今に分かる
――アンと村人の問答は、母の骨を全て返す約束で閉じた。けれど異形の魔物は彼女を抱いたまま、「今ある遺骨の分しか請け負わぬ」と宣言した。
『生かすため』の大義名分は人を殺し、家族に残すべき形見さえも奪う慣習をよしとしていた。同時に『使者』であるアンの家族への差別を。
魔物は「金輪際の取引を停止する。使者を寄越せばそのまま食ってやろう」と村中を脅して消えた。
アンは再び森に連れて行かれ、春の間よく食べよく飲みよく休んで、男に甘やかされて過ごすことになった。
そうして男の立ち会いの元、彼女は小さな父母の墓を建てた。景色のいい丘の上は村が見渡せる。どんな差別を受けようと、村を捨てなかった二人が永遠に見守れるように。
もう、こそこそと骨を隠しておかなくていいのよ、とアンは母に語りかける。
とうさん、ありがとう。あたしを守ってくれて、と父の名をなぞった。
――何も知らず、死を願う少女はもう何処にもいなかった。アンの背は新芽のように伸び、体も胸も希望を蓄えた美しい女性に変わっていた。
緑の風が芳しい夏には、村も再興の兆しを見せ始めた。
赤く色を変えた葉が、男の髪を撫でた。
すっきりと整えられた前髪を秋風が揺らし、眼鏡の縁が静かに陽に照った。透明な膜越し、紫の水面が淡く優しく笑む。
枯れかけた下草に落ちた葉が、微かに音を立てた。
「まさか十六だったとはな、騙された。わざと黙っていただろう」
パシ、とヴィオは石墓を叩いた。
「私はお前が好きだった」
ヴィオは景色のいい丘の上に作られた石墓に葡萄酒をかけ、一塊の燻製肉を置いた。まるでそれは献花の仕草。
「いつも私の鼻がおかしいと心配したな」
男が瓶を呷り、一口含む。耳に着けた薄緑の石が陽に煌めいた。秋の花の匂いに、彼は鼻をひくつかせた。
「お前の言う通りだった。骨を触らなくなって、体調がいい。もう匂いも分かる」
男が低く笑い、また墓に酒をかけた。
「生きてる間は食えなかっただろう。好きなだけあっちで食え。もうお前たちを脅かす者はいまい」
そして石造りの墓をひと撫でし、酒を飲み干した。
「ゆっくり休むがいいエド、ネリ」
「あぁ! ヴィオさん、また肉を置いてる! 鼠に食べられちゃうから勿体ないって言ったのに!」
「……お前が食べたいだけだろう」
ヴィオは穏やかに紫の目を細めた。丘を登り切ったアンが息を切らして「もう!」と頬を膨らませた。父親譲りの表情豊かな瞳に、金髪は母親に似て美しく波打った。
「良かったな、そっくりだ」
「え、何ですか!?」
いや、とヴィオは駆け寄ったアンの耳に指を滑らせた。ん、とくすぐったがる彼女に構わず、そこに飾られた紫の石を撫でる。
男の着ける薄緑の石と同じ色の瞳が、恥ずかし気に伏せた。そしてパッと彼の手を離れ、背を向けた。
「ほら、畑が増えたでしょう? みんな春に向けて頑張ってますね」
「今すぐ焼き野原にするか?」
「話聞いてました?」
「また幻覚で脅すか?」
「何のために!」
「冗談だ」
「もぉヴィオさんの冗談は物騒!」振り返りかけたアンを、ヴィオの腕が抱きしめた。途端に彼女は大人しくなる。耳まで真っ赤だ。
くつくつと笑った彼は腕を緩め、もう何度目かになる言葉を繰り返した。
「山越えは魔術が使えない、危険な道のりだ。村にいた方がいい」
「いいんです、もうこの村に『使者』は必要ないですから。それにあたしもまだ、心からみんなのこと許せてません……」
きっとずっと時間が掛かるから、と彼女は眉を寄せた。
「では森に住めばいい。木箱を置いていく」
「だめですそんなの! みんな必死に働いてるのにあたしだけ楽なんて! それに危険だとしてもヴィオさんと……あ、いや」
アンは口ごもり、えぇとそのえぇと、などと呟く。
ヴィオは静かにそれを見下ろし、空色に溶けるような緑の瞳が見上げるのを待った。間もなく視線は柔らかく絡んだ。
「『石』は本来、死者を永遠に忘れないために家族が身に着けるものだった」
「永遠に?」
そうだ、と肯いたヴィオに、アンは「大丈夫」と肯き返した。
「あたしは石がなくてもどんなに年を取っても、とうさんとかあさんのことは忘れません。ここに眠っていることも! 絶対に」
彼は「私もだ」と肯いた。と同時に、再びヴィオの指はアンの耳朶をすくった。彼女の着ける石は、彼の髪から作った物。
「だから私は、もうお前の家族だろう?」
二人を
「ヴィオさん? えぇと、今……何て?」
くるりとアンが彼の腕の中で向き直った。無防備で純粋な瞳がヴィオを見上げる。その美しさ。
「……山を越えた街にはもっと美味いものがある、と言った」
「行きましょう、今すぐ!」頬を薔薇色に染めたアンが、薄緑の瞳を煌めかせて丘を駆け出した。踊るようにヴィオを呼ぶ。
「『生きている方が美しい』か。まったくだ」
男が歩き始めると、銀の縁に差す陽が何度も少女まで撥ねた。
少女は早く、と手を振る。
自由に駆ける少女の生を決して見逃さぬよう、男は目を細めた。
(了)
銀の縁 ー少女は永遠を知るー micco @micco-s
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