33:好きな男の落とし方

 元気なお姉さんにショーケースの向こうから見送られ、梨央奈と万里はまた散策に戻った。


 話しながら歩くだけでも楽しくて、梨央奈は普段よりもずっと饒舌だった。

 アーケード街から見えた緑色の地帯に、梨央奈は目を見開く。


「もしかしてあれが公園ですか?」

「そう」

「いや、学校の運動場より広いですやん……」

「な」

「ああいう公園、テレビの中にしかないと思ってた」

「梨央奈、荷物。俺の足に当たってる」

「!?」


 笑いを堪えた顔で万里が言う。浮かれていた梨央奈は、いつの間にか手を大きく振っていたらしい。

 先ほど手作り雑貨屋で買っていた、陶器の針山が入った紙袋だ。梨央奈は顔を真っ青にする。


「ご、ごめんなさ――!」


 梨央奈の焦り具合に、万里が堪えきれずに笑い始めた。背を曲げ、拳で口元を覆い、くっくっと笑い声を漏らす。


「足、骨折する前に俺に持たせてくれん?」

「蹴りますよ」


 針山を買った時に持とうとした万里を制した身としては、なんとも渡しにくい。しかし骨折される前にと紙袋を渡せば、万里は梨央奈のいない方の手で紙袋を握った。


(反対で持てばよかった……)


 そんなことにも気付かなかった自分は、どれほど浮かれていたというのか。そして浮かれていない万里との差にむかついて、結局梨央奈は一回万里の背をぽすんと叩いた。




***




 散策を終え、梨央奈が気にしていた公園に寄った頃には、すでに空は赤くなっていた。黄色に染まった雲が広がる。

 先ほどまで大勢の家族連れや老夫婦が公園のそこかしこにいたのに、薄暗くなってきた公園は人もまばらになっていた。


「腹減ってる?」


 閑散とした公園を、ゆっくりと歩く。

 正直に言えば空いていなかった。お昼のサンドウィッチもかなりボリュームがあったし、その後に寄った和風カフェでも、美味しいわらび餅パフェを貪ってしまった。


 微妙な表情で首を横に振る梨央奈に、万里は「なら帰りにコンビニでも寄って、肉まんでもつまむか」と言う。


「帰る時間考えたら、七時前には出んとな」


 んー、と腰を伸ばしながら言う万里に、梨央奈は返事が出来なかった。帰る時間の話をされただけで、しゅんとしてしまう。


 口をへの字に曲げて黙り込んだ梨央奈を見て、万里が笑う。


「また来ればいいやろ」


 それが、ただ梨央奈を慰めるためだけの言葉なのか、万里も望んでいることなのかわからなくて、気持ちが塞ぐ。


(だってまた、来る理由がない)


 牡蠣のシーズンが終われば、また兄の友達と、友達の妹だ。


 やりたいことも、行きたい場所も沢山あるのに、万里と二人で出かける理由が梨央奈にはない。


 昨日受けた大学は、梨央奈が解答欄を間違えるなどといったよほどやばいへまをしていなければ受かっていると、塾の先生らに太鼓判を押されている。同じ大学へ通い出せば、なにかまた理由を見つけられるかもしれない。


 今度は自分から誘ってみようと梨央奈が奮起していると、万里が梨央奈の手を引いた。繋がれた手について何か言ってしまえば、簡単に離されてしまうかもしれない。梨央奈は黙り込んで、万里についてとぼとぼと歩いた。


 万里はベンチに梨央奈を座らせた。その隣に、万里も座る。

 運転席と助手席よりも近くて、家のソファーよりは遠い距離。何を言うでもなく前を見ている万里に倣って、梨央奈も空を見上げた。鮮やかなオレンジ色だった空は、どんどんと色を変えていって、梨央奈に終わりの時間を教えてくれるる。


「梨央奈」


 名前を呼ばれ、万里の方を向く。

 万里はポケットから何かを取り出して、梨央奈に突き出した。


「これ貰って」


 万里にしては早口な口調で言う。

 梨央奈は首を傾げつつ、万里に両手を差し出した。梨央奈の両手のひらに、ポトンと冷たい金属が落とされる。


 梨央奈の手の中には、飾り気もなにもない銀色の小さな鍵が転がっていた。


 瞬きをしながら鍵を凝視する梨央奈から視線を外し、万里はポケットに両手を突っ込んでまた前を見た。


「好きに遊びに来ていいから。嫌なら返して」


(やばい、こんなん)


 大学から家が近いから、友人の妹だから――そんな理由では、さすがにやりすぎだ。


(でも、いやだ。返したくない)


 こんな距離に座って、車で遊びに連れ出してくれて、今日一日の時間を梨央奈のために使ってくれて――昨日からずっと胸にあった期待が、どうしても膨らんでいく。


 梨央奈は両手の指をぎゅっと丸めて、鍵を隠すように握りしめた。


(言っても、いんかな?)


 次に会う理由を作る言葉を、梨央奈は今言ってしまいたかった。


(そんなつもりやなかったって、言われるかもしれんけど……。でも、でも、今やもん。今、言いたいんやもん)


 梨央奈は立ち上がった。心臓がもの凄い速さで動いている。足をどう動かすのかも、一瞬わからなくなっているほど緊張しているが、なんとか万里の真正面に立つ事が出来た。


 顔を真っ赤にして、唇を引き結んだ梨央奈の顔を、万里が見上げる。万里の白い髪に夕日が当たって、キラキラと輝いて綺麗だった。


「ちなみに」


 梨央奈よりも先に、万里が口を開いた。


「そういうつもりで渡してるから」


 勢いを削がれた梨央奈は、ぽかんと口を開いた。


「わかってたと思うけど、今日もデートのつもり」


 鍵を握りしめている梨央奈の手に、万里が指を伸ばす。至極慎重に触れた指は、梨央奈が拒否しないことを察すると、梨央奈の手を包み込んだ。


「以上。俺と付き合うとこんな感じです」


 口を開いたまま、完全に言葉を失ってしまった梨央奈を見て、万里は笑う。



「俺ね、秋からずっと、梨央奈の好きな男が俺ならいいのになって思ってんの」



 折られていた万里の長い足が、梨央奈の体を囲うように伸びる。足首でクロスした自分の足を引いて、万里は梨央奈を引き寄せた。梨央奈がバランスを崩し、万里の方に倒れそうになるのを、万里の手が簡単に支える。


「な。俺やろ? 違うなら、俺にしとけよ」


 くすぐるような優しい声は、梨央奈の返事を知っている。

 梨央奈は体をぶるぶると震わせた。悔しさと、喜びで、どうにかなりそうだった。


 腕を大きく振って、万里に握られていた手を振りほどく。驚いたように目を見開く万里の手を、梨央奈は鍵を持ったままの手で、ぎゅっと握りなおした。



「清宮さん!」


『俺なら、手でも握って、好きって言やぁ、いんじゃないの』


「っ――す、好き」



 顔から火が出そうだった。バクバクと鳴る心臓がうるさい。たったの一言言うだけに、梨央奈の持つ全ての力を使い果たしてしまった。


 梨央奈は、握っていた万里の手を、パッと離した。離した梨央奈の手を、すぐに万里が掴んで引き寄せる。

 思いがけない力に、梨央奈はよろめいた。万里は梨央奈を支えて自分の片膝に座らせる。


(え、なにここ、え……)


 え? と梨央奈が驚いて顔をあげると、万里の顔が近付いてきていた。あまりにも驚きすぎて、梨央奈は手を突っぱねて万里の顔を押しのける。


 動きを止めた万里に、自分が何をしたのか理解して、梨央奈は慌てた。


「まっ、間違えた――っ! っ違う、嫌なんやなくて……!」


(まさかそんなこと、清宮さんが私なんかにしたがるなんて、思ってもなかったから、だから……)


 経験のない梨央奈にとって、キスは想像の先を行く行為だった。知識としては知っていても、当事者としての実感が伴わない。


 驚きすぎて、混乱している梨央奈が伸ばしている手を、万里が握る。

 梨央奈の手を自分の口元から引き剥がすと、そのまま指と指を絡めるように握られた。


「!」


 目を見開く梨央奈の背を、安心させるように、万里が反対の手で擦る。


「!?」


 顔を近づけてきた万里に、勢いよくぎゅっと梨央奈は目を瞑る。

 しかし予想とは裏腹に、唇ではなく頬に何かが触れた。梨央奈の頬に万里が自分の頬を引っ付けていたのだ。


「!!??」


 触れ合った肌から、じんわりと熱が伝わる。


 万里はそのまま身じろぎ一つしなかった。ただ、肌と肌を触れ合わせているだけ。


 まるで自分は危なくないのだと訴えるように、万里はじっとしている。


「――……も、もういっそ、ひと思いにやってください!」


 殺せ! と喚く容疑者のように梨央奈が情けない声を出すと、万里は「ふはっ」と笑った。


 背を撫でていた手が梨央奈の腰を抱く。くっつけていた頬を剥がし、万里は額同士をくっつけあった。


 こちらを見られている気配はするが、見つめ返す勇気はない。視線を返せない梨央奈をまた笑って、万里は梨央奈の唇に自分の唇を重ねた。


 初めて触れる他人の唇に、梨央奈は完全に動きを止めた。触れる唇の柔らかさに驚いて――そしてそれ以上に、幸福で満たされ、打ちのめされていた。


 数秒唇を触れ合わせていた万里が、顔を離す。終わったのかと、梨央奈は目を薄く開いた。


 極至近距離で視線が合った万里の目は、見たことがないほどギラギラと熱が籠もっていた。


「っ――」


 万里が顔の角度を変え、キスを再開させる。

 驚く梨央奈にかまわず、万里は梨央奈の唇を貪った。引っ切りなしに唇が離れ、触れ合い、舐められ、吸われる。

 万里に触れられる度に、触れられる箇所全てがじんじんする。


 震えることしか出来ない梨央奈は、万里に繋がれていない方の手で、いつのまにか救いを求めるように、万里の服を握っていた。


 腰を支えていた万里の手が、にわかに動き始める。梨央奈の体のラインを撫でるように、手のひらが動かされる。その際どい動きに、梨央奈は唇を離した。


「だ、だめ」


 ぐずぐずに溶けながらも、なんとか残っていた理性で梨央奈が止める。

 万里はキスを遮られたことを遺憾だとでも伝えるように、またすぐに梨央奈の唇にむしゃぶりついた。万里の手は腰から移動することはなかったが、ずっと梨央奈の腰の肉を味わうように、同じ場所で動き続けていた。


 太く長い指で擦られる度に、体が中から震える。その手つきは、明らかに梨央奈の興奮を引き出していた。

 万里の服を握った手が震える。

 もっと沢山の場所を触れてほしくなって、そんな自分が怖くて、快感や戸惑いで梨央奈の目尻に涙がにじんだ。


 ようやく唇が離れた頃には、梨央奈は完璧に体に力が入らなくなってしまっていた。キスをしている間、体中に力を入れすぎていたせいかもしれない。下半身が震える。最悪なことに、お腹の下のところがきゅうきゅうと鳴くように疼いていた。


 万里の胸にこてんとへたり込む。

 唇を離しても、まだ万里の口に触れ合っているかのように、唇はじんじんとし続ける。


「……ほんと、可愛いなあ」


 自分の胸で浅い息を繰り返す梨央奈の顎を掴んだ万里が、顔を覗き込む。顎を掴んでいたはずの親指が、梨央奈の熟れた唇を擦った。どちらのかもわからない唾液で滑りがよくなった唇を、かさついた親指の側面で撫でられ、梨央奈は無意識に「ぅん……」と声を漏らす。


 そんな声が自分から出たことが恥ずかしくて、梨央奈は堪らず、万里をぐーでパンチした。


「はっ」


 万里が笑う。先ほどまでの空気が一瞬で変わったことを感じ、梨央奈は息を吐きだした。ほっとした。心底、ほっとした。


 このままでは本気で、自分が何を口走るかわからなかった。


「あーあ……帰す約束するんやなかった」


 膝に乗せた梨央奈の髪に顔を埋めた万里が言う。


(――いや、帰る。帰る。帰るもん)


 梨央奈は心の中で、何度も繰り返した。けれどついぞ、梨央奈の口から「帰る」という言葉が出ることはなかった。


 いつものように気丈にポンポンと言い返せない。

 触れ合っている場所が温かいのと、唇が痺れているせいで口を開けないだけだと、夕日が落ちた公園で、梨央奈は何故か必死に自分に言い訳をしていた。




***




「やっぱりまだ寝てた!」


 揃いのキーホルダーがついた鍵でドアを開けた梨央奈は、真っ暗な部屋を見て叫んだ。


「……ん」


 玄関を上がってすぐ、ゴミの入ったコンビニ袋を見つけ、ベッドで惰眠を貪る万里の顔にシュートしてやりたくなった。


 イケメンだけど機械に疎くて、お願いは大体何でも聞いてくれるけど、朝に弱い。元々要領はいいけど努力もしていて、なんでも最初から出来るわけではない。強そうに見せかけているけれど、人を否定したり拒否するのが苦手な柔らかいところもあって、押しには弱い。飲み物は温かいものが好きで、部屋の片付けは苦手だけど、料理は得意。女の子の扱いは、もっと得意。


「明るい外が見えます? もうお昼なんですけどね?」


 カーテンを開ける。カーテンレールに吊されたスーツが邪魔になって、梨央奈はハンガーごと持ち上げた。就活に使っているスーツは店で一番安いリクルートスーツと言っていたのに、彼が着ると熟練の職人が手縫いで仕立てたような高級スーツに見える。


「今日、焼きカレーって、言ってませんでしたっけ!」


 カーテンを開けた梨央奈は、ベッドから出ようともしない万里に詰め寄った。この部屋に通い始めてもう半年も経てば、部屋にも、ベッドにも、寝起きの万里にも、もう緊張などしない。


 ベッドに近付いた梨央奈の手を、万里が掴む。そのまま強く引っ張られ、梨央奈はバランスを崩した。


「!?」


「あの店、夜までやってるから……」


 梨央奈をベッドに引きずり込んだ万里は、梨央奈の首筋に顔を埋めて、再び目を瞑った。

 テーブルの上に散乱している資料やレポート用紙から、昨夜遅くまで論文を頑張っていた痕跡が見える。背中に万里を貼り付けた梨央奈もその惨状を見ては、強く言えずに黙り込む。


 黙り込んだ梨央奈のお腹で、もぞりと万里の手が動いた。


「……清宮さん?」


 万里は返事をせず、そのまま手を動かした。簡単にトップスとスカートの隙間を見つけられ、万里の指が入り込む。指先から魔法のように、じんわりとした熱が広がる。


(寝かせてあげようって、仏心を出してやったんに!)


 文句を言うため、梨央奈は肘をついて勢いよく振り返った。


「梨央奈」


 梨央奈の目を真っ直ぐに見て、寝ぼけた顔で万里が柔らかく笑う。


 それだけで梨央奈の体から力が抜けた。子宮が慣れたようにきゅうと鳴く。こんな一言で、梨央奈はいつも万里の言いなりになってしまう。


 梨央奈の体からどんどんと力が抜けていく。半分眠っているくせに、その空気を見逃さなかった万里が、梨央奈のお腹をぐいっと強く抱き寄せた。



 ――そんな、ただの男女のありふれた、たった一つだけの関係。






モブ吉岡さんとイケメン清宮くんのお約束な関係


おしまい


============


あとがき


「彼女と彼の関係」略して「との関」、計131話もお付き合いいただき、誠にありがとうございます!


イラストを手がけてくださったくろこだわに先生との打ち合わせから動き始めた、現代青春オムニバス。

まさかこんなに長く、広く深く掘れるとは思っていませんでした。皆さまの応援と、わに先生の素敵なイラストのおかげです。

本当に、ありがとうございます。


そしてそして!

大変光栄なことに、との関をコミカライズしていただけることになりました!



【彼女と彼の関係 ~平凡な早川さんと平凡な三浦くんの非凡な関係~】


■ 漫画:宇佐見よし 先生

■ 原作:六つ花えいこ

■ キャラクター原案:くろこだわに 先生


■ 配信場所:pixivシルフ さん

■ 開始時期:2022年夏予定



となります。詳しい情報などは、またTwitterや活動報告でご報告させていただきます。


宇佐見よし先生の素敵な原稿を既に色々と拝見しておりますが、本当に最高の温度で描いていただいております。理想通り、期待以上の素晴らしい漫画です。是非お楽しみに!


まだまだとの関の世界にいられること。そして皆さまと新しいとの関の世界を見続けられること、とてもとても嬉しいです!


これからもどうぞ、応援よろしくお願いします!


六つ花えいこ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼女と彼の関係 #との関 六つ花 えいこ @coppe

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る