第4話 イラン神話

世界包括神話2回目、イラン編。


※これは近況ノートに2回に分けて連載したエッセイの焼き直しなので、すでに読まれたことがある方もいるかと思います。お含み置きを。


まず、インド・イランの人々の宗教的根幹は「ヴェーダ(基本的にリヴ・ヴェーダ)」と「ヤシュト」でした。……「リヴ・ヴェーダ讃歌」は岩波さんから出てるので結構簡単に手に入るんですが、ヤシュトってたぶん「アヴェスタ」にしか入ってないと思うんですよ。ちくま学芸の「原典訳・アヴェスター」ではなくて。アヴェスタというのはゾロアスター教における「聖書」とか「クルアーン」みたいなもんで、最近新版が出たばっかなので入手困難ではないですが、専門書の中でもとくにニッチなものなのでお値段8800円(税抜き。国書刊行会)もするのですよね。しかも資料価値はともかく、読み物として小説みたいに面白いかというと……という弱点があります……さておきまして、この二つの讃歌に共通するのは熱帯地の遊牧民であり戦士である人々の人生観、死生観。なもので自然を愛し、同時に恐れる、ある意味日本人にとって共感しやすい宗教の下地があります。


このヴェーダとヤシュトの信仰はたぶん前1400年前後に、ちょっとした……というかもしかしたら世界最大の変革を迎えることになります。ザラシュストラが登場するので。もしかしたら、というのは彼の影響がキリスト教世界を染め上げているという点を鑑みれば、ということですが、実のところ彼が生前にそこまで巨大な名声を博していたかというと、キリストとおなじでゾロアスター教がペルシアの国教になるまで、彼の死後数百年後のダリウス一世の時代までかかります。ゾロアスター教えというとやはり、善悪二元論が有名ですね。あと鳥葬。ほかにもたっぷり厳しい戒律がありますが、一般的にはこの二つがパッと思いつくと思います。ペルシアはその後長いこと東南アジアの覇者でしたが、670年頃? の最後には新興のイスラームにより根だやされました。それで残念なことに現在、アヴェスタは「原アヴェスタ」という本来の姿の4分の1しか残っていません。8800円出しても。


なのでアヴェスタから神話物語をひねり出すのはやや難しくあるのですが、ただひとつ、イランと言えばこれ、という文学作品が存在します。お察しの通りフェルドゥシーの「王書(シャー・ナーメ)」というやつで、まあ日本語資料としては岩波さんと平凡社さんの二冊、それもどちらも抄訳版しか存在しないのですが、かなりに面白い話なので一読の価値ありです。あと「ブンダヒシュン」というのもありまして、有名なファリドゥーンが蛇王ザッハークを倒す物語はこちらのはずですが、原典を当たらない限り日本でこれ全部読むことは無理ですね。最近あちらの国で映画やらドラマを国家事業として始めたという話を聞いて、じゃあロスタムとかソフラープのお話が本場の配役で見れるのかなと、最近そう思ったのでした。


イスラム神話のおこりというと、まず宇宙には善と正義の神‥というか純然たる「善」があった。太陽も星も築茂大地も、すべて完成した状態で静止していた。しかし時として悪なる者が宇宙に闖入し、世界を擾乱し、そして成長もさせた。霊峰アルブルズは800年かかって天の星辰の高みにとどいたといいます。このアルブルズが今現在の宇宙を支える枠組みになっているという壮大な話で、この山頂からそびえる橋チンワントが死者の国・悪魔たちの王国となっているという話。この宇宙図を絵に起こしたものを見ると分かるのですが、やはりというかインドの宇宙卵(ヒラニヤ・ガルパ)の内部構造に似ています。


雨の創造主はティシュトリヤ神で、彼が大海ウォルカシャを創り、広大無辺、アルブルズ外辺に広がるそのほとりには水の女神アナーヒターの管理する、1000の泉があるのだとか。またこの海には2本の木が立ち、1本はガオクルナ、もう一本はハオマ。二つとも霊薬の材料で人は宇宙が更新される際にこれを服用するといいます。もう一本、ありとあらゆる樹木の種を産する百種樹というのもあって、この木の枝に住むのが有名なシームルグ、王書にも登場する霊鳥です。まあなんで雨の神の話が最初に登場するかというと、このティシュトリヤが創造神にあたるのです。即ち最初に雨が降った時、世界は7つに分割されて、中央のフワニラサ、その外辺の6か所はキシュワルという土地になって、互いに行き来できなくなりました。いや、実のところたったひとつ行き来する方法はあり、スリソークという牡牛に乗れば行き来できるのですが。


‥大体こんな神話があるのですけれども、具体的に「神話物語」はあまりないのです。次回「王書」から英雄物語を引っ張ってきますのでお待ちを‥と、その前にいくつか面白い神格の紹介を。


ワユ

インドだとヴァーユという名前で、暴風と命の運び手。なんというかスケールの大きい存在で、絶対のはずの創造神オフルマズドも悪神アンリ・マンユも、等しく彼には生贄を捧げるという、「なら彼が最高神やんか」というところですが、野心なき神、といいますかオフルマズドのように天を支配したり、アンリマンユのように地上を支配したりと思わないわけです。彼が支配するのは両者の中間、「虚界」。似たような偉大な神格として水の女神アナーヒターがいまして、彼女も神格的には中位……6大天使アムシャ・スプンタやミスラ神に比べるとかなり落ちるはずながら、オフルマズドから賛歌を捧げられています。


ウルスラグナ

勝利の神であり攻撃性、威圧する力の象徴。10回変身する神として知られ、その変身の中で人間と雄牛と馬に変身する、というあたりが創造神にして天の神にして星神、三度化身するティシュトリヤと類似しています。なのでティシュトリヤの「ゲーティーグ(目視可能な力)」がウルスラグナなのかもという説もありです。ちなみにインドだとインドラ神に照応しますが、インドラやアルメニアのヴァハンのような竜殺しのエピソードは持ちません。どちらかというと国家だったり将軍だったりの勝利の象徴。また10度の変身というのはインドラよりヴィシュヌ神の「化身(アヴァターラ)」のほうにより近しい気もします。


ほかにも樹神ハオマ=ソーマだったり、火神アータル=アグニだったりがいます。インドとイランは本当に、根っこの部分で実に似ているというお話でした。 


そしてここから二日目のぶん。『王書』から。


まず、サームという英雄がおりました。彼には子がなかったのでこれを乞い求めました。後宮(ハレム)を持っていたというからそれなりの地位ある人物だったのでしょう、将軍だったと言いますからそこに「薔薇の頬と漆黒の髪の美女」がいて……この表現されるとケルトの美男子ノイシュ・ウシュナハを連想してしまうんですが……この美女との間に子をなします。娘は順調に子を産みましたが、その生まれた子が総白髪だったんですね。それで皆の衆は「英雄サームに幸いあれ、元気な男の子です」と言祝ぐのですが、実際こどもを見た瞬間、サームの落胆たるや。いろいろ賢者たちが悲しんではなりませんと諫めますが、結局サームはこの子を捨てます。


ですがこの子はアルブルズ山の霊鳥シームルグに救われて生き延び、白髪ながら美貌と、たくましさと、賢さを兼ね備えた英雄へと成長します。そして夢で息子を捨てられたことを賢者……おそらくは神……になじられたサームはシームルグのもとを訪れ、息子に会って「お前の父はこのサームである」と口づけます。ちなみに鳥の王(正しくは女王)シームルグにつけられた名前はダスターンでしたが、サームに新しくつけられた名前がザール・エ・ザル。ゆえに彼は「白髪のザール」と呼ばれます。ザールはカブールのメヘラーブ王の娘・ルーダーベと結ばれ……る前に一つ障害があり。メヘラーブ王ってザッハーク(蛇王……邪竜の総帥みたいなものです)の血統でして、周囲の賢者たちがいろいろ理屈捏ねて止めるわけです。結局結ばれはしますが、まずこれを知ったマヌーチヒル王……ザールの父サームの王……が激怒して息子を殺すよう、命じます。サームは英雄ファリードゥーン(イランの英雄であり、蛇王ザッハークを殺した勇者)の旗を立てて進軍しますが、ザールは戦うことなくサームの所を訪れ、「なんなら自分を殺して下さい、ですがカーブルのことを悪くいい給うな。カブールを悪く言うなら父上、あなたをも殺さなくてはなりません」と。このくだり、すっごい好きなんですけども。父の方も「お前の言葉は全て正しい」と矛を収めました。ついでザールは王の前で見識を試され、賢者たちから矢継ぎ早の質問攻めに遭いますがこれを全部完封。そしてようやくルーダーベと結婚を許されます。


このザールとルーダーベの間に生まれるのがロスタム、ペルシア史上最大の英雄ということになります。生まれ方が「お腹からズズズッ」と引っ張り出されるという、なんかよく分からん生まれなんですが、普通の生まれでは説明がつかないほどに赤子の時点で大柄だった、ということで。このとき「わたしは(苦しみから)救われた(=ロスタム)」とルーダーベが言ったので命名はロスタム。十人の乳母に育てられ、乳離れすると5人前の食事を摂り、正確に何歳で、とは記述がないながらたぶんかなり幼年にして、身長180センチに達します。そしてすぐ冒険の旅に出て、まずどこぞの戦場で数多の武勲をあげた巨象を殺し、さらにスィバンド山で塩商人を護って山賊退治。イランに侵攻してきたアフラスィヤープ王と戦いますが、その前に名馬ラクシュを手に入れます。最初野馬と勘違いして捕えた馬が凄い暴れ馬で、誰も乗りこなせない、ていうか死ぬ、とまで言われたものなんですが、ロスタムにかかるとこれが従順な名馬となり、以後ロスタムの無二の相棒となります。これはアレクサンドロス三世大王のお話……ブーケファラスのお話に似てますが、よそにも赤兎とか似た話は多くあるのでパクりというわけではないかもしれません。むしろテュルク系の「狼信仰」……モンゴルをはじめとして……のほうが規模も範囲も凄い……さておき、ラクシュを得て、さらにファリードゥーンの子孫カイ・クバード王を主君に迎えたロスタムの快進撃はここから始まります。といってもカイ・クバード王は完璧な王なので武勲を捧げる相手は彼ではなく、マーザンダラーンのカーウース王ですが。


これ以後ロスタムはハフト・ハーン(七つの栄光)と呼ばれる大功を立てます。まず大獅子を退治し、ついで沙漠に泉を捜し当て、3番目に竜を倒し、ついで魔女を殺し、若き勇士ウーラートを捕え、悪鬼アルザングを殺し、最後に白鬼を殺して7つ。これを達成してカーウース王に献じ、祝福を受け、カーウース王はかつて自分をマーザンダラーンから追い立てた王……名前が、忘れたのかそもそもなかったか、とにかく名無しの王に宣戦布告、しかしカーウース王は能力か運か、どちらもかがなく、毎度失敗してそのつどロスタムに救われます。


そしていよいよトゥラーン王アフラスィヤープとの戦い。この戦いで敵を圧倒したロスタムを見てアフラスィヤープは、「夜まで戦いが続いたら、我が軍には一人も残らないだろう」と恐怖したと言います。この戦いの中でロスタムに挑むピールサムという若獅子がいますが、敗北、自信喪失して退走。そもそもロスタムには7人の千軍万馬の配下と、10万の軍勢がいるわけで一人で戦っているわけではないのですけど。で、結局アフラスィヤープも退走、だいたいここでロスタムの人生の絶頂なのですが、あとちょっと続きます。ドラゴンボールみたいに「ちょっと」がやたら長くはなりませんが。


ソフラープという勇士がいるわけです。サマンガーンの王女タハミーネと、ラクシュを失い探していた当時のロスタムの子ですが、ロスタムはそのことを知らずに過ごしました。ロスタムはタハミーネに「自分の子の証」として腕輪を与えたのですが、タハミーネは息子に自分の出自を隠せと告げたわけです。彼女のサマンガーンはロスタムの仇敵、アフラスィヤープの陣営でしたので。このソフラープが父とまったく似たような英雄になり、そしてラクシュの血を引く名馬まで手に入れて、結局最終的にロスタムと敵対することになるのですね。


で、またカーウース王の下のロスタムですが、この主従はこの時期大げんかのまっただ中にありました。でも仲直りして出陣、ソフラープもアフラスィヤープの将として出陣します。息子は父と戦場でまみえることを望み、そして父は近年台頭した若造をブチ殺すための出陣です。ロスタム不在の時、ソフラープは王の陣に奇襲をかけて蹂躙しますが、ロスタムとの一騎打ち。その戦前の会話で「わたしの出自を知らないか」と問うも「しらぬ」と言われ、絶望して血統に挑み、勇戦するもやはり父に叶わず殺されます。ここから悲劇になるのですけども。


死にゆくソフラープは

「戦いの前、何度かわたしはあなたに血筋を問うたが、貴方の愛が動くことはなかった。

 今さら嘆かれるは尚悪いこと。

 なにが代わりましょうや、起こるべくして起こるべき事が起こったのです」

こう言って息を引き取りました。ロスタムはその後、故郷のザーブリスターンに帰り、ソフラープを痛んで一生を終えたと言うことです。


……とまあ、こんな話です。なんというか救いがないというか、そこがいいのだという向きも多いのですが。遠蛮は父にかつてナイフで脅された経験とか、ぼんごしで殴られた経験があって。その父とは絶縁したのでだいぶ救われはしているのですがそういう、気のおかしい父がいたからなのか家族愛とかに飢えるところがあって、物語でも親子の間には無私の愛情があってほしいと思うのでした。それでは、本日はこれにて。

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