第5話 メソポタミア神話

 メソポタミアの神話ですが、まず地理的なことを。「メソポタミア」というのは「川の間」を意味し、チグリス川とユーフラテス川の中間地帯、チグリスの語源としてはシュメール語のイグディナ、あるいはアッカド語のイディグラトに拠ります。ユーフラテスの語源はシュメール語プラヌンらしいですが、こちらはほとんど原型ないですね。まあだいたい、イランの西から地中海、ギリシアの手前あたりの結構広い地域に跨がります。


 メソポタミア最初の古人類というとウバイド人とかになりますが、やはり最初に文明と言葉を持った人びととなるとシュメール人。もともとはこの地の人種ではなく、海の彼方から来たとか山を越えたてきたとか諸説あって判然としません。出土品の図像などから察するに東方系の人種? という説が有力。男性は頭を剃っているのがほとんどだったといいますから、あまり現代的に美男子というイメージではないかも知れません。中国北斉の蘭陵王こと高長恭、あのひとも高車族=弁髪面長だったはずで、現代日本人から見ると「ラーメンマン」にしか見えないはずなんです、時代ごとに美形の定義変りますからね。で、巻きスカートが普通だったと。その彼らが建てた都市国家ウルとかウルク、ラガシュなんかに創建された神殿で崇拝されたのが世界最古の宗教ということになります。ちなみに神殿における巫女は神聖娼婦と言うのを兼ね、これが世界最古の職業であったことは案外有名。あと神殿中央にはジッグラトというピラミッド状建造物があり、シュメール語でエ・テメン・アン・キ(天地の基の塔)といわれました。この最も有名な者がバビロンのそれで、いわゆる聖書の「バベルの塔」です。


 シュメール人の時代から数百年するとアッカド人が入ってきてシュメール人を征服、都市国家アガドを首都にしてアッカド王朝を立てます。ここでシュメール神話とアッカド神話という二つの流れに分岐、さらにアッカドがバビロニアとアッシリアに分かれてここでも話が分岐していきます。楔文字とかハンムラビ法典なんかにも言及したいところですが、これ神話ばなしなのでさっさと神話に行けという話ですね。それでは次から神話。


 まずシュメールの最高神は天神アン(アヌ)と地母神キ。この二人が夫婦神で、間に産まれたのが嵐神にして大気の神エンリルを筆頭とする「アヌンナキ(貴き神々)」たちですが、これがアッカド神話になるとエンリルは主宰神から降ろされてマルドゥークというバビロニアの主神に代わられます。といってもまずはシュメール神話主体で話を進めますので、エンリルを主神として考えます。


 エンリルから産まれたのは月神ナンナル、太陽神ウトゥ。ナンナルから金星神にして愛の女神イナンナが産まれます。この神話の系譜として主流はニッブールなのですけど、のちにエリドゥの主神エンキ(智慧と水の神)がエンリル弟神として祀られるようになり、アトラ・ハシース物語……いわゆるノアの箱舟の元ネタですが……で人類を救済するなど、アヌンナキの中でも最重要な役割を果たすことになります。アッカド神話においてもほぼ、これらの神は名前が変わっただけでそのままに存在し、エンリルはベール、イナンナはシン、ウトゥはシャマシュ、イナンナはイシュタルとなりました。有名どころの神としてはエンリルの息子・戦神ニンギルス、禍の神にして冥府の王ネルガル、そしてのちにキリスト教の唯一神ヤーウェの母体となった山と嵐の神アダドなんかがいます。


創世神話

まず天地が無極から起こり、天地の中から天神アンと地母神キが産まれます。アンとキの間にアヌンナキが産まれ、彼らから多くの神、女神が産まれました。


 この当時天地はまだ別たれておらず、ウルクリムミという巨人がひとりで天と地をつなぎ止めていました。この巨人はすべての神が束になってもかなわないほど強大な存在でしたが、智神エンキは天の金床で造った大鋸によってウルクリムミを殺し、天と地を切り離したということです。


 天地が別たれ、天にはアヌンナキが、地には下位の神々が暮らすことになりました。全ての神々の最高権威者は、大気と嵐の神エンリルです。天地が別たれ、イディグナ川とブラヌン川が定められると、エンリルはほかのアヌンナキたちに次はなにを造るべきか尋ねます。これに応えた二人の神が「ニップールの神殿ウズムアで、工芸神ラムガの血から人間を造りましょう」といいいましたが、人間の役割は最初から神々の仕事の肩代わりをする、労役奴隷として生み出されることを約束されたものでした。かくて創造された最初の男をアンウレガルラ、女の方はアンネガルラと名付けられます。彼らは土地を耕し収穫し、神殿を清めて祭祀を行うよう命令されました。その恩恵として神々は様々の知識と智慧を、人間たちに与えます。ちなみに最初の人間は全裸で水中に住み、必要以外地上にはいなかったし地上にも牛や羊などの獣はいなかったと言うことでした。神々は彼らにまず羊を与え、大麦も地上にはなかったのでこれまた与えました。人びとは農耕に励み、神々は太陽光を注ぎ、そこから植物が芽生えて豊かな実りをもたらします。シュメールの地は豊かになり、人びとは水中から地上に移動して粘土の家を建て、そこに住むようになります。また神々のために清浄な神座(かむくら)をたて、人も神もすべて豊かとなりました。


 というのがシュメールの創世神話。これがアッカドになると少々、というかだいぶ変わります。


 天も地もなく混沌があった頃、男神アプスーと女神ティアマト(それぞれ、「真水」「塩水」の意)だけがありました。ちなみにこの二柱の神は世界最初の「竜」でもあります。ティアマトは天地の間のすべてを生み出しました。男神ラフムと女神ラハム、その二神からまたアンシャルとキシャル、かれらが所謂別天つ神(ことあまつかみ)というべき存在で、アンシャルとキシャルから産まれたのが天神アヌでした。アヌの息子がエア(エンキ)で、全ての神々の中でもっとも傑出した力と知恵の持ち主でした。


 神々が増えてくるにつれ、アプスーはその騒々しさを煩わしく思うようになります。眠れないからどうにかしろとティアマトに言うのですが、ティアマトはわたしの子供たちですから、と優しくそれを諫めます。


 これを伝え聞いて驚き慌てた神々は恐慌状態に陥りますが、エア神だけは泰然自若、魔術でアプスーを眠らせ、殺してしまいます。この際エアはアプスーが纏っていた衣冠……最高神としての「神威」を奪い取って自らまとったとされます。とはいえこの神話の主人公はエアではないのですが。


 やがてエアの妻神ダムキナが身ごもり、息子マルドゥークを産みます。エアは大いに喜んでこの息子に普通の神の2倍の力を授けました。ゆえに4つの瞳と4つの耳、火を噴く口と輝く身体を持って、マルドゥークは成長します。大神アヌはマルドゥークに四つの嵐風を与え、マルドゥークはこれを戯れにティアマトに向けたので、ティアマトの勘気に触れました。他の神々もこの不遜に不愉快を表明し、ティアマトをたきつけるとティアマトは「よろしい、彼を殺せる怪物を造り、彼ら(アヌ・エア系の神々)と戦おう」と言います。ここに古き神と新しい神の戦いが始まります。


 ティアマトは無数の怪物、七岐大蛇ムシュマッヘー、毒蛇バシュム、蠍の尾を持つ竜ムシュフシュ、海獣ラハム、大獅子ウガルルム、狂犬ウリディンム、蠍人間ギルタブリ、魚人クリールなどなどを産み出し、彼ら息子の中でも最強のものキングーに軍勢司令官の地位を授け、彼を玉座に座らせるに当たって《天命のタブレット》というものを与えます。これはアヌンナキおよび下級神たちへの絶対統帥権を意味するもので、のちにアンズーという凶鳥がこれを神々から盗んで天界がパニックに陥るという話もありますが今のところは割愛。


 とにかく原初の女神である巨竜ティアマトと、司令官キングーは味方の神々を集め、戦いの準備を進めます。これと知ったエアは祖父アンシャルに「ティアマトとキングーがわたしたちを滅ぼそうとしております、どうしましょう?」と聞きますがアンシャルも当惑し、「お前がアプスーを殺したのが悪いのだ、ティアマトを宥めるほかなし」ということで息子の天神アヌを使者に立てるのですが、怒り狂うティアマト陣営は聞く耳持たず。かくなるうえは怪物とティアマトを倒すしかなく、それが可能なのはマルドゥークのみと。


 父から「ティアマトを宥め賺し、そして撃ち殺せ」という頼みを受けたマルドゥークは喜び、これは天界における自分の権力拡大のチャンス到来と、曾祖父アンシャルに「戦勝の暁には天命のタブレットをいただきたい」と乞い、容れられます。そして神々を集めて歓待して上機嫌にさせたマルドゥークは、彼らに天命を自分に与えることを約束させました。


 そしていよいよマルドゥーク出征。彼は弓と矢と三叉の鉾をとり、稲妻と燃える矢を取り、さらにはティアマトを拿捕するための網を取って出かけました。ティアマトの勇姿にほかの怪物やキングーはたちまち及び腰となりますが、ティアマトはマルドゥークをおそれません。「お前が天命の持ち主に選ばれるはずがない(神々は自分の味方である)」というティアマトに、マルドゥークは「愛を持つべきおまえが殺意をもつのか、資格を持たないのはキングーのほうである」といい、ここに両者の対決が始まります。


 マルドゥークは網を開いて凶風とともに投げつけ、ティアマトはこれを飲み込みます。暴風はティアマトの腹の中で荒れ狂い、腹を膨らませました。その腹めがけてマルドゥークが矢を放つと、腹が破れて鏃が心臓を貫き、ティアマトを打ち倒しました。


 ティアマトが死ぬとその配下の怪物と神々は戦うまでもなく恐れおののき、そのままマルドゥークの網に絡め取られます。そしてマルドゥークは捕えたキングーから天命のタブレットを奪い取り、自らの身につけて神々の主権者たる証を手にしました。


 その後、マルドゥークはティアマトの死骸から天と空と天水を造り、星と太陽と月をつくってその周期をさだめ、雲と雨と霧を創り、山をつくって川の流れを創りました。プラヌン側とイグディラト川は、ティアマトの両目から流れているそうです。そしてティアマトの尾を《天の結び目》につなぎ、最後に大地を創って天地の創世を完了しました。


 そして神々の王として認められたマルドゥークは神々から「何事も須くわれわれに命令されよ」と唱和され、「下界に神殿をつくり、わたしの王権を確かで末永いものにしたい。神々が集うとき、そこは安らぎの場となるだろう。そこをわたしはバーブ・イル(神の門。バビロン)と名付ける」と宣言、神々はこれを認め、「王よ、我々はあなたの下働きとなろう」。


 さらにマルドゥークは労働力として人間を創造しますが、その材料となったのはキングーでした。ティアマトについた神々と怪物の中で最も罪深い、ティアマトを唆したものは誰かということでつるし上げられたキングーは首を切られ、流れ出る血潮から最初の人びとが生み出されました。産まれたままの人間たちはただマルドゥークの命令に従い、神殿建設に奔走させられることになります。


 こちらがアッカドの創世神話で、シュメールのそれが牧歌的であんがい平和であるのに対し、こちらはずいぶん戦闘的な側面が押し出されています。まあ、アッカド人はのちに戦闘民族アッシリア人を生み出すベースでもありますから、神話も戦闘的なのでしょう。というか原初の神の死骸から天地を創造するというのは一種のパターンですね。世界各国あちこちに似たタイプの神話があります。


 今回メソポタミア神話はこれで終わりにして良いぐらいキリが良いのですが、他にアトラ・ハシース物語とギルガメシュ叙事詩くらいは紹介した方がいいでしょうか。ともかく、今回はこれで。


………………


 さて、メソポタミア編の2回目ということで有名なギルガメシュ叙事詩。そこそこ長いお話だし、途中はしょりすぎてもお話として意味が通じなくなるので2回に分けての1回目、ギルガメシュとエンキドゥの冒険、そしてエンキドゥの死まで書きたいと思います。


ギルガメシュ叙事詩-1

 ギルガメシュはウルクの王です。父はルガルバンダ王、母は女神ニンスン。生涯については叙事詩において結構描かれてますが、生誕に関してはほとんど記述がないあたり特異といえば特異です。その身の内は三分の二が神、三分の一が人間で、神々に言祝がれて祝福された東方一の勇士でしたから彼と組み討ちで勝てる者も、槍を取って撃ち倒せるものもいませんでした。ただまあ、その強さを鼻にかけて驕慢になり、ウルクの暴君として君臨します。若者をこき使い、娘たちをわがものとしました。誰一人として、ギルガメシュにたてつくことはできませんでした。


 人々はやがて耐えられなくなり、天に救いを求めます。天帝は女神アルルに命じ、粘土から人を造らせます。アルルという女神はちょっと変な人だったのか、天帝から「人を造りなさい」と言われながら「怪物のような」獣毛に覆われた蓬髪のエンキドゥを造りだしました。このエンキドゥは野にはなたれ、獣たちの中で生活しますが、この時点でウルクの民は誰一人エンキドゥのことを知りません。しばらくして一人の狩人が「野獣めいた化け物」を発見、その翌日には罠のことごとくをひきちぎられ、さらに見ると獣たちを罠からら解放しているのを発見、これに恐ろしくなった狩人は父に相談し、父はギルガメシュに相談するがいいと教えます。


 こうして伝え聞いたギルガメシュは、臣民を脅かす存在を除くために行動を起こします。狩人に町娘の一人をつけて野獣の水飲み場に行かせました。


「エンキドゥが現れたら着物を脱いで誘惑させよ、ひとたび女を抱擁するところを見たならば、野獣たちはエンキドゥが仲間でないと知って彼を捨てるだろう」


 ギルガメシュのこの指示を狩人は忠実に守り、野獣が水を飲みに来るまで三日待ちます。三日目、エンキドゥがやってくると町娘は全裸になり、彼を誘惑しました。女というものを知らなかったエンキドゥはたちまち籠絡され、1週間、彼女と過ごし、その間に野獣たちは彼を離れます。それと気づいたエンキドゥが獣たちに追いすがろうとしても、それまでのような動きはできなくなっていました。彼はもはや獣ではなく、人になっていたのです。それも美しく立派な勇士へと変貌していました。


 町娘に諭され、ウルクの町に参りましょうと誘われたエンキドゥは「連れて行ってくれ」と応えます。


「ギルガメシュの大暴れはわたしがたちまち変えてやろう、わたしは彼に挑戦して、田舎の若者が弱虫でないところを証明して見せよう」


 そしてウルクに二人が帰り着いたのはちょうど大晦日の夜であり、祭りの最高潮でギルガメシュが女神との結婚式の花婿役を務めるため、神殿に導かれる途中でした。狂騒の中を割って進むギルガメシュ、その前にエンキドゥは立ちはだかり、挑むような叫び声を上げます。


「王もようやく、好敵手に巡り会われたらしい」


 人々は口々に言い交わしました。彼らに曰く、ギルガメシュと人になったエンキドゥは、エンキドゥの背がやや低いもののまったくうり二つであったということで、いかにも強そうに映ったということです。


 ギルガメシュはエンキドゥの勇姿にも雄叫びにも、みじんのたじろぎも見せませんでした。彼は夢占いによってこれからの未来を知っていました。ギルガメシュも彼には敵わないが、二人はやがて友になるだろうと。ギルガメシュの方から進み出て、二人はすぐさま組み討ちをはじめます。「二頭の雄牛のごとく」戦いあった結果ギルガメシュは組み伏せられ、ついに本当に、好敵手があらわれたことを知ります。


 いっぽうでエンキドゥは強さだけでなく、節義と優しさを兼ね備え、今や自分が組み伏せる相手は暴君ではなく心身すぐれた勇士であり、ひるむことなく自分の挑戦を受けた正々堂々のことであることを好ましく思い、ギルガメシュに「王よ、貴方は自ら女神の息子であり、天から玉座を与えられた人であることを証されました。わたしは二度と名貴方と戦うことはいたしますまい。さあ、友となろうではありませんか」こうして二人は抱擁を交わし、以後無二の親友となったのでした。


 ギルガメシュはもとより大層な冒険好きで、危険な誘惑に抗いがたいひとでした。ある日彼は神の森にある杉の木を切り倒し、勇気を天下に示そうと思い立ちます。それが危険であり、また神々への不遜でもあることを知ってエンキドゥは「それはまったく困難なことです」と諫めましたが、困難をこそ愛するギルガメシュは退きません。森の番人であり声は暴風、口から炎、吐く息はペストをまき散らすフンババの危険さを説かれても、むしろ戦意をかき立てられ、


「きみのような勇士が死を恐れるのか? もし君の子供たちに『ギルガメシュが死んだとき父上はなにをしていたのか』とたずねられたら、どう答えるつもりだ」


 とやり返されたエンキドゥは説き伏せられ、冒険の準備を始めます。長老たちに計画を明かすと危険だと止められたので太陽神の神殿に向かい、太陽神もこの話を拒絶するとギルガメシュは彼の母、天の女王ニンスン女神にとりなしを頼みました。ニンスンは一番美しい衣を纏い、衣冠をただして太陽神に懇願、涙ながらの懇願に太陽神も心が揺れ、二人の勇士を助ける約束を取り付けます。天から帰ったニンスンはエンキドゥに、彼女をあがめる者がみなつける護符を与え、ギルガメシュを案内するようにと申しつけました。長老たちもエンキドゥが護符を身につけていることで前言を撤回、ギルガメシュに冒険の祝福を与えます。


「エンキドゥは女神が守り給う。王の身を、安んじてエンキドゥに委ねよう」


 かくて二人は出陣し、普通の人間が6週間で乗り越える道程を3日で踏破、山々を抜けて神の森へとたどり着き、その門前に。エンキドゥは細い隙間から中をのぞき、今ならフンババの不意を突けると言っている間に扉が跳ね返り、手を挟み込んでしまいます。この痛みにエンキドゥは12日間苦しみ、ギルガメシュにやはり無謀な冒険はやめようと説き続けましたが、ギルガメシュを翻意させることはできませんでした。


 二人はなお森を進み、ついに杉山に到達します。ここは神々の集会所であり、世界で最も神聖な場所でした。長旅に疲れ切っていた二人は木陰に身を横たえると、すぐ眠り込んでしまいます。


 その夜中、ギルガメシュは山崩れの下敷きになり、その後二度とないような立派な人に助けられる夢を見て目を覚まします。悪夢ではないかと心配するギルガメシュに「それは吉兆です。フンババと戦ってもわたしたちが勝つでしょう」と答えました。二人はふたたび眠りに落ち、今度はエンキドゥが夢を見ます。これはエンキドゥが死ぬことの預言でしたが、ギルガメシュは友にそれをいうことができませんでした。


 さらに進んで、ギルガメシュはついに禁断の杉を切り倒します、すると早速、門番フンババが猛り狂って飛び出しました。この、見る者を石に変える単眼をもつ化け物の恐ろしさに、ギルガメシュは生まれて初めて恐怖を覚えますが、このとき約束を忘れていなかった太陽神は二人の勇士に力を貸します。フンババの目に向けて焼けつく突風を吹きかけ、その単眼を閉ざさせたので、ギルガメシュとエンキドゥはフンババを取り囲んで殺しました。フンババは慈悲を乞いましたが、二人は聞き入れず、その首を切り落とします。


 この冒険にひとまずの区切りをつけたギルガメシュが沐浴斎戒、身嗜みをととのえると、その美貌は女神も凌ぐがごとし。森の主人であり美の女神でもあるイシュタルはさっそく彼のもとにやってきて、誘惑のささやきをかけます。しかしギルガメシュは応じません。お前はわたしを金持ちにしてやると言うが、引き替えに途方もないものを求めるのだろう、また、お前の淫蕩と不貞をわたしは知っているぞ、わたしもほかの愛人たちと同じ目に遭わせるのだろう、と。


 この言葉にイシュタルが怒るまいことか。ひどく腹を立てたイシュタルは天上の父母のもとにかけつけ、ギルガメシュから受けた侮辱を報告しました。しかし娘の不貞と淫蕩に手を焼いていた父神は取り合おうともせず、当然の報いとたしなめます。イシュタルは泣き落とししながら父に天の雄牛……一暴れすれば大嵐と大地震を起こすとされる……をギルガメシュに向かわせてくださいと哀願。


「聞き入れてくださらないなら、地獄の門を打ち破って死者を解き放ちます」


 というのですから、この女神の性根も相当のものですが、父神はやむなく天の雄牛を差し向けることを承知しました。しかし放たれた天の雄牛は、エンキドゥによって暴れる前に仕留められてしまい、太陽神にその心臓を捧げられてしまいます。イシュタルはまた降りてきてギルガメシュに自分を侮辱したこと、そして天の雄牛を殺したことについての怒りを告げますが、このときエンキドゥが天の雄牛を殺したのは自分であると応じたため、彼の運命は極まることになりました。


 しかしいかに悪辣な性根とはいえ、神というものはあざけられてよいものではなく。因果は応報。エンキドゥはある日、夢に神々の会議のさまを見ました。議題はフンババと天の雄牛を殺したエンキドゥとギルガメシュ、どちらの罪が重いか。罪の重い方が死ぬべきと、神の掟に定めてあったのです。天神アヌはギルガメシュの罪が重いと言いましたが風神はエンキドゥが悪いといい、侃々諤々、議論は紛糾して決着はつきませんでした。目覚めたエンキドゥは自分が死すべき定めにあることを悟ります。


 エンキドゥはその晩、昔、野獣としての気楽な暮らしを思い出し、自分を見つけたあの狩人を思い出し、人間社会へと引き入れた町娘を思い出し、杉の森での冒険を思い出し、そしてあの扉に挟まれた腕の痛みが、生涯最初で唯一の痛みであったことを思い出して、狩人を呪い町娘を呪い、激しくあの扉を呪いました。


 やがて明けの明星。朝の光のいろどりは、エンキドゥにこう語りかけます。


「人間社会でのお前の生活のすべてが闇であったわけではない。今、お前が呪っているものはかつては光であったものだ。あの狩人と女がいなかったら、お前は今でも野の獣のままであったろう。しかるに今、お前は王侯並みの食事をし、豪華な寝床に眠っている。そもそもあの二人がいなかったなら、お前はギルガメシュという、生涯の友に出会うこともなかった」


 そう語るのは太陽神であり、エンキドゥは心が解けていくのがわかりました。今や彼は狩人も町娘をも呪わず、あらん限りに、あの二人に祝福あれと願いました。


 その後、エンキドゥは病を得てみるみる衰弱し、10日後に死にます。ギルガメシュは一枚の布を取り、婚礼のブーケのようにしてエンキドゥの顔を覆ってやりました。ギルガメシュはあちこち歩き回り、子を失った母猪のように泣きわめき、そして輝かしさ、美しさを失った友の亡骸に、「ああ、今こそわたしは死を間近にし、そして恐れる。いつかわたしもこのエンキドゥのようになるのだ」とおののくのでした。


 ひとまずここまでで、次回はギルガメシュが不死を求める旅と、その顛末を書きたいと思います。それでは本日これにて。


………………


 メソポタミア編の第3回、ギルガメシュ叙事詩中のウトナピシュティム(アトラ・ハシース)伝説のくだりです。


 エンキドゥが死んだ翌朝、ギルガメシュは固い決意を胸にしていました。世界の果てに住む、かつて大洪水から免れて生き延びただひとりの人間を訪ね、命の秘密を聞き出すことを。その人物の名を、ウトナピシュティムといいます。


 日が昇るとすぐに、ギルガメシュは旅立ちました。そして長い旅の果て、世界の果てに大きな山の入り口までたどり着きます。山門には重々しい扉があり、パピルサグ(半人半蠍)が、大勢で番をしていました。


 ギルガメシュは一瞬ひるみ、彼らのらんらんとした瞳に見つめられると気弱く目をそらします。しかしすぐに気を取り直すと、王の威をまといなおして前進しました。パピルサグたちも相手がただ者ではないとさとり、丁重に旅の目的を尋ねます。ギルガメシュが命の秘密を学ぶためにウトナピシュティムに会いに行くのだと答えると、パピルサグの頭は「その秘密が人間に明かされたことは古来一度たりとない。およそ人の身であの賢者にたどり着いたものはない。この先人の足ではとうてい通うことのできない道が続くのだぞ」と答えます。


「どれほどの艱難が待ち受けようと、ひとたび誓った以上私は怯まぬ」


 この言葉にパピルサグたちはギルガメシュ人知を越えた英雄性をさとり、扉を開くのでした。しかし扉の先のトンネルに踏み炒るや道は刻一刻と暗くなり、たちまち前後不覚の真闇に。闇に果てはないのかと思った矢先で突風が吹き、太陽輝く世界に戻ったギルガメシュは極楽のような世界で太陽神に迎えられ、この先を進むのはやめよ、お前の求めているものは、決してお前に見いだしうるものではないと諫めますが、ギルガメシュは聞きません。太陽神と別れて目的の道に戻ります。


 やがて一軒の大きな屋敷にたどり着き、ギルガメシュはここで案内を請いましたが、シドゥリというこの屋敷の女主人はギルガメシュがあまりにみすぼらしい姿をしていたため、気味悪い浮浪人と思い鼻先で扉を閉めます。これに怒るギルガメシュ。扉をたたき壊さんばかりに激しますが、シドゥリが窓を開けて浮浪人を用心する理由を明かしたので怒りを抑え、こんな姿になった今までの旅のいきさつを話しました。


 シドゥリかんぬきをはずしてギルガメシュを迎え入れ、二人は一夜をともにして語らいあいました。シドゥリはどうにかしてギルガメシュをここにとどめたく、旅を断念させようとします。


「ギルガメシュ、あなたが求めているものは人間に見つけ出すことのできないもの。なぜなら神は人間を作るに当たって、死をその取り分としてお作りになったのですから。ですから人間の取り分を享受なさいませ。食べて飲んで、幸福を求められなさいませ」


 しかしやはりギルガメシュの意思は変わらず、ウトナピシュティムの居場所はどこかとシドゥリに尋ねます。シドゥリはついに答え、


「老人は海の遠い果てに住んでいますが、その海は死の海であり、未だかつてそこを越えた人間はいません。ただ、私の宿にウルシャナピという男が居ます。この男は老賢者の船頭で、頼めば向こう岸へ渡してくれるでしょう」


 シドゥリはそういって船頭とギルガメシュを引き合わせ、ウルシャナビは死の海を越えるため1ダースほどの棹を用意するよう、ギルガメシュに求めました。ギルガメシュは言われたとおり用意し、二人はほどなく出帆しました。


 何日も航海するうち棹を使い果たし、ギルガメシュたちは遭難します。ギルガメシュが自分の衣服を帆にしたことで九死に一生を得、賢者ウトナピシュティムに見つけられて迎えられますが、ギルガメシュの問いに賢者の答えは


「貴方の求めるものは見つけ出すことなどできない。なぜなら永遠などこの世にはないからだ。すべての命に事柄に、取引も収穫も水も戦争すらも、時間というものは定められているのだよ」

「おっしゃるとおりではありますが、しかし貴方は若いまま、永遠の時を生きられているではないですか。その秘密を知りたいのです、お教えください」


 ウトナピシュティムの瞳に複雑なものが浮かびますが、やがて彼はほほえむと言います。


「よかろう、若い人。人の知り得ない秘密を教えて進ぜよう。神々の他に知るものはわしひとりの秘密を」


 といって彼は洪水伝説を語りはじめます。神々かが増えすぎた人間を根絶やしにしようと洪水を起こすことを考えたとき、心優しき全智の神エアが風を吹き鳴らして警告したこと、それを聞いたウトナピシュティムが箱船をこしらえ、家族と家畜を船に積み込んで船をアスファルトで固めたこと、洪水が来てたちまちに水かさが増し船を翻弄し、稲妻と大水は7日7晩続いたことを告げました。


 7日目に老賢者は世界の果ての山に乗り上げ、水が退いたかどうかを確かめるため一羽の鳩を放ちました。鳩は休む場所がなく、すぐに戻ってきました。つぎにツバメを放ちましたが変わりなく、さいごにカラスを放つとカラスは戻ってきませんでした。老人はそこで家族とともに船を下りようとしましたが、このとき風神が下りてきて風を一吹き、箱船はまた流され、水平線遙かなこの島にたどりついて神々から永遠にこの場に閉じ込められる運命を与えられました。


 この話を聞いてギルガメシュは、ついに不死を求めての旅が徒労であったことを悟ります。ウトナピシュティムの不死は神々の恩恵(あるいは呪い)によるものだったのですから、後天的な知識ではどうにもできません。


老人は貴方の求めるものは「人間の側から手に入れることは決してできん」といい、語り終えます。休みなさい、ウトナピシュティムは言い、ギルガメシュはうとうととしてそのまま6日間、眠ってしまいます。起きたとき彼はちょっとうとうとしただけで眠ってなどいないと言い張りましたが、老人の妻が毎日一個ずつ焼いたパンが6つ並んでいるのを証拠に見せつけられて自分が時間というものに抗いがたい存在という時日を確認させられます。


帰郷の準備をせよ、というウトナピシュティムに、その妻は「彼を手ぶらで帰してはなりません。つらい思いをしてここまできた彼に、なにかお土産をしなくては」と言いました。ウトナピシュティムは「この海の底に一本の草がある。この草を手に入れて食べたものは、若さを取り戻すことができるのじゃ」そう聞くやギルガメシュは足に重しをつけて海に飛びこみ、バラのようにとげのある草をつかみ、おもりを外して波間に出ます。


船頭のウルシャナビが待っていました。「これが“若返りの草”なんだ。これを食べたものは皆等しく若返り、寿命が延びるという、ウルクに戻ってみなに食べさせよう、それで私の冒険も少しは報われるというものだ」


しかしウルクへ戻る途中、水浴びをしたいと言って着物を脱ぎ、出水に向かったギルガメシュ、彼の姿が見えなくなるやいなや一匹の蛇が現れて、薬草を持ち去ってしまいます、草を食べるやいなや蛇は脱皮して若返り、戻ってきたギルガメシュは大切な薬草ももはや手の届かないものとなったことをしって悲嘆に暮れ、泣きます。しかしすぐに立ち直り、これはすべて人の定めと思い直し、諦めてウルクへと帰還したということです。


以上。これにてメソポタミア編は終了と言うことで。カナーンの神話とかもあるのですけども、メソポタミアの主流ではないのでまあ、外しとこうかと。


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