エピローグ

二人の凱歌

 圧倒的な爆炎魔法が戦場を支配していた。巻き起こる紅蓮の炎が敵兵を飲みこみ、空高く舞い上がった砂煙が太陽の光を遮ってゆく。断末魔と軍馬のいななきが乾いた荒野に響き渡り、生き残った敵兵の顔は恐怖に歪んでいった。


 やがて、灰燼かいじんと化した丘に巨大な軍旗を手にした少女が現れた。少女は炎と同じ真紅のドレスをまとい、明るい栗色の髪を風に揺らめかせながら丘を登ってゆく。貴族令嬢を思わせるちは殺伐とした戦場に相応ふさわしくないものだった。


 少女は丘の頂上に立つと軍旗がなびく鉄杖てつじょうを軽々と持ち上げ、思いきり地面に突き刺した。そして、はしばみいろの瞳で生き残った敵兵たちを見渡した。



「侵略者たちに告げる!! 我が名はアリオ・トーマ・クルス!! フェルヘイム帝国の戦乙女ワルキューレ!!」 



 華奢な身体から発せられた鋭い声は空気を切り裂いた。



「お前たちが忠誠を誓うべき将軍は死んだ!! おとなしく祖国へ帰り、家族と再会できる喜びにひたれ!! それができぬと言うのなら……蹂躙するまでだ!!」



 アリオの髪が逆立ったかと思えば、周囲で幾つもの火柱が巻き起こる。戦乙女ワルキューレの操る炎は猛り狂う火竜のようで、戦場へ更なる絶望をもたらした。



「「「う、うわぁぁぁ!!」」」



 逆巻く炎を見た敵兵は恐れおののき、散り散りになって逃げ出してゆく。その姿を確認するとアリオは手を天へかざした。すると、轟音を立てて燃えさかる火柱がフッとかき消える。後には風に揺れる軍旗と黒焦げになった無数の死体だけが残った。



──これは戦争……仕方のないこと……。



 そう自分に言い聞かせるのは何度目だろうか。アリオは感情を押し殺して凄惨な光景を眺めていた。すると、ほどなくして背後に気配を感じた。振り返るとマテウス・カインハルトが騎兵隊を引き連れてこちらへ向かってくる。マテウスは軍服姿がよく似合う黒髪の青年で、歴戦の将校でもあった。



「アリオ准将、見事な活躍だった。だが、なぜ敵兵を逃がした?」



 マテウスは馬上からアリオへ問いかけてくる。口調は問い詰める風ではなく、どこか優しげであり、親しみを感じさせるものだった。アリオは敬礼してから静かに答えた。



「勝敗はすでに決しました。殲滅戦との軍令は受けておりません。それに、無用な殺戮はフェルヘイム帝国への遺恨を残すと考えます」

「……そうか。君は姉君に似て優しいな。だが、優しすぎる」



 マテウスは小さく息をつくと部下たちの方を向いた。



「おい、追撃戦に移れ。敗残兵はいざんへいを殲滅しろ。一人も生かして帰すな!!」

「「「ハッ!!」」」



 命令を受けると重武装の騎兵たちがアリオの真横を駆け抜けてゆく。大地を蹴るひづめの音が轟くと、アリオはそっと目を閉じて逃げ惑う敵兵へ想いを馳せた。



──名も無き兵士たちに鎮魂を。彷徨う魂にどうか安らぎを。



 アリオは戦場で無意味な感傷に浸っているわけではない。自分にせられた大量殺戮兵器としての役目は十分に理解している。ただ、それでも考えてしまう。死んでいく敵兵たちにも友人、恋人、家族……大切に想う人々がいることを。アリオの様子を見ていたマテウスは少し困ったように眉をよせた。



「君は戦局を左右する力を持つ戦乙女ワルキューレ、救国の英雄だ。遺恨を残したくないなら、敵に哀れみなど抱かない方がいい」

「……はい。申し訳ございません」



 ゆっくりと開かれたアリオの瞳からは戦意も覇気も消え失せている。マテウスはかける言葉が見つからず、複雑な感情を抱いた。



──こうやって見ると17歳の可憐な少女そのままだ。戦乙女ワルキューレにならなければ戦場を知らず、貴族令嬢として穏やかな日々を過ごせたはずだ……。



 マテウスはアリオを不憫ふびんに思うと同時に、少女を戦場へと駆り立てる軍部の脆弱ぜいじゃくさを笑った。



「それにしても、国境をおびやかされるなんて、帝国軍の威光も陰り始めた証拠だ。これからは君の力がもっと必要になる」

「わたしはマテウス将軍ほど強くはありません。過分なお言葉です」

「あはは、謙遜しなくていいよ。君の戦乙女ワルキューレとしての能力は本物だ。僕なんかすぐに追い抜くさ。共に戦えて光栄だよ」



 マテウスの黒く澄んだ瞳にはアリオへの尊敬と友愛の情が秘められている。青年将校の爽やかな微笑みを見たアリオは頬が熱くなるのを感じた。



「あ、あの……わたしもマテウス将軍と一緒に戦えて光栄です!!」



 アリオが精一杯に告げるとアテウスは嬉しそうに目を細めた。



「ありがとう、アリオ。数日後には帝都ルシュバーンへの飛行船団が組織される。君の姿を見たら姉君も喜ぶだろう。それまでは本営にて軍令を待つように」

「はい。マテウス将軍の武運長久をお祈りいたします」



 アリオが告げるとマテウスは頷き返して駆け去ってゆく。後ろ姿が遠ざかるとアリオはドレスのポケットから銀色の錠剤ケースを取り出した。蓋を開けて軽く振ると小さな白い錠剤が3粒、手の平に転がり落ちる。アリオはそれらを口に含んでゴクリと喉を鳴らした。



──大地を埋めつくす死体と空を覆う灰。戦いは終わらない。わたしはあと何回、マテウスさまの背中を見送ればいいのだろう……。



 痛みを止めるための薬は陰鬱な心に平穏をもたらしてくれる。頭の奥が熱くなりボンヤリしてくるとアリオは指で眉間を押さえながら天を仰いだ。空を覆っていた砂煙はすでにおさまり、太陽が輝きを取り戻していた。



×  ×  ×



 戦争に勝利すれば国民は狂喜する。それは、フェルヘイム帝国も変わらない。帝都ルシュバーンの大通りでは色とりどりの紙吹雪が空を舞い、つめかけた国民たちは大歓声をあげて兵士たちの帰還を祝福した。


 アリオは凱旋する兵士たちの先頭を進んだ。戦闘馬車チャリオットに乗るアリオは栗色の髪が太陽の光を浴びてキラキラと輝き、女神のように美しくて神々しい。人々は夢中になってアリオへ声援を送った。



「我らが英雄、無敗の戦乙女ワルキューレ万歳!!」

「フェルへイム帝国と戦乙女ワルキューレに栄光を!!」

「さすがはアリアさまの妹君!!」



 熱狂的な歓声の中にアリアという名前を聞いてアリオは嬉しくなった。口の端が微かにゆるみ、頬に赤みがさした。



──もうすぐアリアお姉さまに会える……。



 アリオは歓声に手を振り、にこやかに微笑み返しながら王宮へと続く凱旋門をくぐった。



×  ×  ×



「アリオ、お帰りなさい!!」



 アリオが帝国議事堂に入ると双子の姉、アリア・トーマ・クルスが駆けよってきた。アリアはアリオと同じ顔かたちをしているが、髪だけはサラサラと流れるような銀髪をしている。銀髪と青色のドレススカートがアリオの目の前でフワリと揺れた。



「ずっと待っていたわ!!」



 アリアは居並ぶ廷臣ていしんたちの目など気にしていない。アリオへ思いきり抱きついた。普通なら神聖な帝国議事堂におけるアリアの振る舞いに顔をしかめるところかもしれない。しかし、アリアは国家の祭祀さいしつかさどる宮廷魔術師であり、神官の最上位に君臨している。誰も何も言えなかった。



「愛しいアリオ、無事で何よりです」

「お、お姉さま……」

「ほら、もっと顔をよく見せて」



 アリアは戸惑うアリオの両頬に手を添えて顔を覗きこむ。アリオと同じはしばみいろの瞳にはうっすらと涙がたまっていた。



「本当に、本当に無事でよかった……」



──お姉さまはこんなにもわたしの身を案じてくださっている。



 アリオは嬉しさと気恥ずかしさが入りまじり、思わず視線を落とした。自分もアリアを思いきり抱きしめたい。しかし、感情表現が苦手なアリオはどうしても躊躇ためらってしまう。やがて、照れ隠しをするように口を開いた。



「ア、アリアお姉さま泣かないでください。もうすぐ戦勝報告の式典が始まります」

「そうね。ごめんなさい……」



 アリアは瞳の端からこぼれる涙を細い指先でぬぐい、今度は明るく語りかけた。



「ねえ、アリオ。あなたは今回の活躍でまた階級が上がるわ」

「え?」

「軍務省から知らせがあったのですけれど、中将に任命されるわ。式典で正式に発表されるそうよ」

「……」



 アリオは嬉しそうに告げるアリアを見て複雑な心境になった。素直に喜べない自分がいる。軍務省が昇進の内示をアリオよりも先にアリアへ伝える……それは、それだけアリアの地位が高いことを示していた。アリアは宮廷において宰相と同等の権威と権力を有している。それなのに……。


 アリオは宮廷でのアリアを知らない。アリアは国家の祭祀を取り仕切り、国家の繁栄を祈る宮廷魔術師として国民から慕われている。だが、その実態は国家機密であり、親族のアリオですら知らされていなかった。



──お姉さまは宮廷で何をなさっているの……?



 アリオの疑問をよそに、アリアは議事堂の壁面を見上げた。そこにはフェルヘイム帝国の紋章である『双頭の翼竜グラン・グリア』が大きく描かれている。



「皇統につらなるクルス家にとって、フェルヘイム帝国は唯一無二の存在。でも、わたしにとってはアリオもたった一人の……かけがえのない妹なのです」



 アリアはアリオに視線を戻すと栗色の髪をそっとなでた。柔らかな手がアリオの疑問を優しく溶かしてゆく。アリオが「お姉さま、わたしも……」と言いかけたとき、アリアの手が止まった。



「危険な戦場に行かせてごめんなさい。でも、アリオだけを死地しちに向かわせはしない……」

「……死地?」



 アリオは聞きなれない単語に不吉な予感を覚えた。美しく整った眉をよせてアリアを見すえる。するとアリアは少し慌てて、取り繕うように微笑んだ。



「いいえ、何でもないわ。アリオはクルス家の誇りよ」

「……」



 アリオはアリアの笑顔がどこか不自然に思えた。明るさに隠れて目立たないが、言い知れない影を感じる。それは、双子の妹だからこそ気づいたことなのかもしれない。



──アリアお姉さまはわたしに何か伝えたいんじゃ……?



 いぶかしむアリオの頭上では『双頭の翼竜グラン・グリア』の紋章がおごそかに二人を見下ろしている。帝国を守護する『双頭の翼竜グラン・グリア』……一つの胴体から伸びた二つの竜頭は相食あいはむように大きく口を開け、すべてを焼き尽くす炎を吹いていた。

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Nothing But Requiem(ナッシングバットレクイエム)N.B.R. 綾野智仁 @tomohito_ayano

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