31:決意の証
「白いのがいいって、だって、そんなん、出来ん!」
{頑張れ梨央奈!}
{ここでやらなきゃあ、女が廃るぞぉ!}
入試どうだった? と心配する親を振り切り、家に帰るなり自室に閉じ籠もった梨央奈は、クローゼットの中を引っかき回していた。
ビデオ通話で繋がった夏帆と心に泣きつきながら、鏡の前で次々に服を当てる。
散乱した服の中、四つん這いで半泣きになっている梨央奈は、画面の中の夏帆に尋ねた。
「三浦君はどんなんが好きなん……?」
{スカート一択。ワンピースも可}
「無理、無理無理無理無理」
白いスカートやワンピースなんて、絶対に無理だ。それならまだ、丸刈りで会いに行く方がましである。
{白いワンピースなら、こんなんあるよぉ。持って行こーか?}
{あ、私もあるよ。見せるね}
心のワンピースはいかにも女の子といったといったデザインなのに比べ、夏帆のニットワンピースはキャップなどを被れば、まだ梨央奈でも着られそうなシンプルなデザインだ。
思わず夏帆のニットワンピースに視線を動かした梨央奈を、心が真っ直ぐに見る。
{梨央ちゃん。ほんとーに、それでいいん~?}
心のまん丸な目が、梨央奈を見る。
梨央奈は、目をぐるぐると回した。
***
「おはよーございまーす」
次の日、予告通り迎えにきた万里を、梨央奈はリビングで待たせることになった。
まだ慣れない化粧が終わっていなかったのだ。
昨夜遅くまで夏帆と心――そして心の姉の
日焼け止め入りの下地を塗り、薄い色のアイシャドウを軽くのせ、万里に誕生日にもらったパール粒入りの透明なリップをつけた。
足音を殺して洗面所へ行き、三面鏡になっている洗面台の前に立つ。正面と、後ろと横と、体をぐりぐり捻りながら、不備はないか最終チェックを行う。
「……よし」
遠い目をして鏡の中の自分を見つめた梨央奈は、「気をしっかり!」と、よくわからない励ましで自分を奮起させると、リビングに向かった。
リビングで泰輝と母と談笑しながら、万里は待っていた。今からこの中に入って、二人で出かけてきますと宣言しなくてはならない。膨らませていた勇気が萎む。梨央奈はもう逃げ出したくて仕方がなかった。
梨央奈が廊下の壁に背をつけて、なんと言って顔を出そうか苦い顔で考えていると、体に影が差す。
梨央奈が顔を上げると、ドア枠に手を当てて、こちらを見下ろしている万里と目が合った。
「……」
「……」
予想外の襲来に、梨央奈は完全に出鼻をくじかれた。万里は梨央奈をじっと見下ろしている。勿論、梨央奈のほぼ総面積を占める白いワンピースには気付いているだろう。
――梨央奈は結局、心のワンピースを借りた。
ワンピースは万里の指示通り白く、綿の生地がところどころ透け感のあるレース生地に切り替わっている。口が絞られている袖は七分丈。春めかしく、可愛い物好きの心が好みそうな、女の子らしいワンピースだった。
そんなワンピースを身につけ、万里にもらったリップグロスを塗って壁にへばりついていた梨央奈を見て、万里は笑みを漏らすと梨央奈の腰を抱いた。
「すげえ可愛い」
固まる梨央奈の耳に髪を引っかけながら、万里が囁く。唖然とし、口をパクパクさせる梨央奈から離れると、万里は再びリビングに戻った。
「八時までには帰します」
「ちゃんと送り届けてねー」
「はい」
母にいつもよりかたい返事をした万里が、梨央奈のもとに戻ってきた。どうやら、リビングに顔を出す必要はなくなったようだ。
万里の体を盾にし、こそこそと玄関へ行こうとした梨央奈を、リビングから出て来た泰輝が見つけてあんぐりと口を開ける。
「り、梨央、お前……」
「泰ちゃん……い、行ってくるね!」
「梨央?!」
結局この格好を泰輝に見られてしまった。恥ずかしくてたまらなかった梨央奈は、用意していた靴を履くと、慌てて玄関から飛び出した。万里の車に乗り込む間際「なに泰輝! あんたまさか泣いてんの!?」と、母親の驚きと笑いの混じった声が、家の窓から聞こえてくる。
「くくっ……なんで泣いてんだよ……」
運転席に座った万里が、堪えきれずに笑いを漏らす。梨央奈こそ「なんでだよ」と思っていたので、首を傾げるだけに留めた。
「梨央奈は、どこ行きたい?」
「えっ」
まさか行き先を任されると思わずに、膝に置いた鞄にお行儀よく両手を添えていた梨央奈は運転席を見た。
「映画でも水族館でもデパートでもホムセンでも、梨央奈が行きたいとこ行こ」
万里が「確かここ押せば出たはず」と、車についているナビを、たどたどしい動きで操作する。
事前に行き先をいくつかナビに登録してくれていたらしく、ここから行くとなれば高速道路に乗る必要がある映画館や水族館の名前が液晶画面に表示されていた。
あの機械に弱い万里が、梨央奈のためにそんなことをしてくれたのかと感動していると、履歴の中に憧れの施設の名前を発見した。
「こ!」
「こ」
「これ、グランピングの……」
グランピングとは、手ぶらで行けるキャンプのことである。テント設営や料理の準備など、手間に感じる部分は全て施設側が用意しているため、手軽にキャンプ気分が楽しめる人気の施設だ。
梨央奈がこの施設をチェックしていた理由は、食材の持ち込みを許可しているからだ。
つまり、牡蠣を持ち込めるのである。
「ここはまた今度な」
「なんで? 遠すぎた?」
行けるなら是非ここがよかった。思わず縋るように見てしまった梨央奈を、万里がじっと見てくる。
重力さえ感じそうな強い視線に耐えきれずに梨央奈が目を逸らすと、万里が薄く笑った。
「あんま可愛いから、汚せんやろ」
万里がこちらを見つめたままとんでもないことを言ったので、梨央奈は開いた口が塞がらない。触らなくてもわかるほど顔が赤くなっている。
「……この服、心に借りてて」
「へえ」
「今度は自分の着る……」
心のだから、汚せないのだと。今度は連れて行ってほしいのだと梨央奈なりに伝えると、万里はにやっと笑った。
「三月になる前に行くか」
「行く!!!!」
三月の上旬までは、牡蠣が市場にある。
牡蠣を持って、万里とグランピングなんて、絶対に楽しいに決まっている。家で出来ることを、わざわざ遠出する意味なんて、きっとこれまでの梨央奈にはわかりもしなかっただろう。
そして、家で出来るのにわざわざ遠くまで連れて行ってくれるという万里に、真意を聞きたい。
だが、今日のお出かけはまだ始まったばかり。
今勇気を使い果たしてはならないと、梨央奈は万里がピックアップしてくれている履歴を覗いた。
「……清宮さんはいつもどういうところ行くんですか?」
「俺がいつも行くとこ行く?」
「うん」
万里は小さく頷いて、ナビを操作した。何度目かの操作でなんとか目的地に設定できたらしい。ほっとしたように車を発車させる万里に、梨央奈は尋ねた。
「清宮さん、私のスマホでBluetooth繋いで音楽かけていい?」
「なんでも好きにして」
きっと意味は通じないだろうと思ったが、やはり通じなかった。
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