7
あの夏から、五年が過ぎた。
番付が発表され、最初に涙したのは美濃風親方だった。
「沙良星……よく我慢したな」
沙良星は、何度もうなずいた。
ついに、幕内へ。元プロレスラーとしてはもちろんだが、親方の弟子としても初めての幕内力士だった。
「全て、親方のおかげです」
「まあ、そうか。あっはっは」
親方は涙をぬぐいながら、豪快に笑った。
「慢心せず、上を目指します」
「ああ。お前は、大関を目指せる」
横綱、とは言わないところが優しさだった。沙良星にも、自覚はあった。相撲では、トップには立てない。それでも、着実に上を目指せば、少しずつは前進していける。
同時昇進の盾若草は、横綱を目指せる逸材だった。そういう存在は、空気感でわかる。それでも競り合いながら、先を越されずに済んだ。
沙良越も、十両に定着できるようになった。いずれは自分よりも上に行くだろう、と沙良星は思っていた。
三十台も近付いており、残された時間は少ない。沙良星は、きっちりと燃え尽きたい、そう願っていた。
スーパーベストジュニアリーグ、決勝戦。カードは、戦神ストームレイザー対ドクター・セトだった。ストームレイザーは長年環日本プロレスのジュニアを引っ張ってきた存在で、カリスマと言ってもいいベテラン選手だった。今大会でのリーグ引退を発表しており、優勝で有終の美を飾りたいところだった。それに対してセトはこの一年間、必死になって戦ってきた。TTUに所属してから、対ヘビーの機会も増え様々な戦いの中でもまれてきた。実績や体格で勝る相手にも、ひるまずに立ち向かっていくようになった。華麗な技に頼らず、泥臭く戦うすべも身に着けた。次第に、ファンの支持も得られるようになってきた。
ストームレイザーの激しい攻撃に耐えながら、何度もセトは立ち上がって反撃した。そして、リング外のストームレイザーに向けて、リングから飛び込んだうえでスイングDDTを放つという離れ業をやってのけた。
「終わりだー!」
最後は吊り天井固めで苦しめてから背中に膝を落とした。ストームレイザーは、起き上がることができなかった。
ドクター・セト〇 38分7秒 ドクターブリッジファイナル→ノックアウト ×戦神ストームレイザー(セトがスーパーベストジュニアリーグ優勝)
一年前まで「しょっぱい」と言われていたセトの優勝は、ファンに温かく受け入れられた。それは、チームとしての戦いがきっちりと見せられてきたからである。
BCも大鯱も、はっきりとした実績は残してこなかった。しかしセトの優勝によって、二人の評判も上がった。特に大鯱は、わがままで見せ場の少ないレスラーから、きちんとサポートのできるレスラーへと認識が改められつつあった。
「よかったな、ドクター」
リング下にいた大鯱は、誰にも聞こえない声でそうつぶやいた。
「僕と付き合ってもらえませんか」
そう言われた時、ララは思わず吹き出しそうになってしまった。もちろん失礼になるので我慢したが、あまりにも予想通りだったのである。
何度か二人で食事をしたことがあったが、「おしゃれなバー」というのは初めてだった。きっとそういうことだろう、というのははっきりと分かった。
大鯱銀河は、真面目だった。プロレス転向後の融通が利かない感じも、現在の嫌味なヒールも、あくまで選手としての姿に過ぎない。実際には一人のシャイな青年なのだ。
自分の好きなタイプではない。それは、選手としても異性としてもだ。けれどもララは、決して大鯱に誘われるのが嫌ではなかった。楽しみですらあった。彼女の気持ちに引っかかりがあるとすれば、やはり沙良星、元プロレスラーの木宮のことだった。
自分がレスラーのきっかけになった選手。かっこいいと思う人。素敵な力士。大鯱と「トレードされた」と言われた人が、心のブレーキになってきた。けれどもララは、それが単なる憧れだということも自覚できていた。ファンとして、どこでも成功してほしいとは思う。けれども、だからこそ、自分の人生は無関係なのだ。
「私、つまらない人は嫌いだから、つまらないと思ったら終わりだよ。それでもいいですか?」
ララは、唇を尖らせた後、歯を見せて笑った。
「努力するよ」
「それはつまんない」
「あー……面白いところあると思うからさ、まあ、見つけてくれると嬉しいな」
「ひどい、人任せ!」
ララは、右手の人差し指を立てた。
「次に行くデートの場所を、考えなさい。とびっきりのおもしろいところを」
「わかった」
それは、大鯱には一番苦手なことだった。心の中で、「でも、努力しなくては」と決心した。
最高位西前頭三枚目。プロレスラーから転向した初の力士は、32歳で引退することとなる。その一方で大相撲から転向した大鯱銀河は、現在もプロレスラーとして活躍を続けており、結婚も間近ではないかと噂されている。
美濃風親方は沙良星に部屋を継がせたかったのだが、彼はそれを固辞した。沙良越が日本人への帰化を考えており、将来部屋を持ちたいと思っていることを知っていたのである。
再びプロレスラー転向も期待された沙良星だったが、彼はその道も選ばなかった。
「一年ぐらい、ふらふらしてもいいよね」
故郷に戻ってきた沙良星こと木宮改那は、母の肩を揉んでいた。母は、苦笑していた。
あの夏、僕らはトレードだった 清水らくは @shimizurakuha
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