恋日記

@ramia294

   

 恋の御用は、ございませんか?

 実る恋もございます。

 枯れる恋もございます。

 お望みの恋、ご用意しております。

 当店自慢の恋日記。

 どうぞ、その手にお取りください。



 桜の季節になりました。

 いつもの会社の行きかえり。

 見慣れない看板を見つけました。

 なぜか懐かしい気がします。

 店主らしいおばあさんに、尋ねました。


「このお店の看板。恋の御用とは、何ですか?」

 


「文字通り、嘘偽りの無い恋の商い。お客様の望む恋。私がご用意いたします。実る恋は、二人が結ばれる恋。幸せな家庭を築いて下さい。枯れる恋は、涙で終わる恋。でも大丈夫です。終わってしまえば、また新しい恋日記をお求め下さい。悲しい気持ちもきれいさっぱり無くなります。もう一度このお店にお越し下さい。新しい恋、ご用意いたします」


 お店には、たくさんの日記帳。

 使われていない日記帳。


 店主によると…。

 日記には、すでに見えない文字で、購入者の恋が書かれていて、二人の出会いと共に、文字が浮かび上がります。

 二人の恋は、日記通りをたどります。

 枯れる恋は、悲しい悲恋。

 実る恋は、楽しい家庭。

 お代は、ただひとつ。

 たどった日記をお返し下さい。

 悲しい心の詰まった日記。

 楽しい心の詰まった日記。

 日記の最終ページ。

 恋の終わりの文字が、浮き出てきます。

 その日記をお返し下さい。

 それだけで、結構です。


 僕は、枯れる恋を買ってみました。

 なぜか、それが正しいと、僕の心が主張します。

 僕は、恋をしたことがありません。

 恋の全てを経験しようと、失恋までも経験しようと、枯れる恋を選んだのでしょうか?

 使われていない日記帳。

 全て白紙の日記帳。

 おばあさんのお薦め、悲しい恋の日記帳。

 いただきました。


 2週間後、彼女と出会いました。

 聡明で、美しく、しかし、幸せには、縁遠い彼女。

 僕たちは、出会ってすぐに恋に落ち、彼女の生きる時間に、幸せの二文字が、加わりました。

 僕たちは、遠い未来の幸せを話し合いました。

 お互いの今日の笑顔を紹介しました。

 希望の未来しか見えなくなった僕は、日記の事を忘れていました。


 出会ったその日から、日記帳には文字が浮き上がりました。

 出会った時間と場所、笑顔と温もり、積み重ねられる二人の季節。

 日記帳に書き留められていきました。


 永遠を信じている無邪気な僕には、彼女の体調に気づきませんでした。

 彼女が倒れたと知らされたのは、出会って一年目の記念日。

 僕は、病院に急ぎました。

 彼女はベッドの上。


「せっかくの記念日なのにごめんなさい」


 急いだので、二人食べようと買ったケーキが、つぶれてしまいました。

 青い顔の彼女は、つぶれたケーキを見て笑いました。

 彼女の命は、白くて細い指の間から、少しずつ漏れていきます。

 余命の宣告を受けました。

 胸いっぱいの幸せは、押しつぶされそうな不安に。

 笑顔は、涙に。

 待ち遠しい明日を来ないでほしいと願うようになりました。

 止めたかった時間。

 止める術は、見つからないまま、二人の夏は、秋へと移り、やがて、一人の冬になりました。

 日記帳は、満足気に文字数を増やしました。

 あんなに大事な物だったのに、少しずつ無くしていく、彼女との思い出。

 桜が再び咲くころ、僕の心は、確かに枯れ始めていました。

 気がつくと、あのお店の前に。

 おばあさんが、笑顔で現れました。


「どうだった。今度の恋は?」


 おばあさんは、僕から日記を受け取ると、嬉しそうに話しました。


「涙が枯れそうになったろう。あんたの失恋は気の毒だからね。とても日記たちには人気があるよ。それにしても、毎回よくあんな悲しい恋を呼び寄せるものだね。日記たちが、あんたは、書かれているお話を越えていくと驚いているよ。まったく、感心させられるよ」


 おばあさんは日記を大事そうに、お店の奥にしまい込みました。

 新しい日記を僕に渡しました。


「これで、大丈夫だろ。悲しい恋はすっかり忘れたろ。さあ、また最初から彼らの喜ぶ悲しい恋を始めておくれ」



 桜の季節になりました。

 いつもの会社の行きかえり。

 見慣れない看板を見つけました。

 なぜか懐かしい気がします。

 店主らしいおばあさんに、尋ねました。


「このお店の看板。恋の御用とは、何ですか?」


 店主のおばあさんが笑いました。

 なぜか見覚えがある気がしました。

 


 恋の御用は、ございませんか?

 実る恋もございます。

 枯れる恋もございます。

 お望みの恋、ご用意しております。

 当店自慢の恋日記。

 どうぞ、その手にお取りください。


 お店に、腰を下ろした店主がつぶやいた…。


「恋日記が、人の心を食う化け物だって?

私に言わせりゃ、時には心が死ぬ事もある恋に、あんなに喜び勇んで、飛び込んでいく人間の方が、よほど化け物だと思うけどね」


 どうぞ、当店をご利用下さい。

 



             おわり

 

 

 

 



 

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