第26話 明星、色命数士の本領を説く

 明星の手にはすでに『三青サンジョウ』の力が宿っている『色符』が握りしめられている。


「月桂さん早く! 全身『九黒クコク』まみれになりたくないでしょ? あれを被っちゃったら流石に死んじゃうけど、『神仙水』のみそぎぎょうでも死にたくなるような目に遭うから早くして!」


「わ、わかった。『三青サンジョウ』だな」


 明星に急かされ、月桂は左袖を探り手持ちの『色符』を取り出した。全部で十枚ある。月桂は花琳かりんの遺した命数筆めいすうふでを髪に挿し、孔雀の羽で作った自分の筆をまげから引き抜いた。


、四天より流れし水は満ち満ちて。溢れし水は蒼海となる――『三青サンジョウ』!」


 月桂は『色符』を束にして、一番上のそれに色命数の【三】を書きつけた。一枚一枚書く時間はない。だから十枚分の生気を込めて『色符』に吸い込ませたのだ。


「明星、受け取れ!」

「ありがとう! これでなんとかなるぞ」


 白い袖を振り上げて、明星が『色符』の束をつかみ取る。

 一本の三つ編みにした長い白金の髪を舞わせながら、明星は月桂に背を向けた。

 洞窟の入口からどろりと『九黒クコク』の気が流れて、明星を今にも飲み込みそうだ。気のせいだろうか。『九黒クコク』の気の塊が、まるで人の形のように見えたのは――。


 けれど明星は気にしていないのか、『三青サンジョウ』の力が召喚されて青く光る『色符』をそれぞれ手に持ち、いつになく不気味な笑みを浮かべていた。まるで『九黒クコク』に見せつけるかのように。


「ねえ、知ってる? 色命数士しきめいすうしの本領っていうのはね……数が多ければ多いほど、なるんだ」


 明星が十枚の『色符』をひゅっと宙に放り投げる。それらは明星と『九黒クコク』の間で、境界線を引くように浮いて静止した。


「一枚より。二枚より! ええいめんどくさい! 一気に喰らえっ!」


 『三青サンジョウ』の力が込められた『色符』からは、一斉に大量の水が流れ落ちてまさに『水の壁』が出現した。


 バスッ!

 人型をとった『九黒クコク』の右拳が『水の壁』にめり込んだ。だが『三青サンジョウ』の力が溢れる水は『九黒』の拳を圧倒的な水量で押し流す。


「やった!」


 月桂は思わず拳を握りしめて声を上げた。

九黒クコク』はこの水の壁を超えることができない。

 明星は洞窟の入口から約一間半(約2.7メートル)離れた所に水の壁を作り、『九黒クコク』が漏れ出ないようにしたのだ。すると『九黒クコク』は人型をやめて煙のように上へと昇り始めた。


「明星! 『九黒クコク』が上の隙間から出るぞ」

「わかってる」


 明星の手には薄紫色に光る『五紫ゴシ』の力が込められた『色符』が一枚握りしめられていた。


「臭いものには蓋をしないとね!!」


 紫の光を纏いながら明星の手から離れた『五紫クコク』の『色符』が水の壁の真上で眩い輝きを放つ。それは『三青サンジョウ』の水を、上へ上へと吸い上げて、水の壁でできた『檻』となったのだ。

五紫ゴシ』は風と空間を司る。それで水の流れを上にも向けることで、明星は完全に『九黒クコク』を閉じ込めることに成功したのだ。


 バシャン! バシャッ!

 『九黒クコク』が水の壁に向かって突進を何度も繰り返す。黒い竜巻のように旋回しながらぶつかっていく。けれど流れ落ちる水はそれを押しとどめている。

 だが。十枚の『三青サンジョウ』の『色符』から流れる水の量がみるみる減って勢いが衰えていくではないか。

 月桂は目を見開いた。澄んだ青い水までもが透明度を失い暗く、濁っていく……。

 『九黒クコク』が水の中へ入り込んでいる。


「『九黒クコク』は、すべての色をする……」


 すべての命を吸い取ってしまう。

 月桂は足元の大地を見つめた。

 『九黒クコク』に命を吸い取られて、抜け殻のようになってしまった故郷の土を。乾ききって干からびて。虚しい音を響かせるだけとなってしまったそれを。


「ふざけるなよ……!」


 怒声と共に明星が右手を『三青サンジョウ』の作り出す滝の中へ突っ込んだ。

 すると水は、泥水のような状態から、元の清らかさと輝きを取り戻していくではないか。さながら、生気が蘇ったかのように。


「明星、! 早く腕を水から抜くんだ!」


 月桂は駆け寄って明星の右腕を掴み引っ張る。だがピクリとも動かない。まるで岩にでもなったかのようだ。

 

「ふふっ……まさか、こんな力比べをする羽目になろうとはね」

「何をしている! このままではお前の生気がすべて『九黒クコク』に奪われてしまうぞ!」


 生命の泉を思わせる色をした、明星の瞳が月桂を静かに見つめた。


「大丈夫。俺は本当に、人の何千倍もある生気の持ち主だから」

「ばっ、馬鹿者! だからって無限ではないだろう! お前は『九黒クコク』を封じるために、ずっとこうしているつもりなのか!」


 明星は困ったように眉間を寄せた。


「問題はなんだよね。俺の生気は……信じられないだろうけど、本当に無限に近いくらいあるから心配ないんだ。だから頼みがあるんだ。月桂さん」


 明星は肩に流れ落ちる自らの白金の髪を左手でつまみあげた。


「『命精筆めいせいふで』を作って欲しいんだ。西陵の地下に溢れる『九黒クコク』の気を吸い取るために。水城みずきに戻って新たな『命石いのちいし』を手に入れてよ。俺はここで『九黒クコク』を食い止める。月桂さんが来るまで待ってる。さっ、俺の髪を持って行って」


「明星……」


 月桂はただ明星の決意に満ちた横顔を見つめる事しかできなかった。

 

「明星。お前の言う事はもっともだ。だが、私は……」

「何迷ってるの? 『命精筆』を作れるのは月桂さんしかいないように、『九黒クコク』を抑えることができるのは俺しかいないんだよ。俺達は自分が今できることをしなくちゃいけない。そうでしょ?」


 明星は『佩玉』と一緒に腰帯に下げていた袋から細い小刀を取り出していた。口で小刀の柄を咥えて左手で抜き放つ。


「……わかった。お前の厚意を無駄にしない」


 月桂は明星から小刀を受け取り、彼の一本に編まれた三つ編みの束に刃を当てた。


「ばっさりいっちゃってよ」

「いいのか?」

「うん。またすぐに伸びるから」

「では遠慮なく」


 月桂は明星の首元から一気に髪を切り落とした。切り離された髪は風に靡きながら、水の飛沫と共にキラキラと光っている。

 絹糸の束のように美しい輝き。思わず目を奪われた。


「あああっ!」

「なっ、なんだ?」


 突如明星が奇声を上げた。


「げっ……月桂さん! そんなに切っちゃったの!? まさか首元から?」


 明らかに衝撃を受けた様子で明星が叫ぶ。

 肩に流れ落ちていた髪は、無理矢理切り落としたせいで毛先が揃っていない。

 明星が露わになったうなじに左手を当てて長さを確かめている。


「俺の髪、そんなに沢山いるの? 『命精筆めいせいふで』を一体作る気なの!?」

「あ、ああ……すまない。実はこれだけの長さが必要なのだ」

「ええっ?」


 明星の顔が理解に苦しむといわんばかりに引きつっている。

 月桂は内心思った。ばっさりいってくれと。そう言ったのを確かにこの耳で聞いたのだが――。


「俺の髪、優に四尺(120センチ)はあるよ」

「筆先の長さは一尺(30センチ)にしようと思っている」


「そ、そんなに大きい筆を作るのぉ!? というか、それって筆じゃなくてほうきじゃない!?」

「箒か……まあ、『九黒クコク』っていうほこりを掃除するからなあ。あながち間違いではないかも」


「月桂さん……」


 明星は疲れたように、だが呆れたように口元を歪めた。


「大掃除だね」

「そうだな」


 月桂は静かに頷いて笑みを返した。


「じゃあ、後は『命石』だね」

「ああ。実は一番それが問題なのだが……」


 月桂は腕を組んで水の檻に捕らえている『九黒クコク』のもやを睨みつけた。明星が自らの生気を送り続けることで、水の檻は壊れないように維持されている。けれどそれだけ『九黒クコク』は力を吸い続けるのだ。

 そして明星の命を守るためにも、『命精筆』を急いで完成させなければならない。

 『命数筆めいすうふで』千本の中に見つかるかもしれないという『命石』を。


『――私を使えばいい。月桂』


 突如、懐かしい花琳かりんの声が周囲に響いた。


婆様ばばさま!?」


 岩山の方へ飛んでいた花琳かりん魂魄こんぱくが、蛍のように黄色い光を明滅させながら月桂の所に戻ってきた。すうっと月桂の髪へ近づく。

 月桂のまげには、水晶で作られた花琳の『命数筆』が挿してある。

 花の蜜を吸う蝶のように、花琳の魂魄は筆先へ止まった。


『『命石』はここにある。それで『命精筆めいせいふで』を作って、明星を助けてやるんだよ』

「婆様、いけません! それでは、婆様の魂は本当に消えてしまいます!」

『……』


 月桂は髷に挿した花琳の『命数筆』を引き抜いた。だが花琳の魂魄は筆先からすでに中へ入った後だった。透明な水晶の筆に虹色の光が満ちていく。あまりの眩さに月桂は目を閉じた。


 そして光が収まった後。再び瞼を開いてみると。

 花琳の『命数筆』全体が、『命石』と化していたのだった。

 まるで花琳の魂を水晶の中に閉じ込めたように。それは赤や緑。黄色や青、紫、金色と。生きとし生ける八色の命の色に輝いていたのだった。


「婆様……ありがとう、ございます……」


 月桂は両手でそれを握りしめて胸に押し付けた。

 花琳がまるで自分を包み込むように抱擁してくれているような気がした。


「月桂さん。これで材料は揃ったね?」


 八色の命の色に輝く婆様の『命石』と、明星の生気に満ちた美しい髪。

 その二つを手にして月桂は黙ったまま深く頷いた。

 自分が為さねばならない事の責任の重さに、すぐに言葉が出てこない。

 月桂はごくりと生唾を飲みこんで、ようやく顔を上げた。

 『九黒クコク』が水の生命力を吸い取る同じ早さで、明星の右手を通じて流れ出る生気が、それに再び命を与えている。一刻の猶予もない。


「ああ。むらに戻ってすぐ『命精筆めいせいふで』を作る。ちょっと時間がかかるかもしれないが、できるだけ

「わかったよ。あ、邑に戻るんならお願いがあるんだけど」


 ぐぅぅうう。きゅるるるる~。

 明星の腹が盛大に鳴った。

 

「月桂さん。俺が南天楼なんてんろうで買ってきたお菓子、ここに持ってきてくれない? 袋を邑に置いてきちゃった。実は、生気を奪われるとすぐにお腹が減っちゃうんだ……」


「えっ?」


「初めて会った時……ほら、月桂さんが俺を水路から助けてくれた時も……。水城の伽藍の地下で、『九黒クコク』を封じるために術をかけ続けていたから、お腹が減りすぎて意識が遠くなったんだ」


 明星は、にへら~と気弱な笑みを浮かべて左手で腹をさすった。


「じゃあ、師匠に『命精筆』で生気を抜かれた後。ぐったりしていたのは、生気がなくなったせいではなくて……」


「そういうこと。お菓子が無いと空腹で死んじゃうよ~俺」

「明星。食料は確かに必要だ。邑に着いたら神樹に頼んですぐに届けさせる」

「うん。それまで南天楼の桃まんの味を思い出しながら待ってる」


 月桂は思わずぷっと吹き出した。

 桃まんの味を思い出していたらなおのこと、空腹感がつのるだろうに。


「じゃあ、急いで邑まで戻るから、それまで辛抱してくれ。明星」


 月桂はいそいそと明星の髪と婆様の『命石』を、肩に掛けていた水色の布袋にしまい込んだ。


「あ、月桂さん。言い忘れた。ちょっとこっちに来て」

「なんだ?」


 明星に近づくと、目の前にぱっと『色符』が差し出された。


「これはね、俺が持っていた最後の『色符いちまい』。じゃ、月桂さんを西陵の邑まで送ってあげるから」

「あっ! 明星……っ!」

「『五紫ゴシ』の風よ、超高速でどーんと飛んでいけ!」


 明星が満面の笑みを浮かべて、淡く紫色に光る『色符』を月桂の足元へ投げつける。月桂の体は両腕で誰かに持ち上げられるように空へと浮いた。

 否。巨人に背中を掴まれて、投げ飛ばされたような勢いだった。

 天と地がひっくり返ってぐるぐる回る視界の中。最後に聞こえた明星の声は。


「まん丸☆月餅、早く食べたい~!」


 やっぱり買っていたのか。

 諦めたと言っていたのに。

 月桂の意識はそこで途切れた。






第三章 -終わり-


次回より新章に入ります。

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月桂の筆 ~八色の命の光を灯す者~ 天柳李海 @shipswheel

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