第7話 Real feeling 〜②
先生の所へこんなにも足取り重く向かうのは初めての事だった。
空を見上げると、少し前まで見えていた太陽が分厚い雲に邪魔されて今は全く見えない。
社会科準備室のドアをノックするとすぐに返事が聞こえて、私は恐る恐る扉を開けた。
「田村さん、わざわざ来て貰ってすみません」
どこか他人行儀に私を呼ぶ声に違和感がある。
(良くない話って事か……)
いつだって嫌な予感はよく当たる。小さくため息をついて中へ入った。
「今日は手伝ってくれてありがとう」
「青葉さんもいたので特に問題も無く終わりました」
「体育祭の時にも思ったけど、青葉さんと仲良くなったみたいだね」
優しいけれど親しみを感じない声。それを聞くだけでなんだか悲しくなってしまう。
「本当はあの日のうちに先生に話したかったんだけど、体育祭を見学した時に少し仲良くなれたの。今日の手伝いも一緒で、夏休み中に泊まりに行く約束もしたんだ」
「田村さんには…」
「澪。」
「……澪には高校生が感じるような普通の幸せをもっと経験して欲しい。例えば青葉さんとの友情もそうだけど、高校最後の夏休みは僕とじゃなくて同世代の生徒と沢山思い出を作って欲しいんだ」
「普通の幸せって何それ。別に私、そんなの望んでないよ」
困らせるつもりは無かったけれどすんなり納得出来るはずもない。
辛そうな表情の先生を真っ直ぐ見ていられなくて思わず視線を下ろしたら、見覚えのある青い傘の柄が目に入った。
(あぁ、そうだ。この場所に初めて来た時と同じネクタイ……)
「ねぇ、先生。私は先生を困らせてるんだよね。私の事、もう好きじゃない?」
「そんな事はない。悪いのは僕で…そう、初めから全部僕が悪い」
「先生はズルいよ。私はもう、この気持ちを無かった事には出来ない」
気まずい沈黙の中、何か言おうとした先生の声を窓を叩く雨音が搔き消す。
(いつの間にか降ってたんだ…やっぱり私たちは、雨の日に縁があるんだなぁ…)
ここで終わらせる訳にはいかないと、私はまた話を切り出した。
「この前、体育祭の日に森永先生に言われたの。私が先生を振り回してるって。先生にとって私との事は、危険でしかないって」
「そうだね。あの時僕もそれを聞いてたんだ。もともと森永先生と一服しようとしていて、僕は飲み物を買いに行ってた時だったから」
「わざと先生にも聞かせたって事?」
「まぁ、森永先生なりの優しさなのかもしれない。森永先生は澪には僕に対するリスクだけ話してたよね」
「そうだったと思う」
あの日言われた事はあまりに悔しくてしっかりと覚えていたけれど、改めて思い返しながらそう答えた。
「森永先生はあの後、澪が今までどれほど頑張ってきているのかだとか、僕との事…これは彼に何か話したわけではないけど気付いている部分はあって、もしも僕たちの事が露呈してしまった時に澪が受けるだろう代償を話してくれた。学校での立場は勿論、世間から向けられる中傷だとか。そしてこれからの澪の人生についても。森永先生も高校生の頃に事故で親御さんを亡くして、奨学金で大学に通って教師になったんだ。多感な時期に親を亡くした辛さだとかは、僕よりきっと彼の方が理解してくれる」
母の事故の後、担任やこの学校のメンタルヘルスの担当者が森永先生に相談すると良いと言ってきたのはそれがあったからなのか。今更ながらに納得する。
でもやっぱり大人は分かってない。
私は同じ境遇の人に苦労を話したかったわけでも、誰かに理解して欲しかったわけでもないからだ。
「私は他の誰でもない青島先生に救われたの。辛い時に優しくされたからってことじゃなくて、ただ気が付いたら好きになってた。それじゃダメなの?」
「それが間違ってるってわけじゃないんだ。だけど……いや、きっとそれじゃ」
「誰との思い出を作りたいかなんて、他の人が決める事じゃないでしょう?」
「あぁ、そうだよね……澪は強いな。僕は全然ダメだな」
「先生の本当の気持ちが聞きたい」
深呼吸をしてから先生は言った。
「僕は澪が好きだ。これから先、君は…いや、僕たちは沢山の困難に見舞われるかもしれない。それでも僕は君を諦めたくない。弱くて頼りないこんな僕でもいい?」
「私は先生がいいの」
駆け寄って思い切り抱きつくと、先生は力強く抱きしめてくれた。
重なる心音と陽だまりみたいにあたたかい体温にホッとする。
「これって喧嘩かな」
そう言うと先生が穏やかに「そうかもしれない」と笑った。
「初めてちゃんと喧嘩して、初めてちゃんと向き合えた気がする」
「澪。今回の事、本当にごめん」
「本当だよ。でも、許してあげる」
私は少し背伸びをして先生にキスをした。
さっきまでの雨はもう止んでいる。
(通り雨だったんだ)
うっすらとだけど綺麗な虹が見えて、なんだか心も晴れ渡っていたー
雨と涙の色は 桐谷綾/キリタニリョウ @kiritaniryo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。雨と涙の色はの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます