首折り男の狂詩曲(ラプソディー)1-1/11

流々(るる)

火曜日。その後

 喫茶店の出口へ向かいながら大藪おおやぶはさっと辺りへ目を配った。一人しかいないウエイトレスは聞いて来たばかりの注文を厨房に伝え、パソコンを開いている男性はこちらへ背を向けたままだ。

 スーツ姿の太った中年男性は手元のトランプへ真剣なまなざしを送り、向かい合った中年女性もそれに負けじと選んだカードを見つめていた。


 なんだ、マジックでもやってるのか。服の色と髪の薄さは北条さんに似ているけれど、あの太い指で上手くできるのかな。


 薄い笑みを浮かべてから最後にもう一度、窓際の席を見る。

 彼女はスマホを覗き込むようにうつむいていた。

 ポケットに入れた彼の右手は「山田」から受け取った指輪をもてあそんでいた。




 駅ビルの三階にある大型CDショップに入ってきた三人組を見て、北条は顔をしかめた。顔つきからすると高校生か。邦楽ロックのコーナーでCDを選ぶふりをしながら、彼らの動きを目だけで追う。

 がっちりした体格の灰色パーカーがリーダーのようだ。スポーツに挫折でもしたのか、単にスリルを味わいたいのか。彼らは自然にふるまっているつもりかもしれないが、北条の目にはぎこちなく危なっかしい。

 特に背の高い紺ブルゾンは必要以上に顔を動かすから目立ってしまう。


 あれじゃ、これから万引きをしますと言っているようなものじゃないか。


 マジシャンは人の目の動きと闘う商売だ。ダミーで注意を引きながら、自然な動きでほんろうする。それが分かっている北条だからこそ、視線の移動には敏感になってしまう。

 三人目の黒ジャージが見張り役らしい。彼の合図で紺ブルゾンが棚からCDを一枚取り出し服の下へ滑り込ませた。そのまま急ぎ足で店の外へと向かう。

 ほかの二人もバラバラに移動し始めた。

 とりあえず、店員が気づいた様子はない。

 北条は小さなため息をつくと一枚のCDを手にしてカウンターへ向かった。


「あれ、北条さん」


 支払いを終えて店を出ると知った声が聞こえてきた。チェック柄のダッフルコートをひるがえして大藪が近づいてくる。

 あの三人の姿はあるはずもなかった。


「何してるの」

「こんな所で会うなんて奇遇だね。これもキミがいつも言っている、神様の気まぐれかな」

「北条さんこそどうしたの? いつもの笑顔がなくって浮かない顔してるよ。推しのバンドのCDが売り切れだったとか」

「それなら喜んでるさ。たくさんの人に聴いてもらえるってことだもの」


 二人は吹き抜けに面している一画へ足を進めた。並んでいる六角形のスツールに腰を下ろす。

 北条から話を聞いた大藪は口をへの字にして二度三度とうなずいた。


「そいつなら来るときにエスカレーターですれ違ったよ。ワケありな感じでさ、俺と目があったら逃げるように逸らした」

「へぇ、そうだったんだ。やっぱり脅されてるのかな」

「神様が奴にチャンスをくれたのかもしれないのに、俺がスルーしちゃったんだ。悪いことしたなぁ」


 大藪は顔をしかめながら、両手を後ろについて吹き抜けの天井を見上げた。


「珍しいね。キミなら進んで首を突っ込むのに」

「別の用事があったんだよ」

「このまえ話していた、お金にならない仕事?」

「だから仕事じゃないって。人助けさ。そう言えば、そこの喫茶店でも北条さんみたいにマジックを見せるおじさんがいたよ」

「僕は本業だから喫茶店なんかじゃ披露しないよ」

「でも、あの公園では女の子に見せたんでしょ」


 一瞬けげんそうな顔を浮かべた北条が笑顔になった。


「あぁ、あのときね。あの子、なんて言ったかな……」

「ハゲのマジシャンって言ってたよ」

「いや、僕が言ったのは彼女の名前。ってそんなこと言ってたの⁉ まいったなぁ」

「しょうがないよ。こどもは正直だから」


 北条は苦笑いを浮かべるしかない。


「あれはいつだったっけ……」

「ちょうど二週間前。火曜日だよ」

「よく覚えてるね。日記でもつけてるの?」

「そんなわけないじゃん。ソナムに会った次の日に、自転車を準備したって連絡をくれたから」

「ブータン王国の王子と会ったって本当?」

「俺が北条さんに嘘をついたってしょうがないでしょ」

「なんだかキミも忙しいな」

「そりゃ誰かさんがすぐに仕事を持ってくるから、こっちも二週間で仕事を終わらせようと努力してるのさ。前回は二週間と二日かかっちゃったけれど」

「やっぱり日記をつけてるでしょ」


 大藪は両手のひらを上に向けて肩をすくめた。


「あ、市営住宅の猫の話ってしたっけ」

「猫?」

「そう。あの仕事のときに猫が四階から飛び降りたんだよ。自分から飛んでさ。そいつがまた公園にも現れたんだ」

「なにそれ。そんなことあるわけないでしょ。さすがに四階から飛んだら、いくら猫だといっても無事じゃすまないし」

「三階なら大丈夫なのか」

「そういうことじゃなくって――」


 ふいに大藪が右手を上げて北条の話を遮った。あごでくいっと指した先には階段から降りてきた三人の若者がいる。


「あいつらでしょ」「うん」


 立ち上がった大藪は彼らの方へ大股で近づいていく。北条もその後を追った。

 灰色パーカーと黒ジャージは大藪たちに背を向けて、紺ブルゾンに何かを言っている。一人こちらを向いていた紺ブルゾンが大藪に気づいた。


「よっ!」


 大藪は右手を上げて声をかけた。

 二人は振り返り、紺ブルゾンに「知り合いか?」と尋ねる。彼が首を横に振ると、大藪が笑い声をあげた。


「なんだよ、もう忘れちゃったのかよ。俺は覚えてるぞ。一時間くらい前にエスカレーターですれ違っただろ」

「なんだてめぇは。消えろよ」


 灰色パーカーが一歩前に出る。

 手を伸ばせば届く距離で大藪は立ち止まった。


「お前に用はない。俺はあいつに話をしてるんだ」

「こいつはおっさんのことなんか知らねぇって言ってんだよ」

「またかよ」


 大藪は大げさに肩を落としてため息をついた。


「小さい女の子におじさんと呼ばれるのはまだ我慢できるけれど、お前みたいなガキにおっさん呼ばわりされる筋合いはない」

「なんだとぉ」


 灰色パーカーが突き出した右手をするりと避けて、大藪は紺ブルゾンの肩に手を置いた。


「大丈夫か。何があったか知らないが、こんな奴らに脅されていうことを聞く必要なんかないんだ」

「こいつは俺たちの仲間だ。脅してるわけじゃない」


 黙ってうつむいた紺ブルゾンの代わりに黒ジャージが答えた。

 すると大藪の後からきた北条が笑顔で声をかける。


「さっき、そこのCDショップで彼に万引きさせてたよね」


 三人の顔色がそれぞれ変わった。

 逃げ出した黒ジャージと入れ替わるように灰色パーカーが唸り声をあげて大藪へ殴りかかる。それを受け止めて、逆に大藪が胸を突いた。バランスを崩した灰色パーカーが尻もちをつく。

 大藪は向きを変えて、紺ブルゾンの肩から両腕にかけて何かを確かめるように両手で触った。


「いい身体してるじゃないか。鍛えてみれば。神様はたまに見ていてくれるからさ、自分から変わっていかなきゃ」


 当惑していた紺ブルゾンが声をあげた。


「危ないっ」


 大藪の後ろから背を低くした灰色パーカーが組みつく。大藪は体をひねりながら倒れずにこらえた。二人は組み合ったまま吹き抜けに面したガラス手摺へ近づいていく。

 力づくで振りほどいた大藪が灰色パーカーを突き放した。


「ちきしょう!」


 灰色パーカーが大藪に頭から突っ込む。

 それをいったん受け止めて、大藪は紺色ブルゾンに顔を向けた。

 灰色パーカーは踏ん張った足に力を入れて、大藪を倒そうとしている。次の瞬間――。


 大藪は


 自ら力を緩めて手摺に背をつけると、自分の意志で飛び上がるように手摺を越えていった。北条の目にはそう映った。

 灰色パーカーは唖然あぜんと立ち尽くしている。

 紺色ブルゾンは手摺をつかんで下を覗き込んだまま動かない。北条が近づいてきたことにも気づいていない様子だった。


「キミ、最後に大藪くんから何か言われてたよね」


 北条は彼の背中に手をそえて声をかけた。振り返った彼が口を開いた。


「こんどはお前の番だ。任せたぞ。俺は黒猫だから心配するな、って……」


 一字たりとも間違えないようにゆっくりと声にする。

 またわけのわからないことを。そう思いながら北条も下を覗き込んだ。

 頭から血を流した大藪が片目を開けてにぃっと笑ったのは北条にだけ見えていたのかもしれない。



― 了 ―

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