秋色心中
一縷 望
ほーかご
電車からホームへ降りると、秋の空気が私の背を撫でた。いやらしさを感じる春風や、暑苦しいビル風とは違って、秋風は美男子だ。
心の奥底を決して見せず、生気の薄い唇で微笑む秋。そんな彼にエスコートされたようで、少し頬が熱くなる。
いやいや、何を考えているのだ私は。
幾らウブな私とて、秋風に恋をするほど飢えているわけじゃない。
両手で頬をはたいて、歩きだす。
風が、待てと言わんばかりに私の横髪をびゅうびゅう揺らすものだから、耳にかけた髪がおりてしまった。心の中で悪態を小さく呟いて、乱暴に髪をかきあげる。
その瞬間。
黒髪が退き、晴れた視界の隅に何か違和感を覚えた。
見やると、ホームに降りた人波のど真ん中に、1ヶ所だけ空間ができている。皆、足元のその空白を見ては、嫌そうな顔をして避けているのだ。
あそこに何かがある。そう思うと、もう好奇心には勝てなかった。ホームの柱にへばりつくと、人混みが消えるのを待つ。
喧騒が去った。
今だ!
できるだけおしとやかに、そして不審者にならぬよう、空白地帯に近づく。そこには、何かが落ちていた。
「トンボ?」
大きな複眼に、多くの虫を貪ったであろう狂暴なアゴ、まるで工芸品のように精巧な羽根。
夕日色に染めた、華奢な身体。
赤トンボだ。まるで展翅されたように、綺麗な羽根を人工的に広げ、乾いた音を立てながら風になびいている。
真夏、足元をビュンと掠めていく彼らの姿など跡形もなく、ただ死んでいた。
辺境のホーム、それもわざわざコンクリの上で、ただ死んでいた。
何だか歌でも詠みたい気分。
そう思った矢先、
まずい、電車が来る。
静寂を打ち破られて動転した私は、何を思ったのか。赤トンボを手のひらに乗せると、サンドイッチの如く上から挟み込み、逃げるように改札へと駆け出した!
うなる風。はためくトンボが壊れないように慎重に、しかし素早く走行音に背を向ける。肩の鞄がずり落ちて、なんて不格好な逃避行!
──────
駅舎から飛び出たメルヘン頭は、秋の冷たい酸素を貪りムサボリ……。
脳ミソが冷えてきて私は、やっと手のひらの赤トンボを思い出した。
私の髪は乱れていたが、このガラス細工みたいな死体だけは綺麗なまま。これが雑踏に飲み込まれて粉々になるのは嫌だった。
わずかな土が残る植え込みへ、隠すようにトンボの赤い身体を横たえる。
生き物、みな死ぬからには大地の上がいいでしょ? アスファルトの上は御免よ。
トンボとお揃いの合掌をして、私は家路についた。
秋。季節は、あらゆる命を道連れに死ぬ。
ああ怖い。あの生気の薄い秋風の微笑みにあてられると、私でさえ、ふらりと空へ溶け込んでしまいそうだ。
蒼くなっていく空を眺める視界の隅で、街灯が「ジジジ……ぽ、」と独特の音を立てて点いた。
日暮れも早くなったなぁ。
家が近い。秋の済んだ空気に、夕飯の香りがのってきた。
「お、この香りはカレーか!」
そうひとりごちると、腹の虫が応えるように鳴って、思わず笑ってしまった。
さっきまで、せっかく秋の感傷に浸っていたというのに、風流が似合わぬ女だ。私は。
きっと寝る頃には秋風なんてすっかり忘れて、また来年の秋が来るまで思い出さないのだろう。季節ってそんなものよ。
玄関の灯りが眩しい。
鍵を回し、ドアを開ける。
「ただいまァ」
ああ、今宵も季節が死んでゆく。
秋色心中 一縷 望 @Na2CO3
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