誰も知らない笑顔

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誰も知らない笑顔

 内気な自分を変えたい!

 そう思うのは何度目かわからないけど、今回こそは実行に移す!

 私、菊田夕美は高校デビューにも夏休みデビューにも踏み出せず、一人教室の隅で小説を読むだけのスクールライフを半年ほど過ごしていた。

 本当は私もみんなとワイワイガヤガヤしたいのに……人と話すどころか目を合わせることすらまともに出来ない。

 来月には文化祭だってある。それまでに一人でも友達を作らないと……

 焦った私はまず外見の地味さをどうにかすることにした。

 眼鏡は外してコンタクトにし、顔を隠すだけのマスクも着けず、三つ編みを解いて髪を下ろす。そしてファッション雑誌と母の力を借りて大人っぽいメイクとコーディネートを身にまとった。

 最初母に相談した時は「あの夕美がメイクなんて!」と大感動され、コーディネートを決めた暁にはめちゃめちゃ写真を撮られてしまった。

 しかし恥ずかしさも感じないほど、私は見違えた。まるで自分じゃないみたい……今ならなんでも出来る気さえする!

 そう思った私は勢いを止めないよう、このまま外に出る練習をすることにした。

 今日は日曜日。ひとまず目標はオシャレな喫茶店とかに一人で入ること。高校生ならそれぐらい普通のことかもしれないけど、私にとっては巨大な試練だ。

 道中で本屋に吸い込まれて結構な時間を潰してしまったけど、おかげで時刻は夕暮れ時、喫茶店にはいい感じの時間なんじゃないだろうか。よく知らないけど。

 客がたくさんいる有名店は避けて、極力人が少なそうなところを探す。と、聞いたことない名前の、いかにもな雰囲気の喫茶店を見つけた。チェーン店じゃなさそうだ。人も少なそうだしいいかも……

 扉の前で深呼吸して、グッと力を込めて扉を押し開けた。

「いらっしゃいませー」

 え。

「お好きな席へどうぞ」

 そう言って笑顔を浮かべているのは、クラスメイトの朝倉五十鈴さんだった。普段は下ろしている髪を縛っていて雰囲気が違うけど、間違いない。話したことはない、というか彼女がクラスで誰かと話しているところはほとんど見たことがなかった。

 こんなことある? 勇気を出して初めて入った喫茶店にクラスメイトがいるなんて。ちょっとした運命的なものを感じてしまうと同時に、変な汗が湧き出してくる。

 流石にまだ知り合いに見られる覚悟は出来ていなかった。

 どうしよう……まだ引き返せる?間違えましたーみたいな感じですっと外に出ればまだ助かる? いやいや手遅れでしょ完全に……

「お客様?」

「は、はい!」

 扉の前で突っ立ってたら迷惑でしょうが! いやでも固まってしまうのもしょうがない状況というか……ん?

「お好きな席へどうぞ」

 これ、気づかれてない?

 というか今の私は変装してるも同然、話したことないクラスメイトが気づくはずないのでは?

 己の自意識過剰さにため息が出そうになるけど、これは助かったとも言える。私は促されるまま隅っこの席に座った。

「ご注文決まりましたらお呼びください」

 はい、と小さく答えて、メニューを眺める。コーヒーの類は全く飲んだことがないから初めての私は何を頼めばいいのかわからない。

 適当に頼もうかとも思ったけど、せっかくの機会だ。

 今の私は今までの私ではない。人と話すことぐらいなんでもない、オシャレなイケてる女子なのだ。

 言い聞かせるように心の中で呟いて、思い切って口を開いた。

「すみません」

 スムーズに声が出せたことに自分で驚いてしまう。すごいぞ自己暗示。

「ご注文承ります」

 来たのは朝倉さん。というか朝倉さん以外の店員が見当たらない。1人しかいないのだろうか。

 大丈夫。きっとバレてない。私は別人になりきるように意識して、さっきと同様の声を出す。

「おすすめってありますか?」

 うわー! 社交的な人っぽい! 自分の発言なのに他人の行動を眺めているような気分になる。やればできるじゃん私!

「そうですね……お客様は、よくコーヒーはお飲みになられるんですか?」

「いえ、ほとんど飲んだことはなくて……」

「では、当店のオリジナルラテがおすすめですね。酸味と苦味が控えめで飲みやすいです」

「じゃあ、それを」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 普通に会話が出来ていることに感動してしまう。本当に自分が自分じゃなくなったみたいだった。

 ……それにしても朝倉さんが笑ったところ初めて見たかも……。いわゆる営業スマイルだけど、何か見てはいけないものを見てしまった気がする。騙してるような気分だ。

「お待たせいたしました。ごゆっくりどうぞ」

 なんかかわいく見えてきたかも……というか普通に笑顔がかわいい。もともと顔立ちは綺麗だし、普段の様子からは想像できない、ギャップ萌え? みたいなのを感じる。

 結局その日は小説を取り出して読むふりをしながら、ずっと視界の隅で朝倉さんの様子を観察していた。当初の目的は達成出来たし、一歩前進できた気がする。コーヒーもおいしかったです。


 休み明けの月曜日、学校にはもちろん朝倉さんがいた。今日も誰とも話さず、携帯を見ているか机に突っ伏しているかどちらかだった。

 昨日家に帰ってから、別人の振りをして朝倉さんと話して喜んでたけどそれじゃ意味無くない?ということに気づいてしまった。友達を作りたいなら「私クラスメイトの菊田です」ぐらい言えないとダメでは?

 でも今から声をかけるのもなんか……そもそもあの格好じゃないとまともに話せる気がしない。何も成長していない。

 今日は結局いつも通りの格好で来てしまったし――というか学校では制服着なきゃいけないし、派手なメイクもして来れないからあそこまで別人になるのは無理だ。

 髪とマスクと眼鏡ぐらいまでならどうにかできるけど、それをしたところで昨日みたいな自信を持つのは不可能だった。

「はぁ……」

 昨日せっかく勇気を出したのに、先週までと何も変わっていない。このままでは友達を作る、という目的は果たせそうにない。

「菊田さん」

「えっ!? は、はい!」

 ぼーっと朝倉さんを見つめていたら、いつの間にか目の前に委員長さんが立っていた。皆見飛鳥さん、綺麗でかわいくて成績もよくて優しくて一人でいる私にちょくちょく話しかけてくれる天使、いや女神様みたいな人……

「朝倉さんに何か用事あったりするの?私が代わりに行ってこようか?」

「へっ!? いや、そういうわけじゃなくて……」

 そんな傍目でわかるぐらい朝倉さんのこと見ちゃってた!?

「ほんと? 何かあったらいつでも言ってね」

「はい、ありがとうございます……」

 心配かけてすみません女神様……

 あんまりじろじろ見すぎないようにしないと。

 そう思ったものの、この一週間はずっと朝倉さんばかり気にして過ごしてしまった。

 お店で見たような笑顔を朝倉さんが浮かべることはなく、ずっと無愛想な表情で、誰かと話すこともほとんどなかった。

 ほんとにあの日私が見たのは朝倉さんだったのか?

 それを確かめるべく、私はまた日曜日、先週と同じ時間に例の喫茶店に来ていた。今日もいるという保証はないけど、違う曜日に来るよりは可能性が高いだろう。

 そして私の格好も先週と同じだ。この格好じゃないと多分まともに注文できないので。

 昨日のイメージトレーニングの成果もあり、この格好の自分を演じるのにも慣れてきた。今の私は完全にただのイケてる女子だ。

 いかにも常連ですよみたいな顔をしてドアを開ける。

「いらっしゃいませ」

 いた! 朝倉さんだ、間違いない。激似の双子でもない限り間違いなくあの朝倉さんだ。

「お好きな席へどうぞ」

 笑う朝倉さんを見て何故か嬉しくなる。

 胸中を一切表情に出さないようにしつつ、前と同じ席に座る。今日もお客さん少ないけど、ここ大丈夫なのかな。

 頼むのは……前回と同じでいいかな。おいしかったし。

「オリジナルラテをお願いします」

「――気に入って頂けましたか?」

 え?と口に出さなかったのはえらいと思う。

 嬉しそうに微笑む朝倉さんに見とれそうになる。というか私のこと覚えてくれてたんだ……学校では全く私に気づく気配ないのに。

「はい。とても美味しくて。また飲みたくて来ました」

 さらっと嘘をつくな。おいしかったのは本当だけど。

「そう言って頂けて光栄です。すぐお持ちしますね」

 子供みたいに笑う朝倉さん、かわいい……

 友達を作りたい! という気持ちから始まってここに来たけど、なんかもうかわいい朝倉さんを見れただけで満足な気がする。

 一匹狼なクラスメイトの私だけが知ってる一面とか……友達とかよりよっぽど魅力的じゃない?そんなことない?

 それから私は、平日には一匹狼な朝倉さんを、休日にはかわいい朝倉さんを観察(?)する日々を2週間ほど続けた。お店ではちょっとした会話を交わすことも増えてきて、傍から見れば地味かもしれないけど、私にとってはこれほど充実した期間はなかったと思う。

 そして、転機は訪れた――

 文化祭の準備が始まったのだ。いやそれ自体はなんてことないんだけど……

「朝倉さん、菊田さん、私と一緒の班にならない?」

 文化祭準備の班決めの時間、女神様こと皆見さんが声をかけてきた。あっという間に孤立して行き場をなくした私と朝倉さんを救いに来てくれたのだ。皆見さん自身もお友達に誘われてたのに、私たちのために……

「いいよ」

 さらっと答える朝倉さん。

 いや断っても一人彷徨うことになるだけなんだけど、でも朝倉さんと同じ班ってことは……今後しばらく朝倉さんと行動を共にするということで……私の正体がバレる可能性が……

 初めは気づかれなかったことがちょびっと残念だったけど、今となってはバレたら本当にまずい。気がする。

 お店では優しく話してくれる朝倉さんだけど、その相手が実はクラスメイトで、学校とのギャップかわいい〜とか思ってると知られたら流石にドン引かれる。そして私の唯一の楽しみは失われる……

「私も、是非お願いします」

 絶対にバレないようにしないと!


「菊田さん、それ切っといてもらっていい?」

「あ、はい」

 クラスの出し物は喫茶店で、私たちの班の仕事は内装の飾り付けの準備だった。皆見さんは他の班との連絡係を主に担当していて、細かい作業は私と朝倉さんがやっていた。

 朝倉さん、喫茶店ならもっと活躍できることがあるのでは? と思うけど、そんな指摘は即バレするのでできない。

 しかし。

 こんなに近くにいて、ほぼ業務連絡とはいえ会話もしてるのに、こんなに気づかないもの?

 話し方は変えてるけど、声そのものまで変えているつもりはないし、声で気づいたりしてもよくない?

 それとも気づいた上で気づいてない振りしてる?少なくともお店では好意的に見えるしそれはないか……

 気づく気配がなさすぎて逆に気づいてほしくなってきた。今週末は変装(?)しないで行ってやろうかな。いや、それだと私の方がまともに話せなくなって終わる。

 どうしよう……いや気づかないならそれでいいはずなんだけど、なんか……

「あ、あの、朝倉さんって兄弟とかいますか?」

 声が震えすぎている。突然すぎて不自然じゃない? そもそも声聞こえてた?

「え、いないけど」

 聞こえてた。朝倉さんはちょっと驚いた表情をしている。ずっと無表情だったからそれだけでちょっと安心できた。

 で、兄弟がいないってことは双子説はなくなった。他人の空似にしては似すぎだからやっぱりあれは本物の朝倉さんなんだ……

 そうなんですね〜と返すと、朝倉さんは質問の理由も聞かず作業に戻った。助かる。

 と思ったのも束の間。

「菊田さんは?」

「へ?」

「兄弟の話。菊田さんはいるの?」

 朝倉さんが、私に質問をしている……?

 いやいや、聞かれたから聞き返しただけだ。社交辞令的な。でも朝倉さんがそんなことするとは思わなかった。

「私も一人っ子、です」

 自分から話振ったとは思えない弱々しさ。悲しくなってくる。変装時のコミュ力をこっちにも分けてほしい。

「そう」

 素っ気なく返事をして、朝倉さんはまた作業に戻る。

 うぅ……ろくに話せなくてごめんなさい……

「あの……ごめん。私人と話すの慣れてなくて」

「え?」

 また朝倉さんが口を開いた。

「せっかく話かけてくれたのに、その」

「い、いえ! 私こそ、すみません!」

「うん」

 朝倉さん、やっぱり優しい人だ……お店で見た笑顔はきっと本物だ……

 結局それからは業務連絡以外で言葉を交わすことはなく、次の日曜日を迎えた。

「いらっしゃいませ」

「こんにちは」

 ん、今日ちょっと笑顔が固い気が……何かあったのかな。

 いつものを注文して、持ってきてくれるのを待つ。今日はいつも交わすちょっとした会話もない。

 どうしたんだろう――も、もしかして私のことに気づいた!?

 だとしたらまずい……「もうお店に来ないで」とか言われたらかわいい朝倉さんがもう見られなくなる!

「おまたせしました」

「ありがとうございます」

 平静を装うのが上手すぎる。内心震えまくってるし変な汗も出てきてるのに。我ながら怖い。

 ん? 朝倉さん、テーブルの傍に立ったまま動こうとしない。なにやらもじもじしてるけど……

「あの……少しお話できませんか?」

「え?」

 お話って! これは叱られるやつでは?「今後のご来店はお控えください」なやつでは?

「ええ、大丈夫ですよ」

 なんで外面の私はこんなに冷静なの?いよいよ本当に自分じゃなくなったのかもしれない。

「し、失礼します」

 朝倉さんは私の向かいに座った。思ったよりがっつり話す気らしい……

「あの、私、えっと……」

 たどたどしく言葉を紡ごうとする朝倉さん。やっぱり今日はいつもとかなり様子が違う。相手が同級生だと気づいて居心地が悪くなっちゃったんだ……

 切り出すのを渋ってるみたいだし、いっそこっちから言ってしまった方がいいのかな……いやでもまだバレたと決まったわけでは……いやバレてないなら改まって話すことなんてないでしょ!

 ありがとう朝倉さん。短い間だったけど幸せな時間だったよ……

 なんて人生の終わりを覚悟していると、

「自分の分も持って行きなって言ったでしょ」

 突然知らない人(店長さん?)が現れて、そう言って朝倉さんの前にコーヒーを置いた。

「へっ!あ、ありがとう」

 朝倉さんは顔を真っ赤にしてその人にお礼を言う。朝倉さん意外と色んな表情するなぁ。最後に見れてよかった。

「ごゆっくりどうぞ」

 そう私に告げてその人はさっさと裏に戻って行った。

「あの、今の方は?」

「店長です。母でもありますけど……」

 なるほどママ店長。ということはここは朝倉さんの家でもあるのか。

「あの、それでお話なんですけど」

 朝倉さんは真っ直ぐこちらを見て、意を決した様に切り出した。さようなら私のハッピーライフ……

「気づいてるかもしれないですけど」

 はいはい気づいています初見でバッチリ気づきましたごめんなさい黙ってごめんなさいごめんなさい!

 やかましい心の中を全く表に出さず、何も知らない風に首を傾げる。往生際が悪すぎる。

「私、ずっとあなたのことが気になってて!」

 そりゃあクラスメイトが毎週来てたら気になりますよね!

「あの、お友達からでいいので!」

 ……ん?

「あ! 私、朝倉五十鈴って言います!」

 いや知ってますけど。え?

「お名前聞いてもいいですか……?」

 ………………何かがおかしい。なんで朝倉さんはこんな乙女チックな表情で私に名前を尋ねているんだ?

 私の名前をずっと知らなかった?いや文化祭準備の時に何回も呼ばれてるし。

 ということは……

「やっぱり迷惑ですよね……いきなりこんな、しかも同性相手に……」

 気になってたって、お友達からって、そういう……!?

「待ってください! 迷惑だなんてとんでもない!」

 正直整理が着いてないけど、そんな悲しそうな顔されたらそう言わずにはいられない。

 あの朝倉さんが、私のことを……す……好……ってこと……?

 胸の辺りがどんどん熱くなってくる。驚きが強すぎて嬉しいのかなんなのかよくわからない。

 とはいえ、忘れかけてたけど私の当初の目的は友達を作ることだ。これは絶好のチャンスでもあるのでは? 友達より強い関係を迫られているように見えるけど。

 問題は朝倉さんが私の正体に気づいてないことなんですけどね。好きになるぐらいなら気づいてもよくない? とも思うな!

「ほ、本当ですか?」

 朝倉さんの瞳に光が戻った気がする。うわ、かわいい。

 朝倉さんは勇気を出して告白してくれたんだ。私も勇気を出さないと。

 もしかしたら失望されて、「やっぱナシで」になってお店は出禁、学校でも口を聞いてくれなくなるかもしれない。

 もしそうなったら……そうなっても、少し前の生活に戻るだけだ。何年も続けてきた生活に。何も恐れることなんてないはずだ。だから胸が苦しいのは気のせいか何かだ。

 なんならさっきまでバレたと思って幸せの終わりを覚悟していたのだ。今更躊躇う必要なんてない!

「あの、私の名前なんですけど!」

 私はありのままの声を張り上げた。依然イケ女であり続けようとする化けの皮を貫いて、素の自分をさらけ出す。

「菊田、夕美です」

 朝倉さんは間の抜けた表情をしている。

「クラスメイトの、菊田です!!」

 人生で1番大きな声が出たかもしれない。他にお客さんがいなくてよかった……

 朝倉さんの表情を恐る恐る覗く。もう心臓が張り裂けそうだった。今すぐ逃げ出してしまいたい。でも店を出るには会計を済ませないといけない。多分そういう問題じゃない。

 朝倉さんは目を丸くして固まっていた。まるで私の言っていることが理解できないみたいに。

 まあ好きになった人が実はクラスメイトでしたなんてそうそう信じられないか……正直気づかないのもどうかと思うけど……

 それでも朝倉さんは名前も年齢も、恋人の有無もわからない人に勇気を出して告白したんだ。その勇気を無下にするなんて絶対にできない。

「あの、ごめんなさい。ずっと黙ってて」

 沈黙に耐えられなくなって声を出した。その声音は完全に普段の菊田夕美に戻っていた。きっと信じてもらえるはず。

「…………ぇ」

 ようやく声が漏れたかと思うと、朝倉さんの顔がみるみる赤くなる。こんなにくっきり紅潮していくことあるんだ……とまじまじと眺めてしまった。

 ガタッ! と突然朝倉さんが立ち上がり、早足でバックヤードに行ってしまった。

 ……え? 私どうすればいい? 待ってればいいの?

 一人取り残され、店内には完全に私一人になってしまった。これでは帰ることもできない。ので待つしかないことは明らかだった。

 やっぱり傷つけちゃったよね……こんなことなら最初から打ち明けておけばよかったんだ。気づかれてないのをいいことに他人の振りをして、一方的に相手のことをわかっている事に優越感を覚えて。朝倉さんの気持ちなんて全く考えてなかった。

 こんなんじゃ友達を作るなんてできなくて当然だ。とんだ身の程知らずだった。

 どうやって謝ろうか考えていると、朝倉さんが戻ってきた。安心すると同時に、恐怖心が頭を埋め尽くす。顔を直視できない。朝倉さんは深く呼吸をしながら向かいの席に座った。

「あの、菊田さん、なんだよね」

「は、はい!」

 店員の朝倉さんはいなくなって、クラスメイトの朝倉さんが帰ってきたようだ。でも顔はまだほんのり赤いままだった。

「ごめん、急にいなくなったりして。ちょっとびっくりしちゃって」

「こ、こっちこそ本当にごめんなさい! 騙すようなことして!」

「ううん、気づかなかった私が悪いの」

 自嘲っぽく笑うその顔に胸が締め付けられる。

「そんなわけ! 悪いのは私で……」

「菊田さん」

 遮るように名前を呼ばれ、真っ直ぐと見つめられる。

 何を言われても受け止める。覚悟を決めて次の言葉を待つ。

「改めて言うよ。私、あなたのことが好き」

 朝倉さんは私を見つめたまま、瞳を揺らしながらそう告げた。

 ……え? え?

「恋人は無理でも、お友達に、なりたい」

「待って! 私は朝倉さんのこと……」

「あなたが菊田さんだって知って、驚いたし、恥ずかしかったけど……でも、嬉しかった。好きな人が想像よりもずっと身近にいてくれたわけだし」

「でも、だって! 朝倉さんが好きになってくれたのは、偽物の私で」

「――じゃあ、本当の菊田さんも教えてよ」

 恥ずかしそうに、でも真っ直ぐにそう伝える朝倉さんは、今まで見た色々な彼女の表情の中でも、一番綺麗に見えた。

 彼女の優しさを、好意を、受け入れてもいいのだろうか。

 私は気づけば涙を流していた。

「……私なんかでいいなら」

 私はボロボロと流れ続ける涙を拭って、下手くそな笑顔を無理やり作って言う。

「私の恋人になってください」

 せっかくのメイクが落ちちゃうな。でも、彼女が幸せそうに笑ってくれているから、そんなことはどうでもいいなと思った。


「夕美、そろそろ交代だって」

「あ、うん。わかった」

 文化祭当日。私と朝倉さん、もとい五十鈴は朝一のシフトを終え、自由時間となった。

 恋人と一緒に文化祭を回るというイベントが自分の人生に存在したことが信じられない。

 あの日、あの後、私たちは晴れて恋人同士となった。

 いきなり恋人にならなくても、と冷静になってからは思ったけど、私も彼女に惹かれてしまった結果だった。

 まさか友達を作ろうと奮闘した結果恋人ができるなんて……とは言っても恋人らしいことはまだ何もできていない。ていうか恋人らしいことって何?友達らしいことすらわからないんですけど。

 相変わらず私たちは学校ではあまり喋らない。下校時に少し喋るぐらいだ。喫茶店ではたくさん話すんだけど。

 変わったことと言えば、まずお互いの呼び方だ。名前で呼び合おうと言い出したのは五十鈴で、私は今でも癖で朝倉さんと呼んでしまうことが多い。その度に無視を決め込む五十鈴はちょっと子供っぽくてかわいい。

「やっぱり眼鏡ない方が綺麗だと思う」

「そ、そう?ありがとう」

 もう1つ変わったのは、私の格好だ。

 あの姿で学校に来るのはもちろん無理だけど、マスクを外し、髪を解いて、眼鏡をコンタクトに変える、という変化を今日までかけて少しずつ施した。今朝コンタクトで来た私を見て、皆見さんも驚きつつも「いいね」と笑いかけてくれた。

「なんか、カップル多くない?」

 五十鈴が言う。

「確かに」

 この学校にこんなにたくさんカップルがいたのかというほど、仲良さそうに歩く男女ペアがたくさんいる。

 まあ私らもカップルなんですけどね! 傍から見たら文化祭準備でちょっと仲良くなった友達同士ぐらいにしか思われないだろうけど。

 しばらく適当に歩いて、展示物を見たり、美味しそうな食べ物を買って食べたりしていた。

 ……なんか五十鈴の元気がない気がする。普段から学校では笑わないしあまり話さないけど、私と二人でいる時は、少しだけど楽しそうにしてくれていたのに。

「五十鈴、あんまり楽しくない?」

「え? そんなことないけど」

「ほんと?」

 五十鈴はうん、と答えるも、とても楽しそうな顔には見えない。

 確かに少し前の五十鈴なら、文化祭なんて興味もなさそうだったけど、その、私が一緒なんだし、ちょっとは楽しんでくれるかなと思ってたんだけどな。

「ねぇ……手、繋がない」

「……え?」

 独り言みたいな五十鈴の言葉は、理解するのに少し時間がかかった。

「嫌だったら、いいけど」

 もちろん嫌なわけがない! けど、こんなにたくさん人がいる中で手を繋ぐとなると、クラスメイト達にどう思われるだろうか。

 ――少し考えて、私は思い切って五十鈴の手を取った。彼女の手は想像よりもずっと温かく、柔らかい。女子同士のよくあるスキンシップみたいなのも経験してきていない私は、もうどうにかなってしまいそうだった。

「いいの?」

 そう問いかける彼女の瞳が嬉しそうに見えたのは、きっと気のせいじゃない。

「うん。恋人同士なんだし」

 自分に言い聞かせるようにそう言うと、五十鈴もぎゅっと手を握り返してきた。心臓が一層高鳴る。

 恋人同士なら手ぐらい平然と繋ぐものなんだろうけど、私たちはその一歩を踏み出すのに2週間以上かけてしまった。

 先が思いやられると思うけど、この速度がなんだか心地良いとも思う。

 時間をかけて少しずつ、マスクを外して、髪を解いて、コンタクトに変えたみたいに、二人で少しずつ変わっていけたらいいと思う。今日はその一歩目だ。

 まだただの友達同士みたいなものだけど、来年の文化祭では、そこらに溢れてるカップルのうちの一組になれるように。

「五十鈴、好き」

 恥ずかしくて言えていなかった言葉を、彼女にしか聞こえないようにそっと呟く。繋いだ手に汗が滲むのがわかる。嫌がられないかな……

 すると五十鈴は肩がくっつくぐらい距離を詰めて、小さな声で

「私も、大好き」

 って。

 五十鈴は頬を少し赤くして、学校で普段は絶対見せないような笑顔を浮かべていた。

 私はあの時、彼女の笑顔を求めて喫茶店に通っていた。

 当時求めていたそれよりも、今の彼女の笑顔はかわいくて、幸せで、大好きだ。

 私は手が離れないように握る力を強めて、はやる鼓動に急かされるように早歩きで彼女の手を引いた。

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