隣のサイコパス

御角

隣のサイコパス

 昼食後の長いようで短い昼休み。次の授業まで特にすることもない僕は、太陽に程よく熱された机に突っ伏して、束の間の惰眠を貪る体勢に入っていた。

「なぁ、才川。ちょっとテストしていい?」

 才川は僕の隣の席に座るこれといって特徴のない男だ。話さないわけでもないが友達と言うほど仲良くもない、ただの隣同士。その才川が友達と何やら話しているのが嫌でも耳に入ってくる。

「なんだよ、また心理テストか?」

 才川はいわゆる一軍、その中じゃ下っ端の方だったが、明るくて人付き合いもいい、人気のあるやつだった。そんな一軍達が今ハマっているのが心理テストである。彼らが隣でテストを出し合い、一喜一憂するのもすっかり日常茶飯事となっていた。

「今回はちょっと違うぜー? じゃあ問題! 目の前には崖、そこにお前の殺したいほど嫌いなやつがしがみついていて今にも落ちそうだったらお前、どうする?」

 この問題はなんとなく聞いたことがある。確か……そう、サイコパス診断テストだ。答えは……。

「俺は……そいつの指を一本ずつ剥がすかな」

 僕は驚いた。周りも皆、目を見開き言葉にならない声をあげているのがわかる。

「マジか……。じゃ、じゃあ自販機で飲み物を買った姿を想像してみてくれ。お前が買った飲み物、何色だ?」

「うーん、無色?」

 まただ。才川はこのテストにまたしてしまった。僕は顔を伏せたまま頭を抱えた。

「すげー! お前、サイコパスじゃん!!」

「え? これそう言う診断!?」

 その後も才川は問題を出される度に答え続け、その度に正解した。一軍は大いに盛り上がり、あっという間に予鈴が昼休みの終わりを告げる。

「まさかこんなに近くにサイコパスがいたとはな……。怖ぇー!」

 一番近いのは僕の方だ。本当に勘弁してほしい。友達を見送る才川の顔は薄ら笑いを貼り付けたピエロのようで、酷く不気味だった。


 思えばその日から、才川はおかしくなってしまったのかもしれない。いつの間にか才川はサイコパスキャラとして、一軍の間だけでなくクラスの中、遂には学年全体まで幅広く知られるようになっていた。

 勿論、ただの心理テストのようなものでそこまで噂は広がらない。これだけ周知されたのには才川自身に原因があった。それは……。

「おい、誰があんぱんだけ買ってこいなんて言った?」

「えっ、でもさっき甘いパンがいいって」

「お前って本当に頭悪いなぁ? 甘いパンにはコーヒーって相場が決まってんだろうがクソ野郎!」

 ボカッ!

 パシられ、殴られているのはおそらく後輩、そして殴っているのは、噂の張本人である才川だ。普段の明るい表情からは想像もできないほど激昂し、鬼のような形相で後輩をリンチするその姿は、人の心がないと言われても仕方がないくらいに残酷で恐ろしく近寄りがたかった。

 昼休みの教室はいつの間にか彼のリングと化し、口を出したり止めようとするものは誰一人いなかった。才川は、クラスを実質的に支配しているといっても過言ではない程に恐れられ、媚びへつらわれていた。

 世界は、彼を中心に回り出していた。




「チッ……誰だよ。こんなところにわざわざ呼び出しやがって」

 放課後、才川は学校の屋上にいた。普段は固く閉ざされているはずの錆びた扉があっさりと開いた時、才川は驚きと興奮がないまぜになった感覚を覚えた。そこに恐怖はただの一滴もなかった。自分は恐怖を抱く側ではなく抱かせる側だと信じて疑わなかった。


 後輩をいじめるようになったきっかけは些細な物だった。ちょっと調子に乗っていた。それを友達に愚痴ると

「サイコパスにもそんな悩みあるんだな」

と真剣な顔で返された。最初は本当に、ちょっとした悪ふざけのつもりだった。答えなんて最初から知っていた。周りを驚かせるためのただの嘘、そのはずだった。

 でも、思い切って後輩をぶっ飛ばした時、言いようのない快感が全身を襲った。血で滲む拳が勲章のように輝いて見えた。自分は本当にサイコパスなのかもしれないと、そう考えだしてからはもう歯止めが効かなかった。


 ブーッ、ブーッ。

 何処からか携帯のバイブレーションが聞こえる。フェンスの下、奥深く。そこには誰かのスマホが放置されていた。

「……忘れ物か?」

 才川はその音につられ、フェンスの下から手を伸ばそうとするが幅が狭く上手く取れない。フェンスの上から取ろうと身を乗り出した、その時だった。

 ドンッ!

 突如、体が宙に浮き、視界が反転する。必死にフェンスを掴むが、その柱は太く完全に掴むことは出来ない。凹凸おうとつのない校舎の壁に足を必死にかけようとするも、虚しく空を切る音が聞こえるだけだった。

 屋上の扉に向かって慌てて走り去る男の背中に、才川は見覚えがあった。あの小さな後ろ姿……後輩だ。調子に乗っていて、気に入らない、ムカつく後輩……。

「クソッ、呼び出したのはこのためか!」

 まさか後輩に、自分を呼び出した上、突き落とそうとする勇気があるなんて、夢にも思わなかった。

 ガチャ。

 その時、先程閉じたはずの扉が再度開かれた。いい度胸じゃねぇか、アイツ……殺してやる。絶対に殺す。殺す殺す殺す殺……。

「しぶといね、才川君」

「な、なんで……」

 才川を見下ろし冷たく笑う男は、友達だった。よく話す、後輩のことも愚痴った、隣の席の、友達……。




「あの子、純粋だよね。ちょっとそそのかしたら本当にやっちゃうんだから」

 僕が発した第一声に、才川は目を見開き言葉にならない声を上げた。ああ、この反応。あの時の才川も、こんな気持ちだったのだろうか。

「何……言ってるんだよ。助けろよ、助けてくれよ!」

 才川は腕を震わせ懸命に叫ぶ。しかし人の少ない放課後に、その祈りは誰にも届くことはなかった。

「嫌だよ。助けたら君が何かしてくれるの?」

「す、するよ! 何でもするから!! なぁ……。俺達、友達だろ……?」

 その臭い台詞に僕は思わず吹き出した。

「なんだよ……何が面白いんだ!」

「いや、あまりにドラマの見過ぎだと思って」

 才川の体の震えが大きくなっていく。どうやら、そろそろ限界らしい。

「僕さ、君が羨ましかったんだ。人気もあって明るくて。羨ましくて、妬ましかった。だから君が自分でサイコパスだって言った時はびっくりしちゃった。お互い、ないものねだりなんだって」

 震える人差し指を、そっと外す。

「なんで、って顔してるね。わからない? 普通、サイコパスだねって言われたら、答えはあえてんだよ。正解しちゃったら、テストの意味がないじゃない」

 鬱血し紅に染まる中指を、ゆっくり剥がす。

「あの問題を聞いた時からずっとさ、一回やってみたかったんだよね、これ」

 ほとんど色の無くなった薬指を、抉るように押し出す。

「ご協力どうもありがとう。楽しかったよ」

 フェンスから爪の取れた小指が、自然と離れる。

「バイバイ、サイコパスの才川君」

 彼が最期に見たものは、本物の狂人サイコパスのあどけない微笑みだった。

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