猫の手

@88chama

第1話

 とても寒い夜のことでした。

真っ暗な町の通りには、小さなつむじ風が落葉を巻き上げて、ヒュウヒュウ吹き荒れていました。

 「さぁさぁ、遠慮しないでどんどん食べとくれ。お酒も肴もたんとあるからな。」

 「ありがとうございます大家さん。でも本当によろしいんですかぁ、こんなに大勢ですっかりご馳走になっちまって。」

 「なぁに、お金のことなら心配はいらないんだよ。」

ぽつんと明りの灯った古くて小さな工場から、こんな賑やかな話し声が聞こえています。



 ひっそり寂しそうな町でした。

こんな景気の悪い世の中に、元気な会社もあるものだと、二匹の猫は足を止めました。

 「ここにしようよ、父さん。」

子供の猫は言いました。でも父さん猫は不思議に思いました。こんな小さな工場に、そんなに沢山の人が入れるのだろうか。そんなにお金があるのだろうか。



 そこはとてもあったかい工場でした。

中では社長さんがたった一人で、顔を右や左に動かしながら、色んな人の声を出して話しています。

 「やあお客人、よく来たねえ。まぁまぁこっちに入って一杯おやんなさいな。」

機械を動かしながら落語の稽古に夢中だった社長さんは、窓から覗く親子を迎え入れました。そばにあったお菓子を投げてやると、親子をお客に見立てて話を続けました。機械のモーターから出る温かな風の前で、親子はじっと話を聞きました。

 「父さん、ここの会社、お金持ちじゃなかったんだね。」

子猫がそっと言いました。



 本当にいい所だな、と親子は思いました。

一人で何台かの機械を操りながら、社長さんは楽しそうに鼻歌を歌ったり、落語の稽古をしています。親子は毎日、お弁当の残りやおやつを分けてもらうと、お客になってしっかり話を聞くように努めました。親子には今まで住んでいた工場がマンションに建て替えられ、飼い主もいつの間にかいなくなってしまったので、行く所がありませんでした。なのでここに住みたいと心から願いました。



 何かしてあげたいな、と強く思いました。

社長さんの親切がとても身に染みたからです。どうしたら喜ばれるのか聞いてみたいと思いました。言葉が話せないのが残念でたまりませんでした。

 「兄貴、いやぁなかなか仕事がなくって弱っちまったよ。おやあ、こりゃぁ捨て猫かい?」

 「はっはっは、招き猫かも知れないな。こう景気が悪くっちゃぁ、猫に幸運を呼んでもらいたいもんだよ、なぁ、猫や。」

 「しかし、兄貴はいつも呑気でいいよなぁ。」

 「お前も愚痴なんか言ってないで、縁起を担いでちょいと西の方角に黄色いものでも飾ってさ、明るく笑って暮らしなよ。笑う門には福来るって言うじゃないか。」

訪ねて来た弟との会話を聞いて、出来ることは何でもやってやろうと強く決心しました。



 そして親子は必死で頑張りました。

商店街に出かけて行って、お店の棚に飾ってある招き猫をよぉく見て研究し、顔の洗い方を工夫して手の位置を真似ました。グルッと撫でる手を目の横で止め、それから「おいでおいで」をすると、それを顔が擦り切れそうになるまでやりました。近所の木からこぼれ落ちたミカンを拾い、二本の前足でコロコロ転がして来て、西の窓辺に運びました。戸口に立ってニャハハニャハハと笑って笑って・・・すっかり声がかすれてしまいました。



 じっと努力の花が咲くのを待ちました。

でもなかなか仕事の注文が来ないので、親子は力不足なのかなと、悲しくてたまりませんでした。弟が又やって来て言いました。

 「兄貴、もうそろそろ何かいいことないかねぇ。」

 「まぁ待ってなよ。今にきっと猫の手も借りたくなるほど忙しくなるからさ。」

 「活気のあった、昔の町に戻るといいなぁ。」

 兄弟の言葉に親子は大喜びしました。そうか、その時にこそ自分達の手が役に立つのだ!心に灯がともったように嬉しくて、胸がワクワクしました。



 次の日から社長さんの工場の横には、十三匹の猫がずらりと並んで、日向ぼっこをするようになりました。いつでも手を貸してあげられるようにと、親子はじっと仲間と一緒にその日の来るのを待っているのです。


            おわり


                   

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