第2話 インド神話-1

 インド神話。


 インド神話は神話学の話で西洋代表がギリシア・ローマ神話となると、対比的に東洋代表として引き合いに出されることが多いです。実際、東洋思想のルーツは大概ここに根差すので間違ってはいないかと。まあ最近は中国五行思想やら日本神道思想もクローズアップされることが多くなって、インド一強だった昔とはだいぶ変わりましたが。


 インド神話にもいくつかの段階があるというか、何種類かに分かれますが、まず最初に来るのが「ヴェーダ神話」です。アーリヤ人がインドに入植して、紀元前1200年ごろに彼ら最古の文献「リヴ・ヴェーダ」が成立しました。誰が始めたかということは分かっておらず、そもそもからして誰かが創始したものではなくて永劫の昔から存在したとされ、天啓聖典(シュルティ)と呼ばれます。聖仙(リシ)が詩的霊感とソーマ(神酒、麻薬)の助けを得て恍惚状態に入り伝える言葉で、もともとは文章ではなく口伝であって、誤伝を防ぐためにさまざまの吟誦法が存在しました。なので文献学者が字面だけを追っていろいろ調査してもそのリヴ・ヴェーダの賛歌を解明することは難しいといわれます。ヴェーダ聖典は4つ、「リヴ・ヴェーダ(神讃)」「ヤジュル・ヴェーダ(祭祀書)」「アタルヴァ・ヴェーダ(呪句集)」「サーマ・ヴェーダ(歌詠法)」。このうち日本で岩波文庫から抄訳が出ているのはリヴ・ヴェーダとアタルヴァ・ヴェーダです。


 リヴ・ヴェーダの神話は多神教であり、神々はデーヴァ、と呼ばれます。これはラテン語のデウス、ギリシア語のテオスと語源を同じくし、「輝く」を意味するdiv-から発して「輝かしいもの」の意。神があれば悪魔も存在する、というわけで彼らはアスラと呼ばれます。もともとアスラは悪魔という意味ではなくて、デーヴァとは出自や能力の異なる神だったというだけなのですが、長い時間をかけてデーヴァが善、アスラは悪ということに定着していきます。それでもヴェーダの主宰神であるヴァルナ(水天)はアスラですし、ヴェーダ以降、ブラーフマナや叙事詩神話において大活躍の破壊神シヴァのルーツ、ルドラにしても「出自はアスラ」と明記されていますから完全に貶めることはできなかった模様。たぶんヴェーダ神話におけるヴェーダとアスラというのは後発の入植者であるアーリヤ人の神と、土着のドラヴィダ人の神という違いなのだと思いますが。余談ながらイラン神話においてはデーヴァとアスラが逆転します。


 ヴェーダ神話における主宰神はヴァルナですが、もっとも偉大とされる天の神はディヤウスといいます。天神ディヤウス。父なる天と呼ばれますが、あまり重要視されることはなく「神々の父」ではありますが天界の主宰者となることもありませんでした。エリアーデいうところの「信仰崇拝の対象から外れ、閑な神となった」神です。地母神プリティヴィーとともに語られ、天なる牡牛ディヤウスと地なる牝牛プリティヴィーのあいだに生まれた神々が神話の主役となります。地母神崇拝というのは全世界的に広がりも影響力も大きく、のちのインドにおける知恵と川の女神サラスヴァティー、イランのアナーヒターほか世界各地に存在するのですが、ヴェーダの中におけるプリティヴィーはそんな大物ではないです。


 ヴェーダの神々の中で一番の大物といえばインドラにとどめを刺します。暴風雨神マルト神群を従える雷霆の具現であり、アーリア人の敵を次々と打ち倒す武勇神。巧芸の神トヴァシュトリから受け取った武器ヴァジュラで干ばつの毒竜ヴリトラというアスラを殺すところから別名「ヴリトラハン」といわれ、ヴリトラハンはイランにおける「ウルスラグナ」に対応するというので彼のルーツはインド・イランがまだ分かたれるまえにさかのぼります。ただ、このインドを代表する英雄神はのちにイランでは悪魔の代表ということに落とされますが。またインドラという名前は前14世紀ごろのミタンニ・ヒッタイト条約にミトラやヴァルナという名前とともに挙げられていることから、小アジア、メソポタミアまでこの神の名が知られていたことがわかります。


インドラのヴリトラ退治は何度も繰り返されます。ときとしてインドラは負けて殺され、その後また生まれ変わってヴリトラを殺し、新しい天地を想像します。これはあれですね、バアルとモトとか、マルドゥークとティアマトの神話とだいたい、対応しているのだと思います。冬が希望をおしつぶし、春の芽吹きによってまたよみがえるタイプの神話。インドラの背景には古代アーリア人ならだれでも知っていたレベルの広範な神話があったに違いないのですが、それを読み解くことは困難で「母の脇腹から生まれるが母に逃げられ、父トヴァシュトリの怒りを買い、ソーマを飲んで力を得、父を殺し、ヴィシュヌの助けを借りて毒竜ヴリトラを殺すが、父殺しのため神々の道場を失い、天地の間をさ迷い歩き、妻にもつらい思いをさせる。しかしその後鷲によってもたらされたソーマで活力を取り戻し、栄光を勝ち取る」ぐらいのことが断片的にしかわかりません。


ついで重要な神格としてヴァルナがいます。リヴ・ヴェーダ中彼にささげられた賛歌はほんの少ししかありませんが、ディヤウスがインド・ヨーロッパ語族の古い最高神であったのと同様、ヴァルナはインド・イランの分化以前の最高神であったかと思われます。典型的デーヴァであるインドラと対照的な典型的アスラであり、神性からしてイランのアフラ・マズダに対応、宇宙の秩序と人倫の支配者であり、天則(リタ)という宇宙の絶対法則をつかさどる存在でした。リタには神々すらそむくことが許されず、わずかでも背くものがあればヴァルナの縄によってとらえられ、腹水病にかからせたといいます。苛烈な神であると同時に、悔悛するものに対しては慈悲深い神でもありました。


 ヴァルナとかかわり深い神としてミトラがいますが、この神については性格が不確かでよくわかっていません。対応するイランのミスラは軍神、雨神、光明神でヴァズラ(インドラのヴァジュラ)を持つとされますが、インドにおいてこの神が軍神として活躍した話は残っていません。あと、古代ローマのミトラス神と同一視されることも多かったですが、最近はそこも疑問視されています。


ほかアリヤマン(歓待)、バガ(幸運)、アンシャ(配当)、ダクシャ(意力)などがおり、アーディティヤ神群と言われ、母アディティは後世太陽と同一視されました。


ほかに太陽の娘スーリヤーの恋人として知られるアシュヴィン双神は常若の神で、非常に美しく、車輪に乗って天を疾駆し、天から蜜を垂らして人々を癒すとされ、後世神々の医師とされます。


アグニは火の神であり、リヴ・ヴェーダ中に占める賛歌の数はインドラに次ぎます。語源はラテン語イグニスと同根で、イランでの名前はアータル。天上にあっては太陽、空中にあっては稲光であり、地上では祭火。人体の中でも意志の光や怒りの火として燃え、どこにでも偏在するもの、暗黒をとりはらうもの、詩的霊感の源泉などとしてたたえられました。神と人の仲介者であり、祭祀官であり、羅刹を焼くものであり人々を危難から守るもの。


ついでソーマ。神酒、というより麻薬ですが、これはもともと植物の名前だったらしいです。ソーマという草から抽出した飲料による酩酊状態で詩的霊感を高め、ヴェーダというものが編まれたというのですから重要度が高いのは確か。リヴ・ヴェーダ中インドラ、アグニに次ぐ賛歌の数を誇りますが、現在ソーマという植物は地上に残っておらず、その成分は謎です。


 太陽神が複数存在するのもインド神話の特色といえるかもしれません。スーリヤ、サヴィトリ、ガーヤトリー、プーシャンなど。日輪そのものがスーリヤでサヴィトリは人々に力を与える作用、プーシャンは太陽の保育力をつかさどり、そしてヒンドゥー教の時代になり至高神の一人になるヴィシュヌはヴェーダの当時ささげられた賛歌こそ少ないですがインドラの同盟者であったり三界を三歩で闊歩する威力であったりで知られていました。


 ほか風神ヴァーユはヴェーダの当時それほど強力な神とはみなされませんでしたが、イランでは風神ワユというと比類なく強力な神でした。同じく風の神にルドラという神もいます。マルト神群の父であり、暴風雨の具現化。もともとアスラであり、人々を殺す恐ろしい神でありながら、同時にこの上もなくいつくしみ深い神といわれ、疫病を払う霊薬の神でもありました。のちヒンドゥー教においてはシヴァ神の別名の一つとされ、ヴィシュヌ神と信者を二分します。

 川の女神、地母神として数多くの女神が存在しましたが中でも別格なのがサラスヴァティーで、サラスヴァティー川という実在の河川自体は長い年月の中で消滅しましたがこの女神はのちに言語の女神ヴァーチュと同一視され、学問や技芸の守護神ともなりました。のち仏教における弁財天。


 死者の王ヤマはもともと最初の人間であり、最初に死んであとからくる使者たちの道を発見したこととから死者の王として楽園を支配しました。以後死者の霊はヤマの使いである二頭の犬に導かれて楽園に赴き、祖霊たちとともに楽しく暮らすとされています。


        以上、ヒンドゥー神話の神々

           参考文献・東京書籍・上村勝彦「インド神話」より

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