獅子王伝・序

@ju-n-ko

第1話

その国は小さかった。

大陸の東の果てに位置し、東と南を海が、北と西は山脈が塞ぐ。天然の要塞だ。

だから、その北方を接する大国と比べ、単純に領土だけでも数十分の一の狭さにかかわらず、生き残っている。

その王城で、

「すまない」と父王が苦し気につぶやき、

「わかっております」と、同じく小声ながら、存外にはっきりと第二王女が言い切った。

王女は明日輿入れする。北の大国だ。正式なものではないが『ほぼ属国』である立場上、断れるものではない。

この国は代々、王女たちを犠牲にしてきた。人身御供だ。

王様には長子である第一王女、第二子は長男である王太子、第三子が今回の輿入れの主役である第二王女、そして年端もいかない第四子の第三王女がいる。王太子はもちろん除外として、第一、第三王女では年齢が釣り合わない。相手は北の国の王であり、それも第五婦人らしいのだが、どうしても断ることは不可能だ。

しかも、今回は別件もある。

二つの国を分ける山脈には化け物がいる。二足歩行で、人間の倍以上ある体躯。全身が白い毛でおおわれている。顔立ちは人ではなく獅子だ。

彼は人を襲って食う。

獅子王と呼ばれた。

白い毛並みを犠牲者の血で真っ赤に染める。恐怖であり、畏怖そのものだった。

師子王は、相手が獣故その理由まではわからないが・・・積極的に国境に現れ人を襲う時期と、そうでない時期がある。

今彼は活性化していた。

第二王女の名はサシャ(沙紗)と言う。十五だった。

正しい意味の『人身御供』だ。死を覚悟して、とは言え愛がないわけではない、王のせめてもの気持ちだろう。屈強な、小国ながら十本の指には入るだろう護衛を二人、輿を担ぐ人足を四人つれて、彼女は魔境に踏み込んだ。

結果、誰一人北の国には着くことが出来なかった。

ただ忠誠心を試すためだったのだろう。それがどれほどむごいことか気にすることもなく・・・

北の国から連絡もなくこの話は終わった。


はずだった。

輿入れから十五年がたった今、サシャはまだ生きている。

あの夜、護衛が、人足達が、師子王の毛を染め上げた。

断末魔、殴打する音、爪で切り裂かれる音、ぼりぼりと骨をかじり、べちゃべちゃと肉を咀嚼する音。

血の匂いがむせ返る中、輿の中で彼女は気を失った。

けれど、彼女は生きている。最初からそのつもりだったのか、気まぐれかわからない。師子王はサシャを攫い、妻としたのだ。

師子王は言葉を話さない。風袋も人と違いすぎ、そこに愛情があるのかわからない。表情も読めない。

けれどサシャは、これまでに師子王の子を三人産んだ。

師子王はサシャを大切にしている(ように思える)。飢えることがないように食料も運び、彼女が生肉を食べないことに気づくと、定期的に森の恵みである果物等を運んでくれた。

ただ不満があるとすれば・・・

三人の子は年子だったが、男児だった一人目と二人目は、師子王がどこかに連れて行って帰らない。化け物との混血にもかかわらず、彼らの見かけは全くの人間だった。首も座らぬうちにどこかに連れ去られた。

「あの子をどうしたのです!?」と師子王を責めたが、わかっているのかわからないのか、機嫌を取るように大量の果物をとってきただけだった。

第三子は女の子。それゆえか彼女は生かされているが・・・

その子、サナ(紗那)と名付けた少女が十二歳の春、第四子が生まれた。

男の子だった・・・


「母さん、父さんは?」

サナは人語を話す。見かけも人と変わらない。

師子王が住処にしている山奥の洞窟に、少女が帰ってきた。背に巨大なイノシシを背負っている。

「今日はまだ戻っていないわ。」

「そう。じゃ、お肉を焼いてくるね。父さんのお土産だけだと、栄養が足りなくなるから。」

サナは火も道具も使う。師子王とは違う。

少女は産後間もない母を気遣っていた。

少女の目から見ても、母はやつれ、疲れている。産後の肥立ち云々出なく、たぶん不安からだ。

その理由を、少女は聞いて知っていた。

唇をかみしめるようなしぐさで弟を抱いた、母の気持ちに押しつぶされそうになる。

「ねえ、母さん。この子の名前は?」

「ユウゴよ。優しさを悟るで、ユウゴ・・・」

何度目になるかわからない会話を交わす。


このところ、サナは漠然とした予感を抱えていた。

「もう限界かな。」

夜空を見ながら考える。

父はまだ戻らない。時間的余裕はあまりない。

母は洞窟で寝ているだろう。

体が弱い母。華奢な母。

自分が本来相容れない人と獣のハーフで、だから異常な身体能力を誇っていると知っている。夕方に焼いて食べた、イノシシなんか一撃だ。ありえないことだと分かっていた。

そしてこの頃、外見上人に見える、人の心と人の言葉を持つ自分の中に・・・

ジワリと何かが染み出してきている。

師子王のそれだ。獣の血だ。

以前母に聞いた。女は個人差はあるものの、成長とともに『大人』になる準備を始める。体が変わる。大人の師子王になれば、想像ができない。

時々思考が呑み込まれる感覚がある。

人間でいられるうちにやらなければならない。

サナは父と言葉を交わせた。

父は少女の二人の兄を、「谷に捨てた」と言った。

父は獣であり、もしかしたら純粋な師子王は、生まれた直後から動き戦えるのかもしれない。獣はテリトリーを犯すライバルとなり得る男児を手放す。養育の義務は負わないが、殺すつもりもない。ただそれが当然ということだろう。

つまり。

近々ユウゴは捨てられる。純粋な獣ならそれでいい。しかし人間を母とする彼は、彼の二人の兄は、ひとたまりもなく死ぬだろう、死んだだろう。

サナは人としては強いのだろうが、遠く師子王には及ばない。幼いころは母の庇護下にあった。だから今も生きている。

星を見上げた。虫の声がする。

このところ下っ腹が落ち着かない。痛いような、張ったような。

瞬間、ぐにゃっと視界がゆがむ。心の中で声がする。

「呑み込まれる前に・・・せめて、二人を・・・」


その夜、サシャは娘に従い、洞窟を出る決意をする。

「わたしが二人を背負います」と娘は言った。

無茶な身体の使い方をすれば、もしかしたら獣の血が自分を呑み込む予感を隠しながら。

父がまだ帰らない、この瞬間に賭けた。

二人を救う最後の賭けだ。

師子王と話せるサナはもちろん、攫われ、選択肢を奪われた状態のサシャさえも気づいていた。

師子王はサシャをちゃんと好きだ。

けれど、決して交わるべきではない異種族でもあり・・・

なにより、これ以上息子を失うわけにはいかない。

母は、優しく育った娘と、これから愛情いっぱいに育てる予定の息子と、人里で暮らす夢を見た。

自分を背負う背中が徐々に大きくなることに気づかずに、けもの道を駆け下りながら夢を見る・・・


そして、白々とした月が傾きだしたころ、激変する。


「っは!?」

息をのんだ。体が一気に持ち上げられ、つぶっていた目を見開く。

体に、顔に、森の木々の枝がバンバン当たる。

娘は獣となった。

放り出すように地面に投げ出されたサシャは愛しい娘の名を呼んだ。

「サナ!!」

けれど返事は返らない。

目の前に、いつの間にか山脈を抜けもともとサシャのいた国の端まではたどり着いていた、月の河原に娘がいる。父と同じ白く巨大な体躯。幼くかわいらしい顔立ちだった、そこには獅子の顔がある。

「グルルル・・・」

もう人の言葉は話せないらしい。少女は唸った。

ただその意味だけが脳内に響く。

すべてを悟る。

曰く、第二次性徴が始まるころ師子王の血に呑み込まれる。それが獣と人の子の運命であると。

「グルル。」

もう一度唸った。

サナは選択した。

やがて消えゆく人の心。

それが少しでも残っているうちに・・・

踵を返して去っていく。決して母を、弟を襲わぬよう。ただのメスの獣となり果てる以上、間違っても父王と出会わぬよう。

振り返らず消えるその背中を、母は慟哭して見送るしかない。

「サナ!!サナ!!」と。

先ほど、母と同じく冷たい河原に投げ出された乳飲み子がむずかっていた。

その後、小さな国の、そのまた辺境に暮らす奇妙に育ちのよさそうな母子の話も、もぬけの殻の洞窟に帰ってきた師子王が木々を揺らすほどに吠え叫び、また人食いの化け物の出没が始まった国境の話も、遠い国で目撃がされ始めた新たなる獅子王の話も。

別の話である。

                                    終






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