『スーサイドカウントダウン』

笛吹ヒサコ

そしてまた夜を越えて

 ちょっとキリのいいところまで読むつもりで、時間も忘れて読書に夢中になるのは、治さなくてはと思いつつ、治らない悪癖の一つだ。その集中力を、他に転用できないものか。

 何の気なしに両手を天井に突き上げて、時計を見れば、『23:46』。

 あー、これはダメだ。ダメな時刻だ。時間なんて気にせずに、寝てしまえばよかった。

 久しぶりに、思い出してしまうではないか。

 ダメだダメだと言い聞かせているのに、脳は勝手にあの曲を再生してしまう。




 ――サン、ニィ、イチで、ゼロになろう


 『スーサイドカウントダウン』

 もう一五年も経つのだ。たった一五年で、もうワンフレーズしか口ずさめなくなるとは。

 一生、背負っていくのだとばかり、思い詰めていた自分が恥ずかしい。所詮、その程度の関係だったと思ってしまう自分は、なんて薄情なのだろう。恥知らずも、いいところではないか。

 時の流れは、残酷だ。

 まぶたを閉じても、あの子の顔は曖昧で薄ぼんやりしている。なんてことだ。

 一緒に死のうと、約束までした仲だったのに。


 保育園から、何をするにしても一緒だった。小学校、中学校、どこで何をするのも、一緒だった。トイレの個室まで一緒だったのは、当時の自分はどうかしていたんじゃないかと思う。

 好きなものも一緒だったのは、お互い嫌いになりたくなかったから、無意識に相手に合わせていたこともあったのではと、今なら冷静に分析できてしまう。あの頃の自分たちは、何一つ疑うことなく自分たちの関係を『親友』と名付けていたし、周囲からもそう見えていたに違いない。

 『共依存』という言葉を知った今なら、そちらのほうがよりふさわしいと言えるんじゃないかと思う。

 とはいえ、今さら自分とあの子の関係に名前をつけることに何の意味があるのか。真剣に考えるのは、虚しいだけ。

 健全だろうと、そうでなかろうと、あの頃の自分たちは間違いなく『親友』だった。『親友』以外の何物でもなかった。

 そして、自分たちの友情は、思春期特有の万能感をもって一生涯続くのだと信じていた。あの子にとっては、その通りになったと言える。あの子の生涯は、一五年前に終わってしまったのだから。


 ――サン、ニィ、イチで、ゼロになろう


 当時、一〇代の女子を中心に人気だった女性シンガーソングライター。

 若い女性が共感してやまない歌詞が、ウリだった女性シンガーソングライター。

 自分もあの子も、周囲に流されるように、彼女の歌に

 そんな彼女が生きる意味がわからないなら死んでしまおうと歌った曲『スーサイドカウントダウン』は、CD発売直後から話題になった。

 あの曲に共感して、歌詞の通りに午前零時に自殺する人が続出して『スーサイドカウントダウン現象』と、社会問題にまでなった。今でもたまにTVで取り上げられるし、ネットの都市伝説となっている。

 当然、CDは発売中止で売り場から回収された。

 女性シンガーソングライターは、今何をしているのか。世間を騒がせた曲を最後に、所属事務所を経由した当たり障りない謝罪文を最後に、表舞台から姿を消した。もし、自殺していたら、噂になっていただろうから、ちゃんとどこかで生きているんだろうとは思う。


 『スーサイドカウントダウン現象』と名付けられ、連日TVなどのマスコミが騒いでいたのは、ひと月程度だった。世間は、自殺なんてセンシティブで暗い話題よりも、イケメン俳優とアイドルの結婚とか、中堅芸人のゲスな不倫騒動のほうが好ましかったようだ。

 たとえば、五十何人かの女子高校生が手をつなぎ「いっせーのーせ!」で新宿駅のプラットホームから飛び降りたりすれば、また話は違ったかもしれない。でも、そんなセンセーショナルなことは、映画と漫画の中でしか起こり得ないんだ。

 実際にあの曲の影響で自殺したと断定できるのは、十人にも満たなかったらしい。年間三万人を越えているとされる自殺者のうちの、たった数人。

 あの子は、その数人のうちの一人だ。自分もそのうちの一人になるはずだった。

 大人になって、小説家になった自分と漫画家になったあの子とルームシェアするならどんな間取りがいいかとか、もし万が一結婚したらどうしようかとか、将来を語り合ったその口で、自殺しようと約束をしたんだ。

 生きる意味から、自殺しようと約束した。

 中学生の自分たちが、真夜中に一緒にいるのは難しくて、同じ日に自殺する計画とも呼べない予定を立てた。『スーサイドカウントダウン』のワンフレーズを遺書代わりにして。

 本気だった、と思う。恥ずかしげもなく指切りをした、その瞬間は。本気で、自殺できると、思っていたんだ。

 なのに、自分はこうして生きている。

 生きる意味がわからないと同じように、自分には死ぬ意味がわからなかった。

 若きウェルテルがいったいどんな悩みを抱えていたのか、知らないし、知りたくもない。でも、不特定多数が共感するような悩みなんて、きっとそれほど大した悩みではないと思うんだ。

 自殺する勇気がなかったことは、悔しかった。けど、明くる日もあの子と笑いあうだろうと、言い訳して寝てしまった。

 あの子が、ちゃんと約束通り住んでいるマンションから飛び降りたとも知らずに。

 生きる意味なんて、一三歳の自分にわかるはずがなかった。もうすぐ三十路で、来月には結婚する今になっても、生きる意味なんてわからない。

 あの子には、死ぬ意味があったんだろうか。自分が知らないだけで、自殺したいほどの絶望とか悩みを抱えていたんだろうか。今となっては、真相は闇の中だ。

 密葬、という言葉を知ったのは、あの時だ。一度も線香を上げることなく、今でもどこに墓があるのか知らないままだ。こんな薄情者の自分に、弔う資格なんてないんだろうけど。

 あの子だけが自殺して、日付が変わろうとするたびに、今日こそ死ななくては、今日こそ死ななくてはと、情緒不安定になっていた自分を、大人たちは親友を喪ったショックを受けていると、思ったようだ。間違ってはいない。でも、自分はカウンセラーにも精神科医にも、あの子とかわした約束を、破ってしまった約束を、誰にも言ったことがない。


 『23:58』


 ずいぶん、あの子が遠くなってしまった。

 このまま、どんどん遠くなっていくんだろう。そうして、いつか、ふと思い出したように、これまで誰にも言えなかった約束を、誰かに言う日が来るかもしれない。けど、それは今じゃない。今じゃないんだ。


 いっとき話題になった割に、たったの数人しか影響を受けなかった『スーサイドカウントダウン現象』。

 それを理由に、あの歌がなくても遅かれ早かれたったの数人は自殺しただろうと、現象そのものを否定する意見もあるらしい。

 あの子のことは、今となってはわからないことばかりだ。けど、これだけは確かだと断言できることが、一つだけ。あの曲がなかったら、あの子は自殺なんてしなかった。きっと今でも生きていたはずなんだ。その確かなことは、自分だけが知っていればいい。今はまだ。


『00:00』

 ――サン、ニィ、イチで、明日になった


 懺悔とも呼べない回想を終えて、冷たいベッドに潜り込む。

 そしてまた夜を越えて、朝を迎えるんだ。

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『スーサイドカウントダウン』 笛吹ヒサコ @rosemary_h

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