第二章 冤罪のなる木②
「ばかばかあんたはほんっとにばか! 歩きながら居眠りをする女官がどこにいるの! あ、先に言っておくけど、ここにいるとか言ったらもっと怒るから。下手したら獄行きだったの、あんたちゃんとわかってる!?」
婕妤にあらたな披帛をまとわせ、その装いをほめちぎったところで、来客があった。おなじく一区に住まう
婕妤をのせた輿を先頭に、供をぞろぞろとひきつれて
「あの、ありがとうございました。おかげで助かりました……けれども」
「けれども!?」
「先ほどのは才里だって危なかったのではありませんか? 感謝はしていますけれども、今度なにかあったときには見捨ててくださって結構ですわ」
「はあ?」
「わたくしの不注意に、無関係な才里を巻きこむわけにはいきませんもの」
「あんたねえ……」
ふうっと息を吐いたかと思うと、才里はさらに桃花をねめつけた。
「ほんっとばかね。なに水臭いこと言ってんのよ。あたしとあんたの仲じゃない。あ、先に言っておくけど、どんな仲? とか聞いたりしたら史上最大級に怒るからやめてね」
先回りして
「──あ、ちょっと、見て見て」
ぼんやりとする桃花のわき腹をひじでつついて、才里が垂花門をしめす。
妃嬪三人のなかでは一番位の低い呂美人の輿が出てゆくところで、その最後尾にいた女官がひとり立ち止まり、植栽のほうをふり向いていた。
麗人揃いといわれる呂美人の女官のなかでも、ひときわ人気のある人物だった。すらりと背が高く、中性的な顔立ちをしている。
彼女がどうかしたのかと思っていると、植栽の陰からもうひとり、女官がそろりと出てきた。
「きゃあ、ちょっと隠れて! あれ張傛華のところの女官だわ!」
なぜ隠れる必要が、と思いつつ、才里に押しこまれるようにして柱の陰に隠れた。
「きっと告白よ! やっぱりそう!……あぁだめだめ、呂美人に気づかれちゃってるじゃないの下手くそ」
どうでもいいなと思っているあいだに、告白劇はさっそく終わったらしい。
桃花は寝ぼけまなこをこすりつつ、才里を置いて
「はぁもう、なんたる体たらくなの、さっきの女官! ほら桃花、お茶いれてきたわよ、いっしょに作業しましょ」
そうだろうと思っていたが、すぐに才里がやってきた。
「あーダメよ桃花、几に墨がついてるじゃないの。生地が汚れちゃうわ。今夜の
「もう乾いていますから大丈夫ですわ」
「ほんっとにずぼらなんだから、もう!」
才里はぷりぷり怒りつつ、きれいに
「こんなところに梅の枝が。しかもなにこれ、
「なんでしょう、それは」
いろいろと散らかす桃花だが、それには覚えがなかった。梅の枝にはまだ白梅の花がついており、かすかな芳香があった。
「帛に文字が書いてある。文だわ……なになに、『月華のもとで桃待つ。
「…………」
きゃあきゃあとはしゃぐ才里とは対照的に、桃花はすっと表情を凍らせた。
「
「えーなに、相手の片想い?」
「ちがいます」
「その様子だと、差出人がだれだかは知ってるみたいね。まだ花も
本気でかまどへと向かう桃花のあとを、楽しげに才里がついてくる。
厨につくなり、かまどに枝と文をくべた。よく燃えるようにふいごで空気を送る桃花の肩を、才里がぽんと
「桃花、恋の相手は男がいいだなんて、
宦官にも通貞と貞があり、幼いころに施術をうけたものを通貞といい、大人になってから腐刑などで浄身となったものを貞という。成人後に宦官となった貞は通貞とちがい、骨格など外観の男らしさを残しているのが特徴だ。
「延明さまもそうだし、あの青い目の宦官も素敵だわ」
おしゃべり好きの才里は、延明という名前に桃花が一瞬眉をひそめたことに気がつかなかった。
「……そうですか」
「あ、でもほら、さっきの告白されてた呂美人のとこの女官はけっこう素敵だと思うわ。ええと、たしか
「ずいぶんお疲れ気味の竹でしたね」
遠目だったが、あまり元気がないように思えた。
そりゃあそうでしょと才里はうなずく。
「気疲れもするわよ。歩けばさっきみたいに告白されるし、そのたびに呂美人のご機嫌は悪くなるし。知ってた? 司馬さんと呂美人は恋仲なのよ」
へぇ、と気のない返事をしながら、文が完全に燃えたことを確認した。他人の色恋
「腕を組んだり、頰を染めて見つめあっている姿を見たって女官がいるのよ。夜にはふたりがこもる
「ああ、だから呂美人は
呂美人は入宮の日に帝の
「そういうこと。寵を競う花もあれば、
眠いなと思いながら、桃花は針仕事に戻る。
才里は作業を再開する前に、もう一度だけ几の下を確認した。
「そんないくつもありませんわ。あったら怒ります」
「なんで怒るのよ。あたし応援するわ。今夜、皇后さま主催の夜宴のあいだ、こっそり行ってきなさいよ。月のもとでの
桃花は、あれはそもそも恋文じゃないだとか、言いたいことはたくさんあったが、大きなあくびとひきかえに口に出すのをあきらめた。
***
その夜、いまにも消えそうなほど
開口一番に「迷惑ですわ」が飛び出すかと思ったが、表情を闇に溶かしたまま、なにも言わない。
「文を理解していただけたようで安心しました。きてくださり感謝します」
延明は後宮内にできたばかりの
「……形ばかりの感謝など意味がありませんわ。あれは脅迫でしたもの。『だれもが喜ぶ贈り物』など、差しだし人があなただとわかれば、金子のたぐいではないことくらい、察しがつきます」
「皆さんほんとうに喜ぶのですよ。だからこそ僥倖と呼ぶのです、帝の
「先日申しました通り、わたくしは喜びません」
「わかっています。しかしこうして強引に呼びだしてでも、私はあなたと会って話がしたかった。じつは、今夜の夜宴も中宮
「……それで、ご用件はなんなのでしょう。手短かにお教えください」
桃花が息をはく。
延明は前回とおなじ
「私の恩人が殺人の疑いで捕らえられています。しかし私には、どうしても彼がやったとは思えないのです」
==この続きは書籍版でお楽しみください!==
後宮の検屍女官 小野はるか/角川文庫 キャラクター文芸 @kadokawa_c_bun
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