第2話「桃色の姫君」

 魔女は激怒した。

 必ずや、かの邪智暴虐の誘拐犯を除かねばならぬと決意した。

 魔女にトリノス村はわからぬ。魔女は、西の大国の宮廷魔法使いである。姫専属の家庭教師として、主君たるエアリーテと茶菓子をつまみながら、ほんわかのんびり暮らしてきた。

 しかし魔女は、妹のように可愛がる姫君に向けられる害意には、人一倍敏感であった。


***


 重苦しく閉ざされたトリノス遺跡をあらかた探索し終え、魔女はようやく、茜日差す森林へと帰還した。

 薄暗い遺跡に慣れきっていた双眼を細め、数度瞬きを繰り返し、色素の薄い睫毛を震わせる。


「見た目に反して、かなり入り組んだ遺跡でしたわね」


 疲労の溜息を吐きつつ、腰に取り付けたポーチから手鏡を取りだし、探索で乱れた身なりを整えようと覗き込む。

 柔和な曲線を描くウィステリア淡藤色の巻き髪は、砂糖菓子の甘さ。ピオニー・パープル赤みを帯びた紫の瞳は、咲き誇る大輪の花々。雪の精さえ魅了する天与の美貌には、瑕疵ひとつ見つけられない。


 アムリタ・イヴェール。

 神が特別丹精込めて作り上げた、麗しの氷花の乙女。天賦の才を持つ、稀代の魔女。

 彼女はまさしく、理想の淑女であった。


「ええ、大丈夫。今日も完璧パルフェですわ。わたくしは、アムリタですもの」


 手鏡を閉じ、ひとつ安堵の息をつく。

 姫のお付きとして、常に身なりには気を遣わなければならない。彼女の憧れの"お姉ちゃん"として、旅の身であろうと無様な姿は見せられないのだ。


 髪などを整えた魔女は、「すぐに戻るから」とその場に待機させていた姫を呼ぼうと唇を開きかけ───即座に異変を察知する。


「エリーさま、どこに……あら?これは……何ですの?」


 遺跡出入り口の古びた円柱の前には、その中身の殆どを失った謎のアンプルが転がっていた。さらに、何らかの薬と思わしき白い錠剤もあちこちに散乱している。

 人など寄り付きそうもない寂れた遺跡に、怪しげな薬液。散らばった錠剤と、何かを弔うように意味深に飾られた一輪の白い花。

 誰がどう見ても、尋常な様子ではなかった。


「エリー、さま?エリーさま、どこに居るのです!?返事をしてくださいまし!」


 見たこともない、効能不明の薄紫の液体をこぼす、ガラス容器。散らばる錠剤。明らかに"何者か"がそこに存在した痕跡。姿の見えない姫。

 つまり、これは。


「姫に毒薬を飲ませ、意識を奪い……誘拐した!?」


 王国が誇る天才魔女は、確信した。真実はいつもひとつ。

 魔女はへし折る勢いでメイスを握りしめ、涼しげな美貌を歪めに歪めて、激昂した。


「おのれ卑劣な誘拐犯……!氷像にして、生きたままかき氷にしてさしあげますわ!」


 消さなくては、ならない。姫の、私の悲願を邪魔立てする者は全て、消し去ってしまわねばならない。

 大丈夫。私はもう、既に人殺しだ。この魂は汚れきっている。

 どうせ、───にはもう触れられない。


 ***


「ボクはエアリーテだよ!長いからお父さまやお姉ちゃんは、『エリー』って呼ぶよ!ハルチカもそう呼んでいいよ!」

「わかった、エアリーテと呼ぶ」

「えへへ~……って、あれぇ?」


 夕刻、トリノス村の宿屋にて。

 ハルチカは宛がわれた二階の隅の部屋で、少女に餌付けをしていた。


「この三角のパン、すっごくおいしい!」

「サンドイッチな」

「ボク、三角パン気に入っちゃった。これ、どこのシェフが作ったの?」

「だからサンドイッチな。……シェフって、大袈裟な。オレが宿のあり合わせで適当に作った、ただの貧乏メシだよ」

「"メシ"?メシってなぁに?」

「はぁ。お姫サマは知らなくてよろしい言葉でございますよ」

「え~!ひどい!いじわる!」

「意地悪、性悪、上等だっての」


 むくれながらも美味そうにサンドイッチを頬張るという器用な芸当をしてみせる少女、エアリーテ・アルクレイラ。



 遡ること数十分前。遺跡の前で少女が名を告げた、直後のことだった。

 彼女が西の大国の姫君を名乗ったその時は、まさかそんなはず、と本気にしなかった。しかし、「絶対嘘だろ家出娘」と言わんばかりに鼻で笑うハルチカの態度に、さすがに腹が立ったのだろう。


 姫(仮)は胸元から、大粒の翡翠色のペンダントを取り出した。

 それはアルクレイラの正当後継者にのみ受け継がれるという、試金石レガリアだった。その存在は、ハルチカのような庶民でも知っている。


 戴冠式の際、貴族や民衆が見守るなかで、王となる者はナイフで指先を切り、血を流す。その血液を一滴、翡翠色のレガリアに零す。

 すると正当な王家の者の血なら、ペンダントは黄金に輝き、目映い不死鳥を象る。

 しかし、もし偽りの血で汚されれば。王家を守護する不死鳥は灼熱の緋色に染まり、血の持ち主を焼き殺すという。


 姫(仮)はハルチカからナイフを借り、小指の先に軽く刃先を当て、滲む血の一滴を翡翠のペンダントに伝わせた。


「───証明してね。試金石レガリア


 刹那。ハルチカの全身に走る、畏怖の震撼。窓も開けていないというのに揺蕩い靡く、少女の桃色の髪。高らかに産声をうたい顕現する、幻想の、黄金の大翼。


「ね?ボクがエアリーテだって、わかったでしょう?」


 若草の瞳を細め、悠然と笑む少女の腕には、黄金の不死鳥が翼を広げてとまっていた。不死鳥が生み出す煌めく粒子を纏い、少女はまさに女王の風格を以て、穏やかにハルチカを見据えていた。


 無意識だった。気がつけば、ハルチカは震える片膝を折って、尊き血筋の少女に跪いていた。本能が、そうするのが当然だと告げていた。


 もはや、疑いようもない。彼女こそが西の魔法大国次期女王、エアリーテ・アルクレイラその人だった。国を追われた、死した筈の姫君であった。

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春雷─姫と元魔王と天才魔女、そして勇者になれなかったアル中おじ…おにいさん(36)─ 鳥市 @tori-bird1212

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