第6話 肉食わねえ
気がついたら12月に入っていた。早えなあ。
そろそろ藤木さん来ないかなあ。
「腹減ったなあ。ねえ、綾子さん」
カウンターで先輩の笹原さんが、従業員用のグラスに勝手についだビールを飲みながら隣の綾子さんに向かって言った。
笹原さんは教育心理ゼミの二つ上の先輩でこのバイトの先輩でもあったらしい。俺には全く面識がなかった先輩だったけど、たまあにここへやってきてマスターのいないうちにただ酒を飲んで帰るっていうのを繰り返すような人だが、気さくでなかなかのいい男なのでこの店にいた頃は結構いい思いをしたらしいという、俺的にはその辺、尊敬できる人だった。
でも、櫛田さんは彼のことが嫌いらしく、「あいつはよう、調子がいいから信用しない方がいいぞ。口がうまいし、いつもただ酒飲むし」っていつも言っていて、今夜も笹原さんとは適当に接していた。
土曜の夜、この店は混む。だから俺と櫛田さんが忙しく動き回っている午後8時過ぎ、数人の後輩を連れて店のドアを開けた笹原さんを見て、櫛田さんは大きなため息をついた。
この日は特に忙しかったが、いつものようにマスターはなかなかやってこない。
「ったくあのおやじはよう・・・」
「使えないっすよね、全くもって」
などと二人で文句を垂れながら立ち回った。
「すんませ〜ん、氷くださ〜い」
その声に振り返ると笹原さんが連れてきた後輩の一人だった。
真っ赤な顔をしてご機嫌そのものだった。
「てめえ、このクソ忙しいのに。勝手に持っていきやがれこのクソガキ!」、とは言わなかった。
笹原さんの後輩とはいえ確か俺の一つ上のはずだ。
俺は無言でアイスバケットを受け取り、そこに氷を放り込んで無言で渡した。「わりいねえ〜」
そいつはまたご機嫌な感じでそう言って戻っていった。
「なんかむかつきますね、あいつら」
「まあな。俺は今ここにいるどいつもこいつもむかつくけどな」
「言えてる」
マスターが来たのは23時前だった。
「おっせえなあおい、こら!」
とは言わなかった。いつものことだし一応雇い主だし。
「悪い悪い、なんだよ電話くれれば良かったのに」
なんてこれまたいつものセリフを宣いやがって。
「電話したって来ねえだろうが」って顔で櫛田さんはお代わりの生ビールグラスを運んでいた。
「マスター、ひさしぶり〜」
「おお、笹原、来てたんか」
「後輩連れてきたぜえ。売り上げに貢献、貢献」
笹原さんはご機嫌な様子でマスターにそう言った。
「何が貢献だよ。いつもマスターいないうちにいいだけタダ酒飲んで行くくせによ」
いつの間にか後ろにいた櫛田さんが小声で言った。
日付が変わり出してもなかなか客は帰らず、俺たちバイトのイライラが増えるのと比例して客の盛り上がりも増えていった。
俺は、こんな時間にも関わらずピザを注文するバカのために奥の厨房へ入りピザを作っていた。
「くっそう・・・何がピザだよこの時間によお。ざっけんな!こうしてやるう」
ピザソースにタバスコをガンガンかけた。我ながら陰険だと思ったが、まあ今日は許す。
「おまちどうさまです」と笑顔で俺はテーブルに乗せた。
「スパイシーピザだ、食いやがれ」とは言わずすぐにカウンターへ戻ってこっそりそいつらの反応を見た。
「げえ、辛えなあ〜」
へへへ、当たり前じゃ、ボケ!
「でもうまいぞ」
「本当だ」
「いつもとちがうなあ、これ。でもいいかも」
はあ?
好評じゃん・・・・・・・・
1時を過ぎると客は帰りだし、笹原さんの後輩たちも帰っていった。
でも、笹原さんは帰らずにいつの間にか来ていた綾子さんの隣で従業員用のグラスにビールを勝手に注ぎ飲んでいた。
笹原さんは綾子さんとはなかなか仲が良く二人ともご機嫌で会話に花を咲かせていた。
「腹減ったなあ。ねえ、綾子さん」
「そう?」
「うん。腹減った。マスター、ここ終わったらなんか食いに来ませんか。お前らも行こうぜ」
「はあ・・・・」
「マジかよ。また食わされるぞ」
櫛田さんが笹原さんに聞こえないように小声で言ったがその顔は明らかに拒否的いや、拒絶的な表情だった。
「肉行こうよ肉!」
笹原さんはご機嫌で朗らかにそう言った。
「焼肉?無理だべ。ケチなマスターが焼肉なんてっよう」
とこれまた小声で櫛田さんはそう言ったが、
「肉か。いいなあ」とマスターが意外なセリフを吐いた。
「まじか!」
俺と櫛田さんは顔を合わせて驚いた。
あのマスターが一皿何百円もするような肉を食わせてくれるだと?
ということは、そんなに食わされないってことですか?
何百円もするような肉を吐くまで食わせる愚など、ケチなマスターがするわけがない。
「今夜は平和な気分でいられますね」
「だな」
「しかも焼肉。げへへ、やったぜ」
とうの昔に樺太まで飛んで行っていた俺たちのやる気が、急に戻ってきた。
お帰り!やる気ちゃん。
俺たちの動きが二倍くらいテキパキとし始めた。
2時前には全ての客が引けた。
俺たちはいつもの三倍の速さで店の後片付けをした。
やればできるじゃん、俺たち。
ぐへへ、目の前に人参をぶら下げられた馬の気持ちってこんな感じなんだな。
悪くないぜ。
しかし、この時間にまだ焼肉屋がやっているのだろうか。
まあ、やってるだろうな。なんせここはサンロクだもんな。
先頭のマスターと笹原さん、綾子さんがネオンが妙に賑やかで赤地に黒で『焼肉』と十分過ぎるくらいに自己アピールしている大きな看板が掲げられた店の方へ向かっていった。
「やってましたね、焼肉屋」
俺はなんだか安心して櫛田さんに言った。
「おい・・・・・」
「ええ?」
櫛田さんが立ち止まって指さした方を見た。
「まじか!」
賑やかなネオンの下の焼肉屋の入り口の横の立て看板。
『焼肉食べ放題1500円』と白地に赤い字で書かれていた。
「えええっ、一皿何百円とかそういうう焼肉じゃないんすか?」
「・・・・・・・・・・だよな。あのマスターがそんなの・・・・」
「食べ放題って・・・・・・ということは」
「・・・・・・・」
櫛田さんは固まり始めていた。
「一人焼肉皿何枚ってノルマ課されるってやつあないですか。最悪!」
「おい、お前ら。早くこいよ!」
笹原さんがご機嫌で朗らかにそう言った。
こんな時間だっていうのにしっかり店は営業していて客もいやがる。
どうかしてるぜって、こんなところに来ている俺たちもどうかしてる。
これからの展開を考えるとどんどん気持ちが萎びてくる。
それをよそに笹原さんは大はしゃぎだ。
「ようし、食うぞう!」
そう言って彼は肉コーナーへ行ってしまった。
こうなったら高そうな肉を選んで吐くまで食ってやる。
「じゃあ、俺たちも行ってきます」と立ち上がった時だった。
「ちょっと待て」
ああ、やっぱ来たか。
ノルマの宣言か?何皿食わす気だ、今夜は。
俺は暗い目でマスターを見つめた。
「大学生はよ、とかく野菜不足っていうだろ。お前たち食ってねえだろ。まず野菜から食え。全種類な」
マスターは憎たらしい笑顔でそう賜った。
そうきたか。野菜とは油断していた。しかも、全種類。
こんなとこで野菜なんか食うかよ!
経験上、口答えしても無駄だと分かっているので、俺と櫛田さんは大人しく野菜コーナーへ行った。
「野菜って、こんなとこで食います?やられたな、ちくしょう」
「まあ、あいつのことだからある程度は予想してたぜ」
「そうか。油断してました。できるだけ小さいの選ぼう」
俺は皿の上に玉ねぎ、芋、にんじん、ピーマン、ナス、輪切りのとうきび、などをできるだけ小さめにカットされたものを選んで載せた。
席へ戻ると肉の焼けるいい臭いが漂っていて、うまそうに3人が食べいた。
「ええ?野菜?お前らこんなとこに来て野菜かよ。馬鹿じゃねえの」
笹原さんが俺たちの持ってきた皿を見て言った。
「こいつらよ、最近野菜不足なんだってよ」
マスターが憎たらしい顔でそう言った。
俺は頭の中でマスターに真空跳び膝蹴りをかましてやった。
俺は小声でぶつぶつもんんくを言いながら野菜を焼いた。
目の前で肉を食っているのを見ているからか全く野菜がうまくない。
ちくしょう。
「おい、米も食えよ。栄養偏るぞ」
うっせえ!じゃあ肉食わせろよ!とは言わずに大人しく茶碗に米を盛って持ってきて野菜で米を食った。
全然うまくなかった。
「カレーとスパゲティとスープ持ってきてくれよ」
はあ?こんなところでカレーだと?
おお、あるよ。でも、こんなところに来てまでそんなものを食うとはな。まあどうでもいいか。
俺はお盆にカレーとスパゲティとスープを載せて持ってきた。
どれも大盛りにしてやったぜ。ゲヘヘヘヘ、残すなよ。
注意書きにもあったが、ここは一度持ってきたものは全部平らげるのがお約束だ。
「ずいぶんたくさん盛ってきたな。食えるのか?」
「・・・・・食えるのか?」
「おお、それ、お前らが食うんだぞ。ここのカレーは美味いらしいぞ」
「げげげ」
「バカか・・・・」
櫛田さんが呆れていた。
しくったあ・・・・だよなあ。マスターはほんの少しだけカレーとスパゲティを小皿に移し、「あとはお前ら食えよ」、と宣った。
「お前、責任取れよ」
そう言って櫛田さんは無下なくカレーとスパゲティの皿を俺の方へ押し付けた。
「バカだねえ、お前」
そう言って笹原さんはうまそうに肉を口に放り込んだ。とほほ・・・
思いのほかカレーがうまかった。
そしてスパゲティも。
いやあ、満腹だ。
これで気持ちよく眠れるぜ、ってまだ肉食ってねえし。
でも、この際もういいかな満腹だし、肉は。結果オーライってことで。
俺はポケットからタバコを出し火をつけた。
食後の一服だ。
さっきから食べるのをやめて綾子さんと駄弁っていたマスターがこっちを見た。
「ん?何寛いでる。肉食わねえのか」
「えっ、いやあ、なんだかここのカレーとスパゲティ、意外にうまくて満足しちゃいました。ごちそうさまでした」
俺と櫛田さんは深く頭を下げた。
「お前らバカかあ?焼肉屋に来て肉食わねえって。なあ、笹原」
「そっすよねえ、うまいぞ」
笹原さんまで・・・・
「肉食えよ。ジンギスカン」
「えええええ!ジンギスカンって。いやいや、ジンギスカンはいいでしょいまさら。ねえ、櫛田さん」
俺は思わず叫んだ。
そりゃそうだ。ジンギスカンなんて日頃から食ってるしいまさら焼肉屋で食うもんじゃないでしょ。
実家にいた頃は週末はかならずジンカンだし、今だって人が集まればジンカンパーティーやってるし、わざわざここで食うもんじゃないですよ。
他にもあるでしょ、肉は。
焼肉屋では肉っていえば牛でしょうし!羊なんかじゃない!
「ここのはうまいらしいぞ。ラムもマトンも。食え」
「はあ?」
「なんだよ。肉食わねえのか。じゃあ、蕎麦とか海苔巻きとかあっただろ。それを食ってろ」
「え〜・・・・・・・・・」
「ばかが」
ぽつりと櫛田さんが言った。
「くっそお!こうなったら肉以外全部食ってやる!絶対肉食わねえぞ」
蕎麦、海苔巻き、稲荷寿司、パサパサのイカやタコの寿司、焼きそば、3種のスープ、その他もろもろ、俺は自棄になり全てに手を出した。
焼肉屋なのになんでこうも肉以外のものがあるかという疑問は置いといてひたすら食った。
もう腹はぱつぱつを通り越してしまいそうだ。
あとは破裂するしかない。
最後にソフトクリームを頬張り、コーンを飲み込み盛大なゲップをしてやった。食ったぞ、ざまあみやがれってんだ。
腹が苦しいのはお首にも出さず、俺はマスターに得意げな顔をしてやった。
「結構食ったな。しかしまあ、やっぱお前はばかだな」
「ないがですか?」
「せっかく肉食わせてやろうと思ったのによ、肉以外のものばっか食って」
「だよなあ、ばあか」
「ばあか」
「ばかばかば〜か」
「ばかばかいうなあ!」
と立ち上がった時、嘔気が込み上げてきた。
あんたは食えと言うけれど 飢えた子だって絶対残す ジョニさん @dousan
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