とある休日の、魔女二人による家族の話。

依月さかな

家族を選んだ魔女、改革を望んだ魔女。

響生ひびき、おまえって恥ずかしい日記とか隠してねえの?」

「——は?」


 週末の昼下がりの時刻。

 故郷の町から少し外れてたファミレスで、幼馴染みは唐突にそう切り出した。


 何を言い出すのかと思えば。普段からろくなことを考えていないとわかっていたが、これは挑発だろうか。


 向かい側には、明るい茶髪の男がブラックのコーヒーをすすっている。肩にかかるほどのその髪を一つに結んでいて、まるで小型犬の小さな尻尾のようだ。

 しかし、その挑むように見てくるつった両目は小さな犬とはかけ離れており、まったくもって可愛くない。

 彼と顔を合わせるたびにあんまり似てないなと思うが、今は何も言うまい。


「おまえとはそれなりに長い付き合いだけどよ、弱点らしい弱点ってあんまねえよな。医者やれるくらいに頭がキレるし、身体能力も悪くない。ピアニスト顔負けの演奏技術も持っていて芸術センスもバッチリ。その甘いマスクでやたら女にもモテる。オレはお前ほど隙のない人間には会ったことねえんだよなあ」

「弱点ですか。人の弱みにつけ込むのが得意な、あなたらしい発想ですね」

「そ。もうおまえの弱点と言えば、隠し持ってる恥ずかしい日記を暴くしかないってわけだ。持ってんだろ? ん?」


 出されたコーヒーを前に黙り込んでいたのは、そんなことを考えていたからだったのか。しょうもない。

 彼の行動はいつも突拍子がなくてトリッキーだ。頭の中がどういう構造をしているのかは知らないが、なんの前触れもなく話題を変えまくるのはいつものこと。それなりに長い付き合いだが、振り回されるのはいつも疲れる。


 彼は榎本えのもと科戸しなとという名前の親友だ。そして幼稚園から同じ大学までいつも一緒な腐れ縁の幼馴染みでもある。

 親友といえば聞こえはいいが、科戸しなとはいつも厄介ごとを一回り大きくさせてから僕のもとに持ち込んでくるトラブルメーカーだ。いわゆる悪友というやつなのかもしれない。

 こっちは平穏な生活を望んでいるのに静かに暮らせたことなど一度もない。これでも科戸しなとの友人たちの中で、僕は付き合いのいい方だと思う。こうして直に会ってやっているのだから。


 それにしても大阪からわざわざ出てきて、数年ぶりに会う幼馴染みに向けての言うのがそれか。ほとほと呆れ果てる。話があると呼びつけたのはそっちだろうに。

 科戸しなとを中心とした人間関係は、本人が考えるより複雑な構図になっている。こっちはそれなりに気を遣って、子供たちの目につかぬようわざわざ車まで出してやったのに、そのすべてを土足で踏みにじられたような気分になった。

 胃がむかむかし、ぴくりとこめかみあたりの血管が動いた。温厚な僕でも怒る時だってある。

 しかし、ここで感情を表に出しては相手の思う壺。

 にこりと愛想よく笑ってみせ、科戸しなとの挑戦的な瞳を見返した。


「日記はつけてますよ。なんなら見ますか? ハーブや植物の生育のことしか書いてませんけど」

「それ日記じゃなくて日誌だろぉ!?」

「いいえ、日記ですよ? ちゃんと妻や紫苑のことも書いてますし」

「惚気かよ!!」


 毎度ながら激しい返しをしてくる幼馴染みだ。

 大阪で仕事をするようになってから、たしか今年で十七年ほどになるだろうか。ツッコミに磨きがかかってきたような気がする。


「それで? わざわざ大阪から出てきて僕になんの用意でしょう? 車まで乗せてあげたんです。犠牲にした時間とガソリン代に見合うくらいの用事なんでしょうね?」


 少しだけ声音を低くしてみた。

 今日は日曜日。病院は休みで当番医だって当たってない、数少ない非番の日だった。貴重な休日、しかも家族との団欒だんらんを邪魔されたんだ。あからさまに機嫌を悪くしたって、少しは許されるだろう。


「あー、いや。今回のことは、さすがにその……お前に謝りたくてさ」


 科戸しなとはようやく僕の怒りを感じ取ったようだ。バツの悪そうな顔で謝ってきた。

 そんな親友へ微笑みかけつつ、僕は少し冷めたコーヒーを一口飲んだ。


 科戸しなとが言う「今回」とは、僕がこの五年という月日を犠牲にする羽目になったことだ。

 海外に渡っていた僕が帰国し、愛娘の紫苑しおんと一緒に暮らせるようになったのは一ヶ月半前のことだ。それまでは海を跨ぎ、違う国で生活していた。

 理由は勤めていた病院から辞令が出て、国内から国外の病院勤務になってしまったことだ。だが、これはあくまで表向きの理由。

 病院を一つ動かせるほど影響力の強い何者かの働きかけにより、体よく日本から追い出されてしまったのだ。そのすべての元凶は榎本えのもと科戸しなと、この男である。


「悪かったよ。まさか、ここまでお前に大きく飛び火するなんて思ってなかったんだ」

「別に、その件に関しては怒ってませんよ。あなたが厄介ごとを持ち込むのはいつものことですし」

「でも紫苑しおんと離れて暮らすことになっただろ?」

「それはあの子の意思を尊重した結果です。今の時代、物理的に距離が離れていても連絡を密に取る方法はいくらでもあります。僕はあなたと違って、自分の子供をほったらかしにしませんから」


 特に最後の台詞は語気を強めて言ってやった。極上の笑みを浮かべてみせると、科戸しなとはますます顔を引きつらせた。


「今日はずいぶんトゲのある言い方するじゃねえか」

「他人の家族を気にするより、自分の家族を気にしなさい。せっかく月夜見つくよみの近くまできたんです。雪火むすこに会って行ってはどうなんです?」


 振り回すような親友の言動にはイラつきもしたが、この言葉だけは僕の本心だった。

 雪火せっか科戸しなとの息子で、僕の大切な教え子だ。父親とは違い、欠点がないくらいにいい子なのだが、その心にいつもさみしさを抱えているのを知っている。


 しかし元凶はへらりとした笑みを浮かべると、顔の前でぱたぱたと手を振った。


「今さらどのつら下げて親の顔しろって言うんだよ」

「まあ、雪火せっかの方も会いたいと言ってるわけじゃありませんけど」

「だろ?」


 開き直った態度でふんぞり変える親友に、僕は完全に呆れた。深いため息をつく。


 科戸しなとが最後に息子と顔を合わせたのは赤ん坊の時だった。捕まえ使役していた九尾の狐に息子を押しつけ、科戸しなとは遠く離れたホワイトタワーアカデミーという大阪の大学に勤務している。

 通称アカデミーと呼ばれるその大学は魔女の養成学校として知られており、僕と科戸しなとの母校でもある。

 アカデミーはあやかしとの共生をうたう一方で、その裏はホワイトどころかブラックだ。利権や地位のいさかいが絶えず、一枚岩ではない。研究と称してあやかしを拉致し、実験動物のように扱う輩までいる。

 僕はそういう体制が嫌で、本州から離れた九州のこの田舎町に引っ込んだのに。

 この男がアカデミー内で火事レベルの改革を起こすせいで、その火の粉が僕にまで降りかかってくるのだ。


 科戸しなとが持ち込んだ厄介ごとに、僕が振り回されるのはいい。慣れているから。

 けれどせめて、息子のことはかえりみてほしい。


「そう怒るなよ。お前は穏やかな生活と家族を選んで月夜見つくよみに移住し、オレは家族よりもアカデミーを選んだ。あの性根の腐った象牙の塔を、中から変えるために」

「なに調子のいいこと言ってるんですか。あなたは単にアカデミーを乗っ取ろうとしているだけでしょう」

「まあ、そうとも言うけどな」


 科戸しなとは機嫌よくからからと笑った。

 当の父親がこれでは、先が思いやられる。とてもじゃないが愛弟子には会わせられない。きっとがっかりする。


「会わないならせめて、写真だけでも見てください。この間の秋祭りの時に撮ったんですよ」


 どこまでもすがる僕もお人好しだなと思う。しかし家族を持つ者として放ってはおけなかった。


 スマートフォンの画面を開いて、写真アプリを立ち上げる。目当ての写真を表示させたあと、くるりと向きを変え、この白状な幼馴染みに見せてやった。

 真夜中色の背景に、僕の隣に並ぶ黒髪の少年が映っている。

 しっかり者だから普段は大人びているけれど、提灯のほのかな灯りに照らされた彼ははにかんで笑っていた。こうして見ると、僕といる時の雪火せっかは年相応に見える。

 穏やかで、優しげな雰囲気の少年で——。


「うっわ、オレに一ミリも似てねー」

「そうですね。でもあなたに似てなかなかの強者つわものなんですよ」

「嬉しそうだなぁ」

「そりゃよくできた自慢の弟子ですから」


 自分の顔を片手で覆う科戸しなとにそっと言えば、彼はがっくりと肩を落とした。

 間延びした返事は興味がなさそうに聞こえるが、たぶんそうじゃない。父親にとって子供はいくつになっても可愛いものだ。

 その証拠に、手のひらで半分隠れた彼の口もとは嬉しそうににやけていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とある休日の、魔女二人による家族の話。 依月さかな @kuala

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ