烏瓜の花

葉月りり

第1話

 主人が亡くなってそろそろ5ヶ月になります。


 主人は趣味で畑をやっていました。もうすぐ定年という頃に始めた事なのですが、なかなか美味しい野菜を作ってウチに持って帰って来てくれました。もともと実家は農家ですので、それなりの知識はあったようですが、本なども買って勉強したりしていました。


 畑では友達も何人か出来たようです。毎日毎日出かけていくほど畑で仕事があるのかしらと思っていたのですが、仲間と過ごすのが楽しかったみたいです。時々、私にその仲間の分もお弁当を作らせたり、畑で採れた野菜で作った漬物を大量にタッパに詰めて持って行ったりもしていました。


 ある日、畑用のクーラーバッグにビールを何本も詰めているのを目撃しました。主人は、若い頃は大酒飲みでいろいろ苦労させられましたが、歳を取ってからはあまり飲まなくなっていました。つまり、私の前ではって事だったようです。


 その主人の畑を私が引き継ぎました。主人がまるで遺言のように、


「一人になってうちにばかり閉じこもってるとボケちゃうから畑でもやれ」


と、何度も言うので亡くなった後、ちょっとやってみたのです。すると、野菜の花はとても可愛くて、それが小さな実になり、だんだん大きくなっていくのがとても愛おしく思えてきました。主人のようには出来ないので、少し畑を狭くして私の出来るだけでやってみようと思いました。


 そう思ったのは、主人の畑仲間の助けがあったことが大きかったと思います、畑の土を起こして耕すのは私ではうまく出来ず、やっぱりダメかと思っていたら、主人の仲間達が耕運機で耕してくれて、その上、苗の植え方から支柱の立て方も、いろいろ世話をしてくれたのです。


私がお礼を言うと、皆さん決まって、


「キムさんにはいろいろ世話になったんだよ。だからこんな事は大した事じゃないんだ」


と、言うのです。畑では主人は“キムさん”と呼ばれていたようです。キムさんは皆さんにとってどんな存在だったのでしょうと私は不思議に思っていました。


 明日、主人の新盆を迎えます。私は、小さなテーブルに真菰の後座を敷き、作り物の蓮の花や鬼灯を飾り、ナスと胡瓜で牛馬も作りました。娘が買ってくれた灯籠も飾って、お寺からもらったパンフレットをお手本に私なりの盆棚が出来上がりました。盆棚の前にはお供物の籠が二つ。一つは私が作った胡瓜やトマト。もう一つは主人の畑仲間の作った小玉スイカにカボチャ、白瓜が入っています。


 今朝、私が畑での作業を終え、帰ろうとしたところにいつも畑を耕してくれる渡辺さんが何やら大きな袋を持ってやってきました。それを私に差し出して、


「カボチャは源さんが作ったものだ、白瓜はハマさん、で、このスイカが俺が作ったものだ。お盆にお供えしてくれないかな」


 私は喜んで受け取りました。きっと主人も喜びます。私がお礼を言うと、渡辺さんは主人との思い出を少し語ってくれました。


「キムさんとは定年後の再雇用で現場が一緒になったんだ。妙にウマがあって楽しく働いていたんだけど、ウチの女房が急死しちゃってさ。それで酒に逃げた俺を畑に誘ってくれたんだ。そんなに飲んでないで畑をやれって」


びっくりしました。私に言わせれば、そのセリフどの口が言うって感じです。


「畑なんかやった事ないから、最初は断ったんだ。そしたら、じゃ、畑なんかいいから、ここに来て一緒に飲もうって。一人で飲んでちゃダメだって。それで来てみたら、焼酎と焚き火で焼いたネギをご馳走してくれたんだよ。あと、抜いたばかりの大根を洗っただけで味噌つけて丸かじりしたり。美味くてさ、それでなんだかんだで一緒に畑をやるようになって」


そういえば、私が搗いた味噌をまだ早いっていうのにタッパーに入れて持って行ったことがありました。


「キムさんのおかげで立ち直れたようなもんだ」


「そんなことないと思います。主人がいなくても渡辺さんはきっとその後大丈夫になったと思います」


私は自分がなんだかわけの分からないこと言ってるなあと思いながら、ただただお礼を言って帰ってきました。


 そんなことなら、嫌味も言わずにお弁当作ったのに。お漬物だってもっと持たせてあげたのに。お父さんってば、バーカ。嬉しくもあったのですが、なんか悔しい気もしました。


 さて、明日は娘も来て、お寺に行かなくてはなりません。お風呂も入ったし、さっさと寝ましょうというところで電話がなりました。娘です。


「お母さん! あー、出たあ」


「なに、どうしたの」


「だって、携帯に何回かけても全然出ないし、家電にかけても出ないし、なんかあったかと思って。これで出なかったら行かなくちゃと思ってたのよ!」


「え? 携帯? あ、ああ。ゴメン、畑のカバンに入れっぱなしでしまっちゃった。ゴメン、ゴメン」


咄嗟に嘘をつきました。すぐにハッと思い出したのです。携帯、畑に忘れてきてしまいました。


 娘とは明日のお布施の確認をしてすぐに切りました。さて、どうしましょう。もう11時、私にとっては真夜中です。明日の朝早くに取りに行こうとも思いましたが、にわか雨の予報も出ています。携帯、濡れたらどうなってしまうんでしょう。


 取りに行くことにしました。ある所は分かっています。渡辺さんから袋を受け取る時、手に待っていたので、コンテナの上に置いたのです。自転車で5、6分です。パーっと行ってパーっと帰ってくれば大丈夫。


 予想はしていましたが、本当に真っ暗です。曇っていて星も月もない、もちろん街灯なんて全く無い闇です。幽霊が出そうなんて、そんな事は怖くありません。生きてる人間がこんな所にいることの方が怖いです。今、私がその怖いものになっていますが。


 自転車のヘッドランプを外して恐る恐る足を踏み入れます。やはり雨が近いのか土の匂いが濃く感じられます。虫の音もすごい騒ぎです。ヘビでもいたら大変と、足元をよーく照らしてなんとかコンテナのところまで来ました。携帯、ありました。ホッとして安心したら少し気が大きくなりました。


 畑をぐるりと照らしてみました。ナスの花、トマトの花、ライトで照らしても色がよくわかりません。太陽の下とは違うもののように銀色に光ってます。青いトマトの実も白っぽく光って不思議な石の細工ようです。


 すぐに帰ればいいのに調子に乗ってあちこち照らしていたら、畑を仕切っている植え込みが白く光っているのに気がつきました。まるで雪が積もったように。そばに行くと、柘植の木の植え込み全体がツルで覆われ、白い花をつけています。


 テレビで見たことがあります。これは烏瓜の花です。5枚の花びらの縁から白い糸が無数に伸び、隣の花と重なり合い、まるで花モチーフのレエスのようです。このレエスを辿っていくとそこに花嫁さんがいたりして、なんてそれこそホラーですね。


 烏瓜の花は夜にならないと咲かないと聞いています。こんなに美しいのに人知れず闇の中に咲くなんて、どうせなら皆が見られる昼間に咲けばいいのにと思いました。レエスの花に時々、蛾が止まります。蛾が受粉を手伝っているようです。烏瓜は別に人に見せるために咲いているわけでは無いですね。


 しばらくうっとりながめていると、耳元で嫌な音がしました。


プ〜〜〜ン


蚊です。いけません、虫除けスプレーをしてくるのを忘れました。私は急いで自転車に跨り走らせました。家までもうすぐというところでポツリポツリと雨が落ちてきて、取りに行って本当に良かったと思いました。


 次の日の朝には雨は上がって暑いけれど綺麗な青空です。お寺に行くために娘が車で迎えに来てくれました。着くなり娘は私の顔を見て大笑いです。夕べ、畑で目の上を蚊に刺されてしまったようでなんか瞬きがしにくいです。娘は


「その顔でお墓を歩くってどうなのー」


と、笑いが止まりません。


「いいの。この顔でお父さんのこと驚かしてやるんだから」


と、私はうらめしや〜のポーズをして、また2人で笑いました。


娘にも烏瓜の花を見せたいなと思うけど、なんでみつけたのって聞かれちゃいますよね。



おわり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

烏瓜の花 葉月りり @tennenkobo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ