第27話 アイリスの銀貨
アイリスの銀貨
二人組がラント町内のある
建物内に団員の宿泊施設も併設されているこの詰所は、普段であれば、日没後、多くの
一際広い一室にて、
「まさか、こんな街中で、これほどの事態になるとは」
年相応の
ローパ村男性の通報に始まり、
背もたれから身を起こし、提出された報告書の一枚を手に取る。几帳面な文字の
「何が起きてると言うんだ」
リアトリス他、彼の部下が目撃した十代半ばほどの神器を携えた少女。これが大いにオレグ所長を悩ませた。もちろん、その後の出来事も…………。
神器とは、闇を打ち消す聖なる力が宿る。神があたえし理を逸脱する一品だ。お目にかかることは殆ど無い。自身とて、聖警士に成ってからの30年余りでたったの一度だけだ。その力は、常軌を逸し、モノによっては一振りで一国を落とすことも容易い。そんなものを持った子供が皇国内を
魔生のみの消滅。
魔生は、闇を抱えた心に巣くう。魔生を宿した者は、宿主と呼ばれる。皇教では、地上に魔生が
「
皇教の権威基盤は、熱心な信仰心だ。その信仰心の発露となるのが神器であり、加護を持つ人間だ。この国は、自国こそが神に認められた地上の統治者であることを他国よりも多く所有する神器と加護を持つ人間で証明してきた。その証明の果ては、打倒日方の国だ。奈落の申し子に鞍替えした裏切り者を滅することで真に、この国が神の国であると世界に承認させる。それが中枢の意志だ。権威強化に熱心な者たちが、あの神器を知れば、皇神様が哀れな宿主を救う力を皇国に授けてくださったのだと言い始め、この国の正当性を高めるために血眼で探すまでの流れは目に見えている。
「全く。何を考えている」
眉間に皺を刻んだ苦々しい顔をしたオレグ所長。その頭には、この報告書を持ってきた時の真っ青な瞳が浮かんだ。
開口一番、嘘は書いていませんが、全ても書いていませんと言った若造。親の威光に甘えず、仕事に対して堅実だった彼が言った言葉に数秒ぽかんとしたのは仕方のないことだった。意味を呑みこみ、一体何のつもりだと、らしくなく大声を出した自分に臆することなく名家の嫡男は、答えられないと言った。
一体この若者に何があったのだろうか?
疑問が頭を埋め尽くす。まっすぐな性根の青年だ。他者に誠実で、下の者にも分け隔てない。任務に忠実で、手を抜いたことは一度もない。部下として申し分ない。そう思っていた本人から、不備のある報告書ですが、受理してくださいと言ってきた。面食らったのも無理もない。さらには、保護した孤児院の子を自身の家で引き取ると言い出した。当然、何故そんなことをする必要があるのかと聞いたが、それも答えられないと言う。いい加減頭に来て、リアトリスを本気で問い詰めようとした時。横槍が入った。
「はぁ〜〜〜」
昼間の嫌なやり取りを思い起こし、さらに大きなため息が出る。
コンコンと控えめなノックが鳴ったかと思うと室内からの許可を得ることもせずに扉が開き、オレグ所長の副官であるエズラがひょっこり顔を出したのが始まりの合図だった。
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「
糸目を一層細め橙の髪の青年が要件を伝える。
「構わん。なんだ」
ぶっきらぼうに返事をすると、エズラは内開きの扉を広く開け身を後ろに引いた。
「お時間、
扉を潜ったすぐのところで敬礼姿勢のまま名乗った。女が口にした単語にも驚かされたがそれ以上に、その
標準的な体格の女性。キリッとした目元はメイクで黒く縁取りされ、白目が一層白く感じられる。虹彩は、
明らかに人外な眼と背中。なのに、それ以外は人そのもの。律義な敬礼も淀みなく流れる言葉も。
「これは、どういったことでしょうか。わざわざ、国の東端まで」
皇教は、自身が属する官憲庁、士団庁、近衛庁の三本柱で成り立っている。その中で最も組織化され、高い迎撃能力を有するのが士団庁だ。異教からの防衛や邪教の
「第三士団は、
オレグ所長は、わざとらしく言葉の端を区切り尋ねた。相手を注意深く観察しながら、言外に
第三士団は、他の団と異なる点が多いが、とりわけ決して表立っては動かない姿勢が
それが、
「名乗って、よかったのですかな?」
オレグ所長が相手の真意を読み取ろうとしているのを察したギゼラは、にっこりとほほ笑む。
「よろしくありません。常ですと、私は除隊処分になります。ですが、この度は全て不問になります」
ギゼラは左足に巻くようにして括られた鞄から巻物を抜き取ると横に立っていたエズラに手渡す。
「こちらに目を通して頂けますか? オレグ所長」
オレグ所長は、エズラに目伏せしエズラから巻物を受け取ると赤いシーリングワックスを剥がし読む。目を進めるほどに、掴む手に力が籠り紙がくしゃくしゃに歪んでいく。
「このふざけた文面は何だ」
困惑を滲ませた声で尋ねると、ギゼラは懇切丁寧に説明し始めた。
「書かれた通りです。オレグ所長、貴方は度重なる魔生の落誕に際し、類まれなる統率と機転で被害を最小に収めました。その功績を讃え、皇国は貴方に
ギゼラは、所長に顔を向けたまま流し目で
「私どもは、彼から聞くことがありますので」
「怖いですね。私はどうなってしまうんでしょうか」
セリフの割に、落ち着いた様子でリアトリスは言った。
「ご心配には及びません。リアトリス家の御嫡男様に手荒な真似は出来ません。こちらは、あくまでもお話を伺いたいだけですので、悪しからず。では、とりあえず現場に立ち会った隊員全員に荷をまとめさせて下さい。終わり次第、
「待て! 私は、何も納得していないぞ! どうして褒章の話になっとるんだ!」
納得も何も、どうしても何も、明白だ。ギゼラは、今回の事件に終止符を打たせるために来たのだ。一介の地方官憲が要らぬ
これは取引だ。リアトリスが敢えて報告書に書かなかったことや恐らく少女が持つ神器に関しての全てを忘れろと言うことなのだろう。
「そうですか。左様であれば、こちらをお受け取り下さい」
再びエズラを通して渡された巻物にオレグ所長は目を通す。カンカンに赤くなった顔が次第に青ざめ、表情が引きつる。
「なっ……なぜ……」
言葉を失っていると、そおっと影が差す。いつの間にか近寄ったギゼラが黒褐色の翼を広げ、エズラやリアトリスから所長の顔を隠していた。吐息がかかるほどの近さでギゼラは囁いた。
「二年前、貴方が黙殺した不祥事です。押収した薬物の売買は犯罪行為ですよ。幾ら息子さんが可愛くても、見逃がしてはいけません。貴方は、ここの所長なのですから」
以前、ラント官憲内部で物品の押収薬物の紛失が相次いだ。内部調査の結果、父親と同じくラント官憲に勤務していた次男による窃盗だった。問いただせば、ギャンブルに嵌り、賭ける金欲しさに手を出したらしい。だが、その事実を知っているのは、ごくわずかな人間だけだ。ギゼラが知っているはずは無いのだ。
「ありえん! こんな事あるはずが無いだろう! 第一、何処に証拠があると言う! 人を
翼の檻を手で薙ぎ払い、怒鳴りつける。
そうだ。証拠があるはずない。ラント官憲内部で知っているのは、私と、僻地に飛ばした次男本人、口止め料を払た元押収品番は別の所に移動した、あと一人は—————。
「証拠は、こちらに、次男坊が薬を売った売人と、所長が口止めに払った金額の一覧諸々です。どうぞどうぞ、お受け取り下さい」
「っは?」
明け透けな物言いに、冷や水を浴びせられ怒りの熱量が冷めていく。同時に、焦燥感が心臓を締め付け始めた。
硬直したオレグ所長に数枚の紙が差し出される。エズラがギゼラに意気揚々と手渡したものだ。
「だそうですよ。念のため、確認しますか?」
「っな…………何が、は? お前は! 何をしとるんだ!」
突然の部下の裏切り。何故、何故と騒がしい頭の中。瀬戸際に立たされた身の内にふつふつと怒りが湧きだし声を荒げた。
エズラは、両耳を塞ぎ数歩後ずさりしながら
「はは。何をって、俺は仕事してるだけっすよ」
仕事をしてるだけだと⁉ 何を馬鹿なことを言うか! お前は、ラント官憲の一員だろう。それが、こんな不祥事が明らかになって、おまけに、その尻ぬぐいを引き受けたお前自身がバラシてどうすると言うんだ?
「オレグのおっさん。あんた悪い人じゃないけど、血が上るとホント鈍いっすね」
「お前! まさか! 取引したのか! 私を売って、自分だけ不問にしてもらう腹か!」
「外れっす」
エズラはいつの間にか指の上に乗せた銀貨を指と指の間に挟みながらパタパタと転がす。
「待ってると日が暮れそうなんで」
コツンと指で弾いた銀貨がオレグ所長の右手に収まった。
「銀貨なぞがどうしたと言うんだ!…………ん?」
普段と異なる凹凸が硬貨の裏面にあることに気づき、裏返す。中心に何かの花が彫り込まれ、その下に小さく四文字でアイリスと刻印されている。目にした途端、驚愕の表情でエズラを見た。
「おまえ、最初から、そうだったのか」
「はい。大当たり。パチパチパチっと」
ニンマリと笑い景気よく手を叩く。
それを唖然と眺め、この事態を言葉に起こし、ゆっくりと認識していく。
アイリスの花をシンボルにしているのは、第三士団の者だけ。それをエズラが見せた。それは、つまり奴がそこからの回し者だったというわけだ。そして、偶然にもその回し者が尻ぬぐいをして、覆しようのない証拠を手に入れた。
いや、違うな。偶然じゃなかった。エズラが
叩けば落ちると確信して、
そして埃に火を付ける、今、この時まで、握らせた。
だが、何故そんな真似をするのか?
単純な疑問は浮かんですぐに沈んだ。答えは、この状況だ。それ以外考えようもない。
「うちの団長ヤバいっすよね。なんつっても手札の集め方と切り時のうまさったらないっすよ。俺、ここに飛ばされたときマジで意味わかんなかったすっからね。わりかし、いい仕事してた
「エズラ君。話過ぎ。あたしが許可貰ったのは、あたし自身だけよ。君の素性までは、言われてない」
「うぇっ! ちょっと待ってください! え? 俺って、首切られます⁉」
「知らない。ちょっと黙ってなさい。オレグ所長、再度お尋ねしますが」
一枚目と二枚目をそれぞれ右と左に持ち、文面を向ける。
右は、誰もが羨む賛辞が並べられた軽々しい嘘偽り。
左は、誰もが目をひそめる重々しい真実。
「どちらをお受け取りになりますか?」
女は、事務的にオレグ所長に尋ねた。
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そのすぐ後、リアトリス含め彼の隊はラント官憲を離れた。何故か、保護した子供も同様に。行き先など、こちらに知らされもしないが知りたくも無いとオレグ所長は思う。
定年まで残り数年なわが身だ。何事も無く、木々が穏やかに朽ち果てるような余生を送りたい。もはやそれだけで良いのだ。荒事には金輪際関わりたくない。だが、目を伏せ、耳を塞いでも、起きたこと起きることは変わらない。ただ、知らぬ間に過ぎ去っていくか、知らぬ間に失っているか。前者であれば、何ら問題ない。多くの場合は、前者を享受し今日も良い日だったと家族で団らんを囲む。だが、後者であれば、定まった運命を前に愛する人に別れを告げる時間があれば良い方なのだろうな。
考えを振り切るように首を振り、席を立つ。上げた視線の先。ポツポツと窓ガラスに点をつくる雨粒を何とはなしに見つめ、一人、先行きに言い知れぬ不安を噛み締めていた。
その時、強烈な閃光が瞬いた。ほんのり紫を
町の中心部は少しばかり高台であることに加え、他のどの建物よりも高いラント官憲詰所からはその様相がはっきりと見えた。
「何がなんやら」
どこか気の抜けた様子で、オレグ所長は窓の外を眺めると、おもむろに卓上に置かれたキャンドルランタンに手をかける。側面についた小窓を開け、台座と共に蝋燭を取り出す。几帳面な字で書かれた報告書を手に持ち、火を付けた。慌ただしくなった廊下に耳を傾けながら、ろうそく以上に勢いよく燃え上がる紙を静かに見つめ続けた。
🔴語句メモ goo国語辞書より引用(小学館大辞泉)
🔴アイリス:アヤメ科アヤメ属の単子葉植物の総称。アヤメ・ハナショウブ・カキツバタなど。一般にはジャーマンアイリス・ダッチアイリスなどの園芸種をいう。 眼球の
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🔴あろうことか:とんでもないことに。けしからんことに。
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🔴冷や水を浴びせる:意気込んでいる人に、まるで冷水をかけるように、元気を失わせるような言動をする。
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