##Track 4. Dopest Dope Launch (Extended Mix)
マネージャーから激詰めを受けることは覚悟していた。
私が立たされているのは、事務室の椅子の前。
「島本君」
その椅子に然るべくして座る男が、開いたパソコンの画面を睨みながら感情の見えない声で言う。
「今や情報はSNSで簡単に拡散される時代だ。集団というものは誰かが作り出した流れに乗る。何がその始まりになるのかは誰も予測することができない」
「……おっしゃる通りで」
「そう畏まらなくてもいい。君のことを責めるつもりはない」
「では、ご用件をお伺いしても?」
「先日、DJ機器売り場の中で人が倒れた事件だが」
上司は横目で私の顔色を一瞥して続ける。
「倒れた娘はここ数週間、店の中で度々騒動を起こしていた者と同一人物だとの証言があったが、君はその件について知っているね?」
「……はい」
「彼女が姿を見せるようになってから、DJ機器売り場、並びに隣接するミキサー、MIDI、集音マイク、トランシーバー、録画ディスク、AVアクセサリ、イヤホン、ヘッドホン、等のエリアの売上高は前月比、前年同月比でも軒並み低調が続いている。これが何を意味するのかを訊ねたい」
「……彼女の存在が、顧客の定着率に悪影響を及ぼしているものと思われます」
「賢い洞察だ。特にオーディオフロアの主力商品であるイヤホン、ヘッドホンのセールスが全体に占める割合は大きい。その屋台骨が折られようとしている。たった一人の少女によって」
「原因はそれだけなのでしょうか。それは少々……言い過ぎかと」
マネージャーは目と口だけで出来た生物であるかのように、表計算ソフトで何かの資料を作ろうとしている。
静寂の中、無機質なクリック音だけが続いた。その断続性が私の心拍の波長と重なる時は来そうにない。
「……君は今年で二年目になるのか」
「はい」
「三年目からはメンターとして新人社員教育にも当たってもらう。だが今のままではその業務を任せられない」
「どういったお考えですか。マネージャー」
「彼女は自分の行動を注意したアルバイトに対し『社員の監督の下で行っていることだ』と言い放ったそうだ。……心当たりは?」
「私の、ことかと」
「君の監督行為とはあのように増長するまで癌細胞を野ざらしにしておくことか?」
「……違います」
「では君は今まで何をしていた?」
厳しい視線を向けられる。
返答の如何によっては、懲罰も免れなさそうだった。
「私は、社訓に従いました」
一人ひとりのお客様に真摯で誠実な対応を。
「あれは建前に過ぎない」
上司はたった一言で切り捨てる。
「客は選べ」
「……お言葉ですが、マネージャー」
つい、声を荒げる。
「彼女とはきちんと話をつけてきました。アルバイトでお金を稼いで、あの機材を買い取りにくるそうです。それまではもう店に迷惑はかけないと。彼女も当店の立派なお客様ですよ」
上司は深い深いため息を洩らす。
「そういうところだとなぜわからない」
「と、おっしゃいますのは」
「その果たされるかも定かでない約束のために君は長い時間と貴重な労働力を費やした。あのたった二十数万の商品ひとつのために、だ。早い段階であの展示品を倉庫へ返納する判断が下せていれば、それを上回る利益が出ていた。君は見通しが甘い。目の前のことしか見えていない」
彼の言っていることは間違いではないように思える。たしかに私は甘かった。いいようにしてやられた。でも、それが悪いことであったとは思えない。
「加えて、私はこの会話の中で君に謝罪の機会を幾度も与えた。だが君はそれらに一度も応えることがなかった」
飽き性の私は、もうこの状況に我慢ならなかった。
「マネージャーは、私に謝ってほしかったのですか。責めるつもりはないと最初におっしゃったので……」
「――もういい」
唸るように低く告げられる。
「君は社会人失格だ」
あー。
音楽、聴きたいな。
けっきょく始末書を提出するまで出社禁止処分を命じられた失格人間こと島本遥は、自宅の中でストゼロを飲み散らかし、全てのストレスを電子ドラムにぶつけていた。叩いても叩いてもなお、収まらなかった。しかも良いと思える音には一回も出会えず。本当に私は愚かだ。こんなに痛くて泣いているような音を鳴らすために就職したかったわけではないのに。
「転職、しようかなぁ……」
ひとりでにつぶやき、ひとりでにスマホの画面をのぞいてしまう。
その途中で、はっとする私。
ダメだよ。あの子が帰ってくるのを待たなきゃ。
あのDJ機材が、私と彼女とをつなぐたったひとつのものなんだから。
私が約束を裏切るなんて、絶対にダメだ。
「……あ」
そういえば、あのフライヤーに載ってたイベント、そろそろだな。
えるく、本当に出られていればいいけど。
大丈夫かなぁ。
なにしろ彼女のことだから、またどこかで粗相をやって、もし相手が私みたいな流され屋さんじゃなかったら……。
……様子を見に行ってみようか?
でも、顔を見せるのはまだ気まずい。
クラブとか、行ったことないし。
……だからこそじゃない?
うん。マスクして、こっそり入ればバレないかも。
という、酔いの勢いで来てしまった。
――ドム、ドム、ドム、ドム、ドム、ドム、ドム、ドム。
うはぁ。思ってたより迫力があるな。
キックの音がお腹まで届く。スピーカー内蔵型のパワーアンプを使っているみたいだけど、ここまでSPLを高くして音が汚くならないモデルはうちでは取り扱ってない。
ライブハウスに似た造りだから、入るのに抵抗はあまりなかったけれど。
さすがに一階のバーカウンターでコスプレをした女の人がタバコを吸っているのを見たときには驚いた。
地下のフロアは全体的に薄暗くて、青いLEDが辺りをほんのりと照らすのみ。ほぼ剥き出しの壁だから、骨みたいに太いダクト管がうねうねと頭上を横断して伸びている。すでに待機していた人たちは据え付けのチェアやソファに座ったり、明るい別室の中で各々談笑したりしている小慣れた雰囲気。
そして中央の奥にどっしりと構えられている機材。
これこそ、彼女が本当に立つべきだったステージ。
まだそこには誰の姿もなく、このBGMはひたすら導入部をループして流されているみたいだ。
私は所在なさを覚えて後ろのほうにあった出っ張りにちょこんと腰かけた。
すると、知らない男がロンググラスを持ちかけて目の前に立つ。
「ねえ、乾杯しない?」
そんなに荒んでいるように見えたのか、私。
「ありがとう。エイズの私に優しくしてくれて」
相手は一瞬で顔つきが変わり、ヒエっと口走りながらどこかへ立ち去る。
これは、私の常套句。親友から教わった知恵。
ほんと、余計なことばかり叩き込んでくれたよね。
やがてBGMの流れが変わった。
時計を見る。
とうとう、ヤツのお出ましか?
……前座として登壇した茨木えるくは、しかしその役目を充分に果たせたのか疑わしい。
「は……ハンギューアファッキンハンザっ!!」
舞台袖からぎこちない歩みで現れた彼女は開口一番、謎の言語を喚き散らした。
「ハンギューアファッキンハンザっ!! ハンギューアファッキンハンザっ!! イエエエエエエエエ?」
そして、誰もノってこないことに気づき、ウッとなっていた。
私は知っている。
彼女が、ああ見えてかなりの「緊張しい」であることを。
ましてや、おそらくこれが最初の舞台。
我を通そうとすればするほど悪くなる。
何度もイメージした通りには絶対ならない。
私も経験したことだ。
でも、私はもうひとつ知っている。
彼女の底力がこんなものではないことを。
観客のために何をすべきか、考えて行うことができることを。
がんばれ、えるく。
あなたは本物。
それを信じて。
私はそして、茨木えるくが選ぶことになる、自分の初のテーブルでかける一曲目のタイトルにドキリとした。
♪ハッピーシンセサイザ君の胸の奥まで届くようなメロディ奏でるよ――
「これって……」
もしかして、私の存在がバレている、とか?
いやまさか。そんなはずない。
だったら、どうして。
私のためにかけてくれた曲をかけようと思ったの?
♪つまらない建前や嫌なこと全部消してあげるからこの音で――
えるく、まさか……。
信じようとしているの?
私たちの始まりの日を。
一歩踏み出せたあの時を。
敵とガラクタだらけの最悪な環境。
お呼びでない客と、損な役回りを買う専門のスタッフ。
なのにこの曲が流れて不覚にも私が喜んだことを。
♪何の取り柄もない――
♪僕にただひとつ――
♪何の取り柄もない――
♪ 僕にただひとつ――
曲は、以前よりもさらに盛り上がるよう手が加えられていた。
えるくは、自分自身の心が流す音にもうっとりと聴き入るように目を閉じている。
♪ただひとつ、ただひとつ、ただひとつ、ただひとつ、ただひとつ、ただひとつ、ただひとつ、ただひとつ――
もし、私の心が変わる瞬間を見て、えるくがDJとしての手応えを確かに感じ取っていたのだとしたら。
――少しだけどできること。
「「ヒュー――――――――――――――ッ!!」」
きっとこのとき、世界のすべての音のうねりが、みんなに予感をもたらしたんだ。
大袈裟に言ってみるけれど、それらがみんなの魂に置き換わり。
それらが彼女を祭り上げ。
それらが器の肉体を動かし。
ステップを踏ませようとしている。
だから私も、二の足を踏んでいられる立場ではないのだ!
ただ一言。
……最高だった。
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――あの、やばいお客さんが来てるんですけど。どうしましょう。
ほう。どんな?
――それが、「専門のスタッフを呼べ」とうるさくて……やっぱつまみ出すべきですよね?
待て。
それは私がやる。
私は、長い時を待ち続けた。
あの恍惚としたクラブの門を後にしてから、ずっと。
そして、ついにその言葉を耳にする日が来たのだった。
事務室の扉を開き、あの場所へ向かう。
「お待ちしておりました、お客さま」
「もう、相変わらず仕事中は堅苦しいんだから、しまもんは」
そう言って、彼女は昔みたいに微笑んでみせた。
茨木えるく。
今は「DJ ELK」として名を馳せている、らしい。
――だからあたしは、お父さんみたいにDJになろうと思ったんだ。
ねえ、本当は全部知ってたんだよ。
あのとき。
空腹で倒れたのは、何も食べていないのに外を出歩いていたから。
何も食べていないのに外を出歩いていたのは、家に帰りづらかったから。
家に帰りづらかったのは、母親と仲が良くないから。
母親と仲が良くないのは、別れた父親に会いたがっていたから。
別れた父親に会いたがっていたのは、たぶんその人もDJだったから。
でも、あなたはもう大丈夫。
大丈夫になったんだね。
「伸びたね、髪。あと背も少し?」
「前より大人っぽく見えるといいけど」
「うん、すごくきれい」
「しまもんも、なんかちょっと変わったよね」
「まだまだいけてるつもりなんだけどな」
えるくは手を振ってひとしきり笑ったあと、何かを感じて静かになる。
しばらく、しんみりとお互いを見つめあった。
「約束、覚えてる?」
「もちろんですとも」
「今日はなんと、このXXDJ-RX2を買い取りに来ました」
私はそこでわざとらしく深刻な表情を浮かべる。
「……残念ですが、お客さま」
「どうしたの?」
「当店では、こちらの商品をお売りすることはできません」
「え! せっかく来たのになんで?」
「私が、先に買い取ったからです」
「ええ――――――――――!?」
愕然としてしまったえるくのために注釈を加える。
「過去に他のお客さまの中にも購入をご希望される方がいました。がこちらとしてはなくなっては困る、かと言ってお客さま相手に嘘はつけない。ということで、一手先に私の所有物となりました。そもそも手垢がつきすぎて状態も非常に悪く、とても新品とは言えない代物でしたしね。あまりお変わりはないかと」
「あはは……それはたしかに……。だけど、自分で買ったんだったらどうしてまだここに置いてあるの?」
「それがですね。ご存知の通り、私の部屋にはもう余分なものを置ける隙間がなく、処分するしかないのですよ。どこかにいい引き取り手はいないかと、そうは思っているのですが……」
と言いながら、彼女の顔色を窺う。
茨木えるくは、固まっていた。
「……ねえ、しまもん」
「なんでしょう、お客さま」
「あたしだって怒るときは怒るよ!!!!?」
うえっ、急にまたうるさい。
「な、何かご不満ですか?」
「あたしは、この日のことを一つの目標にしてやってきたんだよ。それをただで譲り渡すって? そんなの受け取れるわけないじゃんか!!」
ああ、そうか。
彼女はもう、あの日のようにがむしゃらではない、対等な存在。
余計な世話を焼いてしまった。
「なら、私から直接買い取りますか?」
「……ううん。それも考えたけど、やっぱできないよ」
「え」
それはそれで、どうしよう。
「でも本当に困ってどうしようもないってのなら……そうだ。あたしにひとつ、有料のわがままを言わせてもらえる?」
……彼女は、常に私の予感の先を行く女だ。
後日。
「あの、本当にこんなことして大丈夫なんでしょうか……。本部から怒られるんじゃ……」
口を開いたのは、新しい社員の女の子。
「この件については私の責任だから」
「いえ、そうおっしゃるならよいんですが……。でもやっぱりありえないですよ。DJ機器売り場の一部を、無料の会場として貸し出すなんて……」
彼女が目を向けるその場には何人かの若い男女が集っている。
「……君は今年で二年目になるのか」
「え? いや、違いますけど……」
私はそこでスマホを開いた。
「今や情報はSNSで簡単に拡散される時代だ。集団というものは誰かが作り出した流れに乗る。何がその始まりになるのかは誰も予測することができない。……先人の言葉だけど、あながち間違いではなかったみたいね。ふふっ」
――『買い物ついでにDJ ELKの聖地来た!』
私を上手に笑わせたのは、そんな投稿。
「……よくわかりませんが、わかりました! マネージャー!」
(了)
###ELK feat. Haruka - Deejay EP 鹿路けりま @696ki
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