もう一度、抱きしめることができたなら。

悠月 星花

もう一度、抱きしめることができたなら。

『誕生日おめでとう!』



 2度と鳴らないはずの彼女からのメール着信音で飛び起き、スマホを確認した。

 毎年、メールをくれていた彼女とは、3ヶ月前に婚約破棄をした。泣いていた彼女を思い出せば胸がギュっと苦しくなる。

 メールを見ながら、共通の友人の話を思い出す。


 伏せってるゆうとったけど、もう、ようなったんやろうか?


 画面を見ながら、返信をするか悩む。予約で自動的に送られて来たものなら、返信なんて女々しいことをして、これ以上嫌われたくなかった。

 ただ、嬉しい気持ちだけは伝えたいと、たった数行、書いたり消したりを繰り返すうちに1時間経っていた。


 悩んでもしゃあない。


 当たり障りのない礼の返信をする。


 長文きたら、完全に危ないヤツやんな?


 送信ボタンを押しながら苦笑した。



『メールおおきに。また、一つ年とってしもたわ! そういや、調子どないや?』



 返事を期待せず、そっとスマホの画面を落とす。間髪入れずの返信で驚いた。



『調子って?』



 もう、数ヶ月も前のことを聞いたのだ。時間が流れ、元気な彼女にとって何のことかわからないようだった。


 そりゃそうやな……時間、止まってんのは俺だけや。


 彼女とその家族に婚約破棄を申し出た日、閻魔さんの前に突き出された気分になったが、そのあとの方がずっと心はキツかった。

 泣き崩れる彼女にかける言葉は、一つもみつからず、俯いて拳を握っていたことだけしか記憶にない。



『熱出して寝込んどったって聞いたさかい、大丈夫かいな? とおもてたんや。なんともないんやったらよかったわ』



 返信に時間はかからなかった。数秒後に届くメール。



『数ヶ月も前やよ? もう、治ってるし! 今は、ぼちぼちしとる!



 ニコちゃんがついて返信がきた。それをみて、ずっと引っかかっていたものがとれホッとした。


 よかった。俺、おらんでもなんとかなってるんやな……ちぃと寂しい気はするけど。女は上書き保存……よう言うたもんや。


「ん?」


 来たメールにエンドラインがない。下に送って行くと空白が延々と続いていく。





 どんなけ改行しとんねん! 思わずメールにツッコむ。彼女らしいお遊びが懐かしい。最後まで見ると文字が入っていた。



                              

 



 あべのハルカス、行きたいわ』



 その文字を見て、終わりにしようとしていたメールも返信を押す。



『いつにする?』





 彼女と天王寺駅中央改札口で待ち合わせをした。何というか、彼女らしいふわふわしたワンピースを着ておっとり、遅れたわ! と照れ笑いする。懐かしいやりとりに胸が熱くなった。


「待った?」

「待ってへん!」

「そう」

「……あのメールなんやねん! 俺とちゃったら、気づかんやろ?」

「ふふっ、気づいてくれるやろ? わかってたし、気づかんかったら、それまでやな思ってたから」


 ニコッと笑う彼女の頭をいつものように撫でようとして腕を上げた。上げたのだが、もう、俺の彼女ではないことを思い出し空を彷徨う手。


「どないしたん? 手はここやろ?」


 彼女がガシッと掴んで自分の頭に持っていく。気持ちよさそうに目を細めた。


「しもたっ! もう、彼女じゃないやん、うち。かんにんなっ!」


 てへっと舌を出し謝る彼女に思わずため息が出た。


「……いや、ええよ」


 俺も撫でたかったしとは続けず、手を戻す。


「ほな、行こか?」


 当たり前のように手を繋ごうとする彼女がいちいち驚き、ばつの悪そうな顔をする。


「繋ぎたいなら、繋いだらええやろ? 今日だけは、元に戻った……それでかまへんで?」

「ほんま? なら!」


 ギュッと握る彼女の手を握り返すと嬉しそうにしている。

 そんな当たり前が嬉しい。俺がそんなこと思える立場ではないことはわかっていても、感情はうまくコントロールできない。


「チケットこうて、エレベーターで登るんやんな! 一瞬なんやな! あーんなたっかいところへ行くのに、ありえへんよな!」


 言われるがまま、チケットを買いに向かう。


「今日はうちのわがままやさかい、奢るわ! ここで待ってて」


 駆けていく後姿を見送る。


 いつもすぎて、気まずいのに、あったかいな……。


 繋いでいた手を握ったり開いたりする。当たり前のことが、当たり前でなくなったあの日。


「俺、めっちゃ女々しいわ……」


 呟いた言葉は、行き交う人々に攫われてしまった。


「お待たせ! いくで!」

「それにしても、そない楽しみなんか? ゆうても高いビルやろ? 煙とあほは、高い場所が好きっちゅうやつか?」


 からかうと、ふくれっ面になり、悪かったな! といつものように怒る。


「すまん」


 また、手を繋ぎ、気まずいまま、エレベーターの前まで行く。意外と人が多いことに驚きつつ、乗り込んだ。


「ぎゅうぎゅうやな?」


 平日なら余裕を持って乗れるだろうが、休日は客を押し込むのかやけに狭い。

 キョロキョロする彼女は、ふらふらと揺れているので、知らない誰かにぶつかった。


「すんまへん」


 いくつになっても好奇心旺盛な彼女が、狭いエレベーターの中、ふらふらしないように抱きしめる。驚きが伝わってきたから声をかけた。


「ほっとくと他に迷惑かけるさかい、大人しくしとけ」


 服をギュッと掴んで、彼女から近寄って体を預けてくる。

 エレベーターから降りると、道順に沿って歩いていく。

 大阪の街が小さく見えた。


「うわっ! みてみぃ! あれ、通天閣やって。こっから見るとちっこいな! でも、やっぱり、大阪ゆうたら、通天閣やな」


 はしゃぐ彼女の後ろを追いかけながら、寂しさでグッと押し潰されそうになった。


「なぁ、見て! 空に浮いとるみたい!」

「小学生かっ!」


 えへへと笑う彼女は、今日を本当に楽しんでいるようだ。横に並び、ガラスにうつる顔を見る。


 なんや、はしゃいでいた思っても、おんなし顔してんのやな。


 思い詰めたような顔をパッと笑顔に変え、なんや? と急にこちらを見た。先ほどの顔はなりを潜めた。


「どないしたん? 泣きそうな顔してんで?」

「目の錯覚じゃ、目悪いんやったら、眼科いけや?」

「そうか。なら、ちょっと話そうや」


 グルっと周り天空庭園へ向かう。春らしい温かな風が頬を撫でていく。ウッドデッキに座る彼女の隣に腰掛けた。何か言いたいことがあるのか、言い出そうとしては黙り込んでしまう。


「えぇ天気でよかったな。久しぶりに来たけど、変わらずや」

「……ほんまやな。あの頃と変わらんな」


 外に目を向け、懐かしむ。

 何も話さない、ただ、時間だけが流れていく。無駄なようなこの時間さえ、彼女が隣にいることで、愛しさがわいてくる。


「……なんもしゃべらんのやな?」

「俺、そんなおしゃべりちゃうで?」

「ほんまに?」

「ほんまに。おしゃべり好きな子が隣におったから、頷いてただけや」

「そうか。ほな、そのおしゃべり好きな子は、たいがい幸せやったんやな」

「なんでや?」


 小さく呟いた彼女。


「あんたがおればよかったんや……」


 あえて聞こえないふりをした。聞いてしまえば、戻りたくなる。抱きしめたくなる。彼女から見えないようグッと拳を握った。

 遠くを見て、ため息をつく。そろそろ、時間なのだろう。陽が傾く間も暗くなって行く様子もじっと見つめていた。ただ、ただ、静かに二人並んで。



 ◆



 帰ろかと立ち上がった彼女を見上げ、小さく行くなと呟く。

 困ったように笑う彼女にかける言葉がみつからなかった。

 しばらく見つめあっていたが、それも辛くなり視線を逸らす。

 胸の内に、燻ったままの彼女への想いが溢れだす。


「望む幸せは、あげられんかもしれん。それぞれに抱える事情もあるし、仕事もある。別々に暮らすことになるやろうし、辛いときに側におれんかもしらん。

 気づいたんや。婚約破棄をして、1人になったとき、笑えるほどの孤独に。俺の家族が気に入らんて結婚反対して二人で悩んだ結果、俺だけが楽な方に逃げたこと、ずっと、後悔してた。

 くだらんことで笑い合えるそんな日々を自ら手放したこと……に。戻ってきてくれとは言えん。未来を見て歩き始めたなら、こんなこと言うのも……おかしいと思う。思うけど……」

「思うんや?」


 隣に座り直し彼女は意味ありげに微笑んだ。


「……戻ってこんか?」

「どないしようかな? うち、ふられたわけやん?」


 うーんと悩むふりをする彼女の心は決まっているのだろう。望む通りの答えを……神にも仏にもビリケンさんにも祈る。


うちの幸せはな? 与えられた幸せじゃ満足できんの。だから、一緒に小さな喜びや嬉しいことを分かち合って、積み重ねて生きたいと思っとる」


 ポツリポツリと話す彼女の言葉に耳を傾ける。


うちが結婚をしてもええと思えたのは、そういう幸せをあんたとなら、積み重ねていけると思ったさかい。

 ひとりっ子のうちの事情は、たくさん話したつもりやったから、理解してもろとると思っていたんやけど、蓋を開けてみればそうじゃなかったんやな。もう1度、きちんと話をしたほうがよさそうやね。

 焦って、強引に進めたなって思うとこもあったし。うちも反省してる」

「それじゃあ……?」

「保留ってことで?」

「はぁ? 保留?」

「そう。保留」

「俺、この数ヶ月ずっと考えてたんやで? この先、どんなことがあっても、いやになんてならへんはずやけど? あかんの?」


 ふふっと笑いだす。そんな未来のことなんてわからんよと遠い目をする。

 彼女の両親は離婚している。結婚自体に夢を抱いているわけではないことは知っていた。


「好きは好きで置いといて……」

「置いとくんか?」

「そう、その先を考えようや。愛情だけじゃ、生きていけんからさ」


 現実主義の彼女らしい締めくくりに笑うしかない。


「あっ、やっとわろうたね?」

「えっ?」

「なんや、今日はせっかくのデートやったのに……ずっと、しかめっ面してて、もう会いたないんかと思っとったよ。今日のお誘いも強引やったしね! こじつけで。わざわざ、振られた相手とあべのハルカス登りましょなんて、うち言わんから!」


 微笑む彼女を見つめると、照れたように頬をほんのり染めた。


「結局、うちもあんたにメッチャ会いたかったんよ」


 ちょっと怒ったように言う彼女をもう一度きつく抱き寄せた。

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もう一度、抱きしめることができたなら。 悠月 星花 @reimns0804

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