Death and Virgin

暇崎ルア

最終話

やあ、会いたかったよ。お嬢さん。僕は君に会うのを本当に楽しみにしてたんだ。自分の知らない誰かと会うときはいつだって嬉しくなるよね。え? ならない? ……そっかあ、まあいいや。

 とにかく、僕の自己紹介をしないとね。君には僕のこと知ってもらいたいから。僕はね……





 朝、目が覚める。ベッドの近くの窓からは明るい朝の日差しはさしてこない。朝からどんよりとした嫌な天気。こんな天気は大嫌い。

 夢を見ていたような気がするのに思い出せない。夢とはそういうものだから仕方ないけど、なにか嫌な夢だったようで寝覚めが悪すぎる。 

 だけど、今日は大好きな婚約者と会う日だからいつまでもぐずぐずとはしていられない。あいにくの天気だけど、楽しい日になるはず。 何事も気分次第ね。下の階でお母さまが今日の洋服を選んでいるでしょうから行かなくっちゃ。





 また、会えたね。本当はいつでも君といたいんだけど、僕は君と夢の中でしか会えないんだ。本当に残念だけれど。

 ――こっちに来ないで、って。嫌だなあ、君、僕のこと怖がってるの? 悲しいなあ。そんな風に思われたくないのに。

 ねえ、僕はただ君のこと幸せにしたいだけなんだよ。何が幸せなのかなんて人によって違いはあるんだろうけど、僕が与えられる幸せはみんなにとって同じものなんだ。世界中の誰にとってもね。僕は平等主義なのさ。

 いずれ君にもわかるよ、絶対にね。そのときの君の顔が楽しみだなあ、きっとすごく嬉しそうな顔するだろうなあ。





 朝。いつも通りの朝。いや、違う。昨日の朝と同じような嫌な朝。悪い寝覚め。私は昨日からどうしてしまったのかしら?

 昨日は大好きなあの人と一緒に過ごせて楽しかった。朝の嫌な感覚を忘れておいしいものを食べたり、綺麗な景色を見たり本当に幸せだった。それなのに、次の朝が来たら同じことの繰り返しだ。

 いつまでもこんな調子が続いてたら、彼に心配されてしまう。半年後には私たちは結婚するのに。結婚前に憂鬱になってしまう人がいるという。私もそうなのかしら。何も不安に思うことなんてないはずなのに。後で彼に電話でもしてみよう。それがいいわ、そうしよう。好きな人の声を聴けば気分も晴れるに決まっている。





 ―――ああ、いつになったら君は僕のことを理解してくれるんだろう。怖いことなんてしないってずっと言ってるのに。

 僕以上に怖いものなんて、この世に沢山あるだろう? 例えば、結婚。今、君は婚約してる男がいるんだね。……それぐらい知ってるよ。好きな人のことは何でも知ってるのが当たり前じゃないか? だから、僕は君のこと全て知ってるの。驚いた?

 そんなことはさておき、ダメだよ、結婚なんてしたら。君が汚されてしまうだけだ。若い二人が恋情を重ねる。そして、いつしか結ばれる。その先には何が待ってると思う? 嗚呼、おぞましい。そんなこと考えたくないな。僕は嫌いだよ。

 ……何言ってるかわからないって? いいよ、君は何も知らなくて良いんだ。とにかく、君は結婚なんかしたらいけないってこと。あんなもの君には必要ないよ。





 昨夜は婚約者の声を聞くことができた。西洋から近年伝わった電話は本当に便利だ。遠く離れた彼と話をすることができるのだから。 

 受話器の向こうから早く会いたい、結婚の日が来れば良いのにというあの人の言葉を聞いた途端、連日あった嫌な気分はすっかり吹きとんでしまった。その後少しはしゃぎすぎて、お母さまに叱られてしまったぐらい。

 でも、彼が言ったように、早く私たちの結婚の日が来てほしい。今は彼のお仕事が忙しいからできないのが本当にもどかしい。





 君は本当にわかっていない。何にもわかっていないよ。君がこれからしようとしてることがどれほど恐ろしいことなのか。どうして、自ら汚れるような選択をするんだい? 僕には理解できないよ。

 君が今恋焦がれてるあの男は、甘いものを君に与えてくれてるのかもしれない。それがすごく嬉しいんだろう? それに今の君は酔っているんだろう? だけどね、それがずっと続くとは限らないよ。いつかその甘い世界から恐ろしい現を突きつけられる日が来る。その時君は傷ついているだろうね。君が選ぼうとしてることはそういうことなんだよ。

 結婚なんかしないでって僕が言うのは、君に傷ついてほしくないからさ。どうしてこんなことがって、泣いてる君を見たくないから。 

 だけど、僕の側にいれば大丈夫。君はいつまでも、無垢なままの君でいられる。その方がずっといいよ。





 今日はずっと、気分が鬱々としている。趣味のお裁縫も集中できなくて、指を針でぐさりと刺して傷を作ってしまった。こんなことでは、彼にとってふさわしい女性になんてなれないんじゃないかなんて考えて、余計に気が滅入ってしまう。

 頭の中で誰かの声がずっと響いている。お父様でもあの人でもない映画俳優が出すようななんだか甘い男の人の声が。その声に意識を傾けていると頭がぼうっとしてくる。だけど、知らない殿方の声が頭から離れないだなんて、はしたない。考えてはいけないわ。

 だけど、一体誰なのかしら。私はその声をどこで聞いたのかしら。





 今日は僕のことをずっと考えていたみたいだね。ようやく興味を持ってくれたみたいで嬉しいよ。それに、最近の君は夢の中の方がいきいきとしてるんじゃないかな? 夢から覚めたら辛いだろう? 頭を悩ませるものばかりでさ。

 ここに僕と一緒にいれば、そんなこともなくなるんだ。君はずっとそうしていればいいんだ。今のことも、これからのことも忘れて、この夢の中に浸っていればいい。そう、何もかも、全て、僕に委ねてしまえ。

 ……なんてね。とにかく、僕はずっと君のそばにいるからね。





 本当に私はどうしてしまったのかしら。朝食をいただいた後に倒れてしまうだなんて。気が付いたら、自分の部屋のベッドで、お母さまとばあやが心配そうに私の顔を覗いていた。二人からは顔色がひどく悪いとも言われて、鏡を覗いてみたら確かにひどくやつれているようでどうしてこうなってしまったのかわからない。ひたすらに恐ろしい。

 夕方、お仕事から帰宅なさったお父様とお母さまが話し合った結果、明日お医者さまに来ていただくことになった。こんな状態ではお嫁に行くなんてどころではない。私の将来のためにも、お母さまやお父様のためにも、なによりあの人のためにも、早く治さなければ。

 相変わらずあの声は聞こえている。心なしかそれほど不快に感じなくなってきたのが不思議。





 最近、僕と一緒にいるときの君ってすごく楽しそうだ。ふふ、照れてるの? かわいいなあ。ようやく、そういう顔を僕にも見せてくれるなんて。やっぱり、僕たちはずっとこうしているべきなんだよ。結婚相手のことなんてもう忘れてしまいなよ。どうせ、君には会いに来てくれてないんだからさ。大したやつなんかじゃなかったんだよ。よかったじゃないか、結婚する前にわかって。

 ――まあ、こんな話はもうやめにしよう。もっと楽しい話でもしようか。さあ、もっとこっちにおいで……。





 ……一週間眠り続けたままなんておかしい、という涙ぐんだ声がした。よくわからないけど、きっとお母さまね。目を開けて誰かを確認するのもなんだか面倒。とにかく私は眠りたい。だから、ひたすら眠り続けていよう。

 しばらくした後、私の婚約者も来て、手を握られた気がするけれど、どうでもいい。会いたいのに会いに来てくださらない人のことなんて。でもなぜかしら。いつから私は彼に対してそんなふうに思うようになったのかしら?

 いえ、こんなこと考えるのはもうよそう。なんだろうと私には関係ないことだから。それより、早く彼に会いに行かなくては。





 大抵の人間は僕の祝福を嫌い、恐れる。昔からずっとそうだったし、これからもそうなんだろう。……愚かしい人たち? 君も結構言うねえ。でもそうだね、君の言う通り、馬鹿なやつらばかりだ。まあ、僕のことを君が受入れてくれるならそれだけでいいんだ。 

 ……さてと、おめでとう。僕のかわいいお嬢さん。今、君は祝福を受けた。永久に続く幸せという祝福を。そして、誰ももう君を汚すことはできない。だってもう、僕のものだからね。何があろうと絶対に離さないよ。いつまでも、いつまでも、このままでいよう。


  

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Death and Virgin 暇崎ルア @kashiwagi612

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