エピローグ
二人の凱歌
圧倒的な爆炎魔法が戦場を支配していた。巻き起こる紅蓮の炎が敵兵を飲みこみ、空高く舞い上がった砂煙が太陽の光を遮ってゆく。断末魔と軍馬の
やがて、
少女は丘の頂上に立つと軍旗がなびく
「侵略者たちに告げる!! 我が名はアリオ・トーマ・クルス!! フェルヘイム帝国の
華奢な身体から発せられた鋭い声は空気を切り裂いた。
「お前たちが忠誠を誓うべき将軍は死んだ!! おとなしく祖国へ帰り、家族と再会できる喜びに
アリオの髪が逆立ったかと思えば、周囲で幾つもの火柱が巻き起こる。
「「「う、うわぁぁぁ!!」」」
逆巻く炎を見た敵兵は恐れおののき、散り散りになって逃げ出してゆく。その姿を確認するとアリオは手を天へかざした。すると、轟音を立てて燃え
──これは戦争……仕方のないこと……。
そう自分に言い聞かせるのは何度目だろうか。アリオは感情を押し殺して凄惨な光景を眺めていた。すると、ほどなくして背後に気配を感じた。振り返るとマテウス・カインハルトが騎兵隊を引き連れてこちらへ向かってくる。マテウスは軍服姿がよく似合う黒髪の青年で、歴戦の将校でもあった。
「アリオ准将、見事な活躍だった。だが、なぜ敵兵を逃がした?」
マテウスは馬上からアリオへ問いかけてくる。口調は問い詰める風ではなく、どこか優しげであり、親しみを感じさせるものだった。アリオは敬礼してから静かに答えた。
「勝敗はすでに決しました。殲滅戦との軍令は受けておりません。それに、無用な殺戮はフェルヘイム帝国への遺恨を残すと考えます」
「……そうか。君は姉君に似て優しいな。だが、優しすぎる」
マテウスは小さく息をつくと部下たちの方を向いた。
「おい、追撃戦に移れ。
「「「ハッ!!」」」
命令を受けると重武装の騎兵たちがアリオの真横を駆け抜けてゆく。大地を蹴る
──名も無き兵士たちに鎮魂を。彷徨う魂にどうか安らぎを。
アリオは戦場で無意味な感傷に浸っているわけではない。自分に
「君は戦局を左右する力を持つ
「……はい。申し訳ございません」
ゆっくりと開かれたアリオの瞳からは戦意も覇気も消え失せている。マテウスはかける言葉が見つからず、複雑な感情を抱いた。
──こうやって見ると17歳の可憐な少女そのままだ。
マテウスはアリオを
「それにしても、国境を
「わたしはマテウス将軍ほど強くはありません。過分なお言葉です」
「あはは、謙遜しなくていいよ。君の
マテウスの黒く澄んだ瞳にはアリオへの尊敬と友愛の情が秘められている。青年将校の爽やかな微笑みを見たアリオは頬が熱くなるのを感じた。
「あ、あの……わたしもマテウス将軍と一緒に戦えて光栄です!!」
アリオが精一杯に告げるとアテウスは嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう、アリオ。数日後には帝都ルシュバーンへの飛行船団が組織される。君の姿を見たら姉君も喜ぶだろう。それまでは本営にて軍令を待つように」
「はい。マテウス将軍の武運長久をお祈りいたします」
アリオが告げるとマテウスは頷き返して駆け去ってゆく。後ろ姿が遠ざかるとアリオはドレスのポケットから銀色の錠剤ケースを取り出した。蓋を開けて軽く振ると小さな白い錠剤が3粒、手の平に転がり落ちる。アリオはそれらを口に含んでゴクリと喉を鳴らした。
──大地を埋めつくす死体と空を覆う灰。戦いは終わらない。わたしはあと何回、マテウスさまの背中を見送ればいいのだろう……。
痛みを止めるための薬は陰鬱な心に平穏をもたらしてくれる。頭の奥が熱くなりボンヤリしてくるとアリオは指で眉間を押さえながら天を仰いだ。空を覆っていた砂煙はすでにおさまり、太陽が輝きを取り戻していた。
× × ×
戦争に勝利すれば国民は狂喜する。それは、フェルヘイム帝国も変わらない。帝都ルシュバーンの大通りでは色とりどりの紙吹雪が空を舞い、つめかけた国民たちは大歓声をあげて兵士たちの帰還を祝福した。
アリオは凱旋する兵士たちの先頭を進んだ。
「我らが英雄、無敗の
「フェルへイム帝国と
「さすがはアリアさまの妹君!!」
熱狂的な歓声の中にアリアという名前を聞いてアリオは嬉しくなった。口の端が微かにゆるみ、頬に赤みがさした。
──もうすぐアリアお姉さまに会える……。
アリオは歓声に手を振り、にこやかに微笑み返しながら王宮へと続く凱旋門をくぐった。
× × ×
「アリオ、お帰りなさい!!」
アリオが帝国議事堂に入ると双子の姉、アリア・トーマ・クルスが駆けよってきた。アリアはアリオと同じ顔かたちをしているが、髪だけはサラサラと流れるような銀髪をしている。銀髪と青色のドレススカートがアリオの目の前でフワリと揺れた。
「ずっと待っていたわ!!」
アリアは居並ぶ
「愛しいアリオ、無事で何よりです」
「お、お姉さま……」
「ほら、もっと顔をよく見せて」
アリアは戸惑うアリオの両頬に手を添えて顔を覗きこむ。アリオと同じ
「本当に、本当に無事でよかった……」
──お姉さまはこんなにもわたしの身を案じてくださっている。
アリオは嬉しさと気恥ずかしさが入りまじり、思わず視線を落とした。自分もアリアを思いきり抱きしめたい。しかし、感情表現が苦手なアリオはどうしても
「ア、アリアお姉さま泣かないでください。もうすぐ戦勝報告の式典が始まります」
「そうね。ごめんなさい……」
アリアは瞳の端からこぼれる涙を細い指先で
「ねえ、アリオ。あなたは今回の活躍でまた階級が上がるわ」
「え?」
「軍務省から知らせがあったのですけれど、中将に任命されるわ。式典で正式に発表されるそうよ」
「……」
アリオは嬉しそうに告げるアリアを見て複雑な心境になった。素直に喜べない自分がいる。軍務省が昇進の内示をアリオよりも先にアリアへ伝える……それは、それだけアリアの地位が高いことを示していた。アリアは宮廷において宰相と同等の権威と権力を有している。それなのに……。
アリオは宮廷でのアリアを知らない。アリアは国家の祭祀を取り仕切り、国家の繁栄を祈る宮廷魔術師として国民から慕われている。だが、その実態は国家機密であり、親族のアリオですら知らされていなかった。
──お姉さまは宮廷で何をなさっているの……?
アリオの疑問をよそに、アリアは議事堂の壁面を見上げた。そこにはフェルヘイム帝国の紋章である『
「皇統に
アリアはアリオに視線を戻すと栗色の髪をそっとなでた。柔らかな手がアリオの疑問を優しく溶かしてゆく。アリオが「お姉さま、わたしも……」と言いかけたとき、アリアの手が止まった。
「危険な戦場に行かせてごめんなさい。でも、アリオだけを
「……死地?」
アリオは聞きなれない単語に不吉な予感を覚えた。美しく整った眉をよせてアリアを見すえる。するとアリアは少し慌てて、取り繕うように微笑んだ。
「いいえ、何でもないわ。アリオはクルス家の誇りよ」
「……」
アリオはアリアの笑顔がどこか不自然に思えた。明るさに隠れて目立たないが、言い知れない影を感じる。それは、双子の妹だからこそ気づいたことなのかもしれない。
──アリアお姉さまはわたしに何か伝えたいんじゃ……?
Nothing But Requiem(ナッシングバットレクイエム)N.B.R. 綾野智仁 @tomohito_ayano
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