魔生ましょうは対応可能です」


「よく言うよ。落誕時の煤で噎せてたくせにー」


アギャー! ギャッギャッギャッギャッギャッギャッ―――――!


 いい加減痺れが収まったのか魔生が起き上がった。鼻は潰れ、たらたらと黒い血を流している。馬車ほどの大きさをし、後ろ足以外は蝙蝠こうもりのような外見。薄い皮膜製の前腕と一体化した翼は大小さまざまな穴が開き、飛ぶことは難しいだろう。

 夜に片足付けたくらいの時間では、当然人目にもついてしまう。遠巻きに近隣住民か、通行人が走り去っていくのがちらほら。つい先日、同様の騒動があったこともあり、危機感がかなり高いのか。幸いなことに野次馬やじうまは居ない。


 霖は、体の自由が戻った女を床に押さえつけ、鳴夕に声をかけた。


「鳴夕さん。今は、ここを離れるのが先決です。聖警士せいきょうしと接触するようなことがあれば、面倒です」


 聖警士に出くわそうが、切り抜けるのは容易いだろう。問題は―――


「よそ者の関与が疑われると緋嬢ひじょうにも危険が及びます」


 柔軟を終えた鳴夕は夕闇の中、唯一光る月を眺めていた。


「それはいただけない。サクッとぶったおそう」


 上げた視線をゆっくり下げ、眼前に飛び掛かる魔生に留める。


「僕、ばっちいの嫌いだからさ。あんまり近寄らないで」


 魔生のあご下を軽く爪で弾く。すると、人が硬貨を弾くような容易さで巨体が宙に飛び上がる。極力抑えられた力で、建物の五階ほどまで上がってしまう。

 鳴夕は、右人差し指をまっすぐ魔生に向けた。バチバチと小さな閃光が右腕の付け根から昇り上がり爪先に集まる。網膜もうまくが焼かれるほどに眩しい。霖は、女を後ろ手に拘束し終えると両耳を塞ぎ目をきつく閉じた。


一発雷いっぱつらい暮色ぼしょく


 指先から強烈な閃光が弾け飛んだ。辺り一帯を光に落とし、形あるすべてがその雷光でかき消されるのではないかと言うほどにひらめく。暴力的な一閃いっせんが尖った蛇行だこうを描き、一直線に魔生の胸部を突きぬいた。遅れて、鼓膜を破らんばかりの轟音が建物をガタガタ怯えさせた。

 胸を雷に打たれた魔生は、肌が酷く焼けただれ、ところどころ炭化したむくろとなった。重力に引き寄せられ地面に落ちる前に真っ黒な煤を吐き散らしながら跡形も無く崩れ去った。


 残ったのは、突然大人しくなった女のみ。先ほどの狂気は鳴りを潜め、困惑した様子。酷く怯えた様子で霖を見上げている。


「あの、すいません」


 普通、宿主は魔生を宿したあと理性を取り戻すことは無い。それがどうしたことか。女は、意味のある言葉を発している。しかも、魔生が生まれるたった数分前まで、口汚く罵った相手をまるで見ず知らずの人であるかのように。


「ここは、どこでしょうか? どうして私は縛られているのですか?」


「うわぁー。これはどうしたことだろうね」


 いつの間にか隣に立っている鳴夕が大して驚いてもいなそうな声で言った。


「判然としません。ですが、彼女から情報を引き出そうと慧白水紋を使ったとき、些か不自然な反応がありました」


 霖は、魔生が落誕する直前の女の様子と、自身の加護で感知していた事柄とを思い起こした。




🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)

🔴鳴神なるかみ:雷。

🔴かたわらに人無きがごとし:人のことなどまるで気にかけず、自分勝手に振る舞うこと。また、そのさま。「史記」刺客伝から。

🔴安堵あんど: 気がかりなことが除かれ、安心すること。

🔴乙張めりはり:ゆるむことと張ること。特に、音声の抑揚や、演劇などで、せりふ回しの強弱・伸縮をいう。

🔴たがを外す:規律や束縛から抜け出す。はめを外す。

🔴ぎょする:他人を自分の思い通りに動かす。

🔴仁王立におうだち:仁王の像のように、いかめしく力強い様相で立つこと。

🔴自戒じかい:自分の言動を自分でいましめ慎むこと。

🔴婀娜あだ:(女性の)美しく色っぽいさま。あでやか。

🔴懇切丁寧こんせつていねい:細かいところまで注意が行き届いていて、とても手厚くて親切なこと。また、そのさま。

🔴不合理ふごうり:道理・理屈に合っていないこと。筋の通らないこと。また、そのさま。

🔴真理しんり:いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理。

🔴風体ふうたい: 身分や職業をうかがわせるような外見上のようす。身なり。ふうてい。

🔴剛健ごうけん:男性的で、心身が強くたくましいこと。また、そのさま。

🔴理外りがい:普通の道理では説明できないこと。道理をはずれていること。道理のほか。

🔴半端はんぱ:あるまとまった量・数がそろっていないこと。また、そのさまや、そのもの。どっちつかずであること。また、そのさま。 気のきかないこと。また、そのさま。

🔴証左しょうさ:事実を明らかにするよりどころとなるもの。証拠。

🔴般若面はんにゃづら:般若の面に似た恐ろしい顔。特に、嫉妬 に狂う女性の顔をたとえていう。般若顔。

🔴承服しょうふく:相手の言うことを承知してそれに従うこと。

🔴仰向あおむく:天を仰ぐように、顔や物の前面が上を向く。

🔴電紋でんもん:赤灰色の細かい分枝を持つ樹枝状の模様。

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神殺しの奇傑姫は奴隷の子を連れ終末をお届けに参ります 雨咲 @amezaki

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