##Track 3. Happy Synthesizer (ELK’s bootleg)

「あっ、しまも〜ん」

 ヤツのお出ましだ。

「お客さま。『しまもん』とはなんでございましょうか」

 私を見つけて手を振ってきたえるくだが、意を削がれたのか「なんでそんなこと聞くの?」と言わんばかりの表情になった。

「シナモンみたいでかわいいと思ったんだけど」

「まさか私がくまモンみたいに太っていると?」

 私たちは同時に別々のキャラクターを想像し、口に出していたようだ。

「あははははっ」

 楽しそうにえるくが笑う。

「心外です。とても」

 私は上手に笑えない。

「てへ。また会えてうれしいです」

「あなたが会えてうれしいのは私ではなくXXDJ-RX2にですよね?」

「そ、そ、そんなことないです。あたしし、しまもんのこと待ってましたし」

「私につまみ出されるのを?」

「違うます!」

 声が裏返っているが。

「今日こそは、しまもんにあたしのミックスをフルで聴いてもらうんだから!」


 彼女はきっと、このXXDJ-RX2を使わせてもらうために私に対して馴れ馴れしくし、媚を売ろうとしているのだと思う。社員である私から気に入られれば出禁にならずに済むだろう、という思惑を持っている。だがそれはどうかな。私も大人なのでして。


 時計を見る。

 最初の『目撃報告』が上がってきてからまだ十二分近くか。

 えるくの平均滞在時間は三十分。

「……仕方ありませんね」

「え! ほんとにいいんですか!」

 身を乗り出すほどの食いつきの良さに、かえってこちらが驚かされる。

「そ、それでご帰宅いただけるのならば、我慢して聴きましょう」

 えるくはやっぱり少し不満げだった。

「はいはい。それでもいいです。きっと、最後には笑ってくれるはずですから」

 そう上手くいくかな。

「じゃあ始めますよー。あっ、そうだ。でも実はその前に聴いてほしいものがあって〜」

 ぐっ、こやつ……。

 ギリギリまで時間を引き延ばそうと……。

 なんなんだ。この小賢しさ、図々しさ、謎のタフさはいったいどこから湧いてくるんだ。若さか。若さゆえなのか。

「わかりましたから、早く終わらせてください」

 私は腕組みをしてえるくがチューニングを行う姿を観察した。思えば初めの頃と比べて見違えるほどに上達したものだね。手捌きもより素早く、細かくなって、まるで本物のDJのように見える。ここまで一銭も払わずにできるようになってしまったのだから本当にたちが悪くて、大したヤツだ。

 ややあって、軽快なポップ・ミュージックが鳴り出す。


 ♪ハッピーシンセサイザ君の胸の奥まで届くようなメロディ奏でるよ――


「……この曲は知ってる」

「でしょ? 世代だと思って選んだんですよね〜」

 その言い方にはイラッとくるが。

「これはこれでいい曲ね、やっぱり」

 うんうんと、えるくは景気のいい顔でうなずいている。

「DJって、そのとき観客が欲しいと思っている音を直接届けてあげる仕事だと思うんです」


 ♪つまらない建前や嫌なこと全部消してあげるからこの音で――


「……ふうん」

 ちょっとだけ、彼女の主張したい気持ちがわかった。

『自分の』ではなく。

『私の』ために。

「それってとても素敵なことだなって思って。だからあたしは――」

 DJになろうと思ったんだ。

 私はお客さんではないけど。

 この音の中で。

 思わず目を閉じていた。

 音楽が終わるのは、少し、寂しかった。


「続けていいよ。まだ次、あるんでしょう?」

 私、島本遥は――欲しがった。

 音楽が終わると人は寂しくなる。

 だから、一曲の終わりを始まりに変える。

 それもDJの大事な仕事でしょ。


「……えるく?」

 私は目を開いて彼女を見やった。

 茨木えるくからの返事がない。

 彼女の身体は、音もなくその場に横たえられていた。

 えっ?

「えるくっ!?」

 どうして?

 とっさに駆け寄り、倒れた彼女の頭を抱き取る。

 腕の中で、えるくがうっすらと目を開ける。


「おなか……すいたぁ……」


        ###


 これは夢だ。

 鏡。

 頬に触れる水の冷たさ。

「……なんてこった」

 常にため息まじりな自分の声。

 これら全てはいつも通りのように思える。

 あるいは、いつも通りの全てではないのか。

 こんな考えを持つのは私が誤っているからなのか。

 私が誤っているならば、誤った朝を迎えるのも道理か?

 私は混乱していない。

 ロジカルに考えようとしている。


 自分のベッドで、茨木えるくが寝ている理由を。

 自分のからだに、彼女の匂いがあることの理由を。


 さてどこから考えようか。

 私は空腹で倒れたえるくに何か食わせてやろうと思った。

 私は会社を早退したのかもしれないし、していないのかもしれない。 

 私は彼女を誘ったのかもしれないし、彼女から誘われたのかもしれない。

 私は音楽をやめてヨドガワの社員になったのかもしれないし、ヨドガワの社員であることをやめて音楽の虜になったのかもしれない。

 私はそれらのことを忘却しているのかもしれないし、本当は全て記憶しているのかもしれない。


「あーもうっ!」


 しっかりせんか、遥。

 夢じゃない。

 これは、あれだ。

 OLとしての生きざまってやつ。

 生きざま。行きずり。どっちでもいい。

 とにかくそういうことだから。

 私の脳は溶けてしまった。考えることはもう無意味だ。


「しまもん……?」


 部屋の中から声がした。

 私は洗面所の扉を閉めて外に出る。


「ごめん、起こした?」

「ううん、実はずっと起きてた」

「何、それ」

「だって、なんか」

「なんか、何?」

「なんかなんだもん」

「わけわかんない」

「あはは。あたし、そろそろガッコ行かなきゃ」


 えるくは立ち上がっていた。


「家には帰らないの?」

「うん」

 もう玄関で靴を履こうとしている。

「えるく、待って」

「何? しまもん」

 私は用件もなく呼び止めてしまったことに気づき、焦る。

「あ、その……朝ごはんぐらい作るよ」

「……へへへ。ありがと」

 そう言いながら彼女はドアノブに手をかける。


「あ、そうだ。昨日は話せなかったことなんだけど、」

 唐突に振り返り、リュックサックの中から一枚の紙を私に見せる。

「あたし、今度からこのクラブで働かせてもらえるようになったんだ」

 近視の私は差し出された紙を近づけたり遠ざけたりしてなんとかそれが何であるのかを理解する。

 どこかのクラブの、イベントフライヤーみたいだった。

「これ本物の? すごいじゃん。あなた本物だよ」

 えるくは照れ笑いのそぶりを隠すように黒い髪の先を触る。

「まあ、クラブって言っても地下にホールがある酒場の、あたしはバーテンとしてなんだけど。でも、そこにある機材で練習していいって言われてるし、イベントの時はゲストの余興としても使ってくれるって話。正直、かなりワクワクしてる」

「待って、バーテン? あなた歳はいくつ?」

「え? ハタチだよ。そうは見えないって?」

 呆れた。

 まあ、もう子供ではないか。


 そして、私は気づいてしまった。

 えるくは遊びではなく、本気で。


「じゃあ、もう……」

 彼女は、私の言葉を遮るように頭を下げた。 

「ごめん。って言っても今までお店にすごく迷惑かけたことは全然済まないと思うけど。だからね、あたし決めたんだ。頑張ってお金貯めて、今度はでっかい買い物をしに来るって。近いうちとは言えないけれど、必ずあの子を迎えに来る。DJえるくの名に賭けて、約束してあげる」


 そっか。

 そうなんだ。

 えるくは本当の居場所を手に入れた。

 もう、わざわざ店の売り物を失敬して練習をする必要はない。

 私につまみ出される心配もいらない。

 見つけたいものを見つけたんだ。


「よかった……」


「ちょっ、しまも〜ん!? なんで泣くのー!? ダーティ〜な客のお祓いができてそんなに嬉しい!?」

 違うよ。


「……私もさ、実は音楽やってたんだ、昔」

「うん。知ってる」

「注目を集めるために、駅前の路上でライブをやろうとしたこともあった。そのための看板とか、カンパの箱とかいろいろ準備を重ねて。もちろん曲の段取りとかもね。……だけど始まってすぐ、年寄りの警備員がやってきて、やめさせられた。けっきょくお客さんは誰ひとり観に来なかった。まあ、今思えば当たり前の話なんだけど、そのときはそれがすごい……ガーンってなったの」

 えるくがはっとした表情を浮かべる。

「だから、あたしのことを見ててくれたの?」

「……さあね」

 私は笑ってごまかした。

 仕方ない。

 今回きりは、笑顔で送り出してやろうと思う。

 なぜなら、これは仕事ではないのだから。


「……ありがとね、しまもん」


 その背中は、音楽の終わりに少し似ていた。

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