日記はボケ防止になるか

羽間慧

書かないよりは効果があるはず

 十二月五日

 ボケ防止には日記を書くといいらしい。新聞に書いてあった。金森さんとの話で脳が活性化されている気もするけれど、できるだけ認知症の進行を抑えたいのよね。孫の良信くんが介護アンドロイドを買おうと思ったのは、あたしの認知機能が衰えている証拠だもの。

 でも、どうせ買うなら、丁寧に接してくれるアンドロイドが良かったわ。金森さんは口が悪すぎる。



 十二月六日

 メガネがない、メガネがないと金森さんに詰め寄った。

 そうしたら『メガネなら、ベッド横の押し入れに投げていたではありませんか。メガネをかけたまま目薬を差そうとしていたので、邪魔臭く感じたのでしょう』って。

 押し入れを開けてびっくりしたよ。本当にあったんだ。

 あたしは、いつから、がさつになっちまったんだろう。若いころはそんなことなかったのに。反省していたら、考えすぎて頭が痛くなった。



 十二月七日

 昨日は愚痴みたいな内容を書いてしまった。日記なんて学生以来だから、何を書いて良いものやら。今日の出来事は、特になし。



 十二月十三日

 てっきり毎日書いているものだと思っていたら、三日坊主になっているじゃないか。ボケ防止に始めたっていうのに、なんてこったい。日記を付けていないことですら、認識できていない。

 三日に一回ペースで続けるとしよう。



 十二月十六日

 本当に日記がボケ防止になるのか。金森さんに訊いてみたら『わたくしの性能には及びません』って天狗になった。ナンセンスなアンドロイドだよ。



 十二月十九日

 国語辞書を開いたら、ナンセンスじゃなくてナルシストの書き間違いだった。外じゃなくて良かった。大恥を晒すところだったよ。隣で金森さんが大笑いしているのは、気のせいに決まっている。



 十二月二十二日

 ドラマを見ていたら、金森さんが先に犯人を当てた。確かに、あの人は怪しいと思っていたよ。でも、歩き方の癖まで注意深く見ていなかった。最近のアンドロイドは推理もできるのかい。技術は進歩したと痛感させられた。



 十二月二十四日

 金森さんが炊飯器でケーキを作ってくれた。オーブンがなくても、作れるんだね。知らなかったよ。

 シャンパンの代わりにサイダーを買ってきてくれて、今日の金森さんは気が利いた。お酒が飲めないのを覚えてくれていて、涙腺が緩んでしまったよ。



 十二月二十八日

 また日記をサボってしまった。ぐうたら寝ていた訳じゃあないんだよ。年越しの準備に追われていたんだ。

 三十日に餅つきをするから、今日は餅米とあんこを買いに行った。レジで餅とり粉を買い忘れたことに気付いたのは、日記の効果なのかしらね。帰省する息子達のためにビールも買っておいた。



 十二月三十日

 餅つきをした。金森さんは初めての餅つきに手間取っていた。いつも偉そうな口ぶりの金森さんが、餅に翻弄されていておかしかった。つきたての餅を食べようとしたら、小さく切られた。『先にお茶をどうぞ。めでたい正月が葬式になってはいけませんから』なんて気遣いを見せておいて、次の瞬間には毒を吐く。

『喉を詰まらせやすいものを、率先してお作りになるとは。どれほど食に対する執着が強いのでしょうか。嘆かわしいこと、この上ない。初詣の手水で清められたらいかがです?』


 やかましいわ!



 十二月三十一日

 家族が集まるのは嬉しい。今年は口うるさい家族が増えたから、賑やかな大晦日になった。来年も、金森さんと二人三脚で頑張っていこうかね。寝る前に、良信くんにあげる二万円をポチ袋に包んでおかないと。



 🖊️🖊️🖊️



 あたしがペンを置くと、金森さんが怖い顔をしていた。


『照子様。良信様は三十歳になられたのです。お年玉は今年で終わりにすると言って、ポチ袋を処分したではありませんか』


 そんな会話をした記憶はない。


「金森さん。あたしは本当にそう言ったのかい? 騙そうとしても無駄だよ」

『覚えていないのなら、覚えていないことを素直に認めてくださいませ。意固地になるのは見苦しいです。ふてぶてしい赤ちゃんの方が可愛く思えてきます』


 ふてぶてしい赤ちゃんとは、広告欄で見た絵本のことだ。何とも言えない変顔に、日本中が沸いたらしい。あたしはアレ以下なのかい。


「どうせ年寄りは可愛げがないよ。醜悪さが目立つばっかりで」


 あたしは苦々しげに言った。


『そのようなことはありませんよ。どうか眉間にしわを作らないでください。たるんだ首元を見ないようにしているのですから』


 一番ケアしにくい部分を指摘され、あたしはそっぽを向いた。

 まったく、デリカシーがないアンドロイドだね。


『褒め言葉として受け取っておきます。顔色をうかがう機能は、わたくしのような高性能アンドロイドには搭載されておりませんから』


 金森さんはカチリと音を立てた。


 ――働いている大人に五万円も渡すおつもりとは。年金暮らしの祖母の暮らしを圧迫させてまで、金をせびる孫はいませんよ。照子様ご自身のためにお金を使われる方が、良信様も喜ばれることでしょう。


 再生されたのは金森さんの声。そう言えば、前にお年玉の話をしたような。何だか気まずくなってきたよ。


「……ひゅうん」

『下手な口笛を披露されるよりも、先刻の発言を訂正していただきたいのですが』


 ずもももも。金森さんは眼力を鋭くする。


「そんなに怖い顔をしなさんな。可愛い可愛いばあちゃんの顔に免じて、水に流しておくれ」


 ここは素直に謝罪しよう。あたしは両手を合わせた。

 金森さんは目をしばたかせ、窓辺に駆け寄った。


『皆様、スタッドレスタイヤの準備はできていますか。新年早々、大雪が降りますよ!』


 夜中に大声を出すんじゃないよ。近所迷惑になるだろう。

 あたしが金森さんの口を塞ぐと、デジタル時計の日付が元日を示した。


 今年も金森さんに振り回される予感がする。日記帳の空白は、ぎっしりと埋まりそうだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日記はボケ防止になるか 羽間慧 @hazamakei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ