32:梨央奈の一歩
「なにここ。怖い」
街の駅に車を止め、万里と二人でアーケード街に歩いて来た。
梨央奈は、街といえば大きな商業施設か駅ビルにしか行ったことがなかったため、賑わう商店街に興味津々だった。
あそこもここもと、手作り雑貨屋や手芸店など寄りたいところ全てに寄っていたら、呆れるほどすぐに疲れてしまった梨央奈を、万里が「昼飯でも行くか」と、よく行く店に案内した。
「マ、マナーとか、ありますか」
「入って、選んで、席に座るだけやけど」
万里が連れて行こうとしているのは、サンドウィッチ屋さんだった。
たくさんの種類の中から、自分で具材を選べるところが売りのようだが、お洒落な店に不慣れな梨央奈にはハードルが高い。
「他の店にするか」
物怖じしている梨央奈の横で万里がUターンしようとする。
梨央奈は万里の服をハシッと掴んだ。
「い!」
「い」
「行ってみたい……」
万里の選ぶ店一つから逃げているようでは、万里自身にぶつかることなど、到底出来ない。
梨央奈は覚悟を決めて言った。
万里は口を開き、何か言いかけたようだが、梨央奈の決死の顔を見て「行こ」と店へ入って行った。
万里の陰に隠れるようにして、険しい顔つきでこそこそと梨央奈も店へ入る。
お店へ入ると、すぐに大きなショーケースが視界に飛び込んできた。ガラス張りのショーケースに、サンドウィッチの具材がずらりと並んでいる。中に挟む具材は全部で十五種類。その中から、二種類を選んでサンドウィッチにするようだ。
パン自体も、普通の食パンとライ麦パンのニ種類から選べ、しかも望めばホットサンドにもしてくれるらしい。
クリームチーズ、生ハム、卵、ツナ、フルーツ、スモークサーモンなどの具材が、ガラス越しに照らされてキラキラと光っているようだった。梨央奈は怖がっていたことなど忘れて、吸い寄せられるようにディスプレイに近付く。
「梨央奈、俺の分も選んで」
「い、いいの!?」
梨央奈がディスプレイと同じほどキラキラした目で万里を振り返ると、万里は笑って頷いた。
「ど、どれがいいかわかんない」
目移りしてしまってしどろもどろになる梨央奈の隣で、万里がショーケースの向こうにいる、店員に話しかける。
「お勧めあります?」
「一番人気はオリジナルで、私はこっちのクリームチーズを入れるのが好きですね! 何にあわせてもあいます!」
綺麗なお姉さんが、にっこりと笑顔でガッツポーズをする。よほど美味しいのだろう。笑顔のパワーに、きょどっていた梨央奈ははわはわした。
「揚げ物系はパン焼くのもお勧めですよ! 私は絶対焼きます!」
更にお姉さんがぐいぐいとお勧めする。すごい。この笑顔を見るだけで、一日元気になれそうだ。
ショーケースよりもお姉さんに注目していると、万里が梨央奈の腕を引いた。どうやら、後ろから他の客が来ていたようだ。急がなければ、と焦った梨央奈を、万里がそのまま脇へと連れて行く。そこは、ディスプレイは見えるが、他の客の邪魔にならない位置だった。
「ゆっくり選び」
万里は横でスマホをいじるでもなく、のんびりと立っている。一瞬生まれた焦りが、簡単に消えていく。
梨央奈はじっくりとディスプレイを眺め、海老カツと卵のホットサンド、生ハムとクリームチーズのサンドウィッチを選んだ。どちらも普通の食パン、海老カツの方をホットサンドにした。
「ジュースは?」
「……あとでもし、違うカフェとか行くならいらない」
「ならやめとくか」
(行くんや)
梨央奈は口を引き結んだ。そうしていないと、ものすごく顔が緩みそうだった。
先ほどの元気なお姉さんに注文すると「お任せ下さい!」とまたいい笑顔をもらった。
陽のパワーを吸収した梨央奈は、へろへろの足取りで席へと向かう。作ってもらったサンドウィッチを載せたトレイは、万里が持った。
席にへたり込んだ梨央奈の前に、万里がトレイを置いた。皿の上のサンドウィッチは、切り口を斜めに、二つに切断されていた。
ナプキンで手を拭いた万里が海老カツとサーモンを一つずつ交換してくれる。選んだ具材の他に、レタスやトマトも一緒に詰められたサンドウィッチの断面は、スマホくらい大きかった。
サンドウィッチを前に、梨央奈はズーンと肩を落とした。
「こ、怖くなかった」
「そうな」
「清宮さん、慣れてた……」
私はいっぱいいっぱいすぎた。と、凹む梨央奈に、万里はサンドウィッチに齧り付きながら言う、
「いいやん、可愛くて」
「はあ……」
適当な慰めの言葉に、梨央奈は目を据わらせて唇を尖らせた。泰輝もいつも、梨央奈をそう言って慰める。
高みからの慰めの言葉に、拗ねたような返事しか出来ない自分に、梨央奈はまたしょげた。
(私、もっと大人やと思ってた)
大人でなくとも、もう少しすんなりと、普通にこなせると思っていた。店の前で怖じ気づき、他の客の迷惑になり、メニューもさっと決められない。
(がっかりされないように、もっと頑張りたいのに)
自分の知らない万里を知るのも、万里の普段を知るのも梨央奈が望んだことだ。しかし、大学生で陽キャの万里と、まだ高校生で牡蠣を焼く以外は基本インドア派の自分では、食事の取り方ひとつとっても違うのかとへこんでしまう。
「俺も牡蠣、最初に持ってったの、間違えてたろ」
梨央奈は顔を上げた。万里が珍しくばつの悪そうな表情を浮かべている。
「俺がわかることなら、教えてやれるし」
いつものように、からかっている風ではない。
万里は照れくさそうに、僅かに頬を染めている。
――生まれた年も性別も学校も、全く違う人間同士が、最初から都合よく何もかもをぴたりと当てはまることなんて、ないのかもしれない。
(剥き身の牡蠣……ボケかと思ったんやっけ、最初……)
スーパーの袋に入った、水詰めされた剥き身の牡蠣を思い出す。もう、遠い昔のように感じる。
網で焼くことが出来なかった牡蠣。
それでも万里は翌週も、その翌週もやってきた。牡蠣は殻付きになったし、香水もつけなくなっていたし、服も着替えて来てくれた。炭の置き方も、牡蠣の洗い方も、梨央奈の横で覚えていった。
「慣れたいなら慣れればいいけど――慣れてない梨央奈見るの楽しいから、俺の楽しみあんまとらんで」
「……もおっ」
感動していたのに、最後は結局混ぜっ返す。梨央奈はむんずとサンドウィッチを掴んで、大きな口で齧り付いた。
「……美味しい」
「よかった」
真正面に座った万里が、嬉しそうに目を細める。最近見るようになってきた、柔らかい表情だ。
(……清宮さんももしかしたら、ちょっとは不安やったりしたんかな)
万里が物怖じしない性格であればあるほど、梨央奈が怖がったことに「なんで?」と驚いたかもしれない。店を変えようとすぐに言ってくれたのに、梨央奈がこの店にするなんて言うものだから、もしかしたら内心困っていたのかもしれない。
万里が梨央奈をじっと見ている。お洒落をしているのもあって今日は見られるのが恥ずかしいというのに、いつも以上に万里は梨央奈を見てきた。
(なんなん……穴開く……)
視線で穴が開くのなら、完全に後ろの壁まで貫通している。それほど今日の万里は梨央奈を見てくる。顔を向ければ容易に目線が合う。その上、その瞳はいつもと何処か違って、なんだかものすごく居心地が悪い。
「……清宮さん、食べて」
「ん」
梨央奈が促すと、ようやく万里は視線をサンドウィッチに戻した。梨央奈が両手で掴むサンドウィッチを、万里は片手で掴んでいる。
(長い指)
口に頬張ったサンドウィッチを噛みながら、なんとなく万里の指を見ていると、テーブルの下で足がぶつかる。
慌てて避けようとした足は、万里の足に絡め取られた。テーブルの上の表情は素知らぬ顔をしているくせに、梨央奈の足を自分のスニーカーの甲に乗せたりと、好き勝手に彼の足で弄ぶ。
梨央奈はこれを口に出すべきかわからず――気付かないわけもないのに気付いていない振りをして――サンドウィッチを口に詰めることで、言及しない資格を得ようと必死だった。
「梨央奈、服気をつけろよ」
(そうだ、心のやった)
梨央奈は慌ててサンドウィッチを服から遠ざける。服を確認したが、今のところ汚れていない。
「……清宮さんはいつも、街に来るとここで食べるんですか?」
「ここばっかではないな。点心の店とか」
「な、なにそれ……」
目を輝かせる梨央奈に、万里はぱちりと瞬きして、口を開く。
「焼きカレーとか」
「なにそれ……」
「天丼の店とか」
「なにそれ……」
知らないことだらけだ。行きたいところだらけ。そして行くのは、この人と一緒がいい。
「ちなみに、これ。テイクアウトして、近くの公園で食ったりも出来る」
「なにそれ……すごい」
きっと公園も、梨央奈が知る「騒音注意! ボール遊び禁止!」と張り紙が貼られた、ブランコと滑り台しかない寂れた公園とは違うのだろう。
万里が口の端に付いたソースを親指で拭いながら、顔を輝かせてはわはわする梨央奈に言った。
「今度来たら、テイクアウトするか」
「うん」
梨央奈も真似して、口の端を舐める。
くっついた足は、店を出るまでそのままだった。
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