3月31日 春 桜と500円
庭月穂稀
桜と500円
春はズルいと思う。
綺麗な花がたくさんで、暖かくて涼しくてちょうどいい。入学式と遠足とクラス替えとオリエンテーリング、イベントもたくさんでずっと楽しいイメージしかない。
そんなの好きになるしかないじゃないか。これがあざといというやつだろう。
いつものように公園の入り口にあるホッチキスの針みたいなガードに身体を預ける。春休みということもあって公園では下級生が10人くらいでドッジボールをして遊んでいる。
今日は3月31日、3月が終わる日だ。そして俺たち6年生にとって少し特別な日、小学生が終わる日でもある。そんな小学生最後の日に、6年間使ったランドセルを背負って通学路で友人を待つのは何とも言えない気持ちになる。
なぜ春休みなのにランドセルを背負っているのかというと、小学校にランドセルを寄付するためだ。雑な性格の俺だが、ランドセルは同級生たちと比べて非常に綺麗なまま使い終わることが出来た。
まぁ、それもこれも友人から事あるごとに丁寧に扱うように注意されてきたからなのだけど。そういうわけで狭い家に大きなランドセルを残しても邪魔だし、その友人と一緒に寄付することにしたのだ。
「おっはよー」
「おう、おはよ」
明るい聞き慣れた声。最後の日も変わらない俺たちの挨拶だ。
とててと駆け寄ってくるのを見守ると、すぐに違和感に気付く。
「あれ?髪切ったの?」
「そうだよ、校則なんだって」
「ふーん」
ずっと背中まで長かった髪が肩より上ですっぱり切りそろえられていた。なんだか違う人みたいだ。
「どう?にあう?」
「……いくぞ」
「もー」
前言撤回。いつもと変わらない生意気なやつだ。褒めるとすぐに調子に乗るから気にせず公園の外周を歩き始める。
そっけない対応にも慣れたこいつは何も気にせずに隣に並んできた。
「晴れてよかったね」
「そうだな」
ほんとうに晴れてよかった。空を見上げると春らしいやわらかい光が差し込んでいた。
なんとなく顔を見たことある下級生たちが公園で遊んでいる声が遠くから聞こえる。それをBGMに人通りの少ない公園の外周をのんびりと二人で歩く。
俺たちの通学路は他の生徒とは少し異なっている。じつは、この公園を突っ切ると小学校の裏門にたどり着く。そのためこちら側から小学校に通っている生徒は皆公園の中を通って登下校している。
にもかかわらず俺たちはわざわざ公園の外周を歩いて学校の側面にある小さな門から登校していた。
その理由はいろいろある。景色がきれいだったり、歩きやすかったり、日影があったり、単純にその道が好きなのだ。そしてなによりも登校時間は俺たち二人にとって作戦会議の時間だった。誰にも邪魔されるわけにはいかない。
「今日もあるの?500円」
「とーぜん」
スッと右手をポケットから出し、くるくると500円玉をもてあそぶ。かあさんが置いていく500円玉は卒業しても変わらず毎日玄関にある。この様子だと中学でも一緒なのだろう。
「また落としても知らないからね」
「いつの話だよ」
最後に落したのはたしか4年生の時だった。放課後に二人でコイン回しを練習している時期に、歩きながら練習していたら俺がコインを溝に落してしまったのだ。
ただ、こいつの注意は落とすことを単純に心配しているだけではない。自分ができないから拗ねているのだ。4年生のコイン回し練習で結局こいつはできるようにならなかった。俺が500円を落としたタイミングで「飽きた」と言って練習しなくなったのだが、俺は知っている。こいつがこっそりコイン回しを練習し続けていることを。卒業しても出来ていないのだからほんとうに不器用なのだろう。
「ほら」
「わっ」
道路沿いの道が終わるくらいでピーンと500円を弾く。ジトッとした目で俺をにらんでいたこいつは慌てて両手でキャッチする。
「だから、あぶないってば」
「……ほんとに晴れてよかったよ」
「え?……わぁあ」
公園の角を曲がった道はそこだけ別世界のように桃色に色づいていた。
満開の桜が車も通れない細い道幅を飲み込んでいる。ぜんぶがさくらで、桜色の絵の具をこぼしたような景色だ。
はらりはらりと舞い落ちていく花びらはふとした時に食べてしまいそうだと感じるほどゆっくりとしている。
そして落ちた花びらが地面を覆い、コンクリートは桜を引き立てるための黒いキャンパスとなっている。
今日以上の日は無いのではないだろうか。
そんな桜のとんねるに、フラフラと踊るようにピンク色のランドセルを背負った女の子がまよいこんでいく。
こんなに桜が似合うひとはいない。俺はずっとそう思っている。景色に似合う、花に似合うだなんてキザなこと絶対に口にできないけれど。
ほんとうに晴れてよかった。
「今年が一番じゃない?こんなにきれい」
「うん、俺もそうおもうよ」
「だよねー!」
ふわりと笑顔を浮かべたこいつにドキリとさせられる。その感情を悟られるとからかわれるのが常だ。気づかれないようにさっさと話題を変える。
「今日の500円、久しぶりに駄菓子屋にでもいくか?」
「駄菓子屋かぁ、懐かしいねー。おばちゃんげんきかなぁ」
ちょうど公園を挟んで反対側に佐々木のばあちゃんの駄菓子屋さんがある。小さなお店だが、ばあちゃんが好きな野球チームが勝った日はおまけしてくれたり、コマで遊んだりとても楽しいところだ。
俺たちも1年生の時は毎日500円きっかり駄菓子を買って、ばあちゃんの部屋にあるコタツでパーティーをしていた。500円は駄菓子を買うには多すぎるのだと気づいてからは週に1回ほどになったが、それでもずっと居心地の良い場所だった。
「でも最後だし、コンビニで高いケーキを買うのもありかも」
「えぇ、もったいなくないか?」
「いつもそう言うじゃん」
駄菓子屋に行く頻度が減った俺たちは次にコンビニにハマった。割高なお菓子やジュースも俺たち小学生の500円にとって敵ではなかった。期間限定お菓子もたくさんあって、2年生の間は毎日冒険に行くような気持ちだった。
そんなコンビニにもラスボスと言うべき商品がいた。コンビニスイーツだ。初めはは真ん中の列でお菓子とアイスとジュースが確認できるので目にも止まらなかった。だが、こいつがCMで見たケーキが食べたいと言って、初めてスイーツの棚を眺めた時から俺たちの最大の敵となったのだ。
コンビニスイーツは一つ300円以上する高価な商品だ。俺たちはいつも二人分を購入していたので一つしか買えないことに衝撃をうけた。どうしても食べたいとこいつが言ったスイーツは一つをふたりで分け合っていたのだが、俺は生意気な値段をしているスイーツがとても嫌いなのだ。
思うと、お金の大切さを学んだのはコンビニスイーツなのではないだろうか。将来の夢なんて大したものは無いけど、ふたり分を買うことに躊躇しないくらいは稼げるようになりたい。
「うーん、じゃあどうしようか」
作戦会議はいつもこの道でおこなっているのだが、おれたちは桜の道をいつも以上にゆっくりと歩いている。
「かき氷食べるか?」
「え、もう売ってるの?」
「ほら、あるだろ。一年中売ってるとこが」
「ぜったいにいやだ。」
「なんでだよ、桜きれいなんじゃない?」
「中学生にもなるのに山なんてのぼりたくありませーん」
そうやってぶー垂れる姿はとても中学生とは思えず、ふっと鼻で笑う。
3年生になってこいつが自転車に乗れるようになると俺たちはすぐさま山登りを決行した。4時間授業の日にしっかり飲み物を買って意気揚々と挑戦したのだ。
結果から言うと、途中でこいつがこけて、俺がおんぶして下山。リタイアだった。
それから3カ月がたって休日に二人でリベンジしたのだが、そのときもこいつは足をくじいて半べそかいていた。それでも根性をみせてなんとか登り切った。
そうして山頂にあるちょっとおしゃれな木の喫茶店で500円ぴったりの特大かき氷を注文。そのかき氷がどんな味だったのか覚えていないが、「おいしいよぉ」と大粒の涙を流しながら食べ続けるこいつの顔はこれからも忘れることは無いだろう。
「いててて」
「ふんっ」
俺がこいつの失態を思い出しているのがばれたのだろう、俺の鼻がギュッとつままれる。
「そんなことを言うなら、私は川に行きたいかな!」
「……」
「川がいいな!」
「……ごめんなさい」
口の奥がすっぱくなる。
俺たちは5年生のときには町中を制覇していた。そして原点回帰とでも言うのだろうか、学校の近くに流れる川遊びがブームとなった。
水きりで連続20回を目標に努力した日々は俺たちが最も頑張ったことなのではないだろうか。2カ月以上川辺で指先を泥だらけにしながら練習し、ついに夏休みの出校日に達成した。
その時はふたりして大喜びで、祝いだ祝いだとまわりのものを手あたり次第に川に投げ込んだ。そこで俺はテンションが上がり過ぎて、いつかクリアしたときのご褒美として練習した日は二人で貯めていた500円玉の貯金袋を川に投げ捨てたのだ。
それが川に落ちたとたん、俺はようやく冷静さを取り戻した。そのときには頭がまっしろになって、パニックになっていた。大慌てで川の中に飛び込んでいったが、慣れたと思っていた川がその時は想像以上に流れが速く、足をとられてしまい、俺は溺れそうになった。
気が付くと俺はこいつのクシャクシャになった顔を見上げていて、小学校生活で最初で最後のこいつの全力のこぶしを頬に受けた。
それから1週間、俺は片頬を真っ赤にしたまま毎日コンビニスイーツをお供えして謝り続けた。もう二度と危ないことも、我を失うこともしないと誓った。
それ以来、俺は川は苦手なのだ。
「綺麗な桜に免じてゆるしてしんぜよう」
なんとかお許しの言葉をいただく。
「うーん、でも本当にどうしよっか、そろそろ結論を出さなくてはいけませぬぞ」
「……」
気づけば桜の道はもう終わりが近づいていた。ついさっき入ったばかりだった気がするのに。
終わりが近づいてくるのを意識すると、急に心臓がバクバクと鳴り始めた。なんだってこんなに緊張しなくちゃいけないのだ。
「あー、その…」
「ん?どこかいきたいところでもあるの?」
「そうじゃないんだけど…」
「なにさ」
決まりの悪い言葉しか出てこない。何を言いたいのか自分でもさっぱりだ。
いや、決まっている、言う言葉は決めてきた。
こいつと俺の6年間はとても楽しいものだった。500円に釣られているとクラスメイトに言われたこともあったが、それでもいいと思えるくらいには楽しかった。
俺は4月から公立中学校に進学する。うちの小学校の生徒のほとんどがそうだ。
だが、こいつは違う。なにやらワタクシリツとかいう受験が必要な学校に進学するのだ。こいつはアホで不器用で何も考えていないが、なぜか勉強は誰よりも出来たのだ。それを俺は知っていたし、応援もしていた。
6年生になると家庭教師がくるからと週2回しか遊べなくなった。こいつが勉強する日はほかの友達と遊んでもどこかつまらない日々だった。
それでも、両親の期待に応えたいというこいつの思いは知っていたし、頑張っているこいつを見ていたから、遊べる日に精一杯遊んで、たくさん笑うことにした。
そして、こいつは合格した。晴れ晴れとした笑顔で報告してきたこいつの顔もたぶん忘れない。
そんな頑張ったこいつに、ご褒美があっても良いのじゃないか、そう思った俺はひそかにご褒美を用意していた。
それがランドセルの中に入っている。今朝3回も確認した。
桜の道が終わる。
「わっ」
「目つぶれ、ぜっったいにあけるなよ」
不思議そうな顔をしているこいつの目を右手で塞ぐ。
「え、なになに」
「つーぶーれー」
「わ、わかりました」
いつもと違う俺に困惑しながらこいつは目をギュッと瞑る。
片腕で器用にランドセルを開け、中身を取り出す。
ゴトンッと寄付するランドセルが地面に落ちるがそんなの気にしない。
右手をバッと離し、左手で握っていた透明の袋を突き出す。
「わっ、もう目あけていいの?」
「いいよ」
ぱちりと目を開けたこいつは、目の前にある袋を確認すると、お手本のように口をあんぐりと開けた。
「あ、あげる」
「え、これ、え、えぇぇぇぇぇえええええ」
なかなか聞かない驚いた声だ。ずっと心臓が鳴りやまない。なんの汗かわからないが、たらたら汗が流れてきた。口の中も乾燥している。
かと思うと、こんどは何のリアクションもとらずにジーッと俺の顔を見つめてくる。
なんだその反応は!
自分がどんな表情をしているのか分からなくて、そんな顔を見られたくなくて目線をそらす。
空気に耐えられなくなって、紙に書いてまで練習した言葉をはきすてる。
「受験お疲れ様、合格おめどう」
かんだ。しにたい。
「うん」
返事が来る。つづける。
「あと、6年間ありがとう、たのしかった」
なぜか顔が熱くなる。あとどこかわからないけど、とにかくあつい。
「うん」
「ちゅ、中学校でもがんばれよ!」
「うん」
もう、げんかいだ。
とん、と袋をこいつの胸に押し当てる。
ガサゴソ音が聞こえてくる。袋を開けられているのだろう。そして数秒の沈黙。気まずすぎる。なんだこれ。
「これって、あのお店のワンピース?」
こいつと自転車で街を回っているとき、夏になると服屋さんに飾られてあるショーウィンドウの前で立ち止まっていた。よくわからなくていつも急かしていたが、たぶん欲しい服だったのだと思う。そう、思ってかったのだけど…
「…いらないなら、すて」
「いる!」
「お、おう」
ものすごい剣幕でせまってきた。
近い。顔が近い。否が応でも目線が合う。
またしてもジーッと見つめてくる。なんなのだ、こいつは。
「ねぇ、わたしと離れ離れになるのさみしい?」
「は?」
「さみしいの?」
「なにをいって」
「じゃあ、これいらない」
あーーー、もう!
目をつぶって、大声で叫ぶ。
「さみしい!さみしいです!」
何を言わされているのだ。またしても、がさごそと音がする。
「め、あけて?」
言われるままに目を開くと、見慣れない物体があった。
「これ、定期券。がっこうまえの」
「え?」
「わたし、中学校もこの道とおるから」
「は?」
「またいっしょだよ」
「はぁ????」
とんでもない。こいつは何を言っているのだろうか。
こいつの家は駅前なのだ。どう考えてもこいつは中学校に電車で通ったほうが早い。それなのに、バスだと?小学校前のバス?そんな事どうして…
「なんで」
「わたしもさみしいんだもん」
「…そうか」
顔が熱い。これって、なんか、これって、それっぽい。また顔を上にあげてそらす。
「あ、照れてるでしょー?」
「…てれてない」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「ふーん」
にやにやとしているのが顔を見なくても分かる。なんだってこんなことになっているのだ。俺はかっこよく見送るはずだったのに。
桜の花びらが目に入りそうで目線を下げると、こいつの心底うれしそうな、どうせ忘れられないような笑顔がそこにあった。
はぁ、ほんとうに。
「さくくん、中学校でもよろしくね?」
「…………はるも、よろしく」
春はズルいと思う。
3月31日 春 桜と500円 庭月穂稀 @Niwa_hotoke
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