生きている者の方が美しい
「ころ、した?」
アンは耳を疑った。すぐに振り向こうと必死にもがいたが、強くやんわりとした『黒』に包まれて周囲を見ることもできない。
「ネリの骨も不完全だったろう」
――どういうこと!? とうさんは獣に……かあさんの骨は……!
けれどアンはすぐに、黒の中でアッと叫んだ。火葬を施し、渡された骨は革袋一つ分。他の骨はどうなったか思ってもみなかった。
村を覆う闇はまるで雲のように陽を遮り、辺りは凍えるような寒さになっていた。村人たちはみな歯を鳴らして震え、懇願を呟き始める。
「早く答えよ!」
ギィと周囲の闇が濃くなり、何人かが背を反らして顔を歪めた。
「し……仕方なかった! みなが飢えずに済むには、誰かが犠牲になるしかなかった!」
アンは厚い布に遮られて聞こえるような、くぐもった声を聞いた。
――犠牲? 飢えずに……?
「誰かが死なねば金は手に入らない! エドだって事情は知っていたはずだ」
――とうさんは……
「ではお前でも良かっただろう? お前でも、お前でも……その子どもでも……」
闇が男を、女を、そして子どもの鼻先を掠めた。ああああん、と子どもが泣き喚く。
「た、助けてくれ……!」
ひとりを皮切りにみなが叫ぶ。「お願いです」「どうかお情けを!」「命だけは」
顔を覆う者、涙を流して祈りを捧げる者、中には恐怖で失禁し呆然とする者もいた。みな、もはや逃げようともしない。子どもたちだけが顔中を真っ赤にして喚き、大人の腕から逃げようとする。
アンはその声を聞きながら、ただ
不意に、男が囁いた。
「アン。お前はどうしたい」
――あたし?
アンはのろりと顔を上げた。声が上から聞こえたからだ。
彼女を包む黒が少しばかり緩み、頬に温かな何かが触れた。
「お前が望めばエドの仇を取ることも、ネリの残りの骨を取り返してから村中を焼け野原にすることもできる。お前の願いを叶えよう」
「仇?……願い?」
ただ聞こえた言葉を繰り返すアンに、男はそうだ、と返す。
「お前がこの先も村で暮らしたいのなら、手出しができないよう釘を刺すこともできる」
――この村で暮らす?
「どうする」
アンはぎゅう、と黒が体を強く温めたことに気づいた。父と母の名が出てから、頭が上手く回らない。
――殺したい? 骨を取り返す? 村を焼く?……他の人をどうしたらいいかなんて、分からない
でも、と彼女は自分を包む黒を抱き返した。
『今に分かる』と困ったように笑んだ空色がまぶたに映る。
「……あたしは知りたい。本当のことを知りたい……!」
「ならば、語らせよう。私にも真実を知る権利がある」
男はカーテンを開くように、アンの視界を明るくした。
咄嗟に目を瞑ったものの眩しくはなかった。けれど、村人たちが顔を引き攣らせ、突然姿を見せたアンにみな青ざめた顔を向けた。ちっぽけな少女が暗闇の足元から上半身だけを出している様子は、彼女をも異形に見せたのだ。
アンもまた、乱暴を受けた恐怖を思い出し、足が竦む。
――こわい
昼だというのに男の巨大すぎる体で夕闇のように暗く、そして寒かった。震えた彼女の肩を、黒が蠢いて隠した。
「大丈夫か」
顔はなくとも異形の魔物の形をしてしても、それは労りの言葉だと分かった。首まですっぽりと黒に覆われたアンは温かくて素直に肯けた。男に与えられる『不思議』は怖くない。むしろ美味しくて便利で嬉しいものばかりだった。
――ヴィオさんは魔物……本当はまだこわい。でも、やっぱり優しい人だ
唾を飲み、声を震わせて問いかけた。
「とうさんはどうして死んだの? 獣にやられたのは嘘だったの?」
アンの声は男の術によって村中の人の耳に響いた。
「答えろ」
歪み軋む、恐ろしい声が一人ひとりを襲い、男たちが語り出す。
「も、元々エドは病気で弱ってたじゃないか」「エドだけの話じゃない」「みんなのためだった」「『石』がなけりゃ、金がない」
全ての呟きがアンまで届いた。残酷な言葉ばかりが。
「とうさんとかあさんの骨は……」
「エドのはネリが全部もってっただろ!」年かさの男が苛立った顔をした。
「『石にしない』とか抜かしやがって!」「あいつは『使者』の報酬をもらえるくせに!」
「そうだ、『使者』は金がもらえる!」「お前たち家族は他の家で死人が出れば暮らしていけるじゃないか!」「俺たちがネリの骨をもらって備えて何が悪い!」
アンは咄嗟に耳を塞いで首を振った。
――かあさんはお金なんてもってなかった……水も汲ませてくれなかったのに!
ふらついた彼女を黒が支えた。話せば話すほど自分たち家族の味方はいなかったことを知る。
「どうする、みな殺しにするか」
魔物が囁く。
許せない、と言えばきっと、この魔物が村を滅ぼすのだろうと理解した。
「そんなこと、だめです」
勿論、許せなかった。『村のため』と父を殺し、母を死に追い詰めて勝手に骨を持ち去った人たちを。
けれど彼女の顔は俯いた。分からなかったのだ。
「どうしてとうさんなの! かあさんとあたしは冬の間、食べる物がなかった! 村のためなら、あたしたちはどうされてもいいの!?」
叫んだ。けれど答える者はいない。みな、目を逸らし答えようとしなかった。
「アン」
黒が首まで彼女を包んだ。同時に温もる体。
彼女はそこで初めて、自分の名を呼ぶ者がいると気づいた。嘲りでも罵りでもない柔らかい感情で。頭に手が乗った、まるで父と同じ温かさ。
目尻から涙がこぼれた。
――もう、いい
ひとつ男に肯き、アンは最後の質問をした。
「……かあさんの骨は、何処?」
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