死弟関係

海沈生物

第1話

 芸術家は死ねば名声が上がる。これはゴッホを始めとして数多の前例があるので疑いようのない話だ。なので、私は好きだった小説家を

 泉ペンギンというペンネームで書いてある二十五歳の男だが、テレビや雑誌などのメディアでよく顔出しをしていた。顔さえ分かれば後はネットリテラシーが低そうなツイートの数々から住所を割り出し、とある夜に窓から忍び込んで絞殺した。よほど疲れていたのだろう、私が首を絞めている間はうめき声すら上げなかった。


「弟子くん、俺のリンゴジュースまだ?」


 それなのに。殺して山の奥へ埋めたはずの小説家は、さも当然のような顔をして私が住むアパートのワンルームに居候している。それも、自称師匠を名乗るとして。

 リンゴジュースを要求してきた青目の小説家を無視すると、朝ごはんに賞味期限が明日までのシリアルを食べる。牛乳は昨日の晩のシチューに使ってしまったので、ただのじゃりじゃりとした甘ったるい砂糖菓子だ。これで栄養になるというのだから、シリアルとは不思議な食べ物だと思う。


「弟子くん、無視していいの? この大人気作家たる泉ペンギンが、直々に”売れる小説”を教えてあげる機会を易々と無下にするのかい?」


「”元”を忘れないでください。死んだ作家はただの都合の良い記号です」


「記号は酷くない? まるで、”死して作家は完成する”って言われているみたいで、不愉快なんだけど」


「貴方にとって不愉快でも、私にとっては愉快なので。そうでないと」


「——貴方を殺してなんかいません、って感じかな。合ってる?」


 突然の声色の変化に静寂が訪れる。責められているわけではないのは理解している。ただ、彼は私の反応を楽しんでいるだけなのだ。好きな子にイタズラをする仕草のように、私という異常者をからかっている。そんな人間を殺した私が言える台詞ではないのだが、この泉ペンギンという青目の小説家も十分に異常者であるような気がする。

 残ったシリアルをスプーンで掬い上げて食べると、彼の視線を無視して洗い物をはじめた。いつもならアパート中の部屋を巡って朝ご飯を見てきたり、あるいは「認識」することができるらしいアパートの大家さんが飼っている老犬にちょっかいをかけに行くのだが、今日は珍しく私が皿洗いしているだけの光景を見つめていた。


 見つめる視線はどこか優しくて、けれど時折曇りを見せる。死んでもなお、彼の青色の「瞳」は不思議な魅力を宿していた。雑誌で初めて見た時からその瞳に一目惚れして、やはり良い作品を書く作家は顔が良いのだと勝手に納得した。


「もうそろそろ洗い終わるので、私を見るの止めてもらっていいですか」


「……キミってさ、なんで小説家でもないのに”私”なんて一人称を使っているの?」


「一方的な要求は聞けません。先に私の方を見るのをやめてください」


 彼は眉間に皺を寄せて睨んで来たが、不意に「いいよ」と背中を見せる。視線から解放された私はひっそりと服の袖で濡れた手を拭うと、乾燥機のスイッチを入れた。


「男とか女とか、今の時代はセンシティブなので微妙な話題なんですが。……昔、小学校の先生が”丁寧な文章を書く時は、一人称を私にしなさい”って言われて。周囲の男子が”俺”とか”僕”とか使う中で、”私”って一人称がスマートに思えたんですよ。それから惰性のまま一人称を変えずにいる、それだけの話です」


「惰性、ね。でも今の今まで使ってきたのだし、もはや”私”に対して愛着とか生まれているんじゃないの?」


「そう、ですね。今更”俺”とか”僕”とか使っても、なんか違和感がありますし。……ってこれ、何の話なんですか?」


「ただの”惰性”の話だよ。それに、こんな身体じゃ本も読めないからね。キミという存在から物語を引き出さないと、退屈でしまうからね?」


 そのギャグが私にウケないことを承知で言ってきているのが、本当に質が悪い。私がキッチンから出て行ってバイトに行く準備をはじめようとすると、青目の小説家が目の前に立ち塞がってくる。


「弟子くんはさ、なんで俺と師弟関係を結びたいと思ったの?」


「結びたいなんて一度も思ったことないですが。というか、私にとっては貴方が永遠になってくれたらそれで良かったんですよ? なのに」


「——幽霊として、どうして出てきたのか。それは簡単だよ。キミの”師匠”になるためさ」


 その理屈が分からないのだが。頭を掻きながらも、この青目の小説家と駄弁っていたらバイトに遅刻する、とそこからは無視を決め込むことにした。

 バイトから帰って来ると、彼はいなかった。私の背後霊というわけではなし、自由に世界を闊歩できるのだからどこかへ遊びに行ったのだろう。部屋の電気を付けてソファーに寝転がろうとすると、私の身体を貫通して半目の眠そうな小説家が現れる。


「ねぇねぇ、せっかく弟子なんだから小説書かない? 今なら俺が生前に溜め込んだ書くための知識を全部キミへプレゼントするけど」


「普通にいらないです。というか、それは師弟関係として健全な形じゃないんです」


「健全な形? そんなものは俺たちにないだろ。そもそも、幽霊と殺人犯が師弟関係を結んでいる時点で”健全”なんてものは打ち砕かれているのさ」


「それ以前の話です。師匠と弟子はお互いに高め合うのが健全なのであって、師匠が弟子へ一方的に教えるだけの関係性は”不健全”です」


「違うね。お互いに高め合う関係性というのは、それはもうただのライバルだ。師弟関係は圧倒的な師匠がか弱い弟子に技を継承してこそ意味がある」


 平行線の議論に辟易とする。だが、この定義ばかりは譲るわけにはいかない。そもそも、この師弟関係の定義を書いたのは誰でもない、目の前にいる泉ペンギンという小説家なのだ。彼の著作である『死神の羽』というエンターテインメント小説の中で語られた、最も「理想的な師弟関係」なのだ。

 これを否定されてしまえば、ただでさえ幽霊として生きてもらっている時点で崩れかけている彼への理想が、永遠が、崩壊してしまう。せめて、作品に対しては真摯にあってほしい。こんな適当な人間であっても、描いた物語においては真面目であってほしい。けれど、それは儚かった。


「あぁ、なるほど。キミは『死神の羽』の定義を本気で俺が書いたと思っていたわけだ。違うよ。あれはだ。俺はあの関係性が”嫌い”だからこそ、あの関係性を書いた。俺の”嫌い”が読者の”好き”になるようだからね」


 嘘であってほしかった。大好きだった小説家の口から、そんな言葉を聞きたくなかった。これが数日前の自分であれば、この小説家をこの場で殺していたかもしれない。けれど、もう死んでいる。死んだ人間を解釈違いで殺すことはできない。

 いっそ、私が死んでしまえばいいのか。首を切って意識を失えば、もう悩むことはない。私が包丁を取ってきて死のうとしたが、小説家はただ見つめているだけだった。ただ、私の方を青い目で見てくる。


「止めないんですか?」


「止めたらキミは弟子になってくれるのかい?」


「なりませんし、小説執筆には興味がないです」


「そうか。俺としては、キミのような”異常者”にこそ小説を書いて欲しかったのだがな。とても残念だよ」


「それは貴方が物語を読みたいからですが? それとも、才能があると本気で思っているんですか?」


「どっちでも好きに思ってくれていいさ、俺は小説家というペテン師だからね。真実を嘘にできるし、嘘を真実にできるのさ。それと、”才能がある”に関しては単純に俺の推測さ。小説家なんて斜陽産業、正常な人間はならないからな」


 正直、このまま死にたい。解釈違いというのはとても辛いものだし、それは健全な読者ではないこの自称ペテン師を語る小説家などには、一生分からないことなのだろう。

 だからこそ、私は書きたくなってきた。この小説家なんて過去のものにして、自分が理想とする世界を描いてやりたくなった。これは一種の狂信だ。どうせ、いつか私の犯罪が露見すれば全てが終わる。死ぬのなら、その時でいい。”死して作家は完成する”のだ。自分が正しいと思う「解釈」を書いてやればいい。この物語を生み出すことができなくなった小説家の脳髄まで、全部「私」色に塗り替える。そのレベルで沢山の物語を書いてやる。

 包丁をその場に捨てると、幽霊に手を差し出す。その意図を汲み取ったのか、小説家も手を出してきた。だが、もちろんすり抜ける。


「これは……まるで俺とキミの関係性のようだ。お互いに理解できない、理解し合ない。それなのに、師弟関係を結ぼうとしている」


「師弟関係というよりは、貴方は死んでいるんだし、”死弟関係”では?」


「それは良いね。いよいよ、キミも俺のギャグセンスに追いついてきたんじゃないか?」


 薄ら笑いにイラつきが高まる。ただ同時に、もう殺せない師匠をいつか見返してやろうという感情が高まっていた。

 こうして、私たちは死弟関係を結んだ。

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