明日はどんな唄を歌おう?

秋色

明日はどんな唄を歌おう?

 冬斗が十八才で一人暮らしを始めたのは、独りの生活に憧れていたからではなかった。その方が心が落ち着くという理由で家を飛び出しただけだ。

 十八才の春、大学への進学に失敗し、留年する意思もなかった冬斗は、工事現場での仕事を見つけ、働き始めた。その事で再三、両親から忠告されるも従えず、家族に失望を味わせてしまった。結果、実家には居づらくなり、会社の借りている社員向けアパートへと移ったのだった。


 両親は息子の進学をまだ諦めきれず、工事現場で働いている事も受け入れられないでいた。かと言って、勉強が好きでもない冬斗には、可もなく不可もない大学に行く事に意味が見いだせない。それならいっそ体を使って働いた方がいい……そう選択したのは冬斗自身だった。ただ未来は霧の向こうのように何も見えなかった。




 工事現場の昼休憩では、冬斗は皆と離れ、公園のベンチでコンビニのおにぎりを食べる。横に緑茶のペットボトルを置いて。公園の緑がまぶしく、気分転換になる。それに、年齢や立場の違う同僚と会話しながら食べるのが面倒だった。同年代であっても、そこで働く同僚達と接点はなかった。十代で結婚し、子どものいるような、そして楽しそうに毎日をおくっている同僚とは。

 一方、大学に通いながらバイトしている同年代も現場には僅かにいる。親からの仕送りを望めない気の毒な事情があるのだと思った。それでも今の冬斗には、そんな苦学生の健気さ、殊勝さが自分とはかけ離れた、別世界に住む人間のように思われ、敬遠した。

 たぶん、他の連中からは「あいつ、付き合い悪いし、やりにくいヤツ」と思われている、そんな気がしたが、もうどうでも良かった。



 公園のベンチで一人、休憩時間を過ごしていると、斜め向かいのベンチにいつも一人の大人しそうなアジア系外国人がいて、同じように昼食をとっているのを見かけるようになった。同じ現場で働いている四十代位の中年の男だ。外国人と言っても顔立ちは、日本人とほとんど変わらず、個性的な日本人と言われればそれで通るだろう。

 外国人と分かったのは、私服の時の少し違和感のある服装と現場で偶然通りかかった時に聞いたカタコトの日本語、そしてベンチで口ずさんでいる外国語の唄から。そう思って見ると顔もどこか日本人と違っていて、エキゾチックに見えた。韓国か中華系だろうか。それとも東南アジアの人だろうか?

 口ずさむ唄は、その日によって違い、数曲のバリエーションがある。同じ休憩時間にも二、三曲歌ったりする。アジアンチックな懐メロといった感じのノスタルジー溢れる曲調だ。

 男は退屈を紛らせるためか、たまに地面に石で何か落書きをしていた。漫画みたいな絵や誰かのイニシャル。そして休憩時間が終わる頃になると、それを足で擦り、消し去ってからその場を立ち去るのだった。


 冬斗は、あの人はきっと自分と同じ孤独な生活を送っているのだろうと思った。故郷の家族と離れて暮らし、僅かな休憩時間に母国の唄を口ずさんだり、落書きを描いている。ああやって寂しさを紛らしているのだろうと。

 なぜなら冬斗自身、最近ふっと歌を口ずさんでしまう事があるからだ。それもこれまで自分が好きで聞いていたポップスとは違う、童謡や親や祖父母の時代の流行歌など。以前はバカにしていたような、前向きなメッセージが込められた素朴な歌。祖父が好んで歌っていた、夜空を見上げるような歌、勝ち気な祖母が歌っていた行進曲のような元気な歌、父母の思い出の曲という一つの花の歌とか。

 一人、アパートの窓の外の月を見たり、初夏なのに冷たい布団に入る時、そんな昔の歌や童謡がつい口から出てくる。もうくせになっていた。昨日はあの歌、今日はこの歌、といった感じで。


――何だろう。誰も励ましてくれないせいだろうか?――


 アパートの裏の自販機コーナーで買ったサイダーの缶を手に、薄暗い自分の部屋に背中を丸めて入る時、ふとそんな考えがよぎった。


―― 両親から半ば、見放された自分。かつての同級生の中にも、あえてドロップアウトした自分に連絡してくるようなやつはいない。高校の時、付き合ってたカノジョとも自然消滅したし……――

 友達はみな、大学に進学するか、浪人生活で予備校に通っている。冷静に考えれば、皆忙しく、高校時代の友人に構っている時間なんてなくて当然だった。

 付き合っていたカノジョは高校時代、あれだけ自分を追いかけていたのに、姿も見せなくなった。冬斗は、あきれていた。冬斗の母をも怒らせた荒い言葉遣いとはウラハラに気持ちだけは優しいコだと思っていた。別に好きな男でも出来たのだろうか、と勘ぐったりもした。


 ある日、冬斗は、夕方に商店街を訪れていた。小さなスーパーマーケットを基点とした、下町の商店街だ。アパートで暮らすうち、食料品と日用品はそこのスーパーマーケットで仕入れるようになっていた。そこで流れる曲は、有線のヒーリングミュージックだか何だかのセレクションのようだった。実家の近くのスーパーのうるさ過ぎるBGMと違い、耳障りの良い曲が流れてくる。

 その日、いつものように買い物をしていると、聞き慣れたメロディが流れてきた。あの外国人がよく口ずさんでいる曲だ。初めは気のせいかと思ったけど、サビに近付く程、まさにこの曲だと確信した。改めて聴くその曲は、繊細なメロディラインで切なくも優しい。


――有名な曲なのか。あのおっさんの歌ってた唄は……――


 それは不思議な感動だった。だだっ広い世界にこぼれ落ちた自分が見知らぬ人と一つの曲で、何かしら繋がっているような。



***



 春に始まったそんな生活も半年が過ぎ、空に秋の気配が感じられる季節になった。変化はいつも唐突に訪れる。たとえそれが些細ささいな変化に思えても。

 綿菓子のようだった雲が消え、澄みきった青い空に細かく千切れたような雲が散らばり始めた。まるで昔外国の絵本にあった羊の群れている広い牧草地みたいだ。

 公園に差す太陽の光も少しセピアがかったような落ち着いた色に変わった。

 ある日いつものように、昼休憩に公園を訪れると、お気に入りのベンチの辺りが騒がしい。何事かと見ると、例の外国人の家族と思われる人達がそこに押しかけていた。そこだけはしゃいだ声に包まれている。

 そのうち四人、小学生位の女の子二人とローティーンの少年、冬斗と同じ位の年齢の青年までは、彼の子どもだと冬斗は推理した。そして紺地に小花模様のワンピースを着た小柄な中年の女性は妻だろう。涙ぐんでうれしそうに男の手を握っている。おそらく彼の兄弟だろうと思える、そっくりな中年の男達もいた。それに老夫婦もいる。あれは両親か。一族がどうして日本まで来たのか、観光なのか、あるいは何か事情があるのか、冬斗には分からなかった。でも一族が再会を心から喜んでいるのは確かだった。公園にいる他の人達は、賑やか過ぎる外国語の嵐が吹き過ぎるのを、戸惑いながら待っていた。

 冬斗はと言うと、一人ぽつんと取り残されたような気持ちで、しかしそれを上回る幸福感を感じながら立っていた。


――あのおっさん、一人ぼっちじゃなかったんだ。良かった――



******



 その翌日、公園にあの中年の外国人の姿はなかった。一人でコンビニのおにぎりにかぶりつく冬斗に、後ろから声がかけられた。


「ふゆと〜! こんな所におったん?」


 振り向くとそこにいたのは元カノの果奈。


「オマエこそ、何でここに?」


「だって連絡くれんし。ウチ、県外のリハビリの専門学校に行ったやん? 夏休みもバイトで戻って来れんかったけ会いたくて」


「オレ達、自然消滅したんじゃ」


「勝手に消滅させんな、バ〜カ!」


「オマエ……」


「何よ?」


「いや、相変わらず口がわりぃな」


「勝手にメッセージアプリ無視するからやろ!」


「スマホの切り替えした時に、知らずに友だちから外したかな」


「だ〜か〜ら〜! 何で外すんだ!」


「色々あって気もそぞろだったんだよ。悪かったよ」


「じゃ、何かおごってよ。働いてるんだから、おごる位いいやろ?」


「いいけど。今度な」


「絶対ね! ……ってか住んでる所教えてよ。冬斗の妹ちゃんも住んでるとこの住所までは分からんって言ってたし。この公園と働いてる場所聞くのが精一杯やった」


「ストーカーかよ。別に逃げねーって。じゃ、明日は早上がりだから、明日の三時にまたこの公園に来いよ。住んでる所、教えっから」


「うん、いいよ。今、連休でしばらく実家にいるから」


 冬斗は、歌を口ずさむクセがついていた一人きりの孤独な時間が、目の前の食いつきのいい大きな瞳に吸い込まれていきそうな気がした。吹き始めた秋風は暖かく感じられた。


――昨日は、涙を零さないよう上を向こうってアレを歌ったっけ。なんか昔の事に思えるな。今に思い出になるのかな。あのおっさんみたいに――

そして半分、独り言のように言った。

「明日はどんな唄を歌おう?」


「歌う趣味なんてあったっけ? どんな歌? 歌うんなら私の好きなアニソンでしょ!」



〈Fin〉

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