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大橋は、墨岡の右手を吹き飛ばした弾が飛んできた方向を見極めようとしたが、発射炎は上がらず、少なくとも敷地の反対側からだということしか予測できなかった。八女は一階へ続く階段を早足で下りると、シックナーの裏側に回り込んでVZ61のストックを展開させた。
別所は大橋の背中を一度叩き、言った。
「引き上げましょう」
「八女はどこに行った?」
大橋はそう言ったが、すでに体は出口の方向へ動いていた。八女には『仕切り直す』という頭がない。待ち伏せされたのはこっちだと理解できても、それを体に伝えるまでの回路が切れている。松戸は八女のそういう部分を気に入っていたに違いないが、道連れはごめんだ。別所が大橋の露払いをするように先頭に立ち、外に出た。大橋も続いて外に出ると、ただの邪魔な棒切れと化したMP5SD6を片手に持ったまま後ろを振り返り、無線のスイッチを押した。
「八女、戻ってこい。中止だ」
稲場は、右手を失ってその場に座り込んだ墨岡に駆け寄った。
「おれは撃ってない」
墨岡は首を横に振りながら、後ずさった。その目に浮かんだ恐怖に対して言い訳をするように、稲場は繰り返した。
「おれは撃ってない!」
パニックに陥った墨岡は、右腕を庇うように巻き込みながら、地面を蹴って稲場から離れようとした。
「やめてくれ、やめてくれ!」
稲場は目を伏せた。ポケットから手を抜いて、言った。
「これで、人は殺せん」
その手に握られたピンク色の銀玉鉄砲を見て、墨岡は動きを止めた。稲場は歯を食いしばり、決して元通りにはならない亀裂から目を逸らすように俯いた。誰がどうやって、銃ごと手を撃ち落とせるか。そんなことは、分かりきっている。稲場は食いしばった歯を解放して、叫んだ。
「佐藤! 撃つな!」
八女からの返答はなく、前に向き直った大橋は、雑草の隙間が少しだけ開いていることに気づいた。重みで左右に分かれているのではなく、根元から折れたようになっている。ほとんど足元とも言える位置に置かれた四角の箱は、草にできるだけ紛れようとするような緑色に塗られていた。大橋はそれを見たとき、別所の体を強く押した。同時にクレイモア対人地雷が起爆され、別所の体に数百発のベアリング弾が突き刺さった。別所のすぐ後ろにいた大橋は左腕をMP5SD6ごとミキサーにかけられたように砕かれ、衝撃で地面に倒れ込んだ。
起爆スイッチを捨てた村岡は、全身を雑巾のように砕かれて仰向けに倒れた別所を見下ろしながら、柏原に言った。
「三人ちゃうんか?」
柏原は肩をすくめると、建物の中へ這って戻ろうとする大橋の後ろをついて歩き、建物の中へ入ってようやく体を起こした大橋の前に立つと、銃声が抜けない場所まで来たことを確認してから言った。
「わざわざどうも」
大橋が顔を手で庇うよりも先に、柏原はモスバーグM590の銃口を向けて引き金を引いた。
青山は、最初に鳴った銃声を聞いてずっと伏せていたが、八女が目の前を横切ったことに気づいて、体を静かに起こした。元の出口から出れば、ランドクルーザーに辿り着ける。しかし、その鍵を持っているのは八女だ。車を使わずに、どこまで逃げられるだろうか。
つい今、爆発音と銃声が鳴ったのは陸側の入口だった。海側の入口は静かだが、そこへ辿り着くには、工場を反対側まで横切らなければならない。青山は二階を見上げたが、その薄暗い階段を再び上がる気にはなれず、シックナーの影にできるだけ隠れながら、海側の入口へ向かって歩き出した。
八女は、敷地の反対側で影が不自然に揺れたのを見て、その影の主が階段を下りていることに気づいた。さっき稲場が叫んだ『佐藤』という名前。銃声と結びつけるなら、一階へ降りてきているのが本人と見て、間違いないだろう。松戸は、一方的に殺す側と殺される側が決まっているだけで、そこに本当の『戦闘』は存在しないと口癖のように言っていた。お互いの作戦が決まった時点で、結果は決定している。頭では理解していても、自分が殺される側に回ったということは、本能の部分が頑なに認めようとしなかった。VZ61の銃口を静かに振りながら、八女は影が降りて行った後にどこへ向かうか、その地形から想像した。コンクリートの塊が遮蔽物になっていて、見通しが悪い。外側から回り込むように移動すると、八女は影が見えた位置の真正面まで来て、銃口を向けた。ワイヤーストックが頬に食い込んで右手に力が籠ったとき、すぐ隣で真っ暗闇に見えた地面が動き、伏せていた体を起こした佐藤がFNCを構えながら言った。
「銃を下ろして」
それまで隠されていた気配が全身に襲い掛かり、八女は反射的に銃口を向けようとしたが、先に頭へ向けられた銃口と目が合った。佐藤が答えを引き出そうとするように少し首を傾げ、八女は右手をグリップから離した。佐藤は銃口を掴まれないだけの間を保ったまま、八女がVZ61を地面に置くのを確認して、言った。
「歩いて」
八女は言われた通りに歩き始めた。足音に混じって微かな金属音が聞こえたとき、後ろを歩く佐藤がスリングを肩に通して、ライフルから手を放したことを悟った。
稲場は、海側の入口に目を向けた。レガシィB4の運転席が、宇宙の果てのように遠くに感じる。右手首からの出血で気を失いかけている墨岡は、自分の体を掴む稲場の手を振りほどいた。
「お前……、俺は連れていかんでええやろ」
「何を言うてんねん」
稲場は正気を失ったように、墨岡の体を力任せに掴むと、再び引きずるように起こした。自分でも、どうして手が助けようと動くのか、その説明はできない。ただ、ほとんど本能的な部分で指示が出ているように、体が言うことを聞かない。
「ごめん、稲場。ほんまに、もうええから」
墨岡が呟くように言い、その口調の弱さに驚いた稲場は、思わず手を離した。墨岡の体を巡っていた血は、ほとんどが砕かれた右手首の付け根から流れ出していた。やがてその目から光が消え、墨岡が死んだことを理解した稲場は、ようやくうなずいた。
「分かった」
稲場がそう言ったとき、岩村が後ろから肩をぽんと叩いた。
「お開きでもよかったんやけどな。佐藤が、どうしても譲らんかった」
留美が死んだことを知ってからの動きは、本来動くべき方向とは完全に真逆だった。岩村が墨岡から引き離すように稲場の体を押したとき、佐藤が八女を歩かせながら現れ、稲場の目の前でその両膝をつかせた。一階へ降りてきた村岡と柏原が合流し、村岡が岩村に言った。
「龍野さんはどうしたんですか?」
「外で干上がっとるわ」
岩村は苦笑いを浮かべて呟くと、稲場に言った。
「佐藤に、撃つなって言うたな。お前には、それを言うだけの素質がある」
龍野は、自分と配管を繋ぐ手錠を見上げながら、全てが手遅れであることを承知で確信した。岩村は最初から、こうするつもりだったのだと。手錠を抜く方法は聞いたことがあるだけで、実際に関節を外す方法は分からない。日差しから逃れるように顔を背けていた龍野は、目の前に影が伸びたことに気づいて、顔を上げた。青山が幽霊に出くわしたように飛びのいて、言った。
「龍野さん」
「青山、これ外してくれよ」
「分かりました」
青山はそう言うと、配管をコンクリートに繋いでいるボルトに触れた。錆びているスチール製のアンカーを揺すりながら、言った。
「切れそうですね。車に、道具ないですか? カッターとか」
「ある。頼むよ。浄水工場の東側に置いてきた」
龍野は、空いている手で上着のポケットからチェイサーの鍵を抜き、差し出した。青山は受け取ると、眉をひょいと上げて言った。
「トヨタですか」
龍野が相槌を打とうとしたとき、青山はルガーの銃口を向けて龍野の頭を撃ち抜いた。
銃声が鳴っても、誰も瞬き一つしない。八女は、佐藤を見上げるように振り返ると、言った。
「今のは、青山さんですね」
FNCを再び手に持った佐藤は目を合わせただけで何も言わず、再び銃声が鳴った方向へと目を向けた。岩村は呆れたように言った。
「どうしょうもないやっちゃな、あいつは。まあええわ。君が八女さんか? あと一人、残っとるやろ」
八女はうなずいた。松戸だけが、倉庫の見張りを続けている。自分以外は全滅したと知らずに。その滑稽さに思わず笑い出したとき、村岡が眉をひそめた。岩村は愛想笑いの手間を省いて、単刀直入に続けた。
「連絡先を、教えてくれるか。結果はしょうもなかったが、君らのやり方には正直、感銘を受けた」
八女は、松戸が民間軍事会社に属していたときのIDと、逃走用の身分証の名前を伝えた。そのあっさりとした変わり身の早さに、柏原が気分を害したように顔をしかめた。八女は構わず続けた。
「本名は、把握していません」
「了解。佐藤、一緒に働けそうか?」
佐藤は前に回ると、八女の顔を見ながらうなずいた。岩村は稲場の方を向いた。
「お前は? いずれは、こういうややこしいことも決めてもらう」
稲場は岩村の目を見返したとき、自分が何を望まれているかということを、完全に理解した。撃つなと言ったとき、佐藤は手を止めたのだ。それがどのような結果を招くとしても。稲場は一度深呼吸をすると、言った。
「佐藤」
佐藤が振り向いた。稲場は、その目が鏡のように自分の指示を映すことに気づいた。指示を受けるまでは空っぽの器だからこそ、その目には光が一切宿っていないのだ。稲場は小さくうなずいて、言った。
「撃て」
佐藤はFNCを構えると、八女の頭を撃った。
二〇二二年 四月 現在
「おれは、少なくとも龍野を殺した。でも、あいつが死ぬとこしか見てない」
青山が言うと、女はスマートフォンを見たまま、うなずいた。墨岡について話したことは、女のスマートフォンにもすでに『入力』されているらしく、青山が話す間、女は時折内容を照合するように画面を眺めては、うなずいていた。
これ以上、話すことはないし、聞き出したいこともなさそうだ。女の態度からそう確信した青山は、言った。
「おれからも、聞いていいか?」
女と目が合い、その目の動きから答えを読み取った青山は、続けた。
「あんたは、誰に雇われた? おれを殺したい人間は、山ほどおるやろ。松戸か? おれは、あいつの仲間に殺されることになってた」
女はスマートフォンの写真を手繰ると、画面を裏返した。古いが、松戸の顔写真。青山が目を見開くと、女は言った。
「松戸は二〇一二年に、死んでいます。私の初仕事でした」
その言葉を証明するように、女はナイトホークT3を持った右手で、左腕の袖を捲った。肘の手前に走る刺し傷を見ながら、青山は呟いた。
「そうか。長生きはできんかったんやな。まあ、おれらはみんな同じか」
女が愛想笑いを返し、袖を捲る手に握られたナイトホークT3の銃口が充分に逸れたとき、ルガーを抜いた青山は女の頭に向けて引き金を引いた。
ジッポライターの蓋を閉じたような鋭い音が鳴り、女は瞬き一つせずに銃口を見返すと、スマートフォンをポケットに戻した。入れ違いに五発の38口径を掴み上げると、青山に向けて手を開いた。
「それも、依頼の内です」
弾が抜かれたルガーを構えたまま固まった青山は、依頼主が誰かを完全に理解した。
「稲場か」
「私の雇い主です」
そう言うと、女はナイトホークT3を再び構え、青山の頭に向けて引き金を引いた。
組織が吸収や分裂を繰り返しながらも、最終的に自分の手に残ったのは、運もあった。ただいつも決め手になったのは、自分が一度死んだ人間だったということ。稲場は、スマートフォンに残された録音を聞きながら、呟いた。
「あっけないもんだな」
いつの間にか方言は抜けて、平易な標準語になった。四十七歳になった今の出で立ちは、かつての弱々しい姿とは別人だが、中身は入れ替えられない。青山の動きはずっと追っていたし、いつでも殺すことができた。この年になるまで待っていたのは、青山ならどこかで大きなことを始めて、組織として対峙することになるかもしれないという期待があったからだ。しかし実際にはそんなことはなかった。蓋を開けてみれば、一方的に命日を決められるだけの存在だった。稲場はスマートフォンを机の反対側に返すと、机の引き出しを開けてピンク色の銀玉鉄砲を手に持った。同じように机の反対側に滑らせると、言った。
「姫浦、そいつでおれを撃て」
姫浦はそれを手に取ると、まっすぐ稲場に向けて引き金を引いた。プラスチックの弾が額の真ん中に当たって跳ね返り、刺すような痛みに稲場は顔をしかめた。
「わざわざ、頭を狙うことはないだろ。まあいいや、お疲れ。ゆっくり休め」
「承知しました」
姫浦はそう言うと、銀玉鉄砲を稲場に返して立ち上がった。稲場はその後ろ姿に呼びかけた。
「本物の銃でも、今みたいにおれを撃てるか? 今日じゃなくて、ずっと先の話だ。もしかしたら、明日かもしれないが」
姫浦は振り返ると、この業界に身を置く人間特有の、空っぽの器のような目を向けた。
「はい。それを望まれるなら」
「お前は、話が早くていいよ」
稲場はそう言うと、姫浦を見送った。かつて佐藤に言ったように『撃て』と言えば、全てを終わらせることができる。実際のところ、今日でも構わない。銃声が鳴った後に、あの日、訪れることのなかった朝の続きがあるのか、全く違う場所へ送り込まれるのか、それは分からないが。
少なくともおれは、いつでも留美のいそうなところを探しに行ける。
Shellshock @Tarou_Osaka
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