ガラテアに成らずとも

独一焔

首都ヴィクトリア 東地区にて

 かちり、と小さな宝箱の鍵を閉めるような音と共に、発条ぜんまい陶器ビスクの背中の穴から引き抜く。

 うつらうつらと硝子ガラスの目玉の上を行き来する目蓋はまるで人のそれで、細やかな仕組みの一つ一つにまた感嘆の息を吐きそうになる。

 発条ぜんまい式自発稼働型陶器人形ビスクドール──通称『特製自動人形カスタムオートマタ』。

 つい先日、愛玩用に注文した彼女が届いた時は、天に昇るような歓喜を覚えたものである。


「おやすみ」と声をかけると、「はい、おやすみなさい」と可憐な人工音声を発して彼女は休眠状態スリープモードに入った。

 目蓋の向こうにある蜂蜜色の瞳が数時間見られなくなるのは少し残念だが、それを差し引いても彼女の美しさは完璧だ。


 緩くウェーブのかかった金糸の髪。白く滑らかな陶器ビスクの肌。外見年齢設定は十代の初めから半ば。

 この薄い体の中にある歯車や螺子ネジの一本すらも、きっと美しいに違いない。

 扱いを少し誤るだけで壊れてしまう儚さも、刹那の美を引き立たせている。

 確かにこれは、人を狂わせる魔の存在だ。


 ショーケースの中で飾られていた『彼女』の姿を思い返す。青いドレスで着飾り、すまし顔で猫足の椅子に座っていた『彼女』。

『彼女』を見た瞬間に、私は心を奪われていた。

 元から『特製自動人形カスタムオートマタ』に興味があったものの、『彼女』は今まで見てきた中で一番の出来だった。

 是非ともこの手にと必死に金を稼ぎ、相応の大金を手に来た時には既に『彼女』は売れてしまった直後だったが、店主が同じものを製作すると言ってくれたおかげで、今の彼女が手に入った。


 しかし、断言しよう。私は『彼女』よりも、今の彼女の方が美しいと感じている。

 ベースこそ『彼女』と同じだが、職人の手作りによる僅かな差異が私の好みと一致した。無論、私も全く『彼女』と同じにならないよう、細かな注文を付けている。

 それらの注文に、完璧に答えてくれた店主には頭が下がる思いだ。彼こそ、この国一番の職人であろう。


 慈しみと愛しさを込めて、彼女の肌に触れる。頬から首筋、そして腕へ。

 肌の性質は人とは違うものだが、体内の排熱機構の機能により人と同じ熱を持っている。熱くなく、されど決して冷たくもない温もり。

 限りなく人に近い形で造られた彼女達だが、個人的には彼女達は既に人間を超えていると思う。


 何故なら、彼女達の美は不変だ。丁寧に、丁重に扱われた自動人形オートマタの稼働年数は、優に百年を越えるという。

『壊れやすい』という刹那の美と、老化も劣化せず一世紀を渡る永遠の美。

 その矛盾もまた私を魅了する。


 腕の可動部……人で言う関節部は、球体関節で再現されている。

 これこそが、自動人形オートマタと人間を分ける一番の違いだ。


 人に限らず、生物の関節の可動域を再現するには、こうした球体関節が一番優れていると言われている。

 愛好家の中には服や手袋、または人工皮膚などを使用して関節部を隠し、更に人に近付けようとする者もいるそうだが、私から言わせればそれは愚の骨頂である。

 これもまた美の一部だと言うのに、その良さが微塵も分からぬとは……。


「まあいい」と愚劣な輩への嫌悪感を捨て、再び彼女の手触りに精神を集中させる。

 関節部のパーツごとの段差を少しずつ撫で、関節の曲げ伸ばしに作用するスリットに指を添わせた。ここも機能美を感じられて好ましい。


 スリットの深さ、あるいは長さは自動人形オートマタの役割や職人によって異なるが、今回はあえて目立たせてほしいと頼んだ。

 本来、愛玩用のスリットは小さく短いか、あるいは全く付けない。

 理由は先述の愛好家共の無駄な『こだわり』とやらによるものだ。

 だが、先程も述べた通り、それは愚の骨頂であり、自動人形オートマタ本来の美しさを損なうものでしかない。

 だからこそ、私は店主へスリットの全てに神経を注ぐよう何十回も言い付けたが──それは正しかったようだ。

 おかげで、こんなにも美しい白磁の令嬢になったのだから。


 ……また意識が逸れてしまった。スリットから指を離す。

 肘から手、指先へ。手は私より小さく、指は私よりも細い。そして、手の指全てが球体関節だ。


「……素晴らしい」


 一人呟いて、彼女の手に自分の手を重ねる。すっぽりと覆われる手。

 既に排熱機構も止まっていて、肌は元の人ならざる冷たさに戻っているが、それも乙なものだろう。


 重ねていた手で彼女の手を取って、そっと自らの口元に寄せる。唇に触れた陶器ビスクの感触は、舞踏会に群がる家名ばかりの令嬢より甘美に感じた。

 名残惜しさに後ろ髪を引かれつつ、彼女の手をシルクのシーツの上に戻すと、私はベッドから立ち上がる。


 カーテンを閉めようと窓に近付くと、地上は最新の灯による橙の光で輝いていた。

 空を悠々と泳ぐ鯨のような夜間飛行船は、『夜も輝くヴィクトリア』と声高らかに宣伝している。今日もこの街は眠らないのだろう。

 遮光防音防塵カーテンを閉め、私も自らへの寝室へと向かう。街に眠りが必要なくとも、人には睡眠が必要だ。


「おやすみ」


 聞こえないと知りつつ、彼女にそう声をかけてから、私は部屋の灯りを消した。

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ガラテアに成らずとも 独一焔 @dokuitu

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