第十膳 回答『とっておきのデザートをキミに』
わたしたちの前にはバームクーヘンが置かれている。
実にシンプルな見た目だから、最後のデザートとしてはインパクトにかけるかもしれない。
タマは首を捻って不思議そうに見つめている。
「ここでバームクーヘンなんて、相変わらずロマンチスト、ね?」
「さすが鈴月、気が付いてくれたようだね? そう、バームクーヘンには『幸せが続きますように』という意味があるんだ。わたしたち家族はもちろん、これから再構築される世界にも、ね」
わたしが説明をすると、タマはまるで宝物を見つめるように目を輝かせた。
鈴月と目を合わせ、お互いに目を細める。
「へん! 何が幸せに、だ、くだらないよ! この世は一部のクソ野郎共が牛耳っている、畜生共はこき使われて搾取されるだけなんだ! ささやかな幸せで良いって? そんなもん自分の気持ちに嘘ついてごまかしているだけだ! 何をしても報われない、こんなクソッタレな世界で幸せになれるもんか!」
出刃が家族団欒に乱入してきて吠え立てる。
ここはムー大陸の核の中だ。
タマと同じく同化している出刃ならこの空間に侵入することは可能だ。
わたしは冷静だったが、この尊い時間を邪魔されて怒り心頭の者がいた。
「ウニャー!」
「アベシ?!」
タマの怒りのネコパンチで出刃は沈んだ。
最後の戦いはたったの一撃で勝負はついてしまった。
「くそ、くそ! 神の力を得たこの僕がこんなガキに!」
出刃は未練たらしくこの空間の周囲を渦巻きながら悪態をつく。
しかし、タマの力には敵わないようでそれ以外は何もできないようだ。
わたしはやれやれとため息をついて出刃の前に立った。
「なぁ、出刃? もう終わりにしないか?」
「終わりだって? バッカじゃねえの!」
「ウニャー!」
「ひぃ! ぼ、暴力は良くない」
戦いの終わりを促すわたしに悪態をつく出刃だったが、爪を出して威嚇するタマに身体を震わせる。
「落ち着きなさい、タマ。ここはわたしに任せて」
わたしは苦笑いをしながら間に入った。
出刃はまた強気にわたしを睨みつける。
「なあ、出刃。虚勢を張って傷つけ合うのはやめにしよう。逢生蒼師匠の元を去ってから何があったのかは分からない。世界を呪うほどつらい目にあったんだろう?」
「し、知った口を聞くな!」
「ああ、わたしには想像するしか無い。だが、君の心が飢えて乾いていることだけは分かるよ」
わたしは出刃にそっとデザート皿を差し出した。
「クッ! こ、こんな、こんなもの……い、いただきます!」
出刃は一心不乱にバームクーヘンに貪りつく。
皿が空になると出刃は身体を震わせて涙を流した。
「僕の負けだよ。あんたには何をしても敵わない。僕はあんたが羨ましかっただけだったんだ。誰からも好かれる最高の料理人『飯テロリスト』関川フタヒロ、が。だからあんたの大事な物を奪いたかった。でも、僕は結局何も……」
「そんなことはない。キミも幸せの輪の中に入っているよ」
「あ、ああ、あああ!」
出刃は歓喜の歌のように声を上げながら光の渦の中に消えていった。
「……戦いは終わった、のね?」
「ああ、出刃との因縁はこれで断ち切られた」
この空間に来てから、世界を戻す方法が直接頭に流れ込んできていた。
わたしは何をするべきか分かっている。
タマに目を向けると、タマはいやいやと首を振ってわたしの足にすがりついてきた。
「大丈夫だよ、タマ。わたしたちはきっとまた会える」
「ニャーニャーニャー!」
タマを瞳をうるませて、大粒の涙を流した。
鈴月も涙を流しながらタマの頭を撫でる。
「わたしたちの絆は消えないわ。大好きなパパを信じてあげて」
タマは大きくうなずき、ニコリと私に向けて笑った。
そして、タマの身体から光の玉がわたしに流れ込んできた。
タマと鈴月は微笑みながら光の渦の中へと消え、残されたわたしはさらなる深淵へと飲み込まれていった。
ムー大陸の核が侵食していた世界の中心へとたどり着いた。
超古代文明の叡智の結晶、それは世界の在り方へ干渉する力だった。
宇宙の法則を乱すその力は所詮人間などに操れるわけがない。
超古代文明は制御不能の力によって自滅したのだった。
「……だが、わたしにできるのだろうか?」
わたしは世界の命運を握っているのかと思うとその重圧だけですり潰されそうだ。
一介の料理人のわたしに何が……
「一人でダメなら、二人でやってみればいい」
「え? カ、カノーさん! どうして、ここに?」
「クックック。どうしてもないさ。私には変態の館が付いている。常識は通用しない。不可能を可能にするのが、私だよ」
カノーさんはニヒルに嗤い、わたしの隣に立った。
わたしも頷き、気合を入れ直した。
一人で出来ないなら、二人で、どんな無理難題にもハーフ&ハーフで挑めば可能になるはずだ。
わたしとカノーさんは、世界の中心から宇宙の深淵へと飛び込んでいった。
🍷🍷🍷
日本国首都某所、高層ビル群が森の樹々のようにそびえ立つコンクリートジャングルだ。
そこからやや郊外のベッドタウン、そこにわたしはいた。
『お食事処 タマの鈴』の暖簾をかけ、表の看板を準備中から営業中にひっくり返す。
住宅兼の店内に戻るとすぐにドアの引かれる音に振り返った。
「ただいま! ごめん、パパ! 部活で遅くなっちゃった!」
「ああ、おかえり、タマミ。急がなくていいからゆっくり着替えてきなさい」
「はーい!」
一人娘のタマミは、セーラー服のスカートをはためかせながら、住居部分の階段をドタドタと駆け上がる。
高校生になったが、まだまだ子供っぽさが抜けきれていないところに思わず笑ってしまう。
再び、引き戸の引かれる音が聞こえてきた。
今度こそ、お客さんだろう。
「いらっしゃいませ! あ、出刃さん」
「関川さん、こんばんわっす!」
この世界線の出刃とは、この店ができるまでは面識はなかった。
ムー大陸の核の中で願い、世界の時が巻き直され、ムー大陸は存在しないことになったのだ。
つまり、わたしたちは憎み合うことはなく、出刃も世界を呪うことはしなかった。
世界が崩壊する運命を変えたのだ。
「へえ? ここが出刃くんのオススメのお店か。いいじゃないか、いいじゃないか」
「そうでしょう、愛宕さん? ワインの営業でいつもお世話になってるんですけど、飯も美味いんで、よく食べ来るんっすよ!」
「そうかぁ、楽しみだ。お、まずは天ぷら盛り合わせにしようか。今日はゆっくりとオフィス悠木の激務を癒そうじゃないか」
「はい!」
この世界線の出刃は、生き生きとした人間になっている。
環境が変わり、心持ちも変わって、完全に別人のようだ。
タマミが着替え、店内に降りてきた。
同時に、新たな客もやってきた。
「いらっしゃいませ! あ、鈴月さんだ!」
「あ、タマミちゃん。今日もお店のお手伝いなんて、偉いね。今日も餃子をお願いね」
「えへへ。ありがとうございます!」
この世界線では、わたしと鈴月は若い頃には出会わず、結婚することはなかった。
わたしたちの子供では、タマはまた難病を患うことになってしまうからだ。
鈴月は別の男性と結婚し、幸せな家庭を築いている。
子供たちも連れて食べに来てくれる常連さんだ。
タマミは別の女性との子供だ。
わたしは女性運が無いのか、その女性は男を作って出ていってしまった。
しかし、タマミはまっすぐに育ってくれていてわたしには過ぎた娘だ。
今の二人に血の繋がりはない。
だが、タマミは母のように慕い、鈴月も娘のように可愛がっている。
魂の奥底で繋がり合っているのだ。
逢生蒼師匠も常連客の一人だ。
今夜も静かにカウンター席につき、シチューをスプーンで口に運んでいる。
この世界線では料理人ではないが、変態の館の副館長という肩書は健在だ。
どの分野に進んでも、この人は天才的だ、ちょっと頭が腐っている故に。
その隣の席にいる女性は、ハンバーグをアテにビールジョッキ大を豪快に飲んでいる。
その正体は擬人化した女帝の鞭だ。
そのことは本人すら知らないだろうが。
おっと、こちらの琥珀色のワンピースのお客さまからはラーメンの注文が入った。
この食事処では和洋中、どんな料理も提供しているので大忙しだ。
だが、これが楽しい。
わたしとカノーさんは、世界の時を巻き戻すために宇宙の深淵に触れた。
新たな世界を構築する時に、深淵に棲む何かに望みを叶えさせてもらった。
ほんのささやかなご褒美でしか無いが、わたしはこれだけで十分だ。
小さな食堂だが、連日満員御礼、暖かな笑顔で満ち溢れている。
美味しいものを作りたい、美味しいものをたべる笑顔が見たい。
その望みを叶えたのだ。
その隣りには『キミ』がいてくれる。
わたしは料理を作りながら、店内を元気に駆け回るタマミの姿に目頭が熱くなってきた。
すべての賑わいが去り、静かになった店内ではタマミが後片付けをしている。
わたしは残っていた具材でちらし寿司の賄いを用意し、タマミを呼んだ。
「いただきます! うん、美味しい! この優しい味わいがパパみたい」
「アハハ。タマミの大好物だからね」
「うん! ……あたしまたパパの子供に生まれて幸せだよ」
「え?」
まさか、タマの記憶が残っているのか?
わたしは一瞬固まってしまったが、頭を小さく振り、ありがとうと笑った。
タマミは照れくさそうに食器を急いで片付ける。
「ごちそうさま。……おやすみ、パパ」
「ああ、おやすみ、タマ」
夜は更け、やがてわたしも眠りについた。
翌朝、二人で朝食にお茶漬けを食べ、タマミは学校へと出掛けた。
わたしもまた、手土産を片手に変態の館へと向かう。
都心部にあるが、電車で一本のカレーの冷めない距離にある。
電車に乗りながら、豚肉とキャベツが大量に残っているから使わないと、と今夜のメニューを考える。
変態の館は摩天楼ではなくなったが、この世界線にも存在している。
いや、むしろこの世界になくてはならない存在だ。
ムー大陸が無くなった代わりに、この世界を支える核になっているからだ。
そう、人々は知らない。
変態達によって、世界が守られているという事実を。
1999年7の月、恐怖の大王が降ってこなかったことは今では誰もが知っている。
ノストラダムスの大予言はただの壮大なデマだったことを。
しかし、真実はこの物語で語られた。
知っているのは、わたしとカノーさんだけだ。
変態の館の住人たちはその記憶を奥底に眠らせ、日常を生きている。
今日もわたしは変態の館の扉を開く。
「やあ、カノーさん。差し入れですよ」
「おお、ありがとう、関川さん! 美味そうな特製バームクーヘンだな。コピ・ルアクにぴったりだ」
カノーさんはバームクーヘンを一口、それからコピ・ルアクを口に含み、穏やかに小さく息をつく。
それから、感慨深げに微笑む。
「うん、美味い! 今日も良い一日になりそうだ……そんなわけでおはよう変態ども!」
カノ―さんの挨拶が今日も変態の館に響き渡る。
そして、世界は今日も回る。
――了
飯テロリスト関川様、ネコ耳を拾う 出っぱなし @msato33
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