ミキサー

高黄森哉

船内


 人二人乗れるクラスの小さな宇宙船は、紡錘形をしていた。その周りに四つのブースターがついている。排気口からごうごうと炎が伸びる。その宇宙船は、なお加速中であった。


「油断するな。加速中が一番、事故が起こりやすいものさ」

「そうですね。引き続き、警戒に当たります」


 男女が丸い机を囲んでいる。この操縦室で船を操作する。男は健康そうな青年で、操作に危うさが残っている。女の方は、それに比べると、はるかに迷いがない。

 この船は、いま重力圏を突破しようとしている。この地帯は、星に引かれた隕石や、打ち上げに失敗したデプリが漂っているので気が抜けない。打ち上げから突破までの二時間五十二分は、宇宙飛行士の間で、魔の時間と呼ばれているくらいだ。


「もっと加速するんだ」


 女は言う。彼女はベテランで新人の初星間飛行を監督している。彼女は新人に惹かれており、それが注意を散漫にしていた。それゆえに、レーダーに映った衛星に気が付かなかった。しまった、と女は激突寸でのところで気づく。


「危ない。引くんだ」


 新人が操縦桿を引こうとしたときにはすでに衝突していた。しかしながら、船体を持ち上げたため、移住区間への衝突は避けられた。その代わり、ブースターの一つにぶつかり、それは斜めにずれてしまった。そして横の推力を得た船体は回り出す。螺旋を描く軌跡を描きながら、ぐんぐんと重力圏から離れていく。大変だ。

 操縦室の丸テーブルは、進行方向に対して垂直になっている。加速時に船内にかかるGが、地上と同じ向きになるようにするためだ。そのテーブルは室内の中央にあるから、事故後それを軸に、部屋は大回転を始めたことになる。


「操縦席を離れたら制御不能になる。死んでもしがみつくんだ」

「はいい!」


 中央から外への遠心力。それが着席を困難にしていた。机に伸びた手が段々と擦れ剥がれそうになる。新人がとっかかりを求め掴むと、それはボタンだった。出力調整用のボタン。


「何をしてるんだ。つまみを捻れ」

「もう無理です」


 体がふわりと浮き上がった。凄まじい回転が襲う。男女はこのまま壁に貼り付けば一貫の終わりだと思った。それは、何故だか分からない。強いて言うなら意地かもしれない。


「もう無理です」


 つまみから手が離れると、今度は操縦桿に手が引っかかった。向きが変わり、ものすごい回転が出力され、二人は遂に壁に叩きつけられてしまう。

 それはレゴを踏んだような痛みだった。気が付くと、ボタンが無数に並べられた、船体という円柱の内側の、壁に立っている。遠心力のお陰で、壁に直立することが可能になったのだ。取り敢えず壁に貼り付けにされ、手も足も出なくなる恐怖からは解放された、がしかし現状は解決していない。船は今も加速を続けているのである。


「このままだと、マズイ。壁にある予備の出力調整を捻るんだ」


 逆側の壁にいるベテランが、反対、彼女からして天井に張り付く青年に指示を出す。


「これですか」

「馬鹿、違う」


 それは進路変更用のつまみだ。四つのブースターが一斉に横を向く。すると、耐えきれないほどのGがかかり、ボタンやレバーつまみでごつごつした壁に、膝から崩れ落ちる。そして体に無数の痣がつくほど強く、遠心力が押さえつける。ベテランは、自分でやるしかないと思い、自分側にあった逆噴射装置を押した。すると、力が釣り合って船はぴたりと回転を止めた。運のいいことに、ブースターの燃料はそこで尽きた。


 考えてみて欲しい。


 超高速で回転する船が急に止まったのだ。すると、中の物体は惰性で回転し続けることになる。中の壁は洗濯機の中ように丸く、表面はごつごつとしたボタンが無数に配置されている。その内側を、例えば人間のような柔らかいものが滑ったらどうなるだろうか、考えてみて欲しい。


 高速で回転する船が止まった。

 

 布が破れる音がする。それは皮膚が裂ける響きだった。小さなレバーに引っかけた皮膚がはがされ、裏側の構造が顕わとなる。オレンジのぼろきれだ。腕が明後日の方向に曲がり、転がる途中でネジ切れる。目はすり下ろされ、球内部の空洞が見える。そこから水晶色の透明な液体が流れて来る。ポップコーンもどき、人体部品の舞踊。が、やがて落ち着く。全てが終わってみると、中はだった。



 ―――――― 宇宙船。それはミキサー、人間ミキサー。と、その中のスープ。


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ミキサー 高黄森哉 @kamikawa2001

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