いきるんです 一話完結

大枝 岳志

いきるんです

 生きて行く上で必要な金は全て使い果たした。それも、大した額じゃなかった。業者を呼んで部屋を片して、残ったのは三万円とちょっと。それが俺の全財産だった。アホみたいに馬と自転車につぎ込み、呆気なく溶かした。

 人はいつか必ず死ぬ。死ぬ為に生きて来たんだと思うと、何もかもがどうでも良くなってしまった。社会的安定、偽りの平和、どこまで行っても続く競争社会、身内に刺される背中。

 絶望に陥った理由はないが、理由をつけようとすれば何だってつけられた。皆が目を逸らしているだけで、この世界ではあちこちで絶望のバーゲンセールをやっているんだと知ってしまった。適当な場所でつま先を蹴り上げれば何処にだって絶望が転がっている。


 恋人にフラれ、部屋を出て行った彼女は半年後に結婚をした。それでも日課のように彼女のフェイスブックを覗いたある日、子供が出来たという報告を見て俺は画面を閉じた。

 人の幸せを願えない人間は、人に幸せを願われることはない。

 俺がそうで、俺はこれからもきっとそうだと思った。だから、もう死んでしまおうと考えた。

 それと、金を稼いで金を使うことが馬鹿馬鹿しくなっていた。辛いのを我慢して時間を金に換え、金で自由を買って嬉しいと束の間喜ぶ、人生はその繰り返し。

 長い時間を掛けた、飴と鞭。


 は? 


 そんな命の自転車操業のような日常から逸脱したくて、時代遅れの共産主義の集まりにだって顔を出した。自分達の理想を口角に泡を溜めながら声高に喋る風景を見て、心が冷え切って行くのを感じてしまった。馬鹿が理想を語る時間ほど、眠たくなるものはない。当然、話の最中に席を立った。


「何処に行くんですか!?」


 書記官だか何だかっていう、まだ大学生のションベン臭そうな女が立ち上がった俺を見てそんな事を抜かした。だから、返してやった。


「俺も知らねぇよ」


 心は一ミリも動かなかった。右も左も、結局のところ糞は糞で変わりないんだと分かった。心は出不精になった。目の前を歩く人間の頭が突然吹き飛んだとしても、そんなもんだろうとなんだか納得してしまいそうだ。

 あー、飽きた飽きた。そう、飽きたんだ。絶望したなんてカッコいい理由じゃないんだ。ただ、生きることに心底飽きてしまったんだ。

 朝八時十分に乗る満員のホームを見るたびに、吐き気がした。駅前のロータリーの光景もそう。いつも入るコンビニの中国人の店員もそう。吸殻の散らかる「JT」のロゴの入った喫煙所の灰皿も、近所の路地で毎度同じタイミングで歩く俺と擦れ違う黄色い車も、よく吼える向かいの家の真っ白い犬も、何もかも全部、見るたびに吐き気を覚えた。


 分かりやすいことしか理解が出来なくなって、分かりやすい方法で会社を辞めた。人事部長に直接内線で電話を掛けて辞意を伝えた。ピタリと会社へ行かなくなったけど、ありがたいことに後を追って来る誰かの姿は何処にもなかった。

 最後の飯は白い握り飯。具はなし、塩のみ。それと水のペットボトルを持って、死に場所を探した。ホームで電車を五本見送った。何度か挑戦したみたけど、流石に他人に迷惑は掛けられないと思った。そう、まだ心が生きている時に同僚としょっちゅう言っていたっけ。


「はぁ!? また人身かよ、ふざけんなよ! 誰だよ飛び込んだ奴よぉ、死ねよ!」

「ははは! とっくに死んでるよ!」


 そんな会話がホームの突端に立つと妙にリアルに蘇った。

 それでも時間だけは過ぎて行って、気が付けば深夜になっていた。桜も散った後の公園のベンチに座り、行き交う人をただぼんやり眺めていた。頭の禿げた親父共が千鳥足でやって来て、桜の木を指差した。


「あれぇ!? もうお花咲いてないのぉ!? 花見できねぇじゃねぇか!」


 テメェの頭の中にいっぱい咲いてんだろ。そう思ったけど、奴らは何だかとても幸せそうに見えた。俺は別に幸せを求めてはなかったけれど、せめて凪いでいたかった。ただ、それだけで良かったんだ。自分が感じるこの世界があまりにも煩過ぎて、色々無理なんだと悟ったふりをした。


 空気がぬかるんでいる、そう思っていたらぽつぽつと雨が降り出した。暖かな空気に混じるアルファルトが濡れた匂いが心地よくて、そのまま穏やかに死ねそうな気がした。

 辺りで一番高い歩道橋。その下を見下ろせば深夜にも関わらず大型トラックが激しく行き交っていた。これなら、きっと死ねるだろう。

 どのタイミングで飛び込もうか考えながら見下ろしてみた。時速六十キロで走る鉄の塊がこの体を砕いて行くのを想像した。右肩、首、頬骨、頭蓋骨、背骨、大腿骨……たぶん、すぐに死ねるはず。

 そうやっていつの間にか躊躇っている自分に嫌気がさした頃、声を掛けられた。


「早くしてよ」


 振り返ると、びしょびしょに濡れたオカマが立っていた。マスカラは雨で流れ、金髪のアフロのカツラが頭から取れかけていた。スパンコールのドレスを着たオカマは、じっと俺を見つめていた。それも、なんだか怒っているような感じがした。


「オカマじゃん」


 俺がそう言うと、オカマはデカイ声で


「ドラァグクィーンよ!」


 そう言った。そしてすぐに、「順番待ちしてんのよ」とも。俺よりも野太い声をしていた。何があったら一体、こんな化け物みたいな奴が自ら命を落とそうと思うんだろうか。俺は気になった。しかし、オカマは俺を待ってはくれなかった。


「あんた行かないんだったらアタシ先に行くから、どいてよ!」

「えっと……死ぬんですか?」

「当たり前でしょ!? ひどいことがあったのよ、もう生きていけないわ! 死なないなら早くどいて!」


 オカマは物凄い腕力で俺の腕を掴んで引っ張った。あまりに強力で、俺は足元をふらつかせて地面に転がった。濡れた地面の冷たさが少しだけ心地良く感じた。

 一瞬だけ下を見たオカマは大股で足を手すりに掛けると、こっちを振り返って大きな声で叫んだ。


「これがアタシの生き様だよ! 見とけよ!」


 そう言って、本当に飛び降りてしまった。地面に吸い込まれるみたいに、オカマはスッと目の前から消えて行った。飛んだ瞬間に金髪のカツラが外れ、本体にワンテンポ遅れて一緒に落ちていった。心が瞬間的にざわついた。まずい、と思った。しかし、それからすぐに声が聞こえて来た。


「いったぁーい! 死んじゃうー! 救急車ー! 誰か救急車呼んでぇー!」


 オカマはガラ空きの大通りのド真ん中で転げ回っていた。それを見て、なんだか安心してしまった。あぁ、まだ安心出来るんだ。

 そう思った俺は救急車を呼んで、オカマの前で停まったトラックのドライバーと一緒にオカマを安全な場所に避難させた。オカマの左足は変な方向へ曲がっていたけれど、必死にドライバーの胸元を掴みながら


「ええ!? いい男! いったぁーい!! えぇっ!? いい男!」


 と連呼していた。


 救急車に乗り込んだオカマを見送ると、俺は再び歩き出した。

 死のうとすることに飽きてんだな。じゃあ生きるか。そう思って、家に帰ることにした。雨はとっくに上がっていた。

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いきるんです 一話完結 大枝 岳志 @ooedatakeshi

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