第4話 息子のためを思って
私は鏡の前で、疲れ切った自分の顔と睨めっこした。
もし、凛太郎がまた200位より下になったら……。
あの会でこき下ろされ、陰口を叩かれるのだろうか。
島木さんや水沢さんにも?
そう思うと急に怖くなってきた。
悪口は怖い。親しい人に見捨てられるのは怖い。
でも、それより何より、ママ友会でこき下ろされないようにという目的で、息子に無理に勉強をさせてしまいそうな、自分自身が怖かった。
──順位も成績も子どものものです。
何故か深井さんの言葉が蘇ってきた。
もう、限界かもしれない。
自分を偽るのは。
そうだ、私はママ友会で楽しくやっていきたくて、だから凛太郎にいい成績を取って欲しかった。もちろんそれだけではないけれど、確かにそういう一面はあった。
──ママ友の間で自慢できるから?
違うとはもう言えなかった。
悲しくなってきた。
……認めよう。あの200位以上の子を持つママ友会のみんなは、醜かった。息子の努力は息子自身のものなのに、それを自分のステータスとして利用していた自分の姿も、確かに醜かった。
もう、あのママ友会には行くまい。あそこに行くのを断ったら、島木さんと水沢さんとの関係も悪くなるに決まっているけれど、それも仕方がない。
寂しいが、これは必要な決断だ。あの子のために。
私はささっと化粧を直すと、トボトボとコンビニのトイレを出た。そしてドアを出て駐車場を歩いていたところに、思いがけない姿を目にした。
背の高い、すらりとした立ち姿。
こちらに背を向けてスマホを見ている。
……何で、こんな時に。
私はそっと前に回って、声をかけた。
「あのー、深井さんですか?」
「?」
彼女は顔を上げた。
「あの、凛太郎の母の瀬川です。先日はお世話になりました」
「ああ、柚希と友達の……」
深井さんはようやく思い出したように、前髪を払った。そして頭を下げた。
「いつも息子がお世話になってます」
「いえっ、そんな、こちらこそ」
私は苦い思いが胸に広がるのを感じた。
そうか、凛太郎と柚希くんは仲が良かったのか。そんなことすら知らなかった。私が凛太郎の勉強のことばかり口出しして、友達や部活のことなんかあまり聞かなかったから……。
「お買い物ですか?」
「ええ、少し。瀬川さんは?」
「えーっと」
私は少し迷ったが、正直に言うことにした。
「実は島木さんたちに、ママ友会というのに誘われまして、行ってみたんですが……」
「ああ」
それから私は息を吸い込んで、思い切って言った。
「でも何か怖くなっちゃって。もう行くのやめようかなって思ってたところなんです」
「そうなんですか。まあ、あの方たち、くだらない話しかしませんもんね」
ズバッと言われて、私はまたしても鼻白んだ。
「くだらないっていうか……子どもの成績の話でしたけど」
「誰のランキングが高いとか低いとか、比べ合う話だったでしょう。私は正直、他人の子の成績に興味ないんで、すぐに距離を取っちゃいました」
「はあ……なるほど」
私はへなっと笑った。
そうか、他人の子どもを引き合いに出して自分のことのように比べ合うから、私は疲れてしまったんだ。関係のない人とのことで見栄を張り合って、競争して、へつらって、神経を張り詰めて……それで気疲れしたんだ。
こんな簡単なことにも気づかなかった。今まで。
「私もあの方々とはちょっと距離を置かせて頂きます。ママ友が減るのは寂しいですけど……」
「? そうですか?」
「はい。おしゃべりするのは好きなので」
「でしたら、今度お茶でもします?」
深井さんは提案した。
「えっ?」
「ママ友会、なくなっちゃったんでしょう? もしお忙しくなければ」
「あっ、それは、是非。でも、いいんですか?」
「何がです?」
「くだらない話っておっしゃってたので」
「別に」
深井さんはおかしそうに笑った。
「成績を比べ合う話はくだらないですけど、おしゃべりがくだらないとは言ってませんよ」
「あっ、そっ、そうですよね」
勝手に、感じの悪い人だと勘違いしていた。人付き合いも悪いものだと思っていた。
だがそれは島木さんたちの価値観においての話であって、私はもう違う。
「じゃあ、今度の日曜日にでも……」
私はスマホを取り出して、カレンダーのアプリを開いた。
***
申し訳ないが、島木さんと水沢さんとは、もうランチ会に行かないことにした。次のお誘いを断ると「あら、そう……」なんて言われて、以降話しかけられなくなった。最初は傷ついたが、今となってはどうでもよくなっていた。
代わりに、深井さんとのおしゃべりで、私は知らないことをたくさん知った。
凛太郎がテニス部でとても頑張っていること。柚希くんは理科部に所属していること。それとは別に凛太郎と柚希くんは、昼休みには仲のいい子たちと外に出て、バレーボールをして遊んでいること。クラスでは凛太郎は、数学の分からない生徒に色々と教えてあげていること。
「そうなんですね。あの子ったらちっとも私にしゃべらないで……。昨日だって、柚希くんってどんな子って聞いたら、結構仲良いよって……初めて言ったくらいなんですよ」
「そうですか。柚希は、凛太郎くんは優しいと言っていますよ」
「やだもう、ありがとうございますー」
「優しいのが一番ですよ」
深井さんは言う。
「やっぱり他人に優しくできるのは一番の長所です」
ストレートに褒められた。お世辞でもなんでもなく。何だかとても誇らしかった。自分が、ではない。息子のことが。
「今度お会いするまでに、息子に色々問いただしてみます。柚希くんとこんなに仲がいいなんて聞いてなかったって。もう、私だけ知らなかったなんて、申し訳ないったら」
「恥ずかしがりますからね、中学生男子は。うちの子は珍しくよくしゃべるタイプなんです。お気になさらず」
「そうなんですねー。色々と聞けて助かります」
おしゃべりは続き、やがてお開きの時間となった。お会計を済ませて店の外に出る。
「今日はたくさん聞けて良かったです。ありがとうございました」
「こちらこそ。お近づきになれて良かったです。またいずれ」
「ええ、そうしましょう」
「では」
スタスタと深井さんはその場を後にした。
深井さん、子どものことを放ったらかしにしてるわけじゃなかったんだ。
勉強を強制しないっていうのはやっぱりかなり変わってると思うし、ちょっとズバズバ言い過ぎなところもあると思うけど、確固たる自分があって、他人と比べたりしないっていうのは、決して悪い感じはしない。
うん、大丈夫だ。
私も、仮に島木さんや水沢さんに息子をこきおろされたところで、怖くなどならない。怒りは覚えるだろうけれど、もう恐ろしく思ったりはしない。
だから、それを理由に凛太郎に向かって怒ったりなんかしない。
それはそれとして、成績アップはして欲しい……でもそれは決して、私が楽しくママ友会を過ごすためじゃない。自分の見栄のためなんかじゃない。そんなことに息子を利用することはもうない。
今こそ真の意味で、息子のためを思って言える。
勉強をがんばってえらかった。引き続き頑張ってもらいたい──と。
おわり
子どもの順位が気になります! 白里りこ @Tomaten
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