彼方、奉る。

SeirA

第1話

 ——手紙を書いた。


 たった一言、『あなたを愛している』

 それだけ書いた、到底手紙とも呼べないような紙切れを、送り先の家の窓に投げ入れる。

 直接渡すことも、会うことすらかなわない。

 なにせ相手は、ニンゲンを隷属支配するエルフの王族だ。

 長い耳と白い肌を持つ、容姿に優れるエルフ族の中でも最も美しい女性だった。

 古い、過去の記憶だ。

 ……といっても、実際には数年前。森の中で死にかけていたこの身を治療し、飼ってくれた。

 彼女につかることはかなわなかったけど、彼女は自分を見かけると、周囲に見えないようこっそりを笑みをたたえて手を振ってくれる。

 それだけで、幸せだった。彼女が微笑みを向けてくれる。それだけで、もう死んでもいいと思えて、明日を生きたいと思った。



 ————彼女は、死んだ。



 エルフに恨みを持つニンゲンによる凶刃に斃れたらしい。

 遺体に会うことは許されなかった。

その日から、生きる意味を失った。

 べつに、笑えなくなったとか、そういうのじゃない。傍から見たら何も変わらない。ただ少し、世界に、興味を失っただけだ。

 一か月ほどたった今では涙も枯れ、彼女の笑顔だけが残っている。


「おい72番。おい、聞いているのか!」

 贅肉をたっぷりと蓄えた男が鞭を片手に叫んだ。

「…………はい。なんでしょうか、ご主人さま」

 耳が長く、白い肌を持つ。

 彼は飼い主だ。

「——愚図が。貴様の仕事だ。運べ」

 唾を吐きかけながら向けた視線の先には、荷車がある。

 積み荷いっぱいに石炭が載せられている。

 はい、と返事をして、荷車を引く。

 最近、ずっとこの繰り返しだ。

 しかし、その日は違った。

 荷物を届けた帰り道、ゴミ捨て場で一冊の本を見つけた。絵本だった。


『——おとうさん、おかあさんはどこにいっちゃったの?』

 そんな書き出しとともに、悲しそうな表情をした少女が描かれていた。

 対する〝おとうさん〟という人はどこか誇らしげに、少女の頭をなでる。

『——おかあさんはね、星になったんだ』

 少女は首をかしげる。

『おほしさま?』

『そうだよ。生き物はね、神様にお許しをもらうと、空にある、星の王国に行けるんだよ』

『じゃあ、おかあさんは、かみさまにおゆるし? をもらったの?』

 〝おとうさん〟は頷いた。

『わたしもほしい!』

 少女は言う。

『なら、たくさん善いことをしないとね』

『よいことをすると、おゆるしされるの?』

 ああ、と〝おとうさん〟が答えると、少女は嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 ————そこで、ページは途切れている。


 生き物は、星になる……。

 自然と漏れた言葉。

 それは、消えることなく頭の中で繰り返される。

 ご主人様の屋敷に戻った頃、すでに日は落ちて暗くなっていた。

 今日の仕事はおしまいだ。

 こっそりと持ってきていた木の枝と糸。それに竹をもって外へ出た。

 木の枝の両端に糸をしっかりと結び、糸を引いて折れないかを確認する。

 問題がないことを確信すると、こんどは来ている服の裾を破って地面に置く。盗んだ石炭を使って文字を書く。

 最後に、竹の先端付近にそれを巻き付けると、竹をつがえて思い切り引いた。


 その先を、空へ向ける。

「かみさま、あの王女様に、届けてください」


 糸に押され、竹の棒は空へと跳ね上げられる。



『あなたを愛せて、幸せです』

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彼方、奉る。 SeirA @Aries10010

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