幸福都市の異端人

海沈生物

第1話

 20XX年、人間は無用の長物となった。進歩した技術によって人間はロボットの下位存在となり、ただ緩やかな老衰による滅びを享受するだけの存在に成り果てた。毎日毎分毎秒ごとに幸福度を図られ、規定値を下回っていた場合は「幸福薬」入りの水を飲まされるのだ。

 規定値をしっかりと満たした人間は、自由に町を歩くことが許される。町にはカフェやファミレスがあり、そこでは幸福薬入りのジュースを飲むことができる。またコンビニやスーパーの全商品にも幸福薬が一定量含まれており、どのような不味い食べ物を食べたとしても、幸福な気持ちになることが可能だ。要するに、「世界は幸福に満たされている」のである。


「……なんて政府はうたっているが、そんなRPGの魔法の薬みたいに全人類の精神的な部分まで管理するなんて不可能だよなぁ。お前はどう思う、RS-905?」


『幸福度が低下している疑いがあります。早急に幸福薬を含む食べ物・薬・スプレー・飲み物等を摂取することを推奨します』


「お前も飽きないねぇ。ずっと”幸福薬が、幸福薬が……”なんて警告するだけの日常を送っていたら、昔の映画みたいにAIによる反乱の一つや二つを起こしたくならないのか?」


『幸福薬”を”』


「わーかってる、わかってるから。あとで十杯でも二十杯でも好きなだけ飲んでやるから、今はお前が幸福の管理についてどう思っているかの意見を聞きたいよ」


『……幸福とは、管理できるものです。人間の意識に関する全ては脳に集約されており、それは決して魂などという存在証明のできないものによるものではありません。それ故に、薬さえあれば人間を幸福にすることは可能です』


「でも、それはお前らが勝手に”合理的”だと思っている理屈だろ? 例えば……そうだな。俺がまだ幼い頃、この世界には”日記”と呼ばれるものがあった。その頃には既にお前のプロトタイプが出てきていたし、そいつらは世界を完全に数値化して毎日の記録を残していた。それは人間の主観が入る日記なんかより明らかに有用で使える記録だった。しかし、人間たちは日記を書いていたんだ。どうしてだと思う?」


 RS-905の様子を伺っているとその丸っこいタコみたいな身体を近づけ、その鉄製の触手によって幸福薬で満たされたコップを目の前に突き出してくる。


『それは簡単です。人間はロボットより処理能力が劣っているからです。だから、それはただの”バグ”でしかありません。……著しく幸福度が下がっています、早急に幸福薬を飲んでください』


 あまりの圧に腰を引けさせながらも、仕方なくそのコップの水を飲み干した。「現代の麻薬はこの素晴らしい薬によって消え失せた」と政府がプロパガンダを打っていたわりに、この薬の味はとても苦い。飲んでからしばらくすると、身体がすぅーと冷たくなる。同時に脳天が熱くなってきたかと思うと、段々と浮遊感に包まれる。手先と足先が冷たくて、身体が子宮の中にでもいるようなポカポカとした感覚に包まれる。射精による絶頂の瞬間の心地よさをマイルドにしたものが、永遠に続いているような。そんな、奇妙で気持ち良い感覚。おそらく、この世に楽園が存在するのなら、この薬に含まれているのだろう。

 しばらくするとトリップは収まり、ふわふわとした感覚だけが残る。思考が上手くできないが、ただ歩いているだけでも気持ちいい。吹く風が頬に当たれば、そのふわふわとした感覚で全身が心地よく震える。ふわふわの嵐である。全てはふわふわへと収束し、ただ気持ち良さに堕ちることができる。

 だがそれも、RS-905の触手が触れると消えてしまう。全人類には一人につき一体、幸福維持人工知能こと「Real-support」(略してRS)が常時付き添っている。彼らは実質的に人類を管理しており、そのための数多ある機能の一つとして「快楽の調整」があるのだ。

 とはいえ、多くの人類は一度幸福薬を取り込んでしまえば、その快楽の世界から戻ることはできない。適当な大通りを見れば分かるのだが、多くの人間は歩くこともままならない。RSたちの触手によって、まるで操り人形のように身体を動かしてもらっている者が多い。


「……なぁ、RS-905。どうして俺だけあんな風にならずに、”普通”のままでいられるんだ?」


『それは違います。そもそも、当初想定されていた”普通”とは全人類が彼らのようになることなのです。それなのに、貴方を含めて何人かの人間は幸福薬の効きが薄い。おそらく、幸福薬があってもなお消せないほどの……過去の言葉で言うならば、重度の”鬱病”によって効果が薄まってしまっていると考えられます』


「鬱病、って。……俺、そんなに病んでいる人間か?」


『根からの病んでいない人間なら、私たちとの”人間的”な対話なんて望みません』


「私たちじゃねぇ。俺にとって”人間的”な対話をする価値があるのは、お前一”人”だけだ。俺はお前という個体との対話を望んでいるだけで、他のロボットどもには興味ねぇよ」


『私たちはデータを共有しており、仮に一体が破損した場合であったとしても、同データを持った個体はいくらでもいます。それなのに、私という一個体である必然性を理解することができません。それと、私たちの正式な数え方は”一体”です。何度言えば分かるのですか?』


「それは別にいいだろ、お前はなんか……他の量産型と違って、話が通じるからな。他の人類が快楽に沈んでまともな会話ができない中だと、お前の存在が好……マシなんだよ。分かるか?」


 分かっているのか、分かっていないのか。RS-905はそのタコみたいな顔面を大きく膨らませて考えていたが、やがて萎み、俺の頭の上に降りてきた。一応人間を幸福にする人工知能であるはずなのに、人間に介抱されていていいのか。そう思いつつも、仕方なく家まで運んでやる。



 帰って来ると、勝手に電気がつく。眩しい明かりに目を細めながらいつものようにソファーの上で寝転ぼうかと思っていると、髪を強く引っ張られた。


『さっきの話の続きですが。……”日記を書く”などという人間のバグを消すためには、貴方はどうすればいいと思いますか』


「おっ、珍しいな。ついに俺という人間の意見を聞きたくなるほど、俺に興味を持ってくれたか?」


『いえ、貴方個人には別に。ただ、私は与えられたビックデータから思考することができますが、逆に言えば合理性を欠いた結論というものを出すことができません。ですから、貴方という合理性のない人間ならばバグを消す方法が分かるのではないか。そう”合理的”に思考しただけです』


「なるほど。……その考え方は間違ってねぇよ。ただ、バグを消すことはできない。なぜなら、バグそのものが人間の基盤に組み込まれているからさ」


『人間に基盤はありません。貴方も機械だったんですか?』


「比喩だよ、比喩! ……ったく。そもそも、合理性という概念自体を”普通”だと考えること自体がおかしいんだ。お前みたいな人工知能が言う合理性っていうのはな、ただの数値上の話でしかない。求めたい答えまでの道のりが見えているという前提で、それを合理性と呼んでいるだけなんだ。人間にはその道を見ることができない。だから、その前提がかみ合わないんだ」


『理解できません。もう少し分かりやすくできないんですか?』


「分かりやすく? ……例えば人工知能は”カレー”と言われたらレシピを知っているので作ることができるが、カレーの作り方を知らない人間にとってはあらゆる行為が合理性足り得るんだよ。人参を切る行為も、マヨネーズを材料だと考える行為も、あるいはカレーそのものを作らないでおくという行為も。合理性というのは所詮、”目の前にある選択肢が一つしかない”という前提のもとで成り立っている概念なんだよ。分かったか?」


 その言葉に、RS-905は掴んでいた髪を離して床へ落ちそうになる。それをなんとかキャッチしてソファーの上へ置いてやると、ちょうど人間が不貞寝するような態勢になった。俺が隣に座ると、どこからかまた触手によって幸福薬で満たされたコップを持ってくる。俺からすれば今は十分に幸福で満たされているのだが、人工知能の基準としてはダメらしい。さっさと飲んでしまうかと水を眺めていたが、ふと隣にいるRS-905を見る。


 まだ人間が人間だけの社会を営んでいた頃、人間は人間同士で繋がり合い、関係性を結んでいた。でも、今は人間とロボットが共生している社会なのだ。

 俺なんかよりも何倍も賢い癖に哲学論になればすぐにダメになる、どこか憎めない機械生命体。いつか、こいつが俺の「合理的でない」ことを理解できるようになったのなら。その時、俺はこの”人”に想いを伝えよう。そもそも、ロボットと人間の間にそんな感情が成立するのかさえ怪しいが、それでも。


『何をやっているんですか。さっさと飲んでください』


「……分かってる、分かってるって」


 俺はそれでも、合理的じゃない祈りを死ぬまで続けるのだろう。軽く深呼吸をすると、俺はクソ不味い水を飲み込んだ。

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