澄んだ青空を見上げて

ヴィルヘルミナ

とある朝の風景。

 朝テレビのスイッチを入れると、ニュースキャスターが「おはようございます。世界の終わりまであと七日になりました」と言う。


 馬鹿馬鹿しい。スイッチを切ろうとした私の手を、背後から伸びてきた姉の白い手が止める。

「えー、また? 今度は何が足りないっていうの?」

「……もう、いいんじゃない? 助けなくても」

 同じ言葉を百回は聞いてきた私は、溜息を吐きながら長い髪をかきあげる。……そろそろ髪を切らないと。


 最初にこの言葉を聞いたのは五年前。『世界の終りまであと七日』というキーワードで、この世界は狂った。自分が生き残るために他者を犠牲にする人々と、静かに自らの死の受け入れ準備をする人々と、人類は二つに分けられた。


 超宇宙台風スーパースペースハリケーン。私たちは、その単語を初めて聞いた。宇宙台風は絡み合った磁力線と太陽から放たれる高速のプラズマで出来ていて、電子の雨を降らせる。地球の周囲で数回観測されたことはあっても、地上への影響はほとんど見られなかった。


 ところが、この超宇宙台風は規模が違っていた。巨大な渦状のまま、数十億年周期で太陽の周囲を公転しており、計算では数十億年前の火星から大気を奪ったのが、この超宇宙台風である可能性が高い。


 地球よりも巨大な渦が接触することは、世界各国の上層部の人間だけが十数年前から知っていたらしく、各国は地下都市を準備していた。そうはいっても人口のすべてを収容する余裕はなく、一般人は家族単位の抽選。私たち家族は運よく地下都市へのチケットを手に入れた。


 父と母、姉と私の四人家族。子供は四人まで可能とされていた為、父母は隣人の子供、私たちと仲が良かった幼馴染の兄弟二人を連れて行くことを提案し、隣人に殺された。隣人一家は父母が持っていたチケットを奪い、私たち姉妹を置いて地下都市へ。……そんな悲劇は、各地で起こっていたらしい。


 超宇宙台風によって大気が剥がされ、世界が終わると予測されていた日から五日間、地球は漆黒の闇に覆われた。その間に内乱が起き、地下都市へ向かって核爆弾を打ち込んだ為に自滅した国もあった。


 結局、超宇宙台風が持ち去った物は大気ではなく、衛星や宇宙ステーション、そしてスペースデブリ。まるで宇宙の掃除をしたようだと専門家たちは言っている。


 地上に残って静かに死を待っていた人々は、ほとんど生き残った。衛星が消え、大陸間を結ぶケーブルが切れ、人々の生活の大半が一昔前に戻った。


 衛星からの位置情報頼りになっていた航空機や船の運行システムは使えなくなり、大陸間の移動は命がけ。人々の通信手段は電話と手紙。世界を繋いでいたネットは無くなり、廃れていたテレビが復活した。


 太陽光パネルは電子の雨と黒い靄を浴びて使い物にならなくなり、毒物の塊として放棄されている。細々と輸入される石油と天然ガスは高価で、庶民の暮らしを支えるのは水素発電と豊富に採れるようになった薪と石炭。


 大規模な工場は動かせなくても中小の工場は再開し、農家は農業を、会社員だった人々も自分の特性を生かした仕事を見つけ、全世界規模での緩やかな暮らしが始まっていた。


 それでも地下都市を統率する政府は、地上へ人々を出すことを拒んだ。地上は滅んだとして、情報統制をしている。地下都市のテレビ局が流す番組を地上で見る事はできても、地上のテレビ局が流す番組を地下でみることはできない。


 地下都市のテレビで『世界の終りまであと七日』と流れるのは、主に『生存の為の物資が足りないから助けて』という暗号メッセージ。その後に続くニュースで、何が不足しているのかわかる。


「あー、野菜工場が破壊されちゃったのかー。何で壊しちゃうかなぁ。野菜盗むだけで満足できないのかなぁ」

 地下では食料はすべて配給制。そのことに我慢できなくなった一部の人々が、野菜を強奪した上に設備を破壊したらしい。再生産が始まるまで約半年、十分とは言えない食料がさらに減るとニュースキャスターが悲痛な表情で解説している。


「証拠残さないようにしたんじゃない? 野菜、また送るの?」

「でないと、奪い合いで人が死ぬでしょ。地上では、野菜なんて山ほどできるんだし」

 宇宙台風が過ぎ去ってから、作物の育ちが早くなった。作物の種を撒くと、数日で収穫できる大きさに育つ。


 援助物資を地上の政府が管轄する「中継局」に持ち込むと、地下都市で使えるお金が少しだけもらえる。地上で農業や工業が昔ながらの方法で営まれる一方、地下でも不自由な中で物づくりを続けている人々はいる。そんな人々から物を買うことにしか使えない。


 地下との注文のやり取りは手紙か電話。住所氏名は匿名で、絶対に地上からの注文とは知られないことが条件。違反した場合はお金を全額没収された上、二度と地下の物を買うことができなくなる。


 タンポポで作った珈琲を飲みながら、今度は何を買うかと考えていると姉が思い出したと手を叩く。

「あ、そうそう。靴の職人さん、体の骨の変形が酷くなったから仕事辞めちゃうんだって。今回ので最後って」

 それは困った。私たちの足にぴったり合う履き心地の良い靴を作ってくれる職人は地上にはいない。大事に履かなければ。


「職人さんだけでも本当のこと教えて、地上に出てきてもらえないかな」

 骨の変形は、きっと日光と栄養不足のせい。地上なら自由に好きなだけ物を作ることができる。


「無理無理。職人さん良い人だから、絶対他の人間に伝わっちゃうって。真っ先に出てくるのは、アイツらみたいな自分勝手なヤツだけよ」

 姉がアイツらと吐き捨てるように呼ぶのは、両親を殺した隣人一家。地下都市にたどり着く前に、暴徒に襲われてチケットを奪われたという噂も聞いたけれど、隣の家は空き家のままだし、今はどうしているのか全くわからない。


 珈琲を飲み終えて、私たちは収獲の為に畑へと向かった。

 地下にいる人々は完全に情報統制がされていて、気がついていない。人口が激減した地上が、どれだけ快適になっているかということを。


 空は青く澄み渡り、夜は降るような星。四季は穏やかで優しくなり、激しい台風もゲリラ豪雨も無くなった。


「今日も良い天気ね。朝のうちに収獲して、地下都市に送りましょ」

 こうして地上の人々の善意が集まって、十分な量の援助物資を送ればテレビのニュースキャスターが『世界の終わりは回避されました』と言うだろう。


 空に伸ばした手は透けるように白い。地上に居る人間は色素を失い、髪も白く、目は赤くなっていた。不思議なことに、どれだけ日の光を浴びても肌が焼けることもない。大人も子供も全員が二十五歳前後の姿になり、持病も消えた。風邪をひくことも熱を出すこともなく、老衰で死ぬこともない。


 問題は、地上では人間の子供だけが一切生まれないということ。寿命や病気で死ぬことができなくなると、自決という方法をとる者も出てくる。これまでとは極端に違う緩やかな生活に、少しずつ疲れて壊れる人々が増えてきた。


 地上を捨てた人々の、都合の良い『助けて』という暗号メッセージを受け、自業自得と蔑みながらも助けてしまうのは、地下では子供が生まれているから。新しい命を望めなくなった私たちが、未来を夢見ることができる、唯一の希望。


 とはいえ、人間が永遠に地下都市で暮らしていけるのかはわからない。太陽の光を浴びないことで、体と心の不調を訴える人々も多いと聞いている。


 地下に住む人々と、地上に住む人々。どちらが滅びるのが早いのか。

 世界の終りまであと七日。それが本当になる日は遠くないかもしれない。

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