第61話 潔白の証明
「それは私が説明しよう。」
男たちを魔法で吹き飛ばした体勢のまま、フェルディナンドさまがそう言った。
「魔塔の賢者が持たされている腕輪は、緊急時の救援信号が出せるものではあるのだが、位置の特定が出来るものではないんだ。位置の特定には別の魔道具が必要になる。」
そうなのね。それでは危険だということがわかっても、すぐに駆けつけることが難しいわ。その魔道具で探してくれたということ?
「だが、あなたは魔塔に所属したばかりで、魔力の波長の登録が済んでいなかったことから、魔道具を使って見つけることが困難だったのだ。あとは推理していくしかない。」
私が縛られていた手足のロープのあとを、回復魔法で回復してくれる。まるで何もなかったかのように手足の赤みは消えた。
「疑わしきは離婚を拒んでいるというご主人の存在だった。だからロイエンタール伯爵家を訪ねたんだ。そこに彼がいた。そして君に危険が及んでいることを伝えると、心当たりがあるかも知れないと、こちらに案内してくれた。そして君を見つけたというわけだ。」
「……お母さまが、君になにかするかも知れないと思ったんだ。お母さまは普段領地にいる。ロイエンタール伯爵家の私兵もおらず、私たちの目の届かない場所だ。」
イザークは実の母親をキッと睨んだ。
「お母さまがフィリーネを気に入っていないことはわかっていました。ですが、よもや彼女を人を使ってさらわせるとは……。」
「こ、これはね、イザーク。そういうことではないのよ。少し落ち着いてちょうだい。」
義母はオロオロとしながらそう言った。
「──彼女も殺す気だったのですか。あの猫のように。私はもう、あの日の何も出来なかった少年ではない。彼女を害するおつもりなら、私は全力であなたと戦う!」
……私をギュッと抱きしめながら、そう宣言しているこの人は誰なのだろう?本当に私をずっと無視していた夫なのだろうか?
私はただただ混乱していた。
「こ、殺すだなんて!ほんのちょっと大人しくさせようと思っただけよ!今まで通りロイエンタール伯爵家の嫁に相応しくあるようにね!あなたもそれを望んでいたでしょう?」
「……確かに、私は今まで、お母さまのおっしゃることがすべて正しいと信じてきました。だからフィリーネがお母さまの望むロイエンタール伯爵家の妻になれるよう、私自身彼女をしつけてこようとしました。」
「そうでしょう!?そうでしょう!?」
「……ですがそれは間違いでした。彼女は才能に溢れた魅力ある女性です。私はもっと早くにそれに気がつくべきだった。彼女がずっと探していた女性だったということにも。」
「……探していた女性?」
「彼女が、フィリーネこそが、私が幼き頃に将来結婚したいのだと、お母さまたちにお願いした初恋の女性だったのです。私はそのことにも気付けず彼女を蔑ろにしてきた。」
「……ああ。それがその女だったの。幼いあなたにそのどこの誰だかわからない女を諦めさせるのは大変だったわ。……そう、そんな頃からあなたは生意気な女だったのね。」
憎しみを込めて、義母が私を睨んでくる。
「お前が!幼いイザークをたぶらかすから、私たちはイザークに王女を娶るよういい聞かせることが出来ず大変だったのよ!それが今やイザークの妻におさまっていたなんて!」
手にしていた扇子を思い切り私に投げつけてくる。イザークが身をていして庇ってくれて、扇子はイザークの額に当たって、イザークの額から少し血が溢れ出た。
「イザーク!この女はロイエンタール伯爵家にとって目障りでしかないわ!今すぐ離婚するか、閉じ込めて2度と社交界で大きな顔が出来ないようになさい!これは命令です!」
義母のいつもの癇癪がおきた。だけどいつもなら、わかりましたとだけ言って、黙ってそれに従っていたイザークは、フルフルと頭を振ってそれを拒絶した。
「お断りします。彼女は私にとって大切な存在です。そして、何より彼女の才能は尊重されるべきだ。私は絵を描いている時の彼女が1番好きなのです。閉じ込めるなんてもってのほかだ。私は彼女に、自由でいて欲しい。」
「イザーク……。」
「この……!お前の……!お前のせいでわたくしの息子は、わたくしの言うことを素直に聞く良い子に育っていたというのに……!」
もしも憎しみで人が殺せるのなら、義母はそう出来るであろうほどの殺意を、私に対して隠すことなく向けてきた。
「お前たち!何をしているの!あの女をとらえるのよ!2度と人前に出られない体にしてやるのです!」
「それなら、心配しなくても、もうそうなってやすよ、奥さま。」
男の1人が地面に転がったままそう言う。
「どういうこと?」
「さっきここに連れて来る途中に、俺の相棒がね……へへ。この女を味見してやがったんで。貴族夫人としては、とっくに人前に出られない体になってやすよ。」
私はカーッと頭に血が上るのを感じた。確かにあの男の連れに押し倒されて、無理やり下着をはがれそうになった。服も連れて来られる途中で乱れている。なにかあったと言われたら、それが信用されてしまう格好だ。
そして事実がどうであれ、貴族の女性がさらわれて男に襲われたというのは尾ひれがついて勝手に広まっていくものだ。実際どうだったかはどうでもよいのだ。襲われたという事実さえあれば、人々は勝手に自分たちにとって面白い想像のほうに認識を強めていく。
それをわかっているから、怒りで頭が沸騰しそうだった。イザークとフェルディナンドさまが、乱れた私の服装と顔を見比べて、ショックを受けたような表情を浮かべている。
「ふざけないで!私は何もされていないわ!あなたがすぐに迎えに来たじゃないの!」
「けど、下着は脱がされてたろ?」
「それは……!」
それを聞いた義母の顔が歪んでいく。そしてけたたましい声で高らかに笑った。
「そう……!あなたとっくに人前に出られない体にされていたのね……!よくやったわ!」
「嘘よ!何もされていないわ!」
私はそう叫んだけれど、証明する手立てが何もないのは事実だった。
「ほほほ!ほほほ!事実なんてどうでもいいのよ、あなたもそれはわかっていることでしょう?これでもう、ロイエンタール伯爵家の妖精姫の名はわたくしのもの……!」
義母は魔法契約の書類をヒラヒラさせた。
「こんなもの用意するまでもなかったわね。夫以外に触れられた事実がないことを証明する手立てがないのだもの。」
私はギリリ……と奥歯を噛んだ。イザークはともかく、フェルディナンドさまにまで汚れた女だと思われてしまったなんて……!
「──いや、証明する手立てはある。」
とフェルディナンドさまが言った。
義母はそれを聞いて目を丸くする。
「そ、そんなこと、出来るわけがないわ!」
「私は魔塔の賢者だ。その程度の魔法、わけはない。ここにはロイエンタール伯爵がいらっしゃる。だからこそ可能なことだ。」
「ど、どういうことですか?」
「夫婦の間で、操を立てる為にかわす制約魔法があることはご存知ですか?」
「いえ、存じ上げません……。」
「その昔、嫉妬に狂った男が開発した魔法ですが、配偶者以外に体を許していると、それがわかる魔法というのが存在するのですよ。配偶者と双方にその制約魔法をかける必要があるのだが、それを使えば、ロイエンタール伯爵夫人の潔白をこの場で証明出来る。」
「なんでも協力します。ぜひ、妻の身の潔白を証明してやって欲しい!」
イザークがフェルディナンドさまに、すがるような目でそう頼んだ。
「ロイエンタール伯爵夫人。あなたの協力も必要です。今のあなたには辛いかも知れませんが、なんでも出来ると約束出来ますか?もちろん証明後に解除しますので。」
「……はい、それを証明出来るというのであれば。どのようなことでも従います。」
「いいでしょう。では、私に従って互いに呪文を唱えて下さい。」
「わかりました。」
「“私、イザーク・フォン・ロイエンタールは、配偶者以外にその身を許さないということを誓う。ザフィ、ルド、エルクルド”。」
「私、イザーク・フォン・ロイエンタールは、配偶者以外にその身を許さないということを誓う。ザフィ、ルド、エルクルド。」
「“私、フィリーネ・フォン・ロイエンタールは、配偶者以外にその身を許さないということを誓う。ザフィ、ルド、パルクルド”。」
「私、フィリーネ・フォン・ロイエンタールは、配偶者以外にその身を許さないということを誓う。ザフィ、ルド、パルクルド。」
「な、なにを……。」
義母は呪文を唱える私たちを、驚愕した眼差しで見つめていた。
私とイザークの体の前に紋章が浮かび上がると、それが首筋で聖痕のように定着した。
「さあ、これで契約は完了です。ロイエンタール伯爵、夫人に口づけをして下さい。」
「フェルディナンドさま!?」
私は驚いてフェルディナンドさまを見上げた。フェルディナンドさまは少しも動揺せずに、じっと私をみつめていた。
「双方どちらかが契約に違反していれば、口づけは弾かれて、違反した者の体は、耐え難い焼けるような痛みに貫かれる。だが違反していない場合は光に包まれるのです。」
「だからって、フェルディナンドさまの前でイザークとそんなこと……。」
「これが唯一の手段ですよ、ロイエンタール伯爵夫人。あなたにはお辛いかもですが。」
イザークと離婚したがっている私に配慮した上での言葉だったのだろう。確かに離婚したがっている夫と口づけしたがる妻はいないから。でもそれしか証明の手立てがないのなら、私はイザークと口づけするしかない。
「イザーク……。」
私は困惑した眼差しでイザークを見つめた。イザークがそっと私の手を取って、私を抱き寄せていたその手に力を込めた。
「……君にまた触れられるとは、思っていなかった。こんな形で触れるつもりはなかったが……。申し訳ないが、君の為にも証明したいと思う。フィリーネ。目を閉じて。」
私は覚悟を決めて目を閉じた。
イザークの唇が、優しく降ってくる。いまだかつてこんな風に、イザークに優しく口づけられたことなんてなかった。本当に愛おしくてたまらないみたいに、何度も私の唇をついばんでくるのがたまらなく恥ずかしい。
ましてやすぐ横にフェルディナンドさまがいらして、しっかりとその光景を見られているのだから。
「ほ、ほほ……。光らないじゃないの。随分と痛みに強いのね。さっさと音を上げてしまいなさいな、それがあなたの為ですよ。」
義母の声が遠くに聞こえる。
私は……イザークの熱い口づけに、頭がボーッとしてどうにかなりそうだった。こんな、こんなキスの出来る人だったなんて。
フェルディナンドさまに。義母たちにも見られているのだという意識が、段々と遠くに追いやられて消えていくのを感じた。
イザークが私を押し倒すかのように体重をかけてきた時、私たちの体が光に包まれ出した。そしてその光が全身を包み込む。
その光を見た時のイザークの私を見る眼差しは、甘くとろけて、本当に幸せそうで。
愛おしげで、本気で私のことを心配してくれていたのが伝わってくるかのようで。
イザークに心から愛されていたのだと勘違いして、思わず絆されそうになって……。心が思わず揺さぶられるのを感じた。
「……潔白は証明された。ロイエンタール伯爵夫人は、誰にも体を許していない。
あなたの企みは失敗に終わったということだ。そしてロイエンタール前伯爵夫人、あなたをロイエンタール伯爵夫人誘拐の罪で、捕縛させていただく。」
フェルディナンドさまが義母に指を突きつけた。義母は体をビクリと震わせた。
「冗談じゃありませんよ。イザーク、この領地と自宅を失っても構わないというの?」
義母は悪あがきするようにそう言った。
「この領地もロイエンタール伯爵邸も、私の財産のままなのですよ?わたくしが捕まったら国にそれらを取り上げられてしまうわ。」
イザークが、ハア……とため息をつく。
「お母さま。私はそれらを失っても痛くない財産を、この身ひとつで築き上げました。今や私にとっては形骸化したものです。」
「なんですって!?伝統あるロイエンタール伯爵家をなんだと思っているの!?この家もロイエンタール伯爵邸も、先祖代々受け継いできたものなのですよ!?」
「今の私には、フィリーネより大切なものはありません。そのフィリーネを害したお母さまが、今後フィリーネに近付く可能性は排除しなくてはなりませんので。」
イザークは冷たくそう宣言した。義母はフルフルと震えていたのだけれど、
「あなたは本当に悪女に捕まってしまったのですね。この母をも捨てるだなんて。」
慇懃無礼にそう言ったかと思うと、
「私が、お父さまが、いったいどれだけあなたの為に尽くしてきたと思っているの!すべてはあなたのためだったのですよ!?」
悔しげにそう叫んだ。
「お母さまは、自分の理想に当てはまるものが欲しいだけでしょう。息子の妻も、息子そのものも。あなたの立場を飾る存在として必要だっただけだ。──私にとっての悪女はあなたです、お母さま。あなたが私の母だったことで、私の人生は狂ってしまった。」
イザークはそれを冷たく突き放した。
「……本当に、わたくしを捨てると言うのですね、イザーク。」
「はい、お別れです、お母さま。」
「ですが、わたくしはそれを認めないわ!」
義母はなりふり構わずドレスの裾をたくし上げ、本棚の前に走って移動した。
「ロイエンタール伯爵家は、わたくしが生きている限りわたくしのもの。ロイエンタール伯爵家の妖精姫の称号もわたくしのもの。お前たちにはなにひとつ渡さないわ!」
後ろ手にバン!と本棚を叩くと、それは回転扉になっていて、くるりと義母の姿が扉の向こうへと消えた。イザークが走って追いかけ、本棚を叩いたけれど、扉が再び開くことはなかった。
「くそっ!」
「まだ遠くには行っていない筈だ、追いかけましょう。」
「こいつらを捕縛しなくては。」
イザークが倒れている男たちを見やる。
「それはこうしておきましょう。」
フェルディナンドさまが手をかざすと、ウンガーが捕縛された時と同じ、光の縄で男たちの体がグルグル巻きにされた。
「これでしばらくは問題ありません。」
「フィリーネ、すまない、このままここにいてくれ。私たちは母を追いかけるから。」
「え、ええ……。」
正直男たちと一緒に残されたくはなかったけれど、しっかり捕縛されているから、嫌とも言えなかった。イザークとフェルディナンドさまは、外へと飛び出して行った。
しばらくして、フェルディナンドさまだけが部屋に戻って来て首を振ると、
「どうやら見失ってしまったようだ。すまない。ロイエンタール伯爵は、もう暫く探すとおっしゃって、まだ外にいる。」
と言った。
「そうですか……。」
義母が逃げてしまったからには、また何かされてしまうかも知れない。それが怖かったが、今は考えないようにするしかなかった。
「先程かけた制約の魔法を解こう。」
フェルディナンドさまが、ソファーの私の隣に座り、私に手をかざすと、フッと光が立ち上り、首筋の紋章が空中で消えた。
「解除する時は、双方がいて呪文を唱えなくても問題ないんですね。」
思わずなんとなく思った疑問を口にした。
「解けない呪文にしなかったからな。一時的なものだから、あれでじゅうぶんだった。」
「そうですか……。」
いくらイザークとはまだ夫婦であるとはいえ、フェルディナンドさまの前で何度も口づけをかわしていたのを見られたことが、今更ながらに改めて恥ずかしかった。
「その……。おかしなことを言っていると思ってくれていい。」
フェルディナンドさまが、妙に神妙な顔つきで私のことをじっと見つめてくる。
「私はどうやら、本当におかしくなってしまったようだ。先程あなたとご主人が口付けているのを見ている間……ずっと苦しかった。他の男があなたに触れることが、とても。」
「フェルディナンドさま……?」
「あれが未来の私だと言われても、ずっと実感がわかなかった。……だが今の私は、あれが自分の未来なのだと、少しずつ信じ始めている。あれは確かに、未来の私なのだと。」
私に触れたそうに、逡巡して伸ばされた手を、思い直して引っ込めて、ギュッと握りしめるフェルディナンドさま。
「あなたの潔白を証明出来て、自分にその力があって、本当に良かった。あなたが無事で良かったと、心から、そう思っている。」
触れるか触れないかのところまで伸ばされた、フェルディナンドさまの躊躇う指先が、控えめに私の心をくすぐっていた。
「ありがとうございます。フェルディナンドさま。おかげで身の潔白が証明出来ましたし、義母は逃げてしまいましたが、少なくとも当分何かされることはなさそうですわ。」
私はそうお礼を言ったのだけれど、フェルディナンドさまは心配そうな眼差しで私を見つめるのをやめようとはしなかった。
「……あなたがロイエンタール伯爵のものであることが、こんなにも苦しい。自分がどうかしてしまったのだと、そう思わざるを得ない。私はいったいどうしてしまったのか。どうか、あなたを守る存在であるのは、常に私であったらと、そう願ってやまないのだ。」
「フェルディナンドさま……。」
どう答えるのが正解なのだろう?私は現状イザークの妻のままだ。そして、フェルディナンドさまにも惹かれていることと、他の男性のことも気になる自分に気付いていた。
「どうか誓わせて欲しい。あなたを守る存在の1人であることを。許すと言ってくれないだろうか、ロイエンタール伯爵夫人。──今はただ、それだけで構わない。」
そうとまで言われて、こんなにも切なげな目で見られて、断ることは出来なかった。
「許し……ますわ……。」
私はただそうとしか言えなかった。
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