観察日記

御角

観察日記

 夏、だるような暑さが全身を包む。湿気の多い畳の上で蒸されながら、俺は友達が冷えた麦茶を持ってくるのをただじっと待っていた。

 いつまでも大人しく待つのも面白くないので、友達の勉強机に座りその椅子をグルグルと回していると、ふと、机の上にある日記に目がとまった。

「観察日記……?」

 そういえばそんな宿題が学校でも出ていたような気がする。すっかり忘れていた。今から書き始めても遅いだろうな……。

「そうだ、ちょこっと参考にさせてもらうか」

 夏休みのほとんどを一緒に過ごしてきた友達の日記だ。最悪丸パクリさせてもらっても怒られないだろう。そう思い俺は、その薄っぺらいノートを手に取った。


『観察一日目、変化なし。一向に生える気配はない。本当に大丈夫かな?』

『観察二日目、変化なし。もう少し栄養を与えた方がよかったかもしれない』

『観察三日目、変化あり。やっと顔を出した。早く大きくなあれ』

『観察四日目、変化なし。全然大きくなってないな……時間かかるのかな?』

『観察五日目、変化あり。昨日より少し大きくなったかも? 成長が楽しみ!』

『観察六日目、変化あり! やっぱり伸びている。この調子で行けばいずれ花開くぞ!!』

『観察七日目、』


 あれ、ここで終わっているのか。肝心の何を観察しているのかがよくわからないのであまり参考にならない。俺は日記を読むのをやめた。

 その時、友達が両手に麦茶を持って、部屋の襖を足でガラガラと開けた。

「おい、何だよー遅いじゃん」

「悪い、父さんにこっぴどく叱られちゃって」

 友達は麦茶を畳に直置きする。触るとひんやりとしていて気持ちがいい。

「お前、いっつも親に怒られてるじゃん。今度は何やらかしたんだよ」

 俺は麦茶の喉越しを味わいながら、それとなく友達に聞いてみた。

「いや、宿題でさ、観察日記ってあるだろ? でも遊んでばっかりで全く手をつけてなくてさ……」

「えっ……じゃあお前」

 あの机の上のノートは一体、そう聞きたくても、聞けば読んだことがバレてしまう。俺はその出かかった疑問を麦茶と一緒に流し込んだ。


 ガラガラッ

 突然、勢いよく襖が開けられる。見ると、友達の父が今にも怒鳴らんばかりの真っ赤な顔でそこに仁王立ちしていた。

「なんだよ、このハゲ親父!!」

 友達が食ってかかる。おいおい、普段はそんな言い方しないじゃないか。反抗期か?

「なんだとはなんだ! 人の日記を勝手に見るんじゃない!!」

 そう言うと友達の父はずかずかと部屋に入り、机の上のノートを素早く奪い取る。その拍子に足が当たり、俺の麦茶が辺りにぶちまけられてしまった。

「おお……すまん」

 倒れたコップを友達の父は拾う。拾おうとして、かがんだ。


 雲の隙間から、眩しい太陽がその顔を覗かせる。


 俺はその瞬間、全てを悟った。そうか、日記は、友達のものじゃなかった。友達もきっと、俺と同じように参考にしようとしたんだ。でも……。

「これは、参考には出来ないよなぁ……」

 シミの広がる畳に一つ、天使の羽音が響き渡る。

 カポーン

 美しき ししおどしみたく 落つる髪

 よし、一句出来た。


 満足げな俺とは対照的に、二人は夏の澄み切った青空よりも酷い顔色をしていた。


 懐かしい、小学校の頃の思い出。なお、今では俺が観察日記をつける側なのはここだけの話。

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観察日記 御角 @3kad0

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